第13話【完結】枯木鳴鵙図の鵙

 武蔵は小倉藩・小笠原氏の軍兵として、島原の乱に参陣した。彼の養子である宮本伊織が、小倉藩の家臣というツテによるものであろう。

 この島原の乱は、天草四郎を首領とするキリシタン一揆として知られるが、この一揆鎮圧には九州を中心に多くの大名が動員された。


 このとき武蔵、54歳。当時の感覚で言えばすでに老年にあり、武蔵にとっても、これが最後のチャンスであった。

 これまで3千石以上の俸禄での仕官にこだわり、武蔵自身、さまざまに猟官りょうかん運動を行ってきたが、すべて不調に終わった。


 だがしかし、今回のこの島原の乱鎮圧に、手柄を立てれば積年の野望が遂げられるかもしれないのだ。一気に不遇の人生を逆転すべく、武蔵は勇んで躍動した。

 敵の一揆勢は原城に立て籠り、頑強に抵抗したが、やがて兵糧不足に陥った。後詰めなき孤城の哀しさである。

 幕府軍はこのときを待っていた。

 総大将の松平信綱が総攻撃の命を下した。

 武蔵も老いの身を忘れて城の石垣に取りついた。

 直後、武蔵の足のすねに激痛が走った。

 敵の投石で歩行も困難な負傷を負ったのである。


 最晩年に至り、熊本細川家から「客分」という身分での招聘があった。

 客分とは相談役、顧問といったところである。

 武蔵に「堪忍かんにん分の合力米ごうりきまい」という名目で、318石の待遇が与えられた。

 この石高は、現代の貨幣価値に換算すれば年俸3,000万円以上となる。

 さらに、藩主の細川忠利から、

「鷹狩りを許す」

 という特権が与えられた。

 鷹狩りは家老以上の身分にしか許されない。

 武蔵の鋭い自尊心はようやく満足し、客分の待遇を受けることにした。


 それでも、武蔵は内心、これまでの人生を顧みて忸怩たるものがあった。

 自分は命を賭けて幾度も強豪と戦い、天下に名を馳せたというに、ついに野心を遂げられなかったのだ。

 彼は熊本郊外の金峰山きんぽうざんの中にある霊巌洞に籠った。そこは武蔵の気持ちを代弁するかのような鬱々たる洞窟である。


 この5年後、武蔵は『五輪書』を書き上げて死んだ。

 62歳であった。

 その死顔は安らかではなかった。

 彼の筆による「枯木鳴鵙図こぼくめいげきず」という見事な絵がある。

 その絵のもずのように、武蔵は虚空を突き刺すように睨んで息絶えた。


 ――完

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宮本武蔵の憂鬱 海石榴 @umi-zakuro7132

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