第十五話 朱雀大路の百鬼夜行

 忘れるな、この怒りを。

 応えよ、我が憎しみに。

 全てのモノにおもい知らしめよ。

 憎い。

 憎い。

 あのモノたちは全て奪い去った。築きしモノ全てを。

 ならば。

 今度は我々が奪う番。

 さあ、参ろうぞ。

 


 幾つもの炎が、邸のあちこちから上がる。火の勢いは床を舐め、柱を駆け上り、近くにあるものを巻き込んで広がっていく。

 そこには呆然と宙を見つめている烏帽子姿の男と、狂ったように嗤っている袿姿の女がいた。

「燃えろ……、燃えてしまえ。この世のモノすべて……!」

 ああ、焼けていく。何もかも。

 少年は必死に手を伸ばした。なのに、炎がそれを許さない。

 

 忘れるな、この憎しみを。

 報いよ、受けた屈辱に対して。

 その脳裏に、しっかり焼き付けよ。

 決して忘れるな。

 あの者たち全てが灰になるまで。

 ああ、必ずや。

 

 炎に呑まれながら、女が嗤っている。

 炎から助け出した父を抱きしめ、少年は躯を震わせた。

 肉の焼ける臭いと炎の音。焼け崩れる邸と同じように、人の心も崩れた。

 


 その後――この少年がどうなったのか、なぜそうなったのか、人々は記憶の外に追いやった。まるでなにも起きなかったように、存在すらも消し去った。

 ろうそくに灯る一つ火が、風もないのに揺れる。

 古来『一つ火は不吉』という。

 闇夜――蝋燭に火を一本だけ灯して周囲を見ると、あの世のモノや見てはいけないモノが見えてしまうという。

 ぎのみことが亡き妻・みのみことに会うために冥府へ向かい、冥官に相談してくるまで決して見るなと伊邪那美命に言われた伊邪那岐命だが、彼女が戻ってくるまで待っていられなくなった。髪に挿していた爪櫛つまぐしの太い歯を一本折って一つ火を灯し、黄泉平坂よもつひらさかを越えた伊邪那美命は、朽ち果てた伊邪那美命の姿を見てしまった――と、古事記に記されている。

 男は己に忍び寄るモノたちなど、怖ろしいとは思わなかった。

 怖ろしいなどという感覚は、もう遙か昔に消えた。

 紅蓮の炎の中で〝それ〟をみた時に。

 鏡を覗くと、半分爛ただれた己の顔がある。それを見ると改めて、おんしゆうの炎が心に燃え上がる。炎の中で少年は死んだ。懐かしき思い出と供に。


 ――我が名は延慶、平安王都を闇に沈めるために鬼となりて候。

 

 ついっと口の端を吊り上げると、蝋燭の炎が再び揺れる。

「母上、いよいよ時が参りました」

「ついに来やったか? 殿もさぞ喜ばれよう」

 御簾奥に座した女が、忍び笑いを漏らす。

 延慶が錫杖を手にすると、遊輪ゆかんがしゃんっと鳴って室に闇が落ちた。


         ◆


 その日のそらは、朝から重そうな雲が一面に広がっていた。

 いつもはあらぬ噂にひれを付けまくる連中も、今日ばかりは口を閉じて眉を寄せ、目が合えばびくっと驚いて、そそくさと何処かへ行ってしまう。

 晴明は、正殿の簀子で嘆息した。

「やつらは、いつ妖たちが来るか怖いのさ」

 庭から姿をあらわした男に、晴明は胡乱に眉を寄せた。

「お前は怖くはないのか? 冬真」

「何処かの陰陽師と連むようになったお陰で、耐性がついたらしい。それで――、いつ来るかわかったのか?」

「そろそろ、報せが来るはずだ」

 冬真は怪訝そうな顔をしている。

 ふいに、一匹の蝶がヒラヒラと二人の間で舞った。

「晴明……、この蝶、まさかと思うが――」

 渋面になる冬真だが、晴明は答えない。

 蝶は晴明の式で、冬真が初めて晴明邸を訪ねたときに応対に出たあの蝶である。

『晴明さま、百鬼夜行の集団――今宵、朱雀大路に向かう予定』

「冬真、そろそろ来るぞ」

「任せておけ。朱雀門は越えさせん」

 なんとも頼もしい男だ。

 晴明は軽く笑んで、再び昊を見上げた。

  

         ☆☆☆


『私……、嫌な予感がするの』

 いつもはきゃんきゃんとうるさい十二天将・太陰が、語気を弱めた。

 妖気は至る所から漂っているのに、肝心な黒幕の気配が追えない。

 今回も、何処かで様子を窺っているのだろうか。

 いや――、あの男は必ず来る。殺生石を奪いに。

「嫌な予感?」

「こんなこと、初めてだわ。彼らだけでは、朱雀門は突破は無理よ」

 大内裏の各門は厳重な警備と、陰陽寮による結界が張ってある。

 正門である朱雀門はさらに近衛府武官が待機し、晴明や法源など鬼たちにとっては天敵が待ち構えている。

「例の髑髏女は?」

「あまり見たくない相手ね。人間が死者を生き返らせる方法があるって聞いていたけど、失敗しているじゃない。桃をぶつけたくらいでは、冥府へは行かないわよ? 晴明」

 妻・伊邪那美命を冥府へ迎えに行った伊邪那岐命。朽ちかけた姿を見られ、伊邪那岐命を追いかける伊邪那美命。

 この世と冥府を繋ぐ黄泉比良坂で、伊邪那岐命は伊邪那美命を追い払うために桃を投げつけたという。

 髑髏女は、間違いなく冥府から呼び戻されたのだろう。だが一旦魂魄の離れた肉体は時の流れに逆らえない。伊邪那美命でさえ、そうだったのだから。

 太陰は「とにかく用心しなさい」と晴明に告げて、隠形した。



 大内裏に向けての百鬼夜行が、今夜と式盤に出た晴明は賀茂忠行に報せ、日没と同時に朱雀門に立った。

 百鬼夜行といえば、晴明の邸がある一条大路は頻繁に出没した。

 この世と異界の境界といわれる戻り橋があるせいかは知らないが、晴明は異界の住人としょっちゅう出くわすので「またか」と呆れて、やり過ごしている。

 貴族たちは百鬼夜行に出遭うと死んでしまうと畏れたが、晴明は陰陽師である。害があれば祓うし、そうでなければ放置した。

 百鬼夜行をしている連中は、人間を脅かしてやろうとしているだけで、なかなか面白い姿形をしている。晴明はどうしてこんなものを人は怖がるかと首を拈るが、冬真に言わせると怖がるのが普通らしい。


――難しはや、行か瀬にに貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり。


 百鬼夜行に遭遇した場合、退ける呪文があるらしい。

 利き目があるかどうかは、晴明は知らないが。


 来た――。

 

 朱雀門に立っていた晴明は、その気配に眉を跳ね上げた。

 妖気の塊が、大内裏があるこちらに向かって進んでくる。

 晴明の近くは近衛の精鋭と冬真、そして白頭巾姿の法源がいる。

「ほう、百鬼夜行なるものを初めてみたがなかなか面白いものよ」

 法源の言葉に、冬真の目が据わった。

「晴明……この坊主……本当に叡山の坊主か?」

 晴明も時々疑問に思うが、問題はその百鬼夜行だ。

 雑鬼に四つ目の大男、付喪神に幽鬼、手足が幾つも生えたモノや、獅子の頭をもつモノ、それらが押し寄せてくる。

 問題は妖たちを誘いに来たという、髑髏女・五十鈴もいないことだ。冥府へ向かったのならいいが、鬼たちの影が大きくなるにつれ、嫌な予感がする。

「晴明……っ!」

 冬真の声に、晴明は瞠目した。

 鬼たちの先頭に、女房装束のままの荷葉がいたのだ。

「荷葉どの……」

「どういうことだ? なぜ、薫衣の君が……」

 動揺する冬真に比べて、法源は冷静だった。

「油断致すな、左近絵中将。罠かも知れぬ」

 だが――。

「晴明さま」

 助けに来てくれたと思ったのか、荷葉が今にも泣きそうな顔になる。

 声も姿も、間違いなく荷葉である。

 しかしこんな時でさえ、晴明の危機意識が働いた。躯が僅かに横に動いたのだ。

 荷葉は女房装束を纏っているにも関わらず、軽い足取りで駆けてくる。

 長い黒髪が舞い上がり、見知った顔が晴明の前で破顔する。

「…………っ」

 荷葉とぶつかり、晴明は唇を噛んだ。

「陰陽師など――、造作もない」

 荷葉から、見知らぬ女の声が放たれる。

「ふふ、この躯はもうこの、五十鈴のものぞ。陰陽師」

 顔を上げた荷葉を、晴明は睨んだ。

荷葉の中に、髑髏女・五十鈴が入っている。

 恐らく、入れたのは延慶だろう。

荷葉が離れた瞬間、晴明の躯は大きく蹌踉めき、血が一気に噴き出した。

「晴明……!? くそっ、よくも……っ」

「妾は蘇ったのじゃ。この娘の若い躯で。大切に扱ってやるゆえ――、冥府へはお前がお行き。陰陽師」

 荷葉の顔をした五十鈴が嗤った。

冬真は腰の剣に手を伸ばしたが、晴明は制した。

「やめろ、冬真。彼女は『荷葉どの』だ」

「本物の四条家の姫だというのか……?」

「そうだ……。中に、他のモノが入っている。それを出さない限り……、荷葉殿を助けることはできない……」

 晴明の白い狩衣は、自身の血で染まっていた。

 僅かに横にずれたために急所は外れたが、相手が荷葉とあって油断した。

 十二天将を招喚しようものなら、神気に堪えきれず即、気を失って倒れるだろう。

『荷葉』が檜扇をもつ手をあげた。

「邪魔な陰陽師は虫の息。さぁ、参ろうぞ」

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