第37話【金持ちがこれ以上金運アップしてどうする?】

 声は樹々たちによって反響し、正確な位置はわからない。

 ほぼ直感だけを頼りに、飛んできたと思われる方角へと全力ダッシュで向かう。

 数10メートル走ったところだろうか。森の隙間から照らされる、僅かな月明かりと外灯の中でも充分目立つ髪色の女の子が、地面に両手をついた状態で横たわっていた。


「どうした璃音りおん!? 何があった!?」


 後ろから声をかければ、璃音は怯えた様子で駆けつけた俺の膝元を掴み、


「あ、あちらに白い変な奴が!!」

「白い変な奴?」


 指さす方向、草むらを懐中電灯に照らしてみると、緑の中に落ちた麦わら帽子の下から、何やら白く細長いものがくねくねと動いているのが確認できた。

 実物を初めて見た。

 蛇は蛇でも白蛇だ。

 突然強力な光に照らされた白蛇は、俺たちから逃げるように草むらの奥へと入って行き、やがて姿を見失った。


「......行ったみたいだな」


 俺の言葉に安堵したらしい璃音は、耳にはっきり聴こえるくらいの大きな嘆息を吐いた。


「まったく遅いですわよ! わたくしの騎士だったらもっと早く駆けつけなさ――い」


 憎まれ口を言い終わるより前に、俺は璃音を抱きしめた。


「ちょッ!? あのッ、流真りゅうまさん!?」

「......良かった。本当に、良かった......」


 見つけたらいろいろと文句を言ってやろうと思っていたが、いざ無事な璃音を前にするとそんなものどうでもよくなる。

 俺の前に帰ってきてくれた......その事実が何より嬉しい。

 胸の中で狼狽する璃音の温もりを感じながら、この抱いている感情の正体を、俺はなんとなく理解した。


「――そ、そうでしたの。わたくしの知らないところでそんな大事おおごとに」


 落ち着いた後。白蛇が去った草むらから麦わら帽子を回収し、まだ地面にへたり込んでいる璃音の頭にちょこんと被せる。

 薄紫色のワンピースはところどころ土で汚れ、せっかくの綺麗な洋服が台無しだ。


「あれほど出かける時は必ずスマホを持ち歩けって言ってたら、まさかこのタイミングでやらかすとは」

「だって仕方がないじゃありませんか。どうしても今日中に手に入れたかったんですもの」

「言い訳するな。他の奴もそうだが、紅葉もみじなんか半泣き状態でなぐさめるの大変だったんだからな」

「んぅ......申し訳ございません」


 俺に手を借りて立ち上がった璃音は、ぷくりと頬を膨らませ反省の弁を述べた。


 簡単に事情聴取したところ、用があってみなとの商店に行く途中で急に体調が悪くなり、商店とは逆方向の駅前の交番で休憩させてもらっていたらしい。どうやらそのタイミングで俺とすれ違ってしまったようだ。

 スマホさえ持っていれば迎えに行ってやれたのに。今は多少の疲労の様子はあるものの、喋るのが辛いというほどまでではないように窺える。


「でだ。帰る途中なのはわかったんだが、なんで草むらの中に入って行ったんだ」

「わたくし、草むらの中になんて入ってませんわよ。麦わら帽子が独りでにそちらの方に飛んでいってしまいましたの」


 上ずる声音と泳ぐ視線。璃音はこういった嘘をつくとモロに動揺という形で表れる。下手だ。

 浜辺からの風が届かないこの位置に突風が吹くのはちょっと考えにくい。

 女子が草むらの中に入る理由――あっ。


「きっとこの麦わら帽子がわたくしに悪戯いたずらをしようと悪巧わるだくんだのでしょう。主人を驚かそうだなんて、まったくいけない子ですわね」


「......ああ」


 嘘を紡ぐ璃音を横目に俺は相槌を打つにとどまった。 

 俺が麦わら帽子を取りに行こうとした時、通りで慌てたわけだ。

 璃音の尊厳のためにも、これ以上この件を深く追求するのはよそう。

 

「湊の親戚の商店で買いたかった物って、結局なんだったんだ?」

「何でも良いじゃありませんの。別に大した物ではございませんわ」


 別荘の方へ歩きながら何気なく話題を変えてみたが、こちらもダメか。

 無言になるのが気まずく、この際だから腹を割って訊ねてみた。


「俺、璃音が嫌がるようなこと何かしたか?」

「突然藪から棒にどうしましたの」


 繋いだままの手に力が入ると、璃音の肩がビクンと上下に動いた。


「そりゃこっちのセリフだ。朝からずっと気になってたんだよ。話しかけても無視はされるは、醤油を取ってくれとお願いすればソースを渡される。今日は一日中、璃音に振り回されてばかりだ」


「ふふ......」

「なに笑ってんだよ」

「いえ。そうですか、わたくしのことが片時も頭から離れなかったと」


 出会ってまだ半年に満たない。でも共に過ごしてきた時間はそれなりにもう長い。

 顔ははっきりと見えなくても、嬉しそうに微笑んでいるのくらい声音からわかる。

 

「おまえ言い方」

「あら、違うんですの?」

「その通りだけどさ。そういう言い方されるとなんか負けた気がする」

「わたくしに論破で勝とうだなんて100万年早いですわ」

「100万年早い、か。今日日聞かないな」


 璃音の日本語のワードセンスは相変わらず一昔前の時代。と言ったら秒で横髪ドリルで貫かれるので言わない。


「......わたくし、日向ひなたさんと流真さんが恋人同士になっても、今までどおりの関係を続けてもよろしいのでしょうか?」


「............あ゛?」


 自分でも我ながら汚いと思う声音と共に三白眼が開く。


「もう隠さなくてよろしいですわ。昨日の夜、お二人が夜のバルコニーで愛を語り合い、そして抱き合っていたのを見れば一目瞭然」 


「まてまてまて! 語っていたのは愛ではなく昔話! 抱き合ってるように見えたのは日向が転びそうになったのを支えただけだ!」


 気のせいだと思ったあの物音は璃音だったのか。

 

「そこまで強く否定するのは日向さんに失礼かと」

「誤解してる方が失礼だろうが!」

「本当に?」

「嘘ついて俺に何の得が? 言ってみろ?」


 無言の間を、遠くから聴こえるふくろうの鳴き声が埋める。


「......わたくしとしたことが......何という独りよがりで恥ずかしい勘違いを」

「まったくだ。早とちりにも限度ってものがあるぞ」


 自然界からも気を遣われ、両手で顔を覆い悶え苦しむ。

 感情の忙しい奴だ。


「俺がいま彼女を作るなんてことは絶対に有り得ないから安心しろ」

「何故そう言い切れますの」

「どっかの誰かさんは、俺がいないと食事の栄養も偏るし、そのうえ迷子にもなる」

「今回は迷子ではありませんわ」

「話しは最後まで聞けって」


 こんな世話のかかる女を今さら放り出せるわけがない。

 一度拾った猫は、飼い主が最後まで責任を持って面倒を見なければいけない。


「何処まで一緒にいられるかはわからんが――俺の人生、可能な限りくれてやる」


 璃音が高校卒業にどういう進路を取るのか俺は知らない。

 大学へ進むのか、それともまた海外の生活に戻るのか――。

 だとしても、退屈だった日々に彩りをもたらしてくれた恩人とは、できればこれからも良い関係でいたい。

 

「~~~~~~~~~~~~!!」


 何やらまた遠くの方で梟の鳴き声が、それも多くやかましく聴こえてくる。発情期中か?

 璃音は頭の上の麦わら帽子を顔の前に降ろし、呻き声を上げたまま硬直。

 別荘に着いてからも結局俺と目を合わせようとせず。

 でも、その様子は上手く言葉にできないが、明らかに軟化していたというか......見ていて可愛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る