第3話 ふたつめの、呪い


 釜炊き処にもどったころには、すでに昼の賄いも終わっていた。そこから夕刻にかけてはふろたきにとってもっとも忙しい時刻である。リューリュは、昼前に抜けたことの詫びもこめて仕事に励んだ。


 戦場いくさばのような状況は、それでも西の山裾に陽がおち、月がのぼる頃には落ち着いてきた。となると、そろそろ、奥の夕餉の時刻である。そのころを指定して、ジゼクに、居室にくるよういわれている。


 早番だったから、もう仕事はあがってよいのだが、昼のこともあったから、まわりのことを少し手伝って、支度部屋で着替えた。きょう二回目の着替えだ。サヨに頼んで、花のつゆで髪を撫でつけてもらう。


 ジゼクの部屋は、リューリュはもちろん入ったことはなかったが、配置は知っている。仲づとめと奥座敷の、ちょうど間だ。ジゼクは奥仕えの長だったが、実質的には屋敷のことはすべて差配しているから、そうした場所が都合がよいのだろう。


 いまだ膳をもつ仲居がいそがしく行き来する廊下を、じゃまにならないよう、リューリュは小さくなって通行する。左右の襖のむこうからは、賑やかな酒盛りの声もきこえる。


 角をまがり、目指す部屋が見える場所にくると、シュンゴウといきあわせた。浅黒く灼けたかおの奥で、くりくりとした目を大きくしている。


 「あれっ、シュンゴウも?」


 「おっ、リューリュも呼ばれてたか。昼ころにな、ジゼクさまがとつぜん武者房に現れて、夕餉のころに来いって」


 顔をちかづけ、ちいさく声をかわす。


 となると、やはり昨日のことか。褒賞を遣わす、とはいわれたが、リューリュはあまり気乗りしていない。というより、憂鬱だった。


 ほうびで、かまたきから仲づとめに昇格させてやる、などといわれたらどうしよう。大好きな本を読む時間が減ってしまう。それに、裏庭から離れたら、空も山も、鳥もみることができない。


 「じゃ、いくぞ」


 シュンゴウから声をかけられ、頷いて、ならんで目的の部屋のまえにたつ。息を整えようとしたところで、襖のむこうからジゼクの声がした。


 「シュンゴウとリューリュだな。はいってくれ」


 ひゅっ、とおかしな音が喉からでるのを意識して、リューリュは顔をあからめた。シュンゴウも動揺していたが、そこはふたりともに屋敷づとめである。すぐに膝をつき、礼をとって、襖をしずかにあけた。


 が、そこでふたりは、ふたたび、息を呑むことになる。


 部屋には、三人。


 ジゼクも居るが、左の隅だ。


 中央で座っているのは、紅い髪、紅い瞳。鬼族きぞくの少女、鬼鏡ききょう姫だった。揃えた膝の前に両手の先をそろえている。小柄な体躯を、さらにちいさくして、控えている。


 右には、屋敷のあるじ、当主ヨギリ。濃い眉をいからせ、錆びた鉄のような、黒と紅がまじった髪をうしろに撫でつけている。怒ったように引き結ばれたくちは、この無骨な武人のくせなのである。


 体格と造形にたいして若干ちいさい瞳で、それでも、気が弱いものなら昏倒しかねないつよい視線を、ふたりにおくっていた。


 三人とも、上品ではあるが、形式ばってはいない、浴衣のようなかっこうをしている。この部屋に来訪するわかいふたりを怯えさせないための工夫と思われた。


 が、その工夫に気づく余裕もなく、シュンゴウとリューリュは、かたまり、廊下まで飛び退って、あらためて床に額を擦り付けた。


 「ひとが見る。はやく、はいってくれ」


 ジゼクが苦笑まじりにいう。ふたりはしばらく遠慮していたが、それでも恐る恐る、室内ににじり入った。さほど広くはない室内だから、どうしても鬼族三人の、手の届くところに座らざるを得ない。


 「……まず、礼をいわせてくれ」


 当主ヨギリが、居住まいをただした。ふたりは、ただただ、首を垂れている。


 「こたびのこと、こころから感謝する。そなたらがおらなんだら、姫はいま、ここにこうして座ってはいない」


 そういい、娘、鬼鏡姫をみやる。昨夜の苦悶が嘘だったかのような穏やかな表情。伏せられた切長の目に、宝玉のような紅い瞳がひかっている。ちらとリューリュに視線を送り、恥じたように、俯いた。


 リューリュは、ひるにジゼクから聞かされたことばを思い出す。この家はじまって以来の、強い鬼のちから……。いま目の前にいる同い年のうつくしい少女と、そうしたいかめしい形容が、どうしても結びつかない。


 「どんな言葉を並べても足りん。褒賞も、のぞみのまま、取らせたい……が、あわせて、詫びと、頼みがある」


 頼み、といわれ、ふたりは顔をあげた。


 「まず、昨夜につづいて呼び出したこと。仕事に差し障ったろう。すまなんだ。ふつか続けて奥まで呼んでは、いろいろとうるさいだろうから、今日はジゼクの部屋を借りたのだ」


 「は、はい……」


 「そして、これは詫びとも頼みともいえるが……じつは、姫のことだ」


 ヨギリは、ふところからなにかが書きつけられた書面をとりだし、床にひろげた。流麗な筆跡だった。ことばは、天文字とよばれる、鬼のことば、そして地文字とよばれるにんげんのことばが、混ぜて記されている。


 「リューリュといったな。ジゼクから、当家に伝わるうたの話をきいただろう」


 リューリュはしばし迷って、頷いた。が、シュンゴウにはなんのことかわからない。不得要領の顔をつくるが、ひとまず黙っている。


 「そのうたは、ここに記されている。これは写しだが、ほとんどいにしえから伝わるままだ。筆跡も、墨の濃淡も、再現させた」


 そういって、書面の右端を指差す。たてに長く、三行ほどの文字列が記されている。ヨギリが指さしたのは、読み書きができないであろう、にんげんの若い二人に配慮したものだ。


 と、リューリュがにじりでて、書面に顔をちかづける。シュンゴウがちいさく、おい、と声をかけるが、聞こえていない。目が輝いている。


 「……拝見、しても?」


 リューリュはあるじ三人を見上げた。ヨギリとジゼクが顔をみあわせる。


 「……ああ、かまわぬが、しかし……」


 ヨギリがいうのも構わず、リューリュは、なかば無意識に声を出していた。

 

 「……天文字と、地文字を、混ぜた書き方。とても、めずらしい……とおと、ななつの、よる……おにの、むすめ、が、おとされる。つきあかり……ふる、よる……次のことばは……ああ……せっとうか、ですね」


 たしかに昼間、風呂でジゼクに聞かされたとおりの内容だった。月あかりふるその夜に、ただ雪灯花のつぼみだけ。印象的で謎めいたそのことばは、リューリュの脳裏につよく刻み込まれていた。


 ただ、それよりもリューリュはいま、その不思議なことばの書き方に魅了されていた。こんな文章はみたことがない。祖母からならった記述法にも、こんなかたちはなかったはずだ。


 夢中になり、次の行を追う。くちのなかで呟きながら、読み上げる。


 「……かた、たがえ……とは、なんでしょう……ああ、方位を変えて魔を避けることですね。それは、どちらへ……陽の、しずむむきの、こぶしを、ふたつ、そらしたところ……なるほど」


 「……おい」


 「また隙間があいて、こんどは、かきかたが、難しい……でもこれも、うた、かな。とおと、ななつの……あれ、さっきと同じ? いや……ちがう、これは……」


 「おい」


 「とおとななつの、そのとし、に、しゃっく……紅い、つき? 欠ける、かけた、ひろう……なんのことだろう。つきを、補う? つき、大きなつき……ああ、満月!」


 「おいっ!」


 シュンゴウに肩をつよくゆすられ、リューリュは我にかえった。書面につくほどに近づけていた顔をあげ、あたりをみる。


 ヨギリとジゼクが、あぜんとしてリューリュをみている。


 そのふたりの間では、鬼鏡姫が袖口をくちにあて、目を潤ませ、リューリュを見つめている。その頬は、どうしたことか、桃色に染まっていた。


 リューリュもしばし、呆然とし、やがて意識が現実世界にもどると同時に、自分がなにごとかしくじったことを悟った。膝三つぶんほど飛びすさり、床に額をうちつけて叫ぶ。


 「もっ、申し訳ございませんっ! 出過ぎた真似を……!」


 「……そなた。これを、よめたのか」


 ヨギリがようやくという様子で、声をだす。


 「は、はい……いえ、天文字、鬼族さまの文字は、難しいので、ほんの少し……」


 「……驚いたな。ジゼク、最後のことば、きいたか」


 ジゼクは、ヨギリのことばに首をふって応えた。


 「……たしかに、ふたつめの、呪いのうたでした。信じられない。リューリュ、そなた、ほんとうに読めたのか……?」


 リューリュは、ジゼクのことばを叱責と捉えて、伏したまま動かない。やってしまった、余計なことを、という思いだけが脳裏を占めている。シュンゴウは横で、狐につままれたような顔をつくっている。


 「……やはり、この娘に頼むのが、よいとおもう。どうだ、ジゼク」


 ヨギリとジゼクは頷きあったが、それを、リューリュはみていない。


 


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