第三話 神隠し事件 勃発!

 青年は、月に照らされた道を駆けていた。

 期待に胸を含ませつつ、一人であししげるその地を駆けていた。


 ――もうすぐ、我が望みは叶う。これで私こそがみやこいちの能力者。


 駆けるたびにくつどろに汚れ、かりぎぬも跳ねた泥を浴びたが、青年はそんなことよりも、望みが叶うと思えば気にはならなかった。


 ――せつしようせきをとってくれば、お前は都一の術師となろう。


 ある日、おんみようりようぬりごめ(※土などを厚く塗り込んだ壁で囲まれた部屋)で一人、しよだなの整理をしていた彼に、何者がささやいた。

 けいかいすべきであったが、名声を得たいという欲望が勝った。

 周りは一面のよしわら、青白い月が冷え冷えと照らしている。最近までは狩り場であったが、人が消えると噂になり、人間で訪れるものはなくなった。

 青年も、その目的さえなければ訪れようなど思っていなかったが、彼は何としても望みは叶えたかった。たとえそれが、許されぬ行為であっても。

 高く伸びた葦に引っかかったのか、烏帽子が飛ばされた。たとえへやの中だろうと、烏帽子を被るのが成人男性のだしなみではあったが、彼は葦をかき分けて前へ進んだ。

 ズブリと足が地に沈む。

「聞こえてるか!? 我は約束は果たした! 今度はお前が約束を果たす番だ!!」

 青年の声に、水をたたえた箇所でブクブクとすいほうが湧き始めた。

『約束……?』

「そうだ。殺生石を奪えば私に力をくれるといったあの約束だ。力を得れば、師はあんな半妖の男などよりもこの私のほうが能力が高いと認める。さぁ、力を!」

なんじが持参したのはかけではないか?』

「そ、それは……」

 確かに彼は、殺生石を持ち出すことは出来なかった。張られている結界はことのほかがんじようで、欠片一つを持ってくるのが精一杯だった。

『所詮、汝はそれだけの存在』

 姿なきモノの声は、そう青年をわらった。

「ま、待ってくれ……っ」

 早くしなければアレが消えてしまう。罪を犯したこの身はどうなるのか。

 進むたびに足が更に沈み、抜けなくなった。

 そして青年は見た。手のようなモノが、延びてくるのを。

 それは青年のからだとらえ、そのまま水の中に引きずりこんでいく。


 ――あぁ……、私はなにを間違えたのか?


 彼が最期に見たのは、夜空を舞う一羽のからすであった。



 水面みなもを渡る風が、青年の長い髪を揺らした。

 目の前はすいれんが浮かぶ池である。貴族たちの所に比べればではないが、この池は彼の父が土器かわらけを手に、よく眺めていた池だった。

 そんな池に面したつり殿どので、息子の彼もまた一人、土器を口に運ぶ。

 いつの日か、父と酒をみたいと心に留める前にに行ってしまった父。

 まだ元服前の息子を残し、一人で行ってしまった父にぜんとするしかなく、といって薄情者と思う気持ちは沸かなかった。

 晴明は妖も嫌いだが人間も嫌いだ。おのれの都合しか考えず身勝手、欲深くそれでいておくびよう。晴明はこれまで、そうした人間にしか会っていなかった。

 晴明が初めて〝ソレ〟を見たのは、まだ父と暮らしていた時だった。いつもように同い年の子供にらかわれ、ちかけた廃寺はいでらで膝を抱えて歯を食いしばっていると、目の前に鬼がいた。

 鬼は幼い晴明の心を読んだのか、こっちへ来いという。そんな人間の世界にいる必要はない。我らのいる異界へ参ろう――と。

 血走った赤い目と、鋭いつめ、晴明は、これが妖なのかと怖くてたまらない。

 人間は自分には冷たいが、晴明もその人間の子。人の世界で生まれ、人として生きている。

 晴明が陰陽師になると決めたのは人のためではなく、己の住む世界を守るため。世を騒がすモノは、たとえ相手が人だろうとれいこくになる。

『年頃の男が一人酒って、なんかわびしいわね? 晴明』

 晴明が視線を上げると、ゆるく波打つ赤い髪を腰まで伸ばした女がそこにいた。

 素肌にしゆの肩当てと胴、とがった耳に金の耳飾り、腕には領巾ひれを絡ませて、からだすのらんかんもたれさせている。

「余計なお世話だ。嫌みをいうために出て来たわけではあるまい? たいいん

 じゆうてんしよう・太陰は髪を掻き上げつつ、朱色のそうぼうを晴明に向けてきた。

『殺生石の欠片を奪った奴、わかったわ』

「――陰陽寮の人間か……」

 晴明の言葉に、太陰は目を瞬かせた。

『なんだ、知っていたの? 晴明』

「陰陽師がごっそりいる場所に、堂々と忍び込めるのは外からはまず不可能だ。じゆぶつを外に持ち出そうとすれば、誰かしらに気づかれるからな。ならば、身内ということになる」

『とんだどろぼうね』

 太陰があきれる。

 陰陽寮にて賀茂忠行がかの一件を語ったとき、晴明は内部の犯行を真っ先に疑った。確信はない。ただの直感である。

「いくら賊が陰陽寮の人間だとしても、アレが何かは知らないだろう」

 ろんまゆを寄せた晴明に、太陰も眉を寄せる。

 呪物を盗むのなら、他にもあったはずである。えて殺生石を盗むに至ったその理由わけは、アレが必要な者にそそのかされたかだろう。

『裏に何者かがいる――ということ?』

「……だろうな」

 殺生石を奪って得するモノ――自然と犯人は、人ではない異界の存在となる。

『だったらのんびり酒なんか呑んでいないで、策をこうじなさいよ! あなたも、陰陽師なんだから』

 太陰の声はよく響く。晴明は渋面で彼女をにらむ。

「うるさい。そうきゃんきゃんとえられると考えがまとまらん」

『あ、そ』

 太陰は軽く息を吐いて、いんぎようした。

  


 だが事態は、新たな事件を招いていた。

 内裏・せいりよう殿でん――、賀茂忠行とさんだいした晴明は、みかどの前でたんした。

主上おかみ、民が行方不明になっているとのこと」

 へいふくしていた忠行が顔を上げ、口を開く。

蔵人くろうどの報せでは、九人も都から消えていると聞いた。賀茂よ、そなたはどう思うか?」

 帝の声には、微かな緊張の響きが混っていた。


 ――王都から人が消える。


 このことは、陰陽寮で殺生石の欠片が持ち出される三日前から、王都内で起きていた。

 或る者は在宅中に、また或る者は路を歩いていて、こつぜんと消えてしまうらしい。

 使が事に当たっているがさいは判明しなかったようだ。

 陰陽寮にいた晴明は、帝のお召しと聞いて一連の神隠しのことだなと思っていたが、当たったようだ。

「おそれながら――」

 晴明が口を開いたとき、御簾横にいた関白・ふじらよりふさが叫んだ。

「控えよ! 主上はそなたには尋ねておられぬ!!」

 それを帝が制し、

「構わぬ。晴明、申すが良い」

 と言った。

たびの件、あやかしが関わっていると思われます」

 都で多発する神隠し――、晴明は妖の仕業と思った。こんきよはないが、かんだ。

「なんと……」

 帝が息を呑む。

 すると、またも頼房が割って入る。

「主上、この者は事を荒立てようとしているのでございます。たしかなことをいい、じんしんの心をあおるような者のことなど信じてはなりませぬ」

 よくもまぁ嫌われたもんだと、晴明は他人事のように思った。

 しかし晴明は、己の勘を信じている。

「関白さま、晴明は我が弟子。晴明は決して人をたぶらかすような男ではござらん」

「頼房、ちんも賀茂のいうことは最もと思う。妖となればここは、晴明に任せたい」

 忠行と帝の言葉に頼房は悔しげに唇を噛むと、御簾奥に座す帝に向かいこうべを垂れた。

「……ぎよ


 清涼殿を後にした晴明は、陰陽寮に用があるという忠行と別れ、すのを進んだ。

 更に進むと、せい殿でんといわれるしん殿でんである。簀子の中央には庭に降りるきざはしがある。そんな正殿の庭には右にたちばな、左に桜が植えられ、右近の橘、左近の桜という。

 左近桜は花の時期を終えていたが、対に並ぶ右近の橘はこれからが盛りだろう。

 そんな晴明に、話しかけてきたにようぼうがいる。

 晴明は、その女房の顔を知っていた。

 以前、なな殿でんしや昭陽舎しようようしやじゆ騒ぎがあった。狙われたのは昭陽舎のにようで、晴明による呪詛返しにより事件はぜんに防がれた。

 晴明に話しかけてきたのは、その女御に仕える女房だった。

「また、問題でも起きましたか? 女房どの」

ようと――お呼び下さいませ。しつけながら、ご相談したきことがございます。じようまでおいで頂くことは可能でございましょうか?」

「――四条さまの姫であられたか……」

 四条家は藤原家に次ぐ名家だ。

 晴明は「きちじつを選び参りましょう」と言って、その場を離れた。

 

☆☆☆


「もう……こんなこくげんか」

 終業のしようが鳴り、大内裏の正門・朱雀門に立ったふじわらとうは、茜に染まりつつあるそらを見上げた。

 自邸がある左京までは徒歩かちでも行けるが、この日の冬真は馬上にあった。

 門前には迎えの牛車と、牛を引く牛飼い童が冬真を待っていた。

 冬真はどうも、この牛車が苦手である。へいたんな道ならいいが、小石が転がっている道を進もうものなら最悪である。車輪が乗り上げるたびにくるまは大きく縦に揺れ、中に乗っている人間はどこかしらに頭や尻を打ち付ける羽目になる。

「悪いが先に帰ってくれ。俺は都を一回りしてから帰る」

「冬真さま、近頃の都はなにかと物騒にございます」

 不安げに見上げる牛飼い童に、冬真は軽く笑った。

 王都で多発している神隠しを、冬真も知っていた。

「俺が神隠しに遭う――か?」

「い、いいえ……、そのようなことは……」

 慌てて否定する牛飼い童に、冬真は晴明に言われた『受難の相』を思いだし、唇を噛んだ。先日も霊符をやると云われたが、突っぱねたばかりだ。

「冬真さま……?」

「心配いらん。俺には、こいつがある」

 冬真が手にしたのは弓矢だ。

 づなを引いた冬真は馬首ばしゆを巡らすと、朱雀大路に向かった。

 その朱雀大路を東へ曲がると二条大路である。

 まだ日没前とあって、牛車がゆっくりとどこかへ向かっている。どこぞの貴公子が想い人の元に忍んで行く最中なのか、それとも単に帰路についているだけなのか、俥は一般的なはちようくるまである。

 だが、ながえに繋がれている牛が突然前足を上げた。

「な、なにごとか!?」

 御簾から主が顔を出すが、周りにいる牛飼い童は震えているだけだ。

 とにかく牛を制さなければならない。冬真は牛車に向けて馬を向けたが、ソレを見てがくぜんとした。

 牛車から数歩の所で水が湧いているのだ。この大路に水など湧かないのにだ。

 冬真は牛の口取り縄をつかむと、興奮する牛をなんとか落ち着かせ、それからソレをにらんだ。

 ――なにか出てくる。


 冬真の直感がそう彼自身に告げる。

『石ヲ……ヨコセ……』

(石……?)

『ヨコセ――!!』

 冬真の直感は的中した。水柱が上がり、何者かの腕が伸びてきた。

「くそっ! 化け物め!!」

 弓に矢をつがえたが、冬真の放つ矢は防がれてしまう。

 そんな時だった。


「――だから、気をつけろと言ったのだ」

 


「晴明……どうして……」

 晴明が駆けつけると二条大路のつじで、藤原冬真が妖とかくとうをしていた。

「門を出ると妖気を察したのだ。まさか、貴殿がいるとは思わなかった。私の占い、当たったようだな」

 晴明が冬真に云った、受難の相――。

 晴明の言葉に、冬真がろたえる。

「う、うるさい。これは偶然だっ」

「それを何というか知っているか? 負け惜しみ――というのだ」

 晴明にそう言われた冬真の目が半眼になった。

「お前……、性格が悪いと言われたことはないか?」

「来るぞ!」

 晴明はそくに、りんせんたいせいに入った。いんを結ぶとしゆを唱える。

「ノウマクサンマンダバサラダン、センダンマカロシャダソハタヤ、ウンタラタカンマン」

 晴明の真言に、水柱は元に戻ろうとしていた。逃げるつもりなのだ。

「オン、アリキャマリボリソワカ!」

 晴明がふところから引き抜いたじゆが宙を舞い、刃と変じて水柱に突き刺さった。――が、それは『ギャッ』と声を上げるも地に沈み、呪符がゆっくりとただの地面となった場所に落ちた。

「逃がしたか……」

 あごに流れた汗をぬぐって一息、背後から冬真が怒鳴ってくる。

「安倍晴明、説明しろ! 今のは何なのだ!?」

「そんなことより、襲われたほうを心配しろ」

「そんなことって……お前なぁ……」

 再び半眼になる冬真の横をすり抜け、晴明は牛車の御簾に手をかけた。

「失礼する!」

 中では貴族の男と姫が気を失って倒れていた。その姫は――。

ようどの――!?」

 晴明に相談があると言ってきたあの、四条家の姫だった。 

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