最終話 人として、前へ

 晴明が陰陽寮に本格的に復帰したのは、小波令範との対決から十日経ってからの事であった。その間に焼けた内裏の修復などが行われ、帝が里内裏からかんぎよ(※帝が出かけた先から帰ること)されたのもこの頃だという。問題は子細を聞かされていなかった関白・藤原頼房への対応である。

 眉間に太い皺を刻む頼房を前に、晴明はさすがにたじろいだ。

 帝は知っていて、関白は知らなかったという晴明の策は、神泉苑での件に続いて二度目である。怒り心頭なのは当然だろう。

 といって御簾奥に座す帝を前に怒鳴ることもままならず、なさがら仁王の如く顔相となった良房に、これからも敵視されるのは間違いないだろう。

 聞けば、七殿五舎のほうも火は回ったという。

 中宮以下、女性たちは難を逃れ、怪我人は出なかったようだ。

 迷惑をかけた詫びを入れつつ七殿五舎に入る許可を得た晴明は、その歩を止めた。

「――晴明さま」

 昭陽舎の簀子にて、その女房は胸に抱いていた巻物を全て落とした。

 白い単衣に、たんくちかさねという若菖蒲の女房装束に蓮の衣香――、夏の薫りをその名にもつ彼女は、突然やってきた晴明に驚いたようだ。

「梨壺さまにはまえれ(※前もって知らせること)を報せてあったのですが……」

 晴明は彼女が落とした巻物を拾うと、苦笑しながら渡した。

 梨壺は、彼女――荷葉が仕える昭陽舎の主の異名だ。

「……お怪我をされたと聞いております。もう大丈夫なのでございますか?」

「ええ。荷葉どのには怖い思いをさせました」

「そんな……」

 絡んだ視線は、荷葉のほうから逸らされる。 

「荷葉どの、前を向いてください。今すぐには無理でも、逃げていてはなにも変わりません」

「晴明さま……」

「昔の私は――」

 晴明は視線を庭に向けた。

 昭陽舎の庭には、昭陽舎の異名の由来である梨の木があった。

本来なれば、梨の木は「凶の木」と云われ、庭に植えない方がよいとされることが多い。

 凶とする理由の多くは「ナシ」という名に由来し、庭に植えると財産がなくなる、病人が出ると云われているらしい。

 しかし、梨を鬼門である北東に植えて「鬼門ナシ」とすることもあり、北が吉ということがある。昭陽舎は内裏からみてまさに北東だったのだ。

青々としたその木々は、今年も甘い実をつけるだろう。

 そう、逃げていてはなにも解決しない。逃げなくてもさだめは変わらないかも知れない。 半妖である事は変わらないし、妖との戦いも避けられない。

「それでも私は――、人として前を向くと決めました」

 幼い頃の自分を振り返り、晴明は語る。

 破軍の星の下に生まれた荷葉に、これから先どんなことが起きるのか。

 しかし、畏れては相手の思うつぼである。

「新しい霊符です」

「私に……?」

「それがあれば、大抵のものは寄ってこないはずです」

 既に四条家にも幾つか結界を張ってあるため、以前よりは荷葉の安全は保たれてある。

 荷葉に渡した霊符は、害をなそうするモノを退ける効果がある。

「晴明さま……」

 立ち去ろうとする晴明を、荷葉が呼び止める。

 しかし荷葉は何か言おうと口を開けるものの、すぐに閉ざす。

「荷葉殿……?」

「なんでもございません……。晴明さま、これからもお気をつけて」

 荷葉は晴明から受け取った霊符を胸に抱いて、そう云って笑顔を浮かべた。


                ◆


『もうっ、じれったいわね……!』

 七殿五舎の屋根の上で、十二天将・太陰はだんを踏んだ。そんな彼女の横では胡座あぐらで座り片肘をつき、そこにあごを乗せていたもう一人の天将・騰蛇がいた。

『お前が苛立ってどうする? 人界のことにこれ以上口出しするなとてんいちから云われたばかりだろう?』

『わかってるわよっ! そんなこと……』

 天一は十二天将を纏めている存在である。彼の云うことならば、あの青龍でさえ何も言えない。晴明の下に下ると最終的に決めたのは天一だ。青龍は不服そうだったが、決定権をもつ天一に、彼も従った。

 だが太陰には、荷葉と晴明が結ばれてほしいと思ってしまう。

 ともに相手のことを想っている筈なのに、本心を云わない。

 半妖だから、破軍の星に生まれたから――、それが何だというのだ。

 二人一緒なら、どんな苦境も乗り越えられるだろうに。

『我らにできるのは、あの男の指示のままに動くこと。あの男が闇に沈めばそれまで』

『晴明は、決して闇に沈んだりしないわ』

『ならばいいが』

 人として前を向くのだと、以前に晴明から聞いたことがある。その目に偽りはなかった。

 おそらく――、彼の戦いはこれからも続くだろう。

 人が生みし負の念は、闇を作って異界の門まで開ける。

 彼が進む道は、厳しいモノとなるだろう。ならば――ともに進むのが式神となった天将の務め。太陰の決意に、騰蛇はふっと笑った。

 

                 ★★★


 その日――、王都に十日振りの雨が降っていた。

 小波令範との対決時に青龍が雨を運んできたが、それは王都に広がる炎を鎮火させただけで、地を十分に潤すに至らなかったようだ。

 このまま日照りが続けば、雨乞いの祭祀をするように朝廷が陰陽寮に言ってくるかも知れなかったが、あの青龍を召喚するとなると、これがなかなか骨が折れるのだ。

 降り出した雨にほっとして、晴明は土器かわらけを口に運んだ。

「やっと復帰したかと思えば――」

 眼前で同じく、土器を傾けていた冬馬が嘆息した。

 視線を上げた晴明だが、とたんにくしゃみをして顔をしかめ、懐から取り出したりようで鼻を拭う。この前日――、依頼された霊符をある貴族の邸に届けた帰り道、突然降ってきた雨に当たり、晴明は風邪を引く羽目になった。

 青龍の嫌がらせか――と思ったが、彼にすれば「雨に当たったぐらいで風邪など引くとは軟弱者め」と言うだろう。

 雨が降ってくれたおかげで王都は潤い、青龍の不機嫌そうな顔を見ずにすんだ晴明だが、お前も人間だったんだなと笑う冬馬に、晴明は渋面で唸った。

「悪かったな……」

 冬馬は見舞いに来たと現れ、いつのものに断りを入れることなく上がってきた。

 晴明はいつもの狩衣姿ではなく、単衣に袴に袿を羽織るという軽装で、脇息に半身を預けて式盤に視線を落としていた所であった。

 冬馬という男は帰れといっても帰らぬとわかっているため、晴明は嘆息して〝式〟に酒の用意をさせたのだった。

「それより――、長橋局との縁談はどうなったんだ?」

「ああ……、あれか……」

 冬馬曰く、火事騒ぎの一件で高階家も一部が燃えたらしい。しばらくこの話は見合わせたいと言ってきたという。

「なんだ、縁談は嫌じゃなかったのか? 冬馬」

 長橋局こと高階家の姫は性格がきついと、縁談に乗り気ではなさそうな冬馬を見ている晴明は、今は複雑そうな表情をしている冬馬に苦笑する。

「俺より、お前はどうなんだ? 晴明」

「なにが?」

「薫衣の君さ」

 薫衣の君は、貴族の子弟たちの間で呼ばれる四条荷葉のことだ。

「彼女なら大丈夫だ。新しい霊符も渡したし、邸にはこれまで以上の結界を張った」

「いや……、そういうことじゃなく――」

 冬馬が何を言わんとしているのか図りかねた晴明は、胡乱に眉を寄せた。

「……とりあえず、お前も人間だったという事がわかっただけでもよかったよ」

「お前には、私が化け物にでも見えていたのか?」

「まぁ、化け物とまではいかないが……」

 彼の言葉に嫌みはない。他の貴族が晴明に抱く畏怖も。

 半妖であることはこれからも変わらないし、かといって闇に染まるつもりは晴明にはない。人として、これからも前を向いて生きていく。

「ようやく、長雨の季節到来だな」

 雨に打たれる池の蓮の花に目をやって、冬馬がしみじみと呟く。

「そうだな……」

 果たしてこれから先――、どんな試練が晴明を待っているのか。

 ――その時はその時だ。

 思わず漏れた晴明の笑みに冬馬が「どうした?」と首を傾げる。

「いや……」

 二人だけの静かな酒宴は、それから一刻は続いたのであった。 


 (完)

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半妖の陰陽師~碧き閃光 斑鳩陽菜 @ikaruga2019

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