第30話【対面座位じゃなくて対面座席な】

 都心から離れ鈍行列車に揺られること、約二時間。

 自分たちの乗っている6号車は他の乗客が老夫婦っぽい一組のみ。ほぼ貸し切り状態に等しい。

 人自体はたまに乗っては来るのだが、大体は一駅か二駅で下車してしまう。

 なんで分かるのかって?

 そりゃあ、あまりに暇過ぎて人間観察を始めたに決まってるだろう。

 

 女子連中は通路を挟んだ隣の席でずっとトランプのババ抜き三昧。

 俺も最初は加わっていたんだが、トランプを引く度に一々席を立たなくてはいけない。

 結果、三半規管がマヒし地味に酔った。

 俺が抜けてからも璃音りおん日向ひなた・浅川・篠田、そして紅葉もみじは、飽きもせず終わりの見えないエンドレスババ抜きに興じていた。

 本来紅葉は参加する予定ではなく、家を空ける俺と入れ違いで父さんが有給を取得し帰省。代わりに面倒を見る予定だった。

 しかし、どうしても今週中に片づけなければいけない仕事があるとかで流れ、家にJCが三日間一人なのは防犯上NGという理由から同行が決まった。

 急遽部活を休む羽目にもなってしまい、兄として非常に申し訳ない。


「ふふ。あちらのご夫婦からみかんをいただいてしまいましたわ」


 トイレのために一旦席を外していた璃音が手に持っていたのは、今の季節が名前に付いた夏みかん二玉。見た目も鮮やかなオレンジ色で、俺の拳大のサイズ。柑橘系の匂いが鼻をくすぐり、口の中いっぱいに唾液が集まる。

 俺は席から立ち上がり振り返ると、貫通扉付近の優先席に座る老夫婦に会釈を交わした。

 柔和な笑みを湛えた二人はお互いに杖をつきながら、空いた手をゆっくり横に振った。

 都会にいてはまず体験することのない、ほっこりするような出来事に頬が緩む。

 できれば自分の老後も、あのような穏やかな余生を過ごしたいと思える、まさに理想な夫婦と言えよう。



「わたくし、このような大きいみかんは初めて見ましたわ」

「海外でもみかんあるんだな」

「はい。お父様が日本人のお知り合いからたまに頂いておりまして」


 俺の向かいの席に座った璃音が、手のひらに乗せられた夏みかんを興味深そうな声音で呟いた。


「コイツはみかんと言っても、正確には冬場によく出回るみかんとはまた別種の。見た目どおりオレンジ類なんだよ」


「やはりそうなのですね」

「だから間違っても指で皮を剥こうとするなよ。指がやられる」

「でもこれは夏、ですわよね? みかんとオレンジの定義は皮の厚みで決まると以前聞いたことがありますが、それでは夏オレンジの方が正しくありません?」


 細かいことが気になるウチの悪役ドリル令嬢様は、長年誰も気にも思わないような疑問を眉間に皺を寄せながら口にする。


「言われてみれば......確かに」

「もしかしてわたくし、世紀の発見をしてしまったのでは?」

「この程度が世紀の発見になったら、璃音にとって毎日が世紀の発見だな」

「どう意味ですの」


 貰ったばかりの夏みかんを威嚇目的で人にぶつけようとするのはやめなさい。

 あの老夫婦に失礼でしょうが。


「食べるにしても別荘着いてからだな」

「ええ。残念ですわ、美味しさを直接お伝えしたかったのに」

「手段が無いわけじゃないぞ」

「何ですの」

「璃音、刃物に近いものなら常に持ってるだろ。その顔の――痛ッ。最後まで言わせろ」

「サメのエサになる覚悟がおありでしたらよろしいですわよ」


 いい加減この常套句じょうとうくも使い過ぎたか。

 パンプスのヒールが靴越しに俺の足の甲にのしかかる。 

 これから三日間お世話になる場所は、璃音の方が圧倒的に地理に詳しい。

 下手に刺激して璃音の逆鱗に触れようものなら、こいつのことだ。有言実行されかねない。夏みかんと老夫婦に免じて三日間は我慢してやろう。


「夫婦喧嘩のところ申し訳ないんだけどさ、別荘から見える海ってアレじゃない?」


 横からニヤニヤ顔の日向に促され窓の外を覗きに行けば、そこには広大な青さを誇る一面の海。

 列車がいくら進んでも途切れる気配はなく、水平線の向こうにはまるで生き物のような幾つもの入道雲が我が物顔で空を支配。

 潮風の香りが鼻元まで運ばれ、住み慣れた都会を離れ遠くへやってきたんだなと、ここで実感できた。


「うわー! 凄いねお兄ちゃん! 私、こういう風に電車の中から海を見るのって生まれて初めて!」


 窓際にかじりついて海を眺める紅葉の声音こわねは、不純物一切無しの感動一色。

 例えるなら、いま目の前に広がる海と同じ、透き通った青。

 紅葉を無理矢理連れて行く形になり申し訳なさのあった感情は、自然を目にしたJCの純粋な反応によって救われた気が。

 

「中学の林間学校で行った海も綺麗だったけど、こっちの海は『THE・海』って感じの雰囲気がビンビン伝わってくるよ~!」


「分かる! 空気からして美味いもんな」

「あの時は天気も悪かったし仕方ないよ。にしても、マニキュアで再現したくなるような海の青だな」


 三人がそれぞれの感想を口にすれば、俺たちから一歩離れた位置で見守る璃音が自慢げな笑みを浮かべ佇む。


「感動するにはいささか早計ですわよ皆さん。浜辺から眺める景色もまた雄大にして絶景! その中で行うスイカ割りはきっと格別かと!」


「璃音さん、そんなにスイカ割り楽しみなんだね」

「はい♪ わたくしの前に立ちはだかるスイカは全て破壊してやりましてよ♪」


 海外生活の長かった璃音は当然スイカ割りの経験は無い。

 なので動画でどんなものか教えてやったら、いたくお嬢様のツボにハマってしまったらしい。


「その心意気、気に入った! 私が全て食してやるから、虹ヶ咲は思う存分暴れまくれ!」

「じゃあしーぽん、どっちが多くのスイカを食べられるか競争だ!」

「二人とも、食べ過ぎて腹下しても私は知らないからな」

「大丈夫です! こんなこともあるかなーと思ってお薬セット持ってきたので」

「やめろ紅葉。バカに燃料を注ぐようなことを言うんじゃない」


 目的地まで目前に迫り、女性陣のテンションは解放的な空気感も手伝ってさらなる盛り上がりをみせる。体育祭の時にも似た、こういう特別な雰囲気――嫌いじゃない。

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