第29話【これはビキニというより、もはや光沢のあるただの布】

 彼を明確に意識し始めたのは、体育祭の時。

 罪悪感で胸が締め付けられ子供のように泣きじゃくるわたくしを、彼は優しく受け入れ、慰めてくれた。

 王子様――と呼ぶには目つきが鋭く、多少ぶっきらぼうな部分はあるけれど、同年代の男性の中では一番頼れる殿方。

 そして、ずっと一人ぼっちだったわたくしに温もりを思い出させてくれた、大切な御方――。

 

 ***


「......あのぅ、日向ひなたさん? これはさすがに面積が少なすぎると思うのですが......」

「何言ってんの璃音りおんちゃん。長月くんを篭絡ろうらくさせたいんでしょ? 彼、結構鈍そうだし、このくらい攻めの姿勢で挑まないと」


 別荘旅行に行く丁度一週間前。

 わたくしと日向さん、それに浅川さんと篠田さんとで、水着を選びにショッピングモールにやってきました。

 同姓のお友達との初めてのお買い物に先程まで少々緊張しておりましたが、日向さん指定の水着に着替えさせられるや、そんな気持ちは明後日の方向へ。


「着痩せするタイプだとは思っていたが、想像以上の代物だな」

「いったい何食ったらここまで大きくなれんだよ。牛乳か、やっぱり牛乳がいいのか」

「お二人ともあまりまじまじと見ないでくださいまし!」


 感心する視線が恥ずかしくて、ついその場にしゃがみ込んでしまいます。

 品評会の牛さんになった気分ですわ。


「さて、いいもの拝ませてもらったことだし、そろそろちゃんとしたヤツを選ぶとしますか」

「わたくしを騙しましたわね!?」

「騙すとは人聞きの悪い。景気づけに璃音ちゃんの恥ずかしがる顔でも見て、まだまだ続く暑い夏を乗り切ろう! っていう純粋無垢な魂胆なのに」


「ある意味タチ悪いこと言ってるぞ、日向」


 内心ほっとはしたものの、流真りゅうまさんがおっしゃっていた日向さんの「ドS気質」とやらには時折困らされますわ。

 いま試着室にはわたくしたち以外誰もいませんのでまだ良いのですが、どうもこのビキニタイプの水着......面積もさることながら、生地も異様に薄い気が。

 色も蛍光白と妙に光沢を放ち、水着というよりただ艶のある布を纏った気分で落ち着きませんわ。


「おやおや~? もしかしてその水着、お気に召した感じですかにゃ~?」

「冗談をおっしゃってないで、早くわたくしに似合う水着を持ってきてくださいまし!」

「その水着も充分似合ってると思うんだけどな~。ねぇ、しーぽん」

「金持ちなら牛乳じゃなくて肉とかか......クソが、どの道庶民の私には無理ゲーじゃねぇか」


 こんな時助け船を出してくれそうな篠田さんは――わたくしの胸を注視してから、一人何やらぶつぶつ呟いていて。篠田さんくらいの大きさも、わたくしはコンパクトでとても可愛らしいと思うのですが。何故不満なのでしょう?


 このように想定我のアクシデントもありましたが、無事に各々が別荘旅行用の水着を買い終えたわたくしたちは、施設内のフードコートで少々遅い昼食をとることに。

 噂で聞いていたそこは、まるでバイキングのように様々な種類の料理を出すお店が壁沿いにズラリと並べられ、店頭のメニューを眺めているだけでも退屈しませんわ。


 皆さん上手い具合に食べたい物がばらけたので、わたくしは席の確保役を買って出ると、同じお店に向かう浅川さんに一緒に注文をお願いするようお金を渡しました。

 決してまだ一人で注文するのが怖いとか、そのような臆病風に吹かれたわけではないので。念のため。


「璃音ちゃん、私のお好み焼き少しあげるから、そのポテトちょうだ~い」

「いいですわよ」

「やった〜! ありがと~! 私、ここのお店のポテト超好きでさ〜。絶妙な塩加減に太くて大きいこのサイズ感が堪らないんだ~♪」


 そう言って日向さんは箸で切り取ったお好み焼きを、空になったばかりのわたくしのきんぴらライスバーガーの包みの上に乗せ、等価交換として代わりにポテトを一つ口の中へ。


「でたな、炭水化物を主食に炭水化物。関西人か実家がお好み焼き屋の人間のみが為せる技」

「実家は元だし〜。全然変じゃないし~。歩美も試してみなよ」

「断る。今ようやくベストの体重をキープできてるんだ。もし崩れたらどうする」

「見せる相手もいないくせに」

「......」

「あ、てめぇ! メロンソーダの中にガムシロ入れんじゃねぇよ! 甘さマシマシになるだろうが!」


 優雅な雰囲気が売りな高級レストランなら論外だけど、ここは休日で羽を伸ばす人たちが集うショッピングモールのフードコート。

 多少騒いでも賑やかしの一部としか判断されないと思うくらいには、周囲はほど良く気持ちのいい喧騒の雰囲気を保っている。

 幼い頃から静かな場所で一人孤独に食事をとることが多かったわたくしにとって、今のこの状況は長年憧れていたシチュエーションの一つ。


「水着も買ったことだし、これで旅行に向けて必要なものは全て整ったな」

「ですわね。食糧等は現地で購入すればよろしいので」

「虹ヶ咲が絶賛する長月の料理がどんなもんか、ウチらが確かめてやるぜ」

「その長月くんといえば――二人とも、分かってるね?」


 日向さんの問いかけに、浅川さんと篠田さんの目が怪しく輝きます。


「恋のキューピッド役か。こんなおもしろ......楽しいイベント、早々巡り会えない

からな」

「浅川さん、言語に支障をきたしていますわよ。ですがわたくし、この想いが恋かどうかもまだ確証が――」


「何言ってんの璃音ちゃん。長月くんの顔を見ると、安心するんでしょ? 一緒にいると胸がキュンキュンするんでしょ? それ、間違いなく恋の代表的症状だから」


 身体をほんのちょっと屈ませ、上目遣いでわたくしに手を銃の形にして撃つ日向さん。

 サイドの二人も経験があるらしく、大きく頷き同意する。


「私らにもそんな初々しい時代があったなぁ、しーぽん」

「ああ。できることならあの時の汚れを知らない自分に戻りたいぜ」


 二人は遠い目をして高い天井を眺めていますが、自分と同い年の人間がどのような恋愛経験を辿ってきたのか興味はあります。その話は是非、別荘旅行の夜にでも伺ってみるとしましょう。


「メッセでもお伝えしましたが、わたくし、このような感情を他者に抱くのは初めてで。紅葉もみじさん......長月くんの妹さんに相談するのも年長者のプライドが許しませんし。ですから日向さんたちに相談できて心強く思っています」


「任せてよ璃音ちゃん♪ 私らで良ければいくらでも協力してあげるよ~♪」

「あ、ありがとうございます」

「そのためにはまず、来週の別荘旅行が鍵を握ってくるわけだが――長月って、過去に彼女とかいた形跡あるの?」


「と思って一応調べてみたんだけどさ、彼女がいたことは一度もないみたい」


 長月さんもわたくしと一緒......その報告に不思議と安堵の笑みが零れ、唇がムズムズと疼きます。 


「安心するのは早いよ。小学生の時は分からないけど、中学の時は結構隠れファンがいたみたい」


「マジですの!?」


 わたくしとしたことが。

 公衆の面前だというのに、つい品のない言葉遣いを。


「長月って目つき鋭い見た目や不愛想なのもあって、ちょっととっつきにくい雰囲気はあるけど。腕周りの筋肉とかしっかり引き締まってんだよな」


「そうそう。だから前に歩美と怒鳴られた時はマジで〇ろされる! と思って冷や汗もんだったぜ」

「小・中と何か運動系の習い事をしていたとかで。恐らくその名残ではないでしょうか」

「いーや。あれは今でも鍛えてる証拠だよ。でなきゃあそこまで盛り上がった三角筋は維持できない」


「悪ぃ、こう見えて歩美は筋肉に人一倍拘りが強い筋肉フェチでさ」


 浅川さんがみなとさんを好きになった理由は、恐らくこれ。

 元中学の陸上の国体選手だった湊さんのユニフォーム姿で興奮する姿が目に浮かんでしまいましたわ。


「長月くんがどんな習い事してたか、璃音ちゃんは何か知らない?」

「さ、さぁ? わたくしはその辺は何も」


 本当は以前に真麻まあささんからお聞きしていましたが、どうやら流真さん的に黒歴史に等しい案件みたいですし。本人がいなくともその話をするのは、なんだか陰口を叩くみたいで気が引けますので。


「お隣さん兼家族みたいな璃音ちゃんなら何か知ってると思ったんだけどな~。残念」

「期待にお応えできず申し訳ございません」

「ううん! 気にしないで! さてさて、このあとは『璃音ちゃんと長月くんをくっつけよう作戦』に向けて作戦会議でも――」


「あ!!!???」

「なんだよしーぽん?」


 お子様ランチのハンバーグを食べていた篠田さんの手が止まり、焦燥感を漂わせた表情でわたくしたちを見つめ、こう一言。


「......私、浮き輪買ってねぇ......」 


 ――なんでしょう。

 日向さんと浅川さんは頼りになる心強い存在だと思えるのに、篠田さんに関しては早くも不安要素とすら認識し始めている自分がいます。 

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