第36話【方向音痴をナメてはいけない。飛ぶぞ?】

「あれ? 長月くん一人? 璃音りおんちゃんはどうしたの?」


 夕焼け色の空に夜の闇が半分近く染まった、そんな時間。

 みなとの親戚が経営する商店まで花火を受け取り戻ってきた俺を、キッチンで悪戦苦闘していた日向ひなたが出迎える。


「一人も何も。俺は元から一人だぞ」


 眉を寄せそう告げた瞬間、夕飯の準備中だった女性陣たちの表情が不安で曇った。


「......璃音はどうした?」

「貴幸の親戚のお店でちょっと買い忘れた物があるとかで」

「この時間に一人で行ったのか?」

「私はお兄ちゃんにメッセでお願いすればって言ったんだけど、どうしても自分が行かないとダメだって聞かなくて。途中ですれ違わなかった?」


「いや、会ってないな......」


 別荘から商店までの道のりは、森の中を経由し歩いて15分程の距離。

 璃音の足ならもう少し時間はかかるかもしれないが、だとしても道自体は直線ばかりで至ってシンプル。


「私らもさっき紅葉もみじちゃんからあいつが方向音痴だって聞いてたら、絶対に一人で行かせなかった。ワリィ」


 そう。

 璃音は筋金入りの方向音痴なのだ。

 ナビアプリがあろうが真の方向音痴はそんなの関係ないと言わんばかりに我が道を行く。

 町の中で迷うならまだいい。通りすがりの地元民や交番に助けを求めればどうにかなる。

 だが森の中で迷子になったとなると厄介だ。

 璃音からの了承を得ている俺たち以外は敷地内に入ることができない。よって最悪の場合、捜索に警察や地元住民が加わるのに酷く時間がかかってしまう。


「当然、スマホは持って出かけたんだよな?」


 俺の問いかけに、苦い顔の浅川がリビングの真ん中、高級木材のテーブルを指さす。

 その上には持ち主同様良くも悪くも目立つ、黄金色に輝くスマホ。


「あのバカ......!」


 方向音痴の人間を現代の文明機器無しで探すのは、かなりの無理ゲー。あれほど外に出る時は必ずスマホを持てと言っていたのに。嫌なため息しかでない。


「大丈夫! だってここは璃音ちゃんが子供の頃によく来てた場所なんでしょ? なら当然土地勘も――」

「方向音痴の人間に土地勘も何もあると思うか?」 

「......です、よね」


 不穏な空気を吹き飛ばそうとする日向の気遣いはありがたいが、もしもの場合は刻一刻を争う。

 璃音に気付かなかった可能性を考慮して、念のため湊にもメッセで確認を取る。

 すぐに既読は付いたが、こちらが望んだ回答は得られなかった。

 いよいよ璃音・遭難説が濃厚となる。


「ど、ど、ど、ど、どしようお兄ちゃん! 璃音さん死んじゃうよ!」

「落ち着いて紅葉ちゃん。人間は三日間までなら飲まず食わずでも生きられるから」

「日向、それ全然フォローになってねぇぞ」

「虹ヶ咲が別荘を出て行ったのは一時間くらい前だから、あと71時間は余裕がある」

「歩美もあいつが行方不明の前提で話を進めんな。紅葉ちゃんが余計に不安がるだろうが」


 皆、璃音の安否が気になり、とても夕飯の準備をしていられる心情ではない。


「――俺が探しに行って来る」

「私も」

「日向はここで指揮を頼む。あと湊に念のため璃音が見つかるまでは待機の旨を」

「おいおい。一人より皆で探しに行った方が効率良くねぇか?」

「まだそうと決まったわけじゃないし。璃音のことだ、皆に心配かけてるとも知らずひょっこり帰ってくる可能性もあるだろ? それにああ見えるけど、友達に迷惑をかけることに人一倍嫌がるんだよ。ウチの悪役令嬢様は」


「......わかったよ。気をつけてね」

「長月がそこまで言うなら。でも一時間探して見つからない場合、私らも捜索に参加させてもらう」

「迷惑かけた分は、冷蔵庫の中の残った肉で勘弁してやる」


 璃音のことを皆が本気で心配してくれている。

 見つけたら夕飯の前にリビングで説教。いや謝罪会見でも開いてもらおう。


「何かあったら逐一報告してくれ」


 頷き、俺は非常用の懐中電灯を手に持ち、再び完全な夜の闇が迫る外へと駆けだして行った。


 ***


 森の中。入ったばかりの時は海辺の風が届いて少し肌寒いくらい涼しい。

 が、半ば辺りを過ぎてくると蒸し暑さを感じるようになる。気付けば額だけでなく身体中に微量の汗。


「璃音ー! 何処だー! いたら返事しろー!」


 開けた道を通る分には一定の間隔で外灯が点灯しているので、然程怖さは感じず。

 正確には、そんなものを感じている余裕がない、と言った方が正しいのかもな。

 日向たちの前では冷静を装っていたが、夏の虫の鳴き声響く夜の森を一人捜索していると、ぞわぞわとした感情が襲ってくる。

 それは時間が経つごと、タンクに貯められた水のように溜まっていく。

 止まるのが先か、一杯になり溢れ出るのが先か......。

 心臓の鼓動までもが焦る俺をはやし立て、邪魔をする。

 懐中電灯で左右の草むらを照らし、いないのが確認できたらまた進むの繰り返し作業。

 好き好んでそんな獣道に入るとは考えにくい。

 どうか最悪の結果はだけはと強く願いなが

ら、慎重にしらみつぶしに探していた――その時。


「キャャャャャャャャャッ!!!!!!」


 若い女性の悲鳴と思われる、甲高い叫びが夜の森林中を貫いた。

 


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