第四話 薫衣の君

 ――あれからふじわらとうは、ひまさえあれば晴明のやしきにやって来た。とことんつきまとうと自身で言ったことを、実行しているらしい。

 晴明にすれば、迷惑この上ない。つまを閉めればその戸を叩かれ、無視をすれば勝手に上がり込んできて、どかっと腰を下ろした。

 晴明はこれまで人に避けられることがあっても、ここまでずかずかと寄ってくる人間には会ったことがない。しかも相手は、藤原一門に連なる右大臣家のおんぞう。さらに、この左近衛中将さこんえちゆうじようという出世間違いなしの地位に入る男である。

 来るならことわりを入れろと言うと、確かに断りは入れてきた。

「入るぞ」

 見れば冬真がひさしの下にいた。

 ぜんとする晴明をに、冬真はえんへやの隅から持ってきて腰を下ろした。

「私は忙しい。それに、邸に入る許可はした覚えはないが?」

 晴明は筆を走らせる手を止めてへいげいするも、冬真は気にする風でもない。

「断りは入れたぞ」

「門の外で、と言ったのだ! 室の前ではないっ」

 妙な頭痛を覚えた晴明は、こめかみに浮きできた青筋をほぐしつつたんそくした。

 冬真を見ると、人の話を聞いているかいないのか、何かに釘付けである。何かと思えば、雑鬼ざつき二匹がしきへい土器かわらけを乗せて、運んでくるのが見えた。

 余計なことを――と晴明は思ったが、それよりも、雑鬼が見える冬真に驚いた。

「こいつらも、お前の言う〝しき〟ってやつか?」

「いや……」

 雑鬼たちはどういう風の吹き回しなのか、冬真にしやくをしている。客をもてなす雑鬼というのは新鮮な姿だ。いや、いたずら好きの彼らのことだ。なにか企んでいるのかも知れない。放っておいても害はないが。

「じゃあ、なんだ?」

「雑鬼というあやかしだ」

 冬真の手にしていた土器が滑り落ちて、いたきの床に転がった。

 その顔はじゆうめんで、口から舌をのぞかせている。

『こいつ、驚いているぞ』

『晴明、酒の中にもっとたっぷりと塩でも入れておけばよかったかな?』

 どうやら雑鬼たちは、冬真に塩入りの酒を呑ませたらしい。

「お前ら、私にも塩を持ったのか?」

 晴明は自分の手にした土器を見つめ、半眼で雑鬼たちを見据えた。

「晴明のほうには入ってない」

「……消えろ。しばらく出てくるな」

 嘆息して雑鬼を追い返すと、冬真に感心した。

 ――雑鬼が視えるとは。

「安倍晴明は妖と暮らしていると言われたが、本当だったのか……?」

「正確には居着いている。だがあんなもの、人の家からそこらじゅうにいる。普通は視えないモノだが、お前には見鬼けんきさいがあるようだな? 冬真」

「見鬼の才……?」

「鬼や妖が視える能力だ。そういう人間は妖を招きやすい」

「お前、たいしたことがないように言うが、それはつまりこれからもずっと、鬼や妖と出会うとことだろう?」

 見鬼の才がいつまで続くのか、晴明にはわからない。ある日突然視えなく事があるかも知れないし、一生かも知れない。ただ、他に何の能力を持たぬ人間にとって、異界の存在が視えるということは、相当怖いだろう。

「怖いのか? だったら今回の件は私に任せ手を引くことだ」

「ふんっ。妖が怖くて近衛府なんぞにいるものか」

 冬真はどうやら手を引かないようだ。

 やれやれ。

 晴明は三度みたび嘆息して、塩入りではない酒を、冬真の土器に注いだ。

「そういえば地に沈んだあの妖、石をせと言っていたぞ」

「石……?」

 二条大路にて、帰路に就こうとしていた牛車を襲った妖――。

 冬真と晴明がいなければ、中に乗っている人間は間違いなく喰われていただろう。

「俺にはさっぱりだが――、俺が驚いたのは、お前が薫衣くぬえの君と顔見知りだったということだ。俺は和歌うたはからっきしだが、お前もかの姫に和歌を贈ったのか? 晴明」

 妖に襲われた牛車に乗っていたのは、四条家当主とその姫・ようであった。

 冬真曰く――四条家の姫・荷葉は、薫衣の君と呼ばれるとともに美姫としても有名らしい。姫の名となった荷葉ははすしようであり、さらに荷葉は蓮の薫りがするという夏のき物の名前でもあった。

(なるほど……、それで薫衣の君か)

 あのあと、二人を四条家まで送り届けたが、相当怖い思いをしただろう。

 だがこれで、人が消えるという事件が繋がりそうである。

 神隠しはあの妖の仕業だろう。それは間違いない。

だが、石を寄越せとはいったいどういうことか。四条家の姫が、それにどう関わっているのか。

 冬真が帰ると、晴明は六壬式盤ろくじんしきばんを手元に引き寄せた。

 四条家を訪ねるに、吉となる日取りを占うためだ。それから文をしたため、形代かたしろを取り出して〝式〟をこしらえた。

 水干姿の少年に変じた〝式〟は、晴明が認めた文を携えて邸を出て行った。

 


「何故、あの男を呼んだのです?」

 責めるような口調に、ぶんだいで書のこうめくっていたじようこれみちは視線を上げた。

 そこにはおうしよくかさね袿姿うちきすがたおうなが、厳しい表情で彼を見ていた。

「助けて貰った礼はすべきかと……、母上」

「礼ならば金子きんすいくらか包んで、雑色さつしき(※使用人)に届けさせれば済むことです。それをよりによって、あの半妖を……」

「母上」

 媼の名は鹿かのといい、惟道の実母である。

 既によわい八十になるが、そんしんが高く、彼女に睨まれると惟道も弱い。

「お前は理解わかっていないのです。あの子が背負ったさだめを。あの男と会えば、あの子はきっと危険な目に遭う」

 娘が背負ったさだめ――、惟道はなんども鹿子から聞かされてはいたが、安倍晴明なら娘を救えるかも知れないと思った。しかし母・鹿子は、そうは思わなかったようだ。

 かえって、危険が増したと言うのだ。

「母上、荷葉は我が娘。あなた以上に愛しております」

「ならば――」

「私は、さだめから逃げるような娘に育てたつもりはありません。ああ見えて、強い子です。荷葉は」

 鹿子はまだなにか言いたげであったが、当主は惟道である。

 唇を噛んで、袿の裾をひるがえした。

 

☆☆☆


 貴族のやしきが集まる左京――、朱雀門を出て東の二条大路を進むとしんせんえんに出る。

 帝やていしんたちの宴の場であり、桜の時期には帝がぎようこうされる。

そんな神泉苑の池は、どんな日照りの年にもれることはなく、竜神が住むといわれているという。

 晴明が目指す四条家は、神泉苑を更に進んだ先、きようぎようぼうにあった。

幾つかのろうを渡り、すのを進むとへやの前に出た。しとみは上げられ、も巻かれている。 その室の中にその姫――、よんじようようはいた。

 くんこうは姫の名にもなった荷葉ではなかったが、清々しい薫りである。

 内裏で見た姫の女房装束は、うめかさねうちきたんいろ唐衣からぎぬを合わせていたが、今はたんくちからなるはなたちばなの袿姿だ。

「お待ち申し上げておりました、晴明さま。たびは危ういところをお助いただきありがとうございました」

「大事なく何よりにございました」

「しかもごそくろういただき、申し訳なく思うております。ご無礼の段、お許し下さいませ」

「いえ……、私は一介の陰陽師。さようにかしこまらないで頂きたい。姫」

 緊張が解けたのか、荷葉が微笑む。

「私に相談があるとのことでしたが……?」

 荷葉が晴明の座す板敷きの床に、くろうるしきんさいの小箱を滑らせてきた。

「開けてみても?」

 荷葉のしようだくを得てふたを開けると、中にはあおく光る何かのかけがあった。やや透明で、明かりの加減で碧いせんこうを放つ。晴明も見たことがないソレは美しくもあったが、微かに妖気が感じられた。

「晴明さま、やはり危険なものなのでしょうか?」

「これを何処で?」

「以前飼っていた猫がくわえてきたのです」

 その猫はそのあと、突然死んでしまったという。

 荷葉の言葉に晴明は、冬真が聞いたという妖の言葉を思い出した。


 ――石を渡せ。


 晴明は、手元の小箱に再び視線を落とした。

 碧い光を放つ何かの欠片。

 なるほどと、晴明は思った。

 荷葉が乗る牛車が襲われたのは、この欠片を所有していたためだ。そしてこの欠片はせつしようせきの欠片ではないか。

 師・賀茂忠行曰く、殺生石は陰陽寮内で封印される時には既に欠けていたという。その欠片がこの王都に幾つか散ったとするならば、荷葉が持っていたソレはその一つかも知れない。

「荷葉どの、これは私に預けて頂けませんか?」

「ええ」

「ですが、なにゆえ私だったのでしょうか? 陰陽師ならば他にも大内裏はおります。それに――私が怖くありませんか?」

「何故ですの?」

 荷葉はおうぎを開いて首をかしげた。

「私は妖の血を引いているのです」

視線を戻した晴明が見たのは、荷葉の横にちょこんと座る雑鬼だった。

「晴明さま、それをどうしようか悩んでいたとき〝彼〟が晴明さまに相談してみてはと言ってくれたのです」

「……鬼が視える……?」

「私には〝彼〟も、晴明さまも怖いとは思いません」

 いたずら好きの雑鬼だが、棲んでいる邸によっては違うらしい。まさか雑鬼から頼りにされているとは意外だったが。

 


 翌――出仕した晴明は、賀茂忠行に殺生石を見せて欲しいと頼んだ。本体はまだ、陰陽寮にあるのだ。ぬりごめの中、それはそこにあった。

 元は、楕円状の球体だったのだろう。碧い光を放っているが上部は欠けている。

 荷葉から預かった欠片はやはり殺生石のものだったが、合わせてみるものの元の形にはならない。忠行が唸った。

「どうやら、欠片はまだ他にあるようじゃのぅ。晴明」

 陰陽寮に持ち込まれる以前に、砕けたといういくつかの欠片。

 妖は高い妖力を取り込むと、さらに力を増すという。

「師匠――」

 謎の妖も殺生石を探している。

 そしてそれは、本体を奪いに大内裏もやってくるだろう。高い力を得るために。

 晴明の戦いが、始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る