第6話 洗濯日和の、おひるどき


 鬼鏡ききょう姫、キョウを部屋にむかえてから、なか二日が過ぎていた。


 快晴である。昨日おとといと、雨になったので、まずはたまった洗い物を片付けなければならない。リューリュは昼まで火口ほぐちの担当をはずれて、ひたすら、洗い桶に向き合うこととなっていた。


 晴れ間をまっていたのは武者房もおなじだったようで、裏庭のとなり、教練をするための広場では、いく人かのおとこが威勢のよい声をあげながら、長刀や槍をふるっている。


 シュンゴウの姿もみえるが、彼は鬼の娘の警護役だということでふれが回っており、広場とこちらの中間で所在なげにあぐらをかかされている。ときおりリューリュがそちらをむくと、顎に手をのせたまま、ちょっと頷いてみせる。


 暑いくらいの日差しの下で、にぎやかな声を耳に過ごしながら、リューリュはここ数日のことを思い返している。洗い桶の手も、止まりがちだ。なにせ、あまりに色々なことがあり過ぎた。


 あの夜、ジゼクの部屋でみせられた文書。末尾のうたは、二つ目の呪いのうただという。はっきり、明瞭には覚えていない。というより、あまりに難解な書き方だったから、解釈が難しかった。


 ただ、欠けた月、そして、それを補う月、という言葉が印象にのこっている。補う月とは、つまり満月のことだろうと考えていたが、自信はない。


 そして、もし満月のことだとすれば、おそらく、二つ目の呪いの期限、作用日時を示しているのではないかと想像した。次の満月は、三日後だ。


 では、二つ目の呪いの効果とは、なんなのか。なにが、姫の身におこるのか。それを、あのうたからは明瞭に読み取れなかった。


 呪い。そのことばから、書庫でのことも連想した。


 あれから、行っていない。休暇でもなかったし、もちろん、フウザという書司にいわれたことばも、重くこころにかかっているのだ。


 余計なことに、手を出すな。


 余計なこと。書庫にいたことを指すのでないとすれば、うたを披露したこと、文書を読み解いたこと、そして、鬼鏡姫をかくまっていること。つまり、ここ数日の一連のできごとを指しているにちがいなかった。


 では、なぜ、フウザがそれを知っているのか。こんどのことは、家中でも固く秘されている。書司はたしかにふろたきに比べれば職位が上だが、かといって、そのような機密に触れられる立場とも思えなかった。


 それに、どうして、手を出すな、余計なことだ、というのか。一介のふろたきが姫のお世話など、というのはわかるが、ご下命なのだ。余計なこと、という表現が、そぐわない。


 姫への、この家への呪いのことにも思いが至る。呪いがある以上は、だれか、仕掛けたものがある。屋敷の奥では、家中に縁があるものである可能性もかんがえている。


 とすれば、書庫でのできごとを、注進したほうがいいか。それこそ、差し出がましいことだろうか。姫をとおして、ジゼクにだけでも伝えたほうがよいだろうか……。


 「……リュどの。リューリュどの」


 さまざま逡巡するリューリュは、声をかけられ、我にかえった。となりで桶をつかっている、キョウ、すなわち鬼鏡姫が、心配そうにリューリュの手元の桶を覗き込んでいる。


 「あの……いろものと、しろい布。合わせて揉んではならぬのでは、なかったでしょうか……」


 リューリュは、手元を見た。揉んでいたのは、紺の作業衣と、手拭い。純白だった手拭いが、うすく藍に染まっている。


 「あっ、えっ、ありゃあ」


 なんとかしようと無意味に揉むが、効果のあるはずもない。


 キョウは、困ったような眉をしながら、ちいさなくちに手をあてて、ころころと笑い声をたてている。


 鬼の姫は、預かったその日と翌日だけは、おとなしく部屋で手習いなどをしていた。だが、三日目になると、がぜん退屈になったらしく、しごとを教えろと言い出した。


 もちろんリューリュは断り、だがなんども言われるので閉口し、ついに釜炊き長のキヌにまで相談にいったが、おしえてやればいいだろうと、にべのない返事がかえってきた。


 だから、昨日の午後から、火口にいっしょに出た。ほかのおんなたちは少し驚いていたが、鬼族のむすめの気まぐれだと、すぐに慣れてくれた。むしろ、あたらしい子がはいったときのように、みな嬉しそうに段取りをおしえた。


 キョウは、もちろんそんな仕事はしたことがなく、腕も細い。薪をくべたり、吹子をつかったりするのも、上手ではなかった。しかし、先輩たちはわらって、リューリュが新入りのときより、よっぽどすじがいいよ、というのだ。


 それをきいて、リューリュはキョウに教えることをやめた。が、一日でずいぶん上達してしまい、リューリュのしごとは剥奪の危機にさらされた。


 今朝はけさで、井戸でのみずくみ、洗濯と干し方、風呂で使う粗香油の整え方、そのほか細々したことを、リューリュはかなり遠慮なく指導したのである。が、キョウは、うれしそうに、ときおり失敗もしながら、楽しんでしごとを覚えていった。


 ふれることを躊躇うような端正な造形、雪よりもしろい肌、みるものを幻惑にさそう、紅く、おだやかで、澄みとおった瞳。


 神韻すら帯びているとかんじたその第一印象は、だが、彼女のあどけない笑顔の、ささいなことに楽しそうにわらう声の、なんにでも子供のような興味を示すしぐさの、その愛らしさによってすでに上書きされているのだ。


 「おお、やったなあ。今月、三回目」


 唐突に、うしろからサヨに声をかけられた。リューリュは、あおくなった手拭いをほかの洗濯物のしたに突っ込んだが、もちろん、隠しても意味はない。


 「キョウ、お手本見られてよかったなあ。悪い例の」


 サヨは、両手に配膳板を抱えながら、キョウにも笑いかけた。


 はじめこそ鬼の娘ということでキョウを敬遠もしたし、部屋を侵食されたというおもいもあって苦々しげにしていたサヨだったが、しごとをともにし、同じ食事をとり、夜には布団のうえで尽きない話をしていれば、情もうつる。


 なにより、キョウには、ひとを魅了するちからがあった。それが、鬼のちからなのか、彼女の特質なのか、そこまではリューリュにも判断がつかない。ともかく、リューリュにしてもサヨにしても、いまでは、もうひとり妹が増えたように感じているのである。


 「ほら。ふたりのも持ってきたよ。きょうは芋のふかしたのと、青菜の和え物だって。晴れているから、庭でたべよう」


 ちょうど、昼餉の時刻だった。板の上の皿から湯気がたっている。リューリュは、失敗した洗濯物はみないこととして、皿を受け取った。キョウにも手渡し、みなで食前の礼をしてから、くちへ運ぶ。


 サヨのたわいない冗談に、キョウは涙をながしてわらう。リューリュはキョウの頬についた芋のかけらを、手を伸ばしてとる。少食なキョウがのこした芋の処理で悶着をおこしたふたりを、鬼の娘は、嬉しそうに、微笑んでみつめる。


 空は、くろいといえるほどに、蒼く、ふかく、流れる風はあたたかく。どこからか、ちいさな花びらがいくらか、舞ってくる。


 リューリュもサヨも、そして鬼の姫も、いま、おなじことを考えている。


 こんな時間が、いつまでも続けばいい。


 と、突然の、ざわめき。


 誰かがなにか、叫んでいる。危ない、避けろ、ときこえた。


 三人の頭上、なにかが陽光を受けてきらめいている。刃とみえた。おおぶりの、半身ほどもある刀身が、彼女たちのほうへ勢いよく回転しながら、飛翔している。


 広場で鍛錬をしていたさむらいの、刀が折れたのだ。勢いがついた刃は、まっすぐ、リューリュたちのほうへ向かってくる。


 シュンゴウが走り出しているが、間に合わない。


 振り向く間もないし、なにが起こっているかも、わからない。


 裏庭のおんなたちが、すぐあとの惨劇を想像して、悲鳴をあげた。


 「ふせて」


 低く鋭利なその声を、リューリュたちはキョウのものだと気づかない。


 鬼の姫の髪がふわりと舞い、ひかりを帯びた。




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