本当にやりたいこと・後編

「さて、今日は君たちが将来をどう考えているのかを知りたい」

 レミの高らかな声が響く。

「将来……ですか? 例えば、自分がこの先どうしていたいなどの目標という解釈でよろしいでしょうか?」

 セルジュが手を挙げて質問した。

「その通りだとも、セルジュ。君達の将来の目標を教えてくれたまえ」

「ありがとうございます。では、僕からでいいですか?」

 セルジュは周囲を見渡しそう聞いた。

 反対するものは誰もいないのでセルジュはそのまま話し始める。

「僕は小麦の栽培について研究し、ルテル領の小麦の生産量を上げたいと存じております。小麦はナルフェックの主食であるバゲットの原料でもあります。過去数回、冷害により小麦を始めとする食糧が凶作となり、飢饉が起きました。それにより小麦の価格が高騰し、平民に十分な食糧が行き渡らず餓死する者が多数おりました。この先も自然災害により小麦などが凶作になる年があるかもしれません。ですので、小麦の生産量を上げて万が一の時に餓死者が出ないようにしたいです」

 セルジュは穏やかな笑みを浮かべているが、自信に満ちた様子だ。

「食糧は命を繋ぐ糧ですからね。流石は小麦生産量3位のルテル領です。期待していますよ、セルジュ殿」

 アンドレは感心していた。

「アンドレ殿下にそう仰っていただけて光栄です」

 セルジュは微笑んだ。そしてクリスティーヌの方に体を向ける。

「その為にも、同じ小麦の産地であるタルド領とは協力体制を取っておきたいんだ。だからクリスティーヌ嬢を僕の婚約者候補にしたんだよ」

「婚約者……候補……。候補ということは、まだ正式な婚約者ではないのですよね?」

 マリアンヌは驚き、不安そうにセルジュとクリスティーヌを交互に見る。チラリとユーグも見るが。

「まあ、まだそういうことですね、マリアンヌ嬢。でも僕は正式な婚約者でもいいと思っているよ、クリスティーヌ嬢」

 マリアンヌに対して答え、次にセルジュはクリスティーヌに笑みを向けた。

 クリスティーヌは少し複雑な気持ちになった。ユーグに目を向けると少し切なそうにこちらを見ているように見えた。クリスティーヌは胸の奥がギュッと苦しくなり、一瞬目を伏せる。

(ユーグ様にはセルジュ様とのことを知られたくなかったわ。だけど……わたくしはタルド家の為、そして領民の為に動かなければ)

 クリスティーヌは完璧な淑女の笑みを浮かべる。

「ええ。わたくしも、ルテル領とは協力体制を取りたいと存じます。そうすることで、タルド家や領民、そしてルテル家やルテル領民の為になるのであれば。わたくしの役目は家を強くすることや領民に更なる利益をもたらすことでございますので」

 上品な淑女の笑みだが、凛としているクリスティーヌ。

「そんな……ではお兄様は……」

 マリアンヌは絶句してしまった。後半はとても小さな声だったので、誰の耳にも入らなかった。

(え!?もしかして、マリアンヌ様はセルジュ様をお慕いしていらっしゃるの!?……後で聞いてみましょう)

 クリスティーヌは驚きながらマリアンヌを見ていた。

「役目……ね」

 イザベルは心配そうな表情でクリスティーヌを見ていた。

「さて、お次はだ」

「私でいいかな?」

 レミの声を遮り、ユーグが挙手する。

 他に挙手する者がいないことを確認し、ユーグは話し始める。

「私は宰相を目指しているよ。女王陛下は義務教育年齢の拡大や水道といったインフラをナルフェック王国で暮らす全ての者に行き渡らせる為に多忙を極めている。そして将来国王として即位される王太子殿下もこの国の為に多忙を極めるだろう。だから、私は政治関連全般でサポートしていきたい。それに、私自身政治に携わって色々変えていきたいことがあるんだ」

 クリスティーヌはユーグの堂々とした様子に釘付けになっている。

「色々変えていきたいこと、とは?」

 レミが質問する。

「身分による差別を無くすことさ。平民の生活水準は女王陛下即位後から急上昇している。だけど、平民への差別の減少は緩やかなんだ。私は、平民への差別をゼロにしたいと考えている。ヌムール家次期当主の権限では、ヌムール領内の差別はなくすことが出来る。でも、ナルフェック王国全体の差別はなくせない。だから、宰相になればこの国全体への権限も持てると思ったんだ」

 ユーグは「それに……」と言葉を続ける。

「女性やアーンストート氏のような他国からの移民への差別も依然として存在する。それらもなくしていきたいんだ。差別から戦争に発展することもあるからね」

 それを聞き、クリスティーヌ2年前ユーグに絡んでいた悪漢達のことを思い出した。

『ケッ。女、しかもまだガキじゃねえか。帰んな帰んな。俺達はお嬢ちゃんの相手してる暇はねえんだよ』

(今思えば、あれも差別の一種だったわ。確かに、いい気はしないわね。ユーグ様は……ナルフェックにいる全ての方々が不快な思いをせず生活出来ることを望んでいる。食糧生産の改善は、栽培方法を変えたり品種改良を行えばいい。だけど、差別をなくすには、人の根底にある考えを変える必要がある。他人に考えを改めてもらうことは、栽培方法を変えたり品種改良をすることよりも難しい。ユーグ様はそんな難しいことに挑むのだわ。……とても凄いわ)

 クリスティーヌはユーグに畏敬の念を抱いた。

「では、クリスティーヌ嬢はどう考えている?」

 レミはクリスティーヌに話を振った。

わたくしは……国全体を巻き込んだ規模ではございませんが、少しでも領民の暮らしをよくしていきたいと存じます。例えば、領民が食糧に困ることをなくしたり、適切な医療を受けやすくしたりといったことでございます。その為にも、わたくしは社交界で人脈を作っていこうと存じます。それに、タルド家も強くしないと領民は豊かになりませんわ」

 クリスティーヌは完璧な淑女の笑みを浮かべている。

「では、クリスティーヌ様は家の為なら愛していない相手とも結婚出来るということでございますか?」

 マリアンヌは不安そうな表情をクリスティーヌに向けている。

 クリスティーヌは表情を崩さなかった。

「ええ。それがタルド家や領民の為になるのならば。わたくし達は領民が納めた税で生活しております。つまり、領民に支えられて生きているのでございます。だから、少しでも領民に恩返しをしたいのでございます。それに……これはあくまでわたくしの考えなので、他の方々に強制するつもりはございませんが……わたくしは、貴族の子女はチェスの駒のようなものだと考えております。家や領民の為の駒。それならば、わたくしは自ら最高の駒になることを選びますわ」

 クリスティーヌは淑女の笑みでそう言い切った。

 マリアンヌはヘーゼルの目を大きく見開いた後、俯いてしまった。

(貴族令嬢としては完璧な答えでございますわ。だけど……心配になりますわね)

 イザベルは気品ある笑みだが考え込んでいた。

 ユーグはどんな表情をしているのかは分からなかった。

「ディオンはどうかな?」

 レミはディオンの方を向く。

「俺は法務卿を目指してます。興味本位で法律や司法制度を学んだら面白くて、そのうちに時代の変化と共に新たに制定すべき法律や廃止すべき法律も出て来ることをしりました。俺は法改正などのサポートが出来ればと考えています」

 ディオンは自分の考えを簡潔にまとめた。

「では最後、マリアンヌ嬢はどうかな?」

 レミに話を振られると、マリアンヌは俯いてしまった。

「マリアンヌ様、どうかなさいました?」

 アンドレが心配そうに首を傾げる。

「わ、わたくしは……皆様のように深く考えておらず恥ずかしいです。ただ……ドレンダレン王国など、他国の文化や歴史に興味があります。ですので、そういったことを活かせたらと考えております」

 マリアンヌは俯きながら控え目に答えた。

「十分さ、マリアンヌ嬢。今年成人デビュタントを迎えたばかりなのだから、焦らなくていいさ」

 レミは高らかに笑った。

「レミの言う通りだよ、マリアンヌ。自分のペースでゆっくり考えたらいい」

 ユーグもマリアンヌに微笑みかけた。

「ありがとうございます、レミ殿下、お兄様」

 マリアンヌは少しホッとした様子だ。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 クリスティーヌ、マリアンヌ、イザベルの3人は部屋から出て、日傘をさし薔薇園を歩いている。

 王宮の薔薇園は品種改良した薔薇が勢揃いで、年中薔薇を楽しめる。

 クリスティーヌはマリアンヌに気になったことを聞いてみる。

「マリアンヌ様、この場で不躾な質問をお許しください。単刀直入にお聞きいたします。マリアンヌ様はセルジュ様に好意を寄せていらっしゃるのでしょうか?」

わたくしがセルジュ様を? いいえ、恋愛的な好意はございません。勿論、国内の食糧問題をお考えなので尊敬は出来ますわ。クリスティーヌ様はなぜそのようなことをお聞きになるのでしょうか?」

 マリアンヌは控え目な声できょとんとしている。

 クリスティーヌはエメラルドの目を見開く。

「それは……先程わたくしがセルジュ様の婚約者候補だというお話が出た時に、マリアンヌ様がショックを受けていらしたように見えて」

「クリスティーヌ様にはそのようにお見えだったのでございますわね」

 マリアンヌは伏し目がちに微笑んだ。

「実は、お兄様の立場を考えてしまってショックを受けておりましたの」

「ユーグ様のお立場?」

 クリスティーヌはユーグの切なそうな表情を思い出し、チクリと胸が痛む。

「ええ。わたくしが申し上げられることはここまででございます。セルジュ様には、恋愛感情を抱いておりませんから」

 マリアンヌは「それに……」と言葉を続ける。

わたくし、自分のことばかり考えておりましたので、クリスティーヌ様の領民に対する思いをお聞きした時、自分の身勝手さにとても恥ずかしくなってしまいました」

 マリアンヌは俯いてため息をついた。

「将来も、あまり考えておりませんでしたし」

「そんな、マリアンヌ様、あまりお気になさらないでください」

「ねえマリアンヌ、貴女は他国の歴史や文化に興味がございますのよね?」

 そこへ、2人の話を黙って聞いていたイザベルが入って来た。

「は、はい、イザベル殿下」

 マリアンヌは突然のことに戸惑いながら返事をした。

「マリアンヌ、それなら外務卿を目指してみたらどうかしら? 女王陛下お母様が即位してから、重要な役職に女性を登用することが増えてきておりますのよ。実力があれば、性別問わず活躍出来ますの。今の法務卿だって女性でございますし、ご存知だとは思うけれど医務卿はヌムール女公爵貴女のお母様貴女のお母様でございますのよ」

 イザベルはふふっと笑う。

「外務卿……わたくしに務まるのでしょうか?」

 マリアンヌは自信なさげだ。

「マリアンヌ、貴女の興味があることへの熱意がとても感じられましたのよ。ドレンダレン以外の歴史や文化も知っているのでしょう?」

 イザベルに対し、マリアンヌは頷いた。

「それなら大丈夫でございますわ。貴女にはその資格がありますのよ。次期外務卿に選ばれるかはマリアンヌのこれからの努力次第でございますけれど」

 その言葉を聞き、マリアンヌの表情は明るくなった。

「ありがとうございます、イザベル殿下。わたくしは、今日他の方々のお話を聞いて自分も国や国民の為に何かしなければと考え始めたところでございます。精一杯頑張ります」

「よかったですわ、マリアンヌ。だけど……国や国民の為、家や領民の為と言って、自分自身を犠牲にしてはいけませんわ」

 イザベルはクリスティーヌの方を向く。

「クリスティーヌ、貴女のお考えはとてもよく分かりますわ。家や領民の為に自ら駒となるその思いも。わたくしも、王族としての立場からそういった考えを持っておりますわ。だけどクリスティーヌ、貴女は自分を犠牲にしかねない勢いですわ。だから、わたくしは貴女が壊れてしまわないか心配でございますの」

 アメジストの目が、真っ直ぐクリスティーヌを見据えている。

「イザベル殿下……」

 クリスティーヌはドキリとする。自分の心の奥底を見透かされている気分になった。

「お気遣い、ありがとうございます」

 クリスティーヌはは伏し目がちに微笑んだ。

わたくしは、クリスティーヌなら宮廷薬剤師になれると考えておりますのよ」

 その言葉に、クリスティーヌはエメラルドの目を大きく見開く。

「そんな、宮廷薬剤師だなんて、わたくしには畏れ多い」

「いいえ、そのようなことはございません。クリスティーヌは薬学に興味をお持ちでしょう。薬学のお話をする貴女の目は輝いておりましたわ。アーンストート氏の論文も理解出来ますのでしょう?」

 イザベルはクスッと笑う。

「しかし、薬学は趣味でございまして、まだ本格的に勉強しているわけではございませんが」

「これからきちんと学んで挑戦してみる価値はあると存じますわ。クリスティーヌ、まだ時間はたくさんございますのよ。ゆっくり考えてみてちょうだい。本当に自分がやりたいことや、自分の望みが何かを」

 イザベルは力強い笑みだった。

(わたくしの望み……わたくしが本当にやりたいこと……)

 新たな道、そしてユーグのこと。

 クリスティーヌは少し揺らぎ始めた。

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