整体医紹介のお礼

 数日後、クリスティーヌは王都のとある仕立て屋に来ていた。

「うん、よく似合っているよ、クリスティーヌ嬢」

「ありがとうございます、ユーグ様」

 クリスティーヌはいつものドレスとは違い、少し裕福な平民風のワインレッドのワンピースを纏っている。

 ユーグも平民風の服装で、この日は茶色のジャケットを着ている。

 この日、クリスティーヌはお忍びでユーグと王都を回る約束をしていた。イポリートへの整体医紹介のお礼としてユーグからリクエストされたのだ。

「この仕立て屋はその人に本当に似合う服を選んでくれるんだよ。既製品でもオーダーメイドでもね。経営しているご夫妻のセンスがとてもいいんだ」

 ユーグは満足気に微笑んでいた。

「ユーグ様、いつもご贔屓にありがとうございます。今後ともをよろしくお願いします」

 店主は嬉しそうな笑みを向けている。

「ええ、フレデリクさん。社交シーズンはこのお店に仕立てていただきますよ」

 ユーグは店主のフレデリクに笑みを向ける。

「それとユーグ様、もう1つのご注文の方はどうなさいますか?」

「ああ、それは……」

 フレデリクからの問いに対し、ユーグは一瞬ジゼルに目を向ける。

(……? ユーグ様、どうかなさったのかしら?)

 クリスティーヌは不思議そうに首を傾げた。

「また後日お願いします」

 ユーグは優雅な笑みでそう答えた。

「かしこまりました。妻がクリスティーヌ様の髪飾りを用意しておりますので少々お待ちください」

 そう言われた時、店の奥から女性が出て来た。

「お待たせしました。髪飾りをお持ちしました」

 この女性がフレデリクの妻だ。彼女はエメラルド色のリボンを持っていた。それをハーフアップにしたクリスティーヌの髪に飾る。

「うん、似合っているよ、クリスティーヌ嬢」

「ありがとうございます、ユーグ様。こちらの仕立て屋のご夫婦のセンスが素晴らしいからだと存じますわ」

 クリスティーヌは淑女の笑みだ。

「確かに、フレデリクさんとウジェニーさんはセンスがいい」

 するとフレデリクと彼の妻ウジェニーは照れ笑いしていた。

「クリスティーヌ嬢、今日の服は一式君にプレゼントしたいんだ」

 ユーグは甘い笑みをクリスティーヌに向ける。

「そんな、よろしいのでしょうか? 今日は兄に整体医を紹介してくださったお礼なのですから、わたくしがユーグ様に何かしなければなりませんのに」

 クリスティーヌは少し困惑していた。

「いいんだよ。今日私と一緒に街を回ってくれる。それだけでもうお礼として成立しているよ」

 ユーグの甘い笑みに、クリスティーヌの心臓は高鳴った。

「……分かりました。素敵な服をありがとうございます」

 クリスティーヌは微笑んだ。

 その後、ユーグは支払いは全てヌムール家に行くように手配をし、2人は仕立て屋を出るのであった。

「ユーグ様、今日は息抜きに街を回るのでございますか?」

「え?」

 ユーグはクリスティーヌからの問いにきょとんとしていた。

「2年前にそう仰っていたので。息抜きも兼ねて時々平民の振りをして街を歩くと」

 クリスティーヌの言葉に、ユーグはヘーゼルの目を見開く。

「よく覚えているね。何だか嬉しいよ」

 ユーグはヘーゼルの目を細めた。

「最初は本当に息抜きだったんだ。領地のことを学んだり、家庭教師からのレッスンばかりで少し息が詰まってね。だから、身分から解放されて自由に振る舞いたいと思った。だけど、実際に平民の暮らしを見てからは、彼らの生活を少しでもよくする為に頑張らないとって思ったよ。貴族からの差別だったり、女性や移民への差別だったり、問題も見えて来たからね。実際私も平民の振りをしていた時、傲慢な貴族から侮辱されたことはあるよ。『道を譲れ、底辺の人間が』とかね」

 ユーグは最後に苦笑した。

「失礼な方もいらっしゃるのでございますね」

 クリスティーヌも苦笑した。

「さあ、クリスティーヌ嬢、今日は息抜きだ。私と一緒に楽しもう」

「ええ、ユーグ様」

 クリスティーヌはクスッと笑った。

「じゃあ本屋に行こうか。買いたい本があるんだ。クリスティーヌ嬢も好きな本を見るといいよ」

「はい」

 クリスティーヌはエメラルドの目を輝かせた。ユーグはそれを見て嬉しそうに破顔一笑した。

 王都の本屋はクリスティーヌがいつも行く港街の本屋より遥かに大きかった。

(領地経営、小麦の栽培、それから……薬学。こんなにたくさんの本があるなんて)

 クリスティーヌはエメラルドの目を輝かせながら夢中で本を選んでいた。

「随分とたくさん読むんだね」

 ユーグはクスクスと笑っていた。

「申し訳ございません。大きな本屋で品揃えも豊富なので、つい色々と選んでしまいました」

 クリスティーヌは少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「謝らなくていいさ。おや?薬学の本が多めだね」

「あ……実は、この前の『薔薇の会』でイザベル殿下が私に、宮廷薬剤師になってみないかと仰っていたので少し気になって。ですが、タルド家や領民のことを忘れたわけではございませんわ」

 クリスティーヌは最後少し慌てていた。

「そっか」

 ユーグは少し切なげに微笑んだ。

(そうよ、わたくしの役割を忘れたわけじゃないわ。ただ……そう、ただの好奇心よ。それだけだわ)

クリスティーヌは自身にそう言い聞かせた。







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 本屋を後にしたユーグとクリスティーヌ。

 そろそろお昼時だ。

「クリスティーヌ嬢、おすすめのレストランがあるんだ。平民向けだから、クリスティーヌ嬢は行ったことがないかもしれないけれど、料理の評判はいいお店だよ。そこでランチにしないかい?」

「ええ、ユーグ様のおすすめのレストラン、楽しみでございますわ」

 クリスティーヌはふふっと笑った。

 ユーグはその表情を見て安心した。

「よかった。クリスティーヌ嬢も気に入ってくれたら嬉しいな」

 こうして、2人はレストランまでやって来た。

 クリスティーヌはたどり着いたレストランを見てハッとする。

(このレストランは確か……!)

「クリスティーヌ嬢、どうかしたのかい? ……もしかして、気に入らなかったのかな?」

 少し不安気なユーグに対し、クリスティーヌは首を横に振る。

「このお店、わたくしの知り合いが働いているのでございます」

 その瞬間、レストランの扉が開き、見覚えのある人物が出て来た。

「お! クリスティーヌ嬢ちゃんじゃねえか!」

 ゲオルギーだ。

「ゴーシャ様、ご機嫌よう」

すげえな、お貴族様の挨拶だ。にしても、今日はドレスじゃねえんだな。どうしたんだ?」

「少し色々ありまして」

 クリスティーヌはチラリとユーグを見て、ふふっと笑う。

 ユーグはクリスティーヌとゲオルギーを交互に見て驚いている。

「クリスティーヌ嬢、こちらの彼とは知り合いかい?」

「ええ、この方はアシルス帝国から料理の修行にいらしているゲオルギー様でございます。ゴーシャ様、こちらはヌムール公爵家のユーグ様でございます」

 クリスティーヌは互いに紹介する。

 するとユーグはクリスティーヌにとって聞き慣れない言語で話し始める。

『初めまして。私はユーグ・シルヴァン・ド・ヌムール。よろしく頼む』

 すると、ゲオルギーも聞き慣れない言語を話す。

(もしかして、アシルス語かしら? 初めて聞くわ。それに、他の国の言葉も話せるなんて素晴らしいわ)

 クリスティーヌは聞き慣れない言語での会話を聞き取ろうとしていた。

『アシルス語が話せるのか。俺はゲオルギー・ミハイロヴィチ・ラヴロフスキーだ。……お貴族様に対するマナーとか知らねえけど、あんたはそういうの気にするタイプか?』

『私は全然気にしない。気軽にユーグと呼んで欲しい』

 ユーグはクスッと笑う。

『俺はよくゴーシャって呼ばれてる。ナルフェックではジョルジュって呼ばれることもあるけどな。好きに呼んでくれ。てか、俺もナルフェック語は話せるぞ』

 ゲオルギーはフッと笑った。

 するとユーグはナルフェック語で話し出す。

「じゃあ、遠慮なくゴーシャと呼ぶことにするよ。中々アシルス語を使う機会がなかったから、少し披露してみたかったんだ」

「そういうことか。じゃあ、改めてよろしくな、ユーグ」

 ゲオルギーもナルフェック語に戻した。

「やはり先程お2人が話していたのはアシルス語でございましたのね」

「そうだよ、クリスティーヌ嬢」

 クリスティーヌの言葉にユーグは頷く。

「ユーグ様も他の国の言葉をお話になられるなんて、凄いですわ」

 クリスティーヌはエメラルドの目をキラキラと輝かせ、ユーグに尊敬の眼差しを送っていた。

 ユーグはそれに対して頬を赤く染めて微笑む。

「ありがとう、クリスティーヌ嬢。君にそう言ってもらえてとても嬉しい。もしよければ、アシルス語を教えようか?」

「是非お願いします。他の国の言葉も学んでみたいと思っておりましたので」

 クリスティーヌはキラキラと輝くような笑みだった。

「分かった。君がヌムール領に来た時に教えるよ」

「ありがとうございます」

「さて、クリスティーヌ嬢、そろそろお昼にしよう。ゴーシャ、2人でお願いするよ」

 ユーグはクスッと笑った。

「了解。席に案内する」

 こうして、クリスティーヌとユーグはレストランに入る。そしてゲオルギーに席まで案内された。

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