第五話 謎の妖を炙り出せ

 その夜――東洞院ひがしとういん大路おおじを、一台の牛車が進んでいた。

(すっかり遅くなってしまった)

 牛車に従い馬を進める随身ずいしん(※貴人の外出の時、警衛のためにつけられた近衛府の官人)の男は、茜に染まるそらを見上げて眉を寄せた。

「姫――、お疲れではござらぬか?」

 牛車の中に声をかけると、返事の代わりにきぬれの音が聞こえてきた。今日は招かれ席で、たくさん和歌うたろうしたと聞いている。疲れているのだろう。

 彼は、うしわらわにもっと早く牛を進めさせよと命じた。

 だが――。

(あれは――なんだ?)

 牛車の少し先――、みちみずまりがある。ここ数日雨は降ってはいない。その水溜まりがボコボコと湧いているのだ。

 だがそれはまもなく収まり、水溜まりも消えた。

「いったい……なんだったのだ?」

 おのれも疲れているのだろうか。

 嫌な汗が、彼の背を流れた。

 彼は、急に止まった牛車を不安に思ったのではないかと、中にいる姫に声をかけた。しかし、今度は衣擦れの音も聞こえていない。

「姫――?」

 牛車のまくると、中には姫の姿はなく、姫のまとっていたうちきだけがそこにあるだけだった。

 


 時を告げるしように彼の筆が止まる。

 たいが九つにかねが二つ――、こくげん午二刻うまのにこく(※午前十一時)か。

 奪われたせつしようせきかけ探しとかみかくし、重なったやつかいごとに依頼されたれいはなかなか減らない。

 今朝――晴明は、あさを済ませて六壬式盤ろくじんしきばんにて自身をせんじた。結果は凶、これは外に出るとろくなことにならいと判断した清明は、ものみのむねただゆきに伝えた。

 これで溜まった霊符が減るだろう。

 頼むから何も起きるなよと念じつつ、筆をとった晴明であった。

 ――のだが。

 しばらくして、簀子すのこを進んでくる足音が聞こえてきた。

 このやしきに晴明以外の人間はいない。

 考えられるのは、一人だ。

 晴明はぶんだいに筆を置くと、じゆうめんで振り返った。

「私は物忌み中だと伝えた筈だが――?」

 当の訪問者は聞こえているのかいないのか、へやすみからえんを引っ張り出し、ちようびようの位置を変えると「これでよし!」と言ってうなずいている。

「これなら誰にも見られんぞ」

 明らかにかんちがいをしている男に、晴明ははんがんになった。

「お前……、物忌みの意味を理解っているのか? 冬真」

「わかっているとも。物忌み中は何処へも出かけず、だろ」

 妙な頭痛を覚えた晴明である。

「来客にも会わず――もだ」

「もう会っているではないか」

 この野郎――と思っても、天は今は許してくれよう。

 どうやら邸に籠もろうと、厄介者だけは防げないようだ。

 冬真は酒とさかなは持参してきたと笑っている。

 以前、塩入りの酒を呑ませているため、しゆがえしされないか不安だったが、冬真の持参した酒は普通の酒であり、ななりんでは肴の干し魚があぶられていた。

「今日は何のようだ?」

たいの陰陽師といっても、しよせんは男だということだな」

 冬真の言葉に、口に土器かわらけを運びかけていた晴明はどうもくした。

「は……?」

「あいつらが、お前がこうかおりを身につけて帰ってきたといっていたぞ? いやいや、明るいうちから女の元に向かうとは、ずいぶんだいたんだな? 晴明」

 あいつらとは誰かと冬真の視線を追えば、雑鬼ざつきがびくっと飛び上がってそそくさと天井のはりに向かっていく。

 妙な怒りが湧いた晴明は、冬真に向かってえた。

「この勘違い男! 私はようどのが相談があるゆえ来て欲しいというから、四条家へ行ったのだ! 雑鬼の言葉を真に受けるとはこのほう!!」

「…………」

「なんだ……?」

 肩で息をしながらへいげいすると、

「いや、お前も案外……」

 冬真はそう言いかけて、口を閉ざす。

まったく、いったいなんなのだ。

 興奮冷めやらぬ晴明の前で、冬真は炙り終えた干し魚を二つに裂いて「食えよ」と差し出してきた。

すると冬真が、ようやく本題を話し始めた。

「東洞院大路で、ふじわらあつもりどのの姫が消えたらしいぞ」

「またあやかしさらったか」

 東洞院はじようこう(※退位した帝)が暮らすせんとしよがあるためその名がついたが、襲っている妖は殺生石を持っていまいと襲うようだ。

 聞けば――その日、その姫は宴に招かれた帰りだったらしい。牛車の周りには牛飼い童数名に、護衛にと従う騎乗の随身がいたという。

 しかも姫は、こつぜんと牛車の中で消えた。さらに姫が、関白・ふじらよりふさめいだったという。

「お前に堂々と動き回られるたいめいぶんができた、というわけだ」

「なんか物言いが気になるが、近衛府に神隠しの件を調べろと命が下りた以上、俺はもう引けなくなったということだ。逃げられました。捕まえられませんでした――なぁんて言ってみろ。関白さまになにをいわれることやら……」

 渋面になる冬真に、晴明はふっと笑みをこぼす。

「その姫が消える前、なにか変わったことは起きなかったのか?」

「そういえば、みちに水溜まりがあったそうだ。前の日も当日も、雨など降っていないのにだ。晴明、これはひょっとして俺がみたやつと同じか?」

じゆつちゆうはつ、間違いないだろう」

 晴明はそう答えて、土器の酒を飲み干す。

「だが晴明、そいつはどうやって姫をさらって行ったんだ? 周りには牛飼い童や護衛の随身がいたんだぞ。牛車の中にいる姫を連れ去るなど不可能のはず」

 冬真の言っていることは、もっともである。

 四条家の姫・荷葉の場合は、外からであった。だが今回は、牛車の中で起きた。

 殺生石も欲しいが、人もいたい――随分と欲張りな妖である。


『感心している場合か。阿呆が』


 に触れてきた声に、晴明は軽く舌打ちをした。

 まさか、このてんしようが出てくるとは――。

 冬真が去ったていない――、晴明はゆっくりと視線を上げた。

 

☆☆☆


 へいあんおうの周囲には三つの山がある。東の吉田山よしだやま、西の双ヶ丘ならびがおか、北の船岡山ふなおかやまである。

 これら三つの山、吉田山と双ヶ丘と船岡山は神の山、しずめの三山として知られる。

 おうけんぞうの際、おうせいもんじようもんからだいだいせいもんざくもんまで、南北に貫く朱雀大路を作る際に北の基点となったのが船岡山である。

 そして、西の双ヶ丘と東の吉田山を結んだ線と朱雀大路が交わる場所に、だいごく殿でんが建てられたという。

 更に王都はじんそうおうの地である。北に玄武、東に青龍、南に朱雀、そして西に白虎。陰陽師必須の六壬式盤にも刻まれる十二天将のうち、この四神は東西南北の守護神でもあった。

 だが――、晴明にとって一番厄介なのは目の前にけんげんした青龍である。

 青い髪に青いそうぼう、冷え冷えとした気をまとったこの天将は、晴明をへいげいしたあと、ふんっと鼻を鳴らした。

 出て来たくなければ異界の地にいればいいものを、青龍の言葉は常にしんらつで、人の言うことなど聞きはしない。立場的には青龍たち天将は神、人間が彼らの性格をどうのとはいえないが、式神として下った以上、人の地では晴明が彼らの主である。

水路みちけがすモノがいる。我が元まで妖気を運んでくるゆえなにかとみれば――、お前はのんびりと酒か?」

 青龍にジロリとにらまれて、晴明はじゆうめんになる。

「別にのんびりしているわけではないんだが……?」

「我がりよういきまで侵入されたのだ。主ならば、責任をもって対処するのが道理」

 青龍には、人界へ下りる水路が幾つかあるという。そのうちの一つが穢された――文句を言う相手が明らかに違うが、青龍の目はれつだ。

「自分ではやらず、私に片付けろと?」

「人界のことに、我らは直接手出しはできぬ。わかったらさっさとやれ」

 言いたいことを言うだけ言って、青龍はいんぎようした。

(相変わらず、人の話を聞かんやつだな……)

 晴明はたいそうに髪をき上げて、立ち上がった。

 物忌み中だが、これ以上暴れる妖を放っておくことはできなかった。

 


 大内裏・陰陽寮――、殺生石本体は、晴明が以前見た時よりも妖気が濃くなっていた。

 欠けた箇所から、妖気があふはじめているようである。こんなモノが外に出れば、殺生石の妖気に導かれ、王都に潜む妖がそこら中から湧いて出る。

 さすがの賀茂忠行も、険しい顔をしていた。

「おそらく――」

 忠行があごひげでつつ、一拍いつぱく

 晴明には、彼がその先に何を言おうとしているのかわかった。

 妖は、この本体を奪いにここまでやって来ると。

しよう、やつがここに来る前に祓わねばなりません……!」

 晴明の言葉に、忠行がうなずく。

 妖をたおし、殺生石の割れ目を閉じなければならない。

「して、策があるのか? 晴明」

「ええ」

 妖の居場所がつかめぬのなら、あぶり出せばいい。

 晴明のかんが正しければ、妖は出てくる。

 青龍に尻を叩かれたからではないが、これ以上人を襲わせるわけにはいかない。

 陰陽寮を出た晴明は、冬真をさがした。

 この日は、左近衛府さこんえふおもに警備しているようめいもんにいるはずである。

 突然姿を見せた晴明に冬真はもちろん、ともにいた武官が飛び上がった。

 陰陽師がやって来るということは何か不吉な事が起きたと思ったらしいが、晴明が冬真に告げたのは意外なものだ。

 晴明のはかりかねてまゆを寄せる冬真だったが、とことんつきまとうと言ったのは彼だ。ならば利用させてもうまで。

 

☆☆☆


 まつりが終わるとそろそろながあめだが、この日のそらかいせいである。

 いつもは徒歩かちで通るみちの筈なのに、小さな物見窓ものみまどから見れば違った世界にいるようで、なんともごこがよくない。

 ――慣れぬことは、するものではないな。

 もつとも――、目の前にいる男のほうが居心地が悪そうな顔をしていた

「それで――? なんで、お前にここまでつきあわねばならん」

 藤原冬真は渋面である。

「たまには、ゆうに都を巡ってみるのもよかろう?」

「お前の口から〝優雅〟という言葉が出るとは思っていなかったぞ。なにか起きたかと駆けつけてみれば――、これか? 晴明」

 晴明と冬真は、牛車の中にいた。

 昨日――、大内裏にて冬真を見つけた晴明は、明日は牛車でうちに来てほしいと云った。

 さすが右大臣家の牛車となると、俥の格も違うものである。

 晴明は乗る機会は滅多にないが、冬真は牛車が嫌いらしい。今もしりが石になるだの、せまいところはきゆうくつだの、とにかくうるさい。

 晴明とて、慣れぬ牛車には乗りたくはなかったが、妖がどのようにして牛車の中の人物をねらうのか見ておきたかったのである。

 こういうときに、牛車を借りられる貴族がいるとありがたい。

「まさか、本当に牛車で都のさんさくをしたくなったわけじゃあるまい?」

 胡乱に眉を寄せた冬真に、晴明はふっと笑った。

「妖を炙り出すためさ」

 既にえさである殺生石の欠片は、晴明のふところの中にある。

「危険なことに、他人を巻き込むわけにはいかん」

 すると、冬真の目がわった。

「俺は危険に巻き込んでもいいのかよ……」

「そろそろ、くるぞ」

 懐の欠片が、かすかにしんどうした。

「……晴明、ちがいでなければ――」

「大丈夫だ。私にも見えている」

 牛車の中だというのに、水溜まりがある。

 だがこれでわかったのは、水溜まりは何処でも出現し、その中に人間を引きずりこむということだ。たとえそれが、へやの中だろうと、牛車の中だろうと。

 しかし、水溜まりの中からは何も出てこない。それどころか消えようとしてる。

 罠であることを感づかれのだろう。

「晴明!」

どくは許さん!」

 狩衣のあわせから呪札じゆふだを引き抜いた晴明は、牛車から降りた。

 地の中をうごめく気配があった。

「オン、サンマンダ、バザラダンカン」

 晴明は刀印とういんを結び、真言を唱える。

「くそっ、あのときのようには逃がさんぞ!!」

 冬真が持参した弓矢を構えるが、自在に動き回る妖に狙いが定まらないらしい。

結縛抗呪こうばくこうじゆ防邪封印ぼうじやふういん急急如律令きゆうきゆうによりつりよう!」

 晴明の放った呪符により、地中の妖は動きを止めた。

「冬真っ、今だ!」

「言われなくても」

 聞けば、冬真は弓の名手だという。帝の前でのおんまえじゆつろうでも、ひやつぱつひやくちゆうらしい。

 放った矢が当たったのか外れたのか、何しろ地中のため、判断しがたい。

「――逃げられたようだな」

 地に刺さった矢を引き抜くと、血がついていた。きゆうしよとらえることはできなかったが、冬真の矢は当たっている。

「やつは土竜もぐらの妖か、何かか?晴明」

 それはない――、あの青龍がわさわざ異界から降りてきて、晴明をかすくらいである。

 水に関する妖であることは確かなようだ。

 不意に、誰かの視線を感じた。

 振り向けば、一羽のからすが築地塀から飛び立とうとしていた。

 何処どこにでもいる普通の鴉だったが ――。

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