第5話 書庫の、くらがり


 屋敷の書庫は、貴重な書籍ももちろん格納されているが、防火の意味から、裏にちかい場所に配置されている。水場にちかく、多数の手ですぐに運び出せるようにという配慮だ。


 だからリューリュもその扉のまえは頻繁に行き来している。が、立ち入ったことはなかった。つねに施錠されている。用事があるときだけ、横の書司房に声をかけて開けてもらうしくみなのだ。


 「……おじゃま、します……」


 ぎいい、という音とともに、重い扉を引きあける。黴臭い、しかし懐かしいような匂いがリューリュをつつむ。ふるい紙と墨の匂い。薄暗い室内。目が慣れてくると、たかい天井まで木棚がならび、そのすべてが、書籍で埋められているのがみてとれた。


 さきほど、書司房には立ち寄ったが、すでに中で書司が働いているから鍵は開いている、話もきいているから、自由に入ってよい、と言われたのだ。


 今日、こんなに急いでくることもなかったが、リューリュの踊るこころが、いうことをきかなかった。


 午後からやすみで部屋にもどってきたサヨに、ゆえあって鬼の娘をあずかることになった、と簡単に説明し、鬼鏡ききょう姫……キョウ、と呼ぶことにしたその娘を紹介したが、もちろん、怒られた。


 が、不得要領な説明しかできないリューリュに、けっきょくサヨは、困った顔をつくりながら、頷くことしかできなかったのである。


 先日の夜、さむらいが飛び込んできたときから、妹ともおもうリューリュのまわりに、なにかが起こっている。それはサヨにもわかっており、いえない事情があることも、屋敷の奥に関係することがらであることも、理解していた。


 ただただ、リューリュの身になにもなければいいのだが、とサヨは、親身に心配していたのである。


 そしてリューリュは、そんな心根のやさしいサヨに、ちょっとこの子見てて! とキョウを押し付けて、部屋をでてきてしまった。後ろからなにやら怒鳴られたが、きこえないこととして、はしった。


 書庫。ゆめのくに。


 すぐに手を伸ばさなければ、ほんとうに夢として消えてしまうとおもっていた。ここ数日のできごと自体がすでに夢のようなのだ。いま部屋にいる姫さまも、あのできごとも、そして書庫も、急がなければ消えてしまう、と考えていた。


 おそるおそる、踏み入れる。


 手にとってよいものか迷いながら、近くの一冊に手を伸ばす。鬼族きぞくの手による、この地方の紀行文のようなものだった。厚いものではなく、文字もおおきく、薄いあかりの下でもじゅうぶんに読み取れた。


 わずかな時間で読み切り、棚に戻す。次に手を伸ばす。鬼族が主人公の、軽い読み物。すぐに終わり、次、そして、次。繰り返しているうちに、その棚のうえのものは、すべて読んでしまった。


 書庫の奥へ踏み入れようとしたとき、ふいに横に、影がたった。


 「ひゃっ」


 思わず、声をだす。相手も驚いているようだった。


 「おっ、すまない……ああ、きみが、リューリュか」


 黒い書司の頭巾を被った、ひとのよさそうな初老のおとこが、両手に本を抱えてたっていた。前がみえず、リューリュに行き当たったらしい。


 「は、はい、ふろたきの、リューリュと申します」


 「昨日のうちに奥のほうから連絡があったよ。裏づとめのリューリュという子が出入りするから、便宜をはかってやってくれと。きみは、本が読めるんだなあ。ひと族で書庫にはいるのは、珍しいよ」


 そういう相手は、鬼族のようだった。暗くてわかりづらいが、やや紅をおびた瞳をしているとみえた。鬼族は、くらがりでも目がきくという。書司には向いているのだろう。


 「わたしはもう行かなきゃいけないが、なにか用事があったら、もうひとり片付けものをしてる書司がいるから、そいつにきいてくれ」


 といって、奥のくらがりに声をかける。


 「おい、フウザ。リューリュという子がきたぞ。あとで案内してやってくれ」


 ごそごそと音がするが、返事がない。書司は肩をすくめて、表情で挨拶をしてから出ていった。扉がしまると、書庫のなかはふたたび、埃っぽい静寂にみたされた。


 リューリュは探検を再開した。表紙をみる余裕ができたし、小さな明かり取りにちかい棚もあったから、こんどは題名をちゃんと選ぼうと、棚のあいだを散策するように、歩いた。


 農業や工業、政治にかんする本も多い。それらは、天文字てんのもじ、つまり鬼族のことばで書かれている場合もあるが、地文字ちのもじ、にんげんのことばが多かった。鬼のことばは、感情や理念を表現することに向いていて、にんげんのことばは知識や技術を伝承するのに向く、という特質があった。だから、こうした細かい知識を解説する書籍は、地文字で記されていることが多い。


 そのなかには、歴史書もあった。


 ある棚はすべてが、歴史書、つまりこの世界、この地方、そしてヨギリの家のなりたちを書き記した書籍で埋められていた。


 リューリュは、物語が好きだったが、ふるいことがら、昔の話を聞いたり読んだりすることもとても好きだった。まして、ここ数日、いにしえの伝承が彼女にいろいろなできごとをもたらしたのである。自然と、その棚に手が伸びた。


 と、軽いめまいに襲われる。ちょうど、ある本の表紙に目を落としたときだった。改めて手に取る。


 歴史書としてはめずらしい、天文字、鬼のことばで、鬼の立場から書かれたとみられるその本の題名は、しろのみこ、であった。


 しろの……白の、巫女?


 ふたたび、めまい。


 刹那、なにかの情景がみえたような気がした。苦しいような、喉がかわくような、不思議なおもいが浮かんでくる。が、まばたきをなんどか繰り返すと快復したので、そのまま、表紙をめくった。


 文字を追う。いにしえに生きたという、特別なちからを持つ女性の話だった。歴史書の棚にあるのだから、史実なのだろうと思う。が、そのような名前でよばれた人物をきいたことがなかったし、本のはじめは、すこし荒唐無稽な冒険譚だったから、あまり深くは読み込まなかった。


 しばらく読んでいるうちに、棚のむこう、書籍のかげに、ひとが立っているのに気がついた。足音を忍ばせてきたのだろうか、手をのばせば届く距離にいるのに、気が付かなかった。


 リューリュはすこし驚き、怯えたが、さきほどの書司がおしえてくれた、フウザというもうひとりの書司なのだろうと判断した。


 本を置き、あいての顔を確認しないまま、辞儀をする。


 「リューリュと申します。奥のおゆるしで、書庫に立ち入っております。お邪魔でしたら、申し訳ございません」


 人影がすこし前に出たので、明かり取りからの光をうける位置にたつことになった。黒の書司頭巾をかぶっているが、若い。瞳の色ははっきりとみえないが、顔つきから、鬼族ではないとリューリュは考えた。


 「……その本を選んだのだな」


 フウザは詫びにはこたえず、小さな声でつぶやいた。昏い場所にいるからということではなく、なにかの影を抱えているような声、そして表情だと、リューリュは感じた。フウザは、彼女の手元の本、しろのみこ、に目を落としている。


 「あっ、はい、歴史のことに、興味がございまして……」


 「余計なことはしらないほうがいい」


 フウザは声に苛立ちを含ませた。が、後悔したらしく、ふん、と鼻を鳴らして、踵をかえした。それでも立ち去り際に、もういちど、リューリュには陰惨ともとれる声色をつくった。


 「余計なことに、手を出すな。わかったか」


 言い捨てて、憎々しげな視線をリューリュにのこし、くらがりの中に消えていった。扉が開き、閉じる音。ふたたびの静寂。


 リューリュはしばらく、その場に呆然と立ちすくんでいた。


 

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