第10話 欠けてゆく、月


 ジゼクの誘いをうけて、キョウ……鬼鏡ききょう姫も、リューリュも、いそいで身支度を整えた。


 リューリュは、まつりに浮かれるきもちにはなれない。が、外に出られるということで嬉しそうにするキョウをみていると、凍えたこころが少し、溶ける気がした。


 サヨはついてこないという。無理もない。キョウの存在でようやく鬼族が身近にいることに慣れたとはいえ、高位鬼族とふろたきでは、ほんらい接触さえ考えづらい身分差なのである。まして、奥使えの長、ジゼクだ。畏敬もあろうが、ありていにいえば、気づまりなのだ。


 「ごめんね。夜番がおわる刻限までにはもどるからね。先、寝てて」


 戸口で、リューリュはサヨに振りかえる。が、驚いて動きをとめた。


 どうしたことか、サヨの頬に、ちいさな雫がおちている。見送りに振ろうとした手が中空で停止している。リューリュの目の奥に、なにかを見つけたような表情。


 「……サヨ……?」


 「……えっ? あれ、あれれ、なんだこりゃ」


 いわれた方もおどろき、慌てて裾でこする。


 「リューリュの泣き虫がうつっちゃったかな。ごめんごめん。ゆっくり楽しんでおいで。あしたの支度はしておくから」


 「……うん、ありがとう。じゃあ、あとでね」


 「うん、あとで」


 サヨのことは気になったが、すでに歩き出しているジゼクたちの背を追う。振りかえり、サヨをみる。頷いて、わらっていた。


 ジゼクを先頭に、四人は中央の階段へむかった。まつりの夜だから、屋敷のうちはどこもごった返している。が、だれにもゆき当たらない。みな、避けるからだ。


 先頭をゆくジゼクの白銀の長髪が目に入るや、誰しも廊下の左右に畏まる。鬼鏡姫は白い頭巾をかむっているが、高位の鬼であろうことは誰にでも想像がついたから、やはり平伏の対象である。さむらいとふろたきは、見たことがない景色をみながら、ついてゆく。


 二階へあがる階段はいくつかあるが、ちょうどジゼクの居室の裏にあたるところが利用されることが多い。いま、四人が上がってゆくのもそこである。


 屋敷の一階の上には、おおきな納戸が設けられているから、二階といっても実質は三階以上の高さになる。ジゼクたちはわずかに差す月の明かりを頼りに、相当の段数を踏んで、その二階に現れた。


 上がりきると小部屋があり、その奥に、数百人が座ることができる板張りの大広間がある。この階の用途はほとんど、この大広間をもちいた催しなり集会であって、ふだんは出入りがない。


 シュンゴウが先に立ち、小部屋の板戸をひく。冷たい空気が流れ出てくる。ジゼクと鬼鏡姫が先にはいり、シュンゴウとリューリュがつづく。


 「……ああ……」


 後ろから顔をだしたリューリュは、おもわず息を呑んだ。


 巨大な、月。


 凄まじい紅にそまって、満月が、かれらの影を刻み出していた。


 絵画とみえた。正面、大広間の向こう側の壁がぜんたいに取り払われ、おおきな窓となっている。そこに、月が、深い夜を背景に、浮いているのだ。


 ひんやりと柔らかい空気が足元をながれ、磨かれた床に反射した月あかりが薄暗い広間のなかに拡散されている。リューリュは、しずかでひろい湖面に立っているような錯覚をおぼえていた。


 同時に、痛みとともに胸にせまる、呪いのことば。


 とおと七つのその年に、赤紅のつきがかけるだろう、かけたひかりをひろうのは、ただ満月の望みだけ。


 「……きれい……」


 横にたつ鬼鏡姫が、ちいさくつぶやいた。


 「露台ろだいに、かんたんな宴の支度をさせてあります」


 なかば惚けたようにそらを見上げている鬼鏡姫の背中に、ジゼクが手をまわす。促して広間をよこぎる。リューリュたちもついてゆく。開口部に近づくにつれ、大庭でまつりをたのしむものたちの声が聞こえてくる。


 露台は、屋敷の正面の庭、大庭にむいて設えられている。広くはないが、例えばふろたきたちの居室よりはよほど余裕がある。いくさの陣ぶれのとき、あるいは訓示をおこなうとき、当主はここに立ち、庭に居並ぶ家人たちに、声をあげる。


 ジゼクにつづき、おんな二人が夜空の下にでる。まつりの音曲、愉しむ家人たちの声がかしましい。


 月のあかりは、痛いほどだった。


 シュンゴウは露台に出てこない。長刀の柄に手をかけ、周囲を警戒している。ひとけがないためだ。奥の警護がいくにんか付いていると予想していたが、みえない。


 「……伏せてある。案ずるな」


 気配を察したか、振り向きもせずにジゼクがそういうと、シュンゴウは渋々というふうに、リューリュの横についた。


 鬼鏡姫は、ひかれるように、露台の手すりまで近寄る。首をだせば、背丈の十倍ほど下にひろがる庭で、おもいおもいに歌いおどる男女の姿がみえるのである。提灯がゆれ、華やかなひかりが季節の花々を宵に映しだしている。


 月をみあげ、庭をみおろし、鬼の姫はこどものような表情を浮かべている。


 「君たちは、座りなさい。かんたんだが酒肴もある……酒は、やらないか」


 ジゼクが足元の床几を示す。ヨギリの象徴である蒼に彩られた、上質の毛氈。リューリュもシュンゴウも遠慮したが、ジゼクが背を押すように座らせた。卓のうえに、乾物のさかなと、飲み物がいくつか置いてある。


 ジゼクもその横に腰を下ろし、ふっと眉をゆるめて、ひとつ嘆息した。


 「ここ数日は、たがいに大義だったな」


 「……は」


 シュンゴウが短くこたえると、ジゼクは手近の小甕と杯をとり、かれに勧めた。


 「あまい祝酒だ。酔わない」


 シュンゴウは頭をさげ、受けた。ジゼクがことばを被せる。


 「君はリューリュと、幼馴染といっていたな。リューリュは、どんな子だった。家は、近かったのか」


 唐突な質問に、シュンゴウは迷った目をリューリュに向け、しばし考えた。その様子を、ジゼクはしずかに見つめている。


 「……リューリュは、いつも本を、読んでいた……気がします。家は、近かった、と思います」


 「ふふ。思います、というのはなんだ。覚えていないのか。幼馴染だろう。いっしょに遊ばなかったのか」


 「……あ、いえ、あそび、ました」


 「どんな遊びをしたのだ。勉強は、いっしょにしたのか」


 「……」


 シュンゴウは、応えられない。頭のなかのなにかを探すように目をすがめ、眉を寄せている。


 ジゼクはシュンゴウから目をはなし、みずからも盃をとった。こちらは別の容器から、酒をつぐ。リューリュが咄嗟に手を伸ばしたが、小さく手をあげて断った。


 「あのうたも、文字の読み方も、祖母ぎみから教わったときいた。すごい方だ。学者も知りえぬ知識を、ちいさなリューリュに説いたと。君は、祖母ぎみにお会いしたことはあるのか」


 「はい、いくどか」


 「どんな方だった」


 リューリュが助け舟をだそうとしたが、ジゼクは目で制した。


 「……あの……あまり、覚えてはいないのです。優しいお方だったと」


 「……そうか。リューリュも、うたと言葉のことは、どう習ったのか定かでないと言っていたな」


 「は、はい」


 意図が汲みかねたが、叱責を受けるものと考えたリューリュが身を固くすると、ジゼクはふっと微笑して、盃を呑みくだした。


 「……うん、いや、おかしなことを訊いて済まなんだ。得心した。むかしのことだ。覚えておらぬよな」


 シュンゴウとリューリュは目を見合わせたが、頷くしかない。


 ジゼクはしばらく黙して、ひとり盃をつくり、干していた。月をみている。長い白銀の髪が、満月の紅にいろどられ、艶やかに輝いている。


 「……頃合い、だな」


 やがて、奥仕えの長は、ちいさく呟いて、席をたった。


 シュンゴウとリューリュも立ち上がったが、ジゼクは頷いた。座っていよ、との指示である。ジゼクは、ゆっくりと歩き、露台の端、手すりに肘をついて顎をのせ、楽しげに宴を眺める鬼鏡姫の横にたった。


 「……姫。さいわいで、ございましたな」


 鬼鏡姫は顔を振り向けた。ジゼクはそちらをみていない。薄いわらいを口元に置いて、そらを見ている。


 「今宵、佳き友に、恵まれました。望みは叶うでしょう」


 友、ということばに、鬼鏡姫は笑顔を浮かべようとした。


 が、できない。


 シュンゴウが瞬時に地を蹴る。


 リューリュの悲鳴は、掠れた音にしかならなかった。


 露台の手すりは崩壊し、鬼の姫のからだは、宙にある。


 



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