第8話 忌の鬼、白の巫女


 何十代か、むかし。鬼とひとが争っていた時代。


 鬼も、ひとも、国のさかいをもたず、あらゆる土地でいくさが行われ、山も野も、村々も、焼けた。屍が埋めた。


 鬼のちからはいまより強く、ひとの智慧はいまより鋭かった。平野の会戦では数と武器に優るにんげんが勝ち、山地では五感と膂力にすぐれる鬼が圧倒した。


 地上の覇権をかけた諍いは、いずれも決定的な優位を得ることができないまま、たがいを喰い合い、膠着した。勝利条件は相手の滅亡であり、そのゆえにいくさの終焉は期待し得なかった。


 ながい、ながいいくさだった。


 戦時と平常の区分がだれにもわからなくなったころ、鬼とひとの交流が、ひそやかに行われた。互いの産品の交換もある。文化の行き来もある。ことばも、習俗も、たがいにつたえられた。


 そのなかで、触れあった、おとことおんなもいた。


 おとこはひとの子であり、おんなは、鬼の姫であった。


 おとこは戦士だったが、鬼のことばができた。その由来はわからない。かれの軍はそのことを重宝し、調停なり交渉のつかいとして、しばしば鬼の屋敷に、かれを派遣した。


 難しい話のあとには、姫が茶をだした。おとこが庭の縁でやすむあいだに話の相手をし、互いの郷の情報を交わす。そうしているうち、ふたりの視線の意味は、ゆっくりと、かわっていったのである。


 ふたりは、逃げた。追われた。おわれながら、鬼とひとの子を、ふたりだけで、山間のちいさな集落で、もうけて、育てた。


 子は、二人だった。どちらも女児だった。ひとりの髪は紅く、ひとりは、純白であった。共通していることは、異常とまでおもえたほどの、つよい鬼のちから。


 幼児のころから、親がとくに気をつけなければ、あたり一面を灼きつくすことも、山を崩すことも、あったのである。鬼とひとの混血がうんだ、奇跡とも、呪いともおもわれた。


 それでも、親子は、しあわせな時間を少しの間、許された。しばしば遊んだ野に咲いた、雪のように可憐な花に、家族は戯れに、雪灯花せっとうか、と名をつけ、愛した。


 終わりは、唐突におとずれた。家がはなった追っ手は、何年もの末にかれらの居どころを突き止めた。そのときに、母がしんだ。子を奪われまいとした鬼のおんなに、暴力の加減をすることができなかったのである。


 父は、白の娘を抱き、奔った。紅い娘は、鬼のむらへ、もどった。


 ずっと時間がたち、いくさが、ふいに終わる。紅い髪の鬼が、おわらせた。


 紅い娘は、そのちからの故に、兵器として育てられた。長じて、にんげんを、たいらげた。目に映ったにんげんを、すべて、ころした。戦果は目覚ましく、鬼は地を統べた。


 が、やがてそのちからは、鬼自身にむく。にんげんは滅亡に瀕したが、鬼もおなじ道をたどろうとしていた。地は、ひとりの鬼の手によって、冥獄と化していた。


 その鬼は、いみの鬼、忌兇ききょうとよばれた。


 自らの過ちを悟った、とある鬼の一族が、山のあいだでくらし、鬼をひしぐちからをもつという、巫女を頼った。純白のながい髪をながした巫女は、おとがった鬼のつかいの前で、長い、ながいあいだ考え、やがて頷いたという。


 いくさは、ふたりの異能者のものとなった。ひとも、鬼も、その激しい、地平を灼く戦闘の行く末を見守るほかなかった。


 やがて、白の巫女のちからが、忌の鬼のむねを貫く。忌の鬼は、まぎわに、目の前の怨敵が、わかれたきょうだいであることを悟った。なみだは、互いに、湛えていない。ただ、目で、別れをつげて、そうして、おわった。


 紅い娘を兵器にかえた家のあるじは、軍勢にかけられた火を消すこともなく、燃え盛る炎のなかで、呪いをかけた。


 かならず、忌の鬼を、怨敵、巫女を呼んだ家に、蘇らせる。なんだいかあと、蘇り、また、地を、世を、地獄に堕とす。そうして鬼の世を、兇たる鬼の世を、招来する。


 その呪いが有効であり、かつ強力であることは、白の巫女にはわかっていた。とおい未来に再現する、いもうとのちからを、いま有効に阻止することはできない。


 やがてくる災厄を封じるちからを、二つのうたにこめて、世にのこした。


 ひとつは、目覚める前に滅するために。もうひとつは、目覚めたものを、ふたたび封印するために。彼女のつよい念は、どれだけの月日がたとうと、生まれいでた厄災の化身を、縛る。


 ただ、縛りを解く方法を、ほかのうたに残した。理由は、白の巫女じしんにも、わからない。雪灯花の記憶が、ふるく柔らかなおもいでが、彼女に、そのわらべうたを作らせた。


 巫女は、にえとよばれるものを用意した。彼女の意思を継ぐ者たち。忌の鬼がよみがえることがあれば、おのれの身を投じて封じよとつたえ、うたを託し、ちからの一部をあたえ、消えた。


 それ以後、白の巫女のすがたをみたものはいない。


 いくさは、おわった。わずかに残ったにんげんは鬼に隷属することとなったが、鬼たちも、もういちど世をやり直すことを望んだ。両者は協力を誓い、共存を試み、ちからを尽くして、世をつないだ。


 ものがたりは、そこまでである。


 「後半は、神代の文字だ」


 とうとつに、リューリュの横で声がした。


 「我々にも読み取れない。君が、特別な文字を読むことができるとはきいていた。だが、神代の封じられた文字までとはな」


 フウザは、すこし前に書庫にはいってきて、ものもいわず、リューリュの横に腰をかけていた。彼女も、なにもいわず、そのまま読み進めた。リューリュが頁をめくるたびに、彼の目がその手を追い、ときおり、伺うように目をみた。


 「……ほんとうに、あったことですか」


 リューリュの目は濡れているが、くらがりのなかで、フウザにはそれがわからない。が、その声もちいさく震えていたから、こたえるまでにわずかな躊躇いがあった。


 「我々のあいだでは、ほとんど史実だとつたわっている。荒唐無稽だが、その内容を前提に、俺も、家族も、先祖も、ながいあいだ、修練してきた。口伝をまもってきた」


 「……あなたは、贄、なのですね」


 返事はなかったが、応えは十分に伝わった。


 「あなたたちが封じようとしているのは……だれ、ですか」


 フウザは捩るように身動きしたが、リューリュがのぞむ答えを用意できないことへの、躊躇いである。


 応えず、別のことをいう。


 「……とおと七つのその年に、赤紅しゃっくの月が欠けるだろう、欠けたひかりを拾うのは、ただ満月の望みだけ……これが、ふたつめの、うただ」


 「……」


 「ひとつめは、知っているな。とおと七つのその夜に、鬼のむすめは堕ちるだろう、月あかりふるその夜に、ただ雪灯花のつぼみだけ。目覚めが近くなったときに、滅するための呪言。そしてふたつめは、目覚めてしまった災厄を、ふたたび封じるための条件。そう、伝えられている」


 フウザはひといきに言い、リューリュを見た。


 「俺は、君を巻き込まないために、余計なことに手を出すなと警告した。だが、君は、おそらく、呪いの一部だ。理屈はわからない。君が、ふるい時代のなにに関係しているのかも、わからない。しかし、さだめなのだろう」


「……」


 「わらべうたを、文字とうたを、誰から習った」


 「……よく、わからないのです」


 それは、彼女にとって真実であった。リューリュには、おさないころの記憶が薄い。ぼんやりとした祖母の顔、あたたかい家庭の印象しかない。すべてはそのころ教わった、と考えるように、あえて、している。


 「……君のわらべうたが、古代の災厄の封印を、解いてしまった。我々が阻止するいとまもなかった。そしていま、その書を、白の巫女の伝記を、読み解いた。君は、もう、このことに向き合うほかない……どうだ」


 フウザはリューリュの肩を、つよく、掴んだ。


 「災厄をふたたび封じる方法。欠けたひかり、満月ののぞみとは、なんだ。君にならわかるはずだ。次の赤紅の月……預言の月は、三日後。時間がない」


 リューリュは、フウザが次にいうことばを、知っている。知っていて、くびを振って、拒んだ。もがくが、フウザは離さない。


 「おしえてくれ。忌の鬼が災厄のちからに目覚める条件を。呪われた鬼、鬼鏡ききょう姫を、永遠に封じる方法を」



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