第4話 鬼の娘の、かたたがえ


 どんと構えて座っているようにみえるが、釜炊き長のキヌは、じつのところ腰を抜かしているのだ。


 おもてと裏、この家にはおおきな風呂がふたつあり、キヌはそのどちらも差配している。リューリュは裏のふろたきに過ぎないが、キヌは、屋敷のにんげんとしては高位の役職だった。


 だからいま、リューリュはキヌならこの困った事態を打開する智慧をもっているのではないかと期待しているのだが、あては外れたようである。


 「……は、は、はなしは、わかった」


 キヌはしわだらけの手で、煙管を煙筒にうちつけようとしたが、失敗した。まだ火がついている灰が座布団におち、あわてて叩き消す。


 「だけど、むりだよ、そりゃ無理ってもんだよ」


 「……ですよね……」


 リューリュとシュンゴウは、いま、釜炊き長の散らかった部屋の畳のうえで、キヌのまえに並んで膝を揃えている。


 が、そのうしろにもうひとり。頭巾をかぶっている。室内でそんなものを被っているのはたいへん胡乱なのだが、当然、かぶっているべきだとこの場のだれもが考えている。


 鬼鏡ききょう姫は、物珍しそうにあたりを見回している。紅い艶やかな髪が、しろの頭巾の端からのぞいている。薄暗い室内で、玉石のような紅い瞳が、みずから光をはなっているように見えていた。


 さきほどまでは奥から、いく人かの護衛がついてきていたのだが、すでに立ち帰っている。室内にはいま、四人きりだ。


 「方違かたたがえ、って、だいたい、なんなんだい。どうしてそれで、裏に姫さまがいらっしゃることになるんだい」


 「姫さまのお具合が悪いのは、呪いのためだと、お屋敷の奥のほうではお考えなんです」


 シュンゴウが説明する。が、目は正面のキヌをみていない。周囲を警戒している。当然だろう。いま、この家の姫、後継者の安全を一手に引き受けているのである。だから、緊張のあまりひざが震えていることには目を瞑るべきである。


 「で、次になにかわるいことが起こる前に、災いをわすために、居所を一時的に移される、と」


 「それが、なんで、裏方……よりによって、釜炊き処なんだい」


 リューリュがことばを引き継いだ。


 「方角です。吉方位。姫さまのお部屋から、陽が沈むほうへ手をかざして、そこからこぶし二つ分、横の方角が、ちょうど、釜炊き処だったみたいです……でも、そう言われても、ですよね」


 実際には、釜炊き処だけではなく、裏向きのまかないを実施する台所も、洗濯部屋も、みなその方向にあたる。が、きのうの夕刻、ジゼクの部屋で、リューリュは当主ヨギリそのひとに、まっすぐに頭を下げられた。


 たのむ。姫を、まもってくれ。釜炊き処で、かくまってくれ。


 もちろんリューリュもシュンゴウも固辞したが、押し切られた。


 リューリュが読み解いた書面は、家につたわる呪いを記したものだった。うたが二首。ひとつは、例の呪いのうた。そしてもうひとつは、次のわざわいを示したものだった。ただ、それを避けるための、方違えの方法についても記載してあった。


 じつのところ、その書面を学者が解読できたのは、ごく最近なのである。今年に入って鬼鏡姫の容体が悪化したことを受け、呪いの存在について半信半疑だった奥づとめたちが、学者に命じて、本気で文書の解析をおこなった結果である。


 それを、リューリュは、その場で読み解いた。


 そもそも、文字がよめるにんげんは、それほど多くない。この世の文字は、鬼族きぞく天文字てんのもじ、にんげんの地文字ちのもじにわかれるが、いずれも鬼族が知識をまなび、伝承している。にんげんは、あくまで被支配階層なのである。


 ましてや、古代の文書、しかも天文字と地文字が複雑にからみあった独特の表記である。読みくだせる者は鬼族の学者にもほとんどいない。


 それを、にんげん、しかも一介のふろたきのおんなが、読んだ。


 リューリュが、当主ヨギリと奥仕えの長ジゼクに、なかば詰問されるように迫られたのは無理もなかった。彼女は気絶しそうになりながら、祖母から習った、とだけ繰り返したが、長い時間、解放されなかった。じっさいに、その知識をどこで、いつ習ったのかは、彼女自身にもはっきりした覚えがなかったのだが。


 ようやく落ち着いてから、ヨギリはジゼクとなにか相談し、あらためて、リューリュとシュンゴウに頭を下げた。


 姫が危急なのであれば、奥で手厚く見守るのがもっとも安全だろうと、シュンゴウもリューリュもかんがえたのだが、当主らの意見はちがった。病や呪いとは異なるわざわいも警戒していたのである。


 なぜ、鬼鏡姫が、この家が、呪いを受けているのかはわからない。伝承されていない。が、呪いが存在する以上、呪ったものがいた、ということだ。その子孫が、家中に潜んでいないとは限らない。


 一見、安全に見える奥だが、いったんひとりになってしまえば、護るものがいない。その点、いつでもひとで賑わい、ざわついている裏方なら、つねに誰かの目がある。


 それに、呪いのうたの花の名を口ずさみ、この文書を読み解いたリューリュは、このことに縁が深いと、判断されたのである。シュンゴウは、いわば巻き添えをくった形になった。


 「……だからって、なにもこんな、むさくるしいところに、姫さまを……」


 キヌが絞り出すように呟くと、鬼鏡姫ははっとなり、指先を膝のまえにそろえた。


 「あの……わたくしは、床でも、押し入れでも、だいじょうぶです、どこでもやすめますから、どうか」


 深々とあたまを下げる。頭巾から真紅にひかる髪がおちる。仰天したのはキヌだ。高位の鬼族にあたまを下げさせたにんげんなど、聞いたことがない。ひっくりかえりそうになり、慌てて伏せる。


 「め、めっそうもございません、いやいや、承知いたしました、お引き受けいたしましょう、おへやは、ちゃんと、ご用意いたします、へえ」


 額を床に擦り付けながら、わずかに顔を傾け、横目でリューリュを睨む。


 へっ? という顔を返す、リューリュ。


 「……お部屋は、そこなリューリュと、サヨのところを空けさせましょう」


 「えっ、じゃ、あたしたち、どこで……」


 「東屋あずまやで寝な」


 その後しばらくは難しい交渉がつづいたが、けっきょく、鬼鏡姫はリューリュとサヨと同室、ということになった。左右を別の部屋にはさまれ、周囲から監視しやすいという利点もあった。


 鬼鏡姫の存在は、もちろん他の裏づとめには告げない。ただ、訳あって裏方で湯治する鬼族のむすめを預かっている、という説明をすることにきまった。


 キヌはふろたきの仕事が滞ることを心配した。周囲にはもちろん奥の手のものが目をひからせるだろうが、彼女らの業務を妨げないことをヨギリと取り決めた、とリューリュが説明し、渋々納得させた。もっとも、リューリュ自身も、ほんとうはそのことが心配なのである。


 キヌの部屋を辞して、いま、リューリュが自分の部屋に鬼の姫を案内している。


 釜炊き処から少し奥まったところ、東の山に面した場所に、裏づとめのものたちの寝所があり、彼女らの部屋はそのうちのひとつだ。清潔だが、極めて狭い。布団を、みっつは敷けない。ふだんはサヨと手がとどくような距離で枕をならべている。


 リューリュが、寝具と三人の配置を唸りながら思案している横で、姫は、どこかうれしそうな表情をうかべ、めずらしげに周りを見回している。材木を打ったままのざっかけない壁に、鬼族の姫のしろい首元が不釣り合いにうかぶ。


 「……俺はいったん、戻るぞ」


 おんな部屋ということで遠慮したシュンゴウが、外から声をかけた。


 「うん、ありがとう……なんだか巻き込んじゃったみたいで、ごめんね」


 「まあ、お互いさまだな」


 いって、リューリュをちょいちょいと手招きする。立ったリューリュの耳元に、ちいさく呟く。


 「だけどおまえ、よく引き受けたな。断るとおもったぞ」


 「うん……断ろうと思ったけど、ごほうび、嬉しかったし……」


 ヨギリは昨夜、どんな褒賞でもとらすと、改めて宣言した。よく考えて後日おしえてくれ、と言われたが、リューリュは即答したのだ。横でシュンゴウが目を丸くするのもかまわず、叫んだのである。


 シュンゴウは呆れた顔をつくった。


 「書庫への自由な出入り……そんなに、嬉しいことか?」


 「そりゃ、嬉しいよっ」


 叫んで、くちに手を当てる。部屋を振り返る。鬼鏡姫は、サヨとリューリュが共用している化粧棚に興味があるようだった。引き手に指をかけたところでリューリュと目があい、あわてて引っ込める。


 「夢みたいじゃない。だってわたし、本、もってないんだよ。裏方の、字が読めるひとたちからたまに借りるだけ。このお屋敷にお世話になったのも、国中でいちばん本がたくさんあるって聞いたからだし」


 「……まあ、おまえはむかしっから、そうだよな」


 なんにしても、気をつけてな、と手をあげてシュンゴウが立ち去ったので、リューリュはふたたび、今晩からの布団の配置計画に取りかかったのである。



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