第9話 わたしは、よわい


 月渡つきわたしの儀は、年にいちど、もっとも大きな満月の夜に行われる。


 今夜がそれにあたる。おおきな祭りではない。あくまでヨギリの家中行事であり、ただ、この屋敷の所在は山あいであったことから娯楽が乏しく、そのために屋敷住まいのものたちは、みなその日を暦にかきいれ、楽しみに待つのだ。


 夜には酒と馳走が振る舞われ、選抜されたものたちの舞う行列が屋敷のまわりをまわる。敷物もだされ、晴れたのであれば、月明かりの下で地域の住人たちと、屋敷のものが、ならんで紋入りの提灯をふって、うたうことになる。


 今日は、朝から快晴だった。一部は昼過ぎから祭りの準備に駆り出され、提灯のための木杭をたてる槌音があちこちからきこえた。仲と裏の厨房はずっと戦場のようなさわぎで、よい匂いが屋敷中にたちのぼり、慌てものたちは、しごとが手につかずに叱られている。


 キョウ、鬼鏡ききょう姫は頬杖をつき、透明度のひくい曇った窓から、にぎわう庭を、ずっと眺めていた。


 発熱は、あの裏庭でのできごとの翌日にはおさまっていた。が、奥からもおとなしくしていよとの指示があり、またあのことはやはり心に残るから、この二日は部屋で過ごしていたのだ。とくに今夜、月渡しの夜は部屋から出るな、との強い達しだった。


 今日、リューリュとサヨの戻りは遅かった。祭りで呑んだくれた宿酔いたちが夜半から熱い風呂につかる。そうでないと翌朝のしごとに触るからだ。そのため、ふろたきたちにとっても祭りの準備は大儀なのだった。


 とうに陽はおちている。月はかおを出したばかりだが、明るく、紅い。


 「ああ、疲れた……ねえ、キョウは月渡しで踊ったことはあるの?」


 ようやく戻ったふたりの荷物を受け取り、脱いだものを畳むキョウに、サヨが自分の肩をもみながら話しかけた。


 「えっ……あ、わたしは、ないんです」


 キョウの答えはもっともであり、彼女、鬼鏡姫は、例年、庭の縁の段上で、当主ヨギリの横に座らされ、催しをみおろす立場だったのだ。


 衆前ではつねに被りものを目深におろし、顔を隠していたから、奥のものたち以外は、姫のかおを知らない。サヨももちろん、キョウは、高位ではあれど、ふつうの鬼族きぞくのむすめだと思っている。


 「そっかあ。器用だし、踊りも上手そうなのにね。わたしとリューリュはね、去年、釜炊き処の代表で駆り出されたんだよ。ふろたきのなかでは若いから、って。ねえ、リューリュ」


 壁をむいて着物を畳んでいるリューリュは、話しかけられたことに気がつかない。手はうごかしながら、ぼうっと、手元の床をみている。


 「リューリュ……ちょっと、リューリュ。もう。またぼっとしてる」


 「……え、あっごめん、なんだっけ」


 あわてて振り向くリューリュに、サヨはあきれた顔をつくった。


 「このあいだからずうっとぼっとしてる。キョウだって具合もどったんだし、そんなに落ち込んでてもしかたないじゃない」


 「……うん、ごめん」


 サヨは、あの日急に出ていって、戻ったかとおもえばずっと目を腫らして塞ぎ込んでいるリューリュを、なにか諍いに巻き込まれたキョウを心配しているのだ、と理解していた。


 そんなリューリュに、キョウも案ずるように目をむける。が、リューリュはまっすぐ見返せない。みれば、言葉が浮かんでしまう。


 いみの鬼、封じられた厄災、鬼鏡姫。


 信じていない。信じないよう、努めている。紅い髪の、優しい瞳をした、体温をじかに感じた、だいじなともだち。白の巫女の伝記も、フウザのことばも、つまらない言い伝えだ。くだらない作り話だ。そう、思おうとしていた。


 フウザはさいご、リューリュが彼の腕を振り切って書庫から走りでるとき、背にことばを投げた。


 満月の夜、月渡しの夜、絶対に姫から離れるな。君はおそらく、鍵なんだ。俺たちが、姫を封じる。忌の鬼の復活を必ず阻止する。だから、ちからを貸してくれ。


 それから二日、キョウの看病もしごとも、なかば放心して務めた。いつも以上に失敗をして叱られたが、ふだんのように愛嬌をもって返せない。昼には、火口ほぐちをはなれ、木立に走って、泣いてしまった。


 自分が賢いとは思っていない。それでも、考えるのをやめることを、自分に許してこなかった。だがその誓いもいま、無効なのである。


 封印? 災厄? だれが、だれを、封じる?


 しらない、ぜんぶ。しらない。いやだ。絶対に、いやだ。


 「……そう、そう、上手! やっぱり、すじがいいね」


 声がする。振り向くと、サヨがキョウのうでをとり、踊りをおしえていた。


 「そう、はい、まわる。下から手をあげて、はい、手拍子。しゃんしゃんと、すすんで、見上げて、そう」


 キョウは、幼くすらみえるちいさな唇を引き結んで、サヨといっしょに、部屋の中で、あしをはこび、手のひらをふり、あまり上手ではないおどりを、おどっている。ときどき、嬉しそうに、わらう。


 わらって、リューリュをみる。


 耐えることができなかった。よわい、と思った。おおきい涙を見られるまえに、リューリュは立って、甲でかおを拭い、部屋からでようとした。


 「……おや、出るのかな」


 戸口のまえで、おおきな影にゆきあたった。相手の胸に鼻をぶつけ、よろめく。


 「とうとつに、すまない。先触れするほどのことでもないと思ってな」


 見上げたリューリュに、ジゼクが、しずかな微笑をむけた。


 「しごとか。今日はもう、終わりかとおもっていた」


 部屋じたいがそう高い天井でもないから、おとこと並ぶほど背の高いジゼクがたてば、戸口をふさぐように見える。銀のながい髪をながして、まつりだからだろう、うっすらと化粧けわいをのせた奥仕えの長は、三人をみおろしていた。


 その背の向こうに、シュンゴウの姿がある。ずっと部屋の前でたっていたのだ。突然ひとり現れたジゼクに、戸惑っている。


 「……ジゼク、さま……」


 面食らったリューリュの声に、キョウもこちらを見る。


 「あれ、ジゼク……どうしたの」


 ジゼクは頭を下げ、礼をつくって、部屋をみまわした。


 「思ったより……いや、失礼。過ごしやすそうな部屋だ。おじょうさま、ようございましたな」


 捉えようによっては失礼にきこえることばに、サヨは眉をひそめて様子をみていた。が、やがてジゼクという人名に思い当たり、化け物に遭遇であったような顔をして、額を床にうちつけた。リューリュも並んで、伏す。


 「やめてくれ。ここは君たちの家だ。礼を失しているのはわたしなのだ……君が、サヨか。釜炊きの長からきいている。おじょうさまが、たいへん世話になっている」


 同じ目線をつくるように、膝をついて頭をさげるジゼク。サヨは見ていないが、みれば、卒倒しただろう。リューリュは、顔をおこしていた。


 「どうしたの。なにか、あったの」


 キョウが重ねて問うと、ジゼクはわらった。


 「いえ、なにも。しばらく警戒しておりましたが、あまりいんに塞いでおられても障るでしょう。せっかくの月渡しの儀、きょうは特によく晴れて、きれいな満月です。二階に、席を設けました。ごいっしょにいかがかと」


 「……部屋をでても、いいの……?」


 「わたしと奥のものたちがつきます。ご案じめさるな。それに」


 そういい、リューリュたちのほうを見る。


 「頼りになるお仲間も」



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