第5話 臆病こそ最強の武器

 清十郎は腰に長剣を帯びていた。

 太刀は重い。まして長剣ともなると、一度、振りおろすと、途中で刃を返すことができない。つまり、対戦する者は相手の太刀筋が読め、後の先をとりやすい。


 武蔵は勝つために、勝って生き残るために必死に考えた。

 臆病な者ほど、必死で考える。

 その結果、武蔵が得物としたのは枇杷の長い木刀である。

 畢竟ひっきょう、試合は相手の躰に先に太刀を打ちつけたほうが勝つ。

 生死は一瞬の差なのだ。

 ならば、軽く自在に操れる木刀のほうが有利ではないか。

 相手の初太刀さえ躱せば、勝てるというのが武蔵の計算であった。

 

 ――蓮台野の靄の中で、清十郎は苛立ちながら武蔵を待っていた。

 そこへ突然、武蔵が突然現れ、傲慢な目つきで声をかけた。

「おい、清十郎!」

 呼び捨てである。

 吉岡家の惣領であり、当主として育てられた清十郎は、父親以外の者に、名を呼び捨てされたことがない。

 思わずカッときた。


 そこへ武蔵がずかずかと近づき、間合いをギリギリまでせばめた。

「うぬっ!」

 清十郎は怒りのままに長剣を鞘走らせ、太刀を真っ向から打ちおろした。

 育ちのよさが出た真っ正直な太刀筋であった。

 武蔵は獣のように軽々とその太刀を躱し、躱しつつ木刀で清十郎の頭蓋を打った。

 靄の中に清十郎がどっと倒れた。


 勝てば長居は無用である。

 門人らがあわてて刃をきらめかせたが、武蔵はすぐさま身を翻して靄の中に消えた。

 数日して清十郎の弟伝七郎が復讐のために武蔵に挑んだが、この伝七郎も同じ枇杷の木刀で頭蓋を砕かれた。


 吉岡一族や門人たちは、当然ながら激怒し、憤怒の形相で仇討ちを決意した。

 彼らは、いかに武蔵の命をとるか、それだけを考えた。

 鉄砲隊、弓隊まで百人規模の軍勢を編制して、武蔵に挑戦した。

 とにかく早く武蔵の息の根を止めねばならない。

「俺は吉岡憲法に勝った。俺は京で一番の兵法者だ」

 などと、言い触らされては、吉岡家の恥辱となるのだ。


 吉岡方は武蔵を討ち取るために万全を期した上で、果たし合いの場所を高札で指定した。

 その場所は、洛北一乗さがり松である。


 武蔵は絶体絶命の窮地に立たされた。

 しかしながら、孤剣よく百人を制すれば、計り知れぬ大きな名声が手に入るのだ。ここは逃げずに、何とか凌ぐほかあるまい。

 武蔵はまたしても必死で考えた。

 何としても勝って、生き残るために――。

 前述のとおり、臆病な者ほど必死で考えるものある。

 

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