第20話【天気が悪い日に限って嫌なことが起こる】

「あのさぁ、虹ヶ咲の方からも日向に言ってやってくれない?」 


 降りしきる雨の音をバックに、浅川は璃音りおんに呟いた。

 感情をそのまま表現しがちな篠田と比べ、冷静沈着なクール系女子の印象を持つ浅川。

 そんな彼女が珍しく少しイラついた声音こわねで、下駄箱を背にする璃音に静かに詰め寄る。


「......何のことですの?」

「クラス対抗リレーの練習の件に決まってんだろ! それ以外にお前と話す理由があると思ったか!」


 同じく隣にいる篠田が、口悪く璃音にキャンキャン吠える。

 嫌な予感は見事に的中した。

 俺は三人がいる下駄箱とは反対側の下駄箱に隠れ、バレないよう音を立てず、聞き耳を立てて状況を見守っている。


「なんでか知らないけど、日向ひなたの奴が練習に参加してくれって、ずっと口うるさいんだよ。練習を言い出した本人の言うことなら、日向も聞いてくれると思ってね」


「あら? わたくしは一度も自分から皆さんで一緒に練習しましょうなんて言った覚えはありませんわよ」


「じゃあ何か。日向と長月が勝手に言い出したこととでも言いたいわけ?」

「そうなりますわね」

「なわきゃねぇだろ! んなことしてあの二人に何のメリットがあるんだよ!?」


 自分含め四人以外誰もいない、昼休み中の下駄箱。女子三人が修羅場のような展開を行っている。

 俺は日向に頼んでリレーの参加メンバーを練習に誘う際、彼女の人望と人気に甘えて、隣のクラスに勝ちたい理由を伏せた上で承諾を得た。

 リレーの参加メンバーでもない俺と日向が発端じゃないとするなら、俺がいる理由――つまり虹ヶ咲に何か起因があると考えるのが自然の流れだ。



「虹ヶ咲、私たちに何か隠してることあるでしょ?」

「何もありませんわ。例えあったとしても、貴方たちのような空気に話す必要がお有りで?」

「その空気の力を借りてまで隣のクラスに勝ちたいのはどこのどいつだ」

「ですから、一緒にする練習を提案をしたのはわたくしではないと、何度言えば分かりますの」


 顔は見えなくても、三人の声音から口論の様子が充分伝わってくる。

 特に璃音と篠田がバチバチにやりあっていて、浅川がいなかったら早々に殴り合いに発展していた可能性も想像に容易い。


「......私、この前見たんだからな。お前と長月が河川敷で一緒に走ってるの」


 篠田の告白に、俺の心臓が大きく跳ねた。


「長月がお世話係になってたのは知ってるけど、まさか学校以外でもお世話になってたとはねぇ」

「わたくしと長月さんはお友達の間柄です。おかしくも何ともありませんわ」

「そう思ってるのはお前の勝手な妄想。長月も内心ではうんざりしてんじゃないの〜?」

「長月さんはそんな人じゃありませんわ!」


 背中の下駄箱越しに璃音の悲鳴にも似た声が上がる。


「どうせの隣のクラスに勝ちたいのも、長月に良い格好見せたいからでしょ? 御免だよ。知らないところで人の色恋沙汰に利用されるのは」


「それに私たちは湊信者みなとしんじゃなんだよ。誰が湊君に赤っ恥かかせた奴に好き好んで協力なんかするかっつーの」

「長月も可愛そうだよね。虹ヶ咲みたいな性格がアレな悪役令嬢に振り回されてちゃって」

「ホント、それな」

「貴方たち......」


 露骨な浅川と篠田の挑発行為に、璃音は明確な怒りを含んだ声音を漏らす。


「大体、高校生にもなって体育祭に向けて練習とか。寒いんだよね」

「たった数週間で自分一人で勝てるくらいに足が速くなれると本当に思ってんの? 団体競技なめんな。お前たちのやってることは全て無駄。努力ですらないんだよ」


 ――やる気がないなら辞めちまえ――


 篠田が璃音に放った言葉は、心の奥底にある、最も体温に近い位置にしまわれた、苦い記憶を呼び覚ます。

 じっとなんてしていられなかった。

 気付いた時には飛び出していた。


「......ふざけんな」

「「長月!?」」「流真さん!?」

 

 気付い時には飛び出し、ぎょっとする浅川・篠田を鋭く睨みつける。溢れるまま、ストレートに感情を発露しようと口を開いた。


「俺のことはいくらでもバカにしたって構わない! でも璃音のことまでバカにするのはやめろ! 近くで見てきた俺が、こいつがどれだけ頑張って、不器用だけど自分なりに努力し行動してきたかを知ってる......何も知らない奴らがギャーギャーほざくな!!」


 胸が苦しく、燃えるように熱い。かきむしりたい気分だ。

 放った言葉は二人に言ったように見えて、実はこの場にいるはずのない、全く関係の無い人物への叫びであることは俺自身がよく分かっている。

 だとしても聞いてほしかった。分かってほしかった。

 憧れだった相手に努力を否定された人間の、行き場の無い苦しみを――。


「............な、なんだよ......行こうぜ歩美」

「......あ、うん」


 硬直していた二人は我に返り、逃げるように下駄箱を後に教室棟方面へと消えて行った。

 残された璃音は、息を荒くした俺を、横からただ驚いた様子で見つめていた。


 ***


「璃音ちゃん、ひょっとして美味しくない?」


 その日の夜。夕食後。

 長月家のリビングで真麻さんお手製のコーヒーゼリーをいただいていると、不安気な表情で真麻まあささんが訊ねた。


「いえ! そんなことはありませんわ......コーヒーの風味が豊かで美味しいです」

「最近仕事が忙しくてブランクあったから、ちょっと不安だったんだけど。良かった」


 いまリビングにはわたくしと真麻さんの二人だけ。

 流真さんは入浴中。紅葉もみじさんはお友達と電話中で自分のお部屋にこもっていらっしゃるご様子。

 ダイニングテーブルを挟んで、目の前には真麻さんが座っている。


「でも瑠璃ちゃん的には、やっぱり流真の味付けの方が好みでしょ? 若い子はどうしても味の濃い物を好むもの――恋と一緒で」


「は、はぁ」

「私の見立てでは瑠璃ちゃんはおしとやかそうに見えて、案外自分から相手にガツガツ行きそうなタイプに見えるのよね。夜になると狼男、もとい女になるタイプ、みたいな?」


「わたくし、満月を見ても特に興奮しませんが......」


 たまに真麻さんはよく分からないことをおっしゃるのですが、そんなことより今のわたくしの興味は他にあった。


「私に何か訊きたいことがある、って顔してるわね?」


 こちらの様子を察したのか、真麻さんがダイニングテーブルに頬杖をつきながら柔和な笑顔を向けた。


「昔の流真さんはどのような感じのお子様だったのか、ちょっと興味がございまして」


 流真さんとはお昼休みの一件があって以降、まともに会話をしていない。

 本当は助けていただいたお礼を言いたいのに、あの時の流真さんの表情と言葉が脳裏に刻まれ、思わず躊躇してしまう。

 

「ふふ。いいわよ。将来の娘ちゃん候補と息子のアルバムを見ながら語り合うの、一度やってみたかったのよ」


 そう言って真麻さんはダイニングチェアから腰を上げ、リビングの中にあるタンスの引き出しから一冊のアルバムを取り出してくれた。

 彼がわたくしのことを知らないように、わたくしも彼のことをほとんど知らない。

 フェアではないかもしれないけど、あの時彼が何故そこまで激高したのか――その答えが彼の歴史の中にあると思うと、どうしても訊かずにはいられなかった。

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