第十四話 晴明、命懸けの必策

 大内裏から帰宅した晴明は、主殿に向かう簀子で絶句した。

 雑鬼が短い腕を組んで座っていたのだ。一匹だけならいいが、今日はやたら数が多い。

 関わるとろくなことにならなそうな気がしたため、晴明は彼らを無視して室に入ると、唐櫃を開けた。中には、いつも来ている狩衣が入っている。

 出仕用の直衣から狩衣に着替えていると、雑鬼の一人が口を開いた。

「せ~いめい、助けてくれよぉ」

「妖のいうことを聞く道理はない」

 ぞんざいに言い放つが、今日の雑鬼はしつこい。

「そんな冷たいことをいわないでさぁ~、お前と俺たちの仲じゃないかぁ」

「うるさい。勝手に居着いておきながらなにが仲だ」

「あんなの見たら、怖くて……都を歩けなくなっちまう」

 雑鬼でも怖いモノがあるのかと思うも、こちらは忙しいのだ。

 片手で印を結ぶと、四つ目の鬼が至近距離で見つめてきた。

「…………」

 軽い頭痛を覚えた晴明は、こめかみを押さえた。

 聞けば、各家家にいる雑鬼や付喪神に、百鬼夜行に加われと誘いが来ているという。百鬼夜行などこの王都では珍しくはないが、誘っているモノが問題らしい。

 雑鬼がいうには、五十鈴いすずという髑髏女どくろおんならしい。

 髑髏女は人間が死後朽ちかけて、骸となる前に目覚めたモノで、憎しみや恨みの念を宿したモノほど、冥府へ赴くのを拒む。

 さすがの晴明も、不快な気分になった。

 誰かが墓を暴き、ソレを目覚めさせた。しかも、その姿のままで。

 雑鬼たちは同じ妖に誘われたのなら考えるが、人間のなれの果てというのは怖いらしい。晴明とてそんなモノにまで王都を闊歩されては困る。

 幽鬼なら冥界に送るのは簡単だが、髑髏女は冥府にすら行っていない。

「あの女を、なんとかしてくれよぉ」

「妖のお前たちが、陰陽師の私に助けを求めるか?」

「人間たちにとっても嫌だろう? 死臭を漂わせて彷徨っているやつは」

 確かに――。

 晴明の脳裏には、一人の男が浮かんでいた。

 妖を操る能力を備え、荷葉を攫った法師・延慶――。

 死者を弔うべき立場にある法師が、その死者まで使って事をなそうしていることに、晴明の中では怒りが込み上げてくる。

 このことは、法源がもっとも憤っていた。


「もう、許せん!!」

 勢いよく立ち上がる法源に、纏う袈裟衣がばさっと音を立てる。落ち着いて座っている分にはいいが、動作がやや大きすぎる彼が纏うと錦地のそれが悲鳴にも聞こえる。

「怒りのまま行動しても、あの男の策にはまるだけです」

 延慶の狙いは、殺生石だろう。百鬼夜行の混乱に乗じ、殺生石本体を奪おうとしているのならば、その前に止めなくてはならない。

「どうするのだ……? 晴明」

「策がないともいえません。ただ――、他の鬼たちは法源どのにお任せすることになりますが」

 そう、策はある。かなり危険ではあるが――。


  

 晴明は大内裏に出仕すると、陰陽寮の塗籠に入った。

 陰陽寮の塗籠は、陰陽道に関する書や巻物、呪物が保管されている。持ち出すには陰陽頭の許可が必要なのだが。

「――それしか、方法がないのか?」

 胡乱に眉を寄せる陰陽頭に、賀茂忠行も今回ばかりは戸惑っていた。

「わたしも『アレ』ならば、可能かと思いますが――」

「失敗すれば、大量の鬼が大内裏に流れ込んでこよう。それでもやるか? 安倍晴明」

 陰陽頭が、控えていた晴明に視線を寄越す。

 晴明は顔を上げた。

「この安倍晴明の命にかえましても、防ぎまする!」

 

 そんな大内裏を、朱雀門に止まっていた一羽の鴉が見ていた。

『それ以上先にはいかせぬ』

 羽を広げようとしていた鴉が、首を上に向ける。

『帰るがいい! 丸焼きにされたくなければ』

 鴉と対峙することしばらく、鴉は『グァ』と鳴いて姿を消した。

『丸焼きって……、穏やかじゃねぇなぁ。朱雀』

 十二天将・朱雀の元に顕現したのは、十二天将・玄武と白虎である。

『心配せずとも、大内裏まで焼かぬ』

 朱雀は火将であり、火を扱う。

 彼らは晴明の指示で、妖などの気配を探っていたのである。

『あの鴉、式のようだな? 操っているやつはなにを企んでいるのやら』

 白虎が目を眇めて唸る。

『ろくなことは考えていまい』

『しかし、青龍が出て来たと思えば今度はお前とはな。晴明はそのうち、ぶっ倒れるぞ

 玄武の指摘はもっともだ。

 天将の神気は、招喚した者の体力を削ぐ。比較的力の弱い太陰や玄武ならまだいいが、青龍やなど力の強いものを招喚しようものなら、立っているだけで眩暈がするだろう。

『彼はもう覚悟をしている』

 十二天将を式神とするということは、人体が受ける影響を晴明は知らないはずがない。 ふと、二人の頭に雨粒が落ちてきた。

 見上げると、長いモノが昊を悠々と進んでいた。

『なんだかんだといいながら、あいつは晴明を受け入れているじゃないか』

 玄武がそういって、呆れる。

 晴明の元に下ることを、最後までごねていた天将は、長い巨体をものともせずに昊を進んでいる。東西南北の守護神が、一堂に会するなど滅多にない。

青龍が降らせた雨は、その日一日降り続いたのであった。

 

☆☆☆


 大内裏・左近衛府――、官舎に響く男のくしゃみに、左近衛府少将・藤原融の眉尻が下がった。 

感染うつさないでくださいね? 中将さま」

「晴明に会ったら、文句をいってやる……! 雨など降らぬから安心しろといったんだぞ!? あいつは」

左近衛府中将・藤原冬真は、渋面で鼻の下を懐紙で拭った。

 昨夜――夜警に就いていた冬真は、突然降り始めた雨によってずぶ濡れになった。熱はでなかったものの、風邪を引いた冬真としては面白くない。

「中将がぼくせんに頼るとは意外ですね」

 卜占に頼ったわけではないのだが、酒を呑んでいたら夜警をするという話になった。すると晴明は聞きもしないのに、雨は降らないといった。

 確かに雨の中の夜警はしたくないが。

 それなのにだ。

「どのみち、あいつのいうことを聞いて濡れ鼠になったんだ」

 ふんっと剥れる冬真に、少将・融は苦笑して、

「そういえば、近く百鬼夜行があるとか」

 と、いう。

「は……?」

「ここじゃありませんよ」

 当たり前である。大内裏のなかで、百鬼夜行をされては適わない。

 少将・融曰く――、王都中の鬼という鬼が、大内裏を目指してやってくると噂になっているという。これまで以上に警備も厳重になり、神泉苑での騒動も手伝って、いつもようにひれがつきまくった噂が、内裏の中で広まっているらしい。

「……そのことか」

 冬真は文机に片肘をついて顎を乗せ、嘆息した。

「本当に、やってくるんですか? 中将さま」

「さぁな」

 恐らく晴明は何かしら知っているだろうが、ここでそれをいうべきではなかろう。

 冬真は再び大きなくしゃみをして、今日は早めに帰ろうと思ったのだった。

 


 生温かい風が半蔀から吹き込み、燈台の炎を揺らした。

 視界に入ったのは、その半蔀から覗く下弦の月である。

 だが、気配は間違いなくあった。

「せい……めい……さま」

 白い影が、振り返った先で揺れていた。

「……荷葉どの……か」

 信じられぬと瞠る晴明の前で、影は大きく揺れた。

「わたしを……ころして……」

「そのようなこと、できるとお思いか?」

「晴明さま……」

「私は必ずあなたを助け出す! ゆえに荷葉どのも諦めてはなりませぬ」

 おそらく延慶のすきをつき、念がここまで辿り着いたのだろう。弱々しい影は、燈台に灯る炎の如く今にも消えそうだ。

「せい……」

 晴明に近づこうした影は、半蔀が飛び込んで来たモノに掻き消される。

 そこにいたのは、延慶の式である鴉である。

『近く――殺生石をもらいに参る』

 咄嗟に印を結ぶ晴明に、鴉は姿を消した。

 決戦の日は、もうまもなく来る。

 晴明は鴉が消えた板敷きの床を睨みながら、拳を握った。

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