3-4
結局、ヴィクトールの考えが全く理解できないまま、ぼくはその背中を見送ることになった。彼の頭の中には、すでに手紙の差出人のイメージが浮かんでいるようだったけれど、どうやらそのイメージの詳細をわざわざ説明する気はないようだった。
気を取り直して、ぼくは傍らの青年に声をかけた。
「カシム、聞きたい話は聞けた?」
カシムがにこやかに笑った。またしても訳がわからないまま笑い返すぼくから視線を外し、青年がぼくの頭上に向かって口を開く。
「やあ、イーサン。今日は時間をくれてありがとう」
「は?」
ぼくの背後で何かが動く気配がした。何げなく振り返り、ぼくは「ぎゃ」っと飛び上った。濃いネイビーのシャツに包まれた視界いっぱいの胸筋にのけぞるぼくを、予想していたような冷静な動きでカシムが支える。
「い、イーサンか……やあ」
見上げる動きで視線を合わせた。硬そうな直毛の赤髪に、日焼けした肌、しっかりとした顎のライン。ややはれぼったいまぶたから覗く目が、戸惑った様子で揺れていた。
「そんなに驚かせるつもりでは……」
「そうだよね! 今から待ち合わせのカフェに行く?」
我ながら酷い提案に、イーサンがしばし考え込む。絶妙に印象的な間の後で、ぼそぼそと答えた。
「直接教室に、向かいましょう……。今の時間なら誰もいないので……」
そう言って、青年はぼく達を先導し始めた。思いの外きれいな歩き方だ。後ろ姿だけなら颯爽とした印象さえ受けた。
目的地らしき建物は、入り口側一面がガラス張りになっていて近代的だった。『情報学部・情報学研究所』と書かれたプレートを尻目に自動ドアをくぐり、大理石の床と黒いソファのややありきたりなエントランスを通り過ぎると、ぼく達はそのまま一階の奥にある空き教室に入った。最大収容人数がせいぜい十五人程度の小さな教室だった。ホワイトボードに向かって一様に並んだ机と椅子の一角を、イーサンとカシムが手慣れた様子で向かい合った席へと整える。二人に促されるままに、ぼくはカシムの隣の席に腰を下ろした。
「改めて、今日は時間をくれてありがとう、イーサン」
カシムの言葉に、珍しく重めに作られた赤い前髪の向こうで、イーサンがややうつ向き気味の視線をさらに下げた。
「別に……そもそもなんで、アランの話が聞きたい……」
「彼の死を、わたしなりに受け止めたいから」
「……たいして仲良くなかった同級生の死を、わざわざ受け止めに来る必要はないのでは……?」
思わずカシムの方へと視線を向けた。
聞いていないぞ、めちゃくちゃ警戒されてるじゃないか!
ぼくの抗議の視線をよそに、カシムは笑みを深める。
「わたしがそうしたいだけなんだよ」
「君みたいな人、どこにでもいるんだよな……」
そうぼやいて、イーサンが苦々しげに舌打ちをした。思わずホワイトボードに張りついたミミズに目を向ける。『レポート期限木曜日』——なんだ。ミミズかと思ったらへたくそなアルファベットだった。
「……それで、君はアランの自殺の原因を探っているという認識でいいの」
「いや。むしろ、彼が幸せだったのだと思いたい」
「趣味、わる……自殺が受け入れられないから、彼が人に殺されるような人間だった理由を探すとか……」
「事故という可能性も……いや、そもそもわたしは彼の死の理由を探っているわけではないんだ」
「……ぼくやアランのような人間は、周囲を嗅ぎ回られるのは苦痛なのに」
イーサンの言葉に、カシムがふっと優しげに目を細めた。
「君とアランのようなタイプ? 一体君たち二人のどこに共通点があると——」
「ストーップ!」
ついにイーサンの敵意に触発され始めたカシムを、ぼくはやや強引に遮った。
「ぼく今無性にサンドイッチが食べたいから、一時中断を申し立てる」
「今からですか?」
「そう。カフェに買いに行く」
ぼくの言葉に驚きつつも、カシムはぼくを引き止めはしなかった。
「場所は、わかりますかね……」
イーサンの言葉に、ぼくは首を横にふる。
「迷うかも。さっきのカフェまで付き合ってほしい」
とりあえず一旦二人を引き離さなきゃ、と思って口にしたお願いにイーサンがぎょっと身を震わせ、見かねたカシムが立ち上がる。
「わたしが行きますよ」
「ありがとう。ブラウニーおごるよ」
「ホットサンドと紅茶でお願いします」
「また食べるのか。いいけど」
そのやりとりを黙って聞いていた赤髪の青年が、突然のそりと立ち上がった。
「やっぱり、ぼくが行きます……」
「いいの?」
「今日の話の見返り、ブラウニーなら悪くないかも」
「コーヒーもつけるよ」
ぼくの言葉に、イーサンが今日初めての笑顔を見せた。
「……あそこのコーヒーいまいちだから、アイスのカフェラテで……」
「オーケイ」
頷きつつ、ぼくはイーサンと連れ立って教室を出た。ドアが閉まった瞬間、さっそくイーサンに話を切り出す。
「なあ、君さ。カシムとなんかあった?」
ぼくの半歩後ろを歩く青年が、困惑も露わにぼくを見下ろした。
「……別に。彼のような人間が、昔から苦手なだけですけど……」
「おせっかいで強引なとこ?」
「いや……」
「説教くさいところ? 絶対に自分の意思を曲げないところ? 白シャツなところ?」
ぼくの言葉に呆れたように何かを言いかけ、イーサンはそのまま口を閉じた。改めて口を開いてぼそぼそと答える。
「ああいう、いかにも集団の中心にいるタイプで……」
「うんうん」
「……そのことになんの疑問も持っていなさそうなやつ」
「はあ、なるほどね」
確かに、意識することなく自然とまわりから一目置かれそうなやつだ。実際、高校時代はいつも学校の中心だったって、アランも言ってたし。
「それにしても、苦手なカシムのお願いをよく聞く気になったね」
イーサンが警戒するように視線を落とした。少し間を置いて、ため息まじりにつぶやく。
「……アランの話を、誰かとしたかったので……」
「クロエとヴィクトールは?」
「……あの二人は、強すぎるから……」
思わず青年を見上げた。嫌そうに目を逸らすイーサンをしげしげと見つめ、ぼくは小さく頷く。
「まあ、言いたいことはわかるよ」
「……あなたはこちら側だね……意外だけど……」
そう言って、イーサンは気が抜けた様子で肩をすくめた。
その後は特に会話らしい会話もなく、ぼく達はサンドイッチとブラウニー、クッキーとスナック、そしてそれぞれの飲み物を買い込んで教室に戻った。テーブルと椅子を並べ替えた時よりも遥かに積極的な二人の手によって食料が振り分けられ、ぼくは自分の紅茶を自分の前に、アイスカフェラテを青年達の左側にそれぞれ置いた。
「それにしても、イーサン。君が一時間も銀行の手数料について語ったって本当?」
「その話忘れてください……共通の話題がなさすぎて話題に困っただけですし……」
「二人でいることは少ないんだ?」
サンドイッチを一口齧り、今度はカシムが口を挟む。聞かれたイーサンが右手首を自分の左手で軽く引っ掻きながらかすかに頷いた。
「……たいていは、間にヴィックがいたからね……」
先ほどよりはずいぶんとトゲの取れた声で、イーサンがカシムに答える。
「……ていうか、あいつがおれの話を面白がっていたなんて意外なんですけど」
「アランは君の話は結構面白がってたぞ。他にも『自分の赤髪はブラウン寄りだから真の赤毛は……』」
イーサンのやや日焼けした顔が一気に憂いを帯びる。
「ホントにやめて……。話題に困って、うっかり口をついたただけですよ……」
「そういえばさ、これも好奇心で聞いちゃうんだけれど。君とアランのようなタイプってつまりどういうタイプ?」
ぼくの質問に、イーサンはゆらゆらと首を振った。
「どこがも何も、見たままでは……? 基本人と話すのが嫌いなんですよ……」
「確かに、高校でも彼は自分から誰かに話しかけにいくタイプではなかったかな」
カシムもまた、先程の自分の意見を引っ込めてイーサンに同意する。彼らの意見に、ぼくは紅茶を飲みながら首を傾げた。
「アラン、ぼくの前ではめちゃくちゃ話してたけどなあ。アランと会う時はいつも、ぼくは数時間は聞き役だし」
「ええ?!」
カシムとイーサンが勢いよくぼくを見る。
「いや、彼の話から、普段はむしろおとなしいってことは察してたけど。あれだけしゃべる子が、やっぱり普段は人と話さないんだって聞いて驚いてる」
呆然とする二人に、ぼくはよくわからないフォローを入れる。
「……まあ、共通の知人がいないから話しやすかったのかもね。ロボット工学専攻だとはいうことは知らなかったし」
「それは、わたしも高校で聞いた時は驚きました」
「理由聞いた?」
「聞きましたが、はぐらかされました」
ぼくとカシムの会話に、ブラウニーを咀嚼していたイーサンが口を挟んだ。
「……なんで、もなにもアニメの影響でしょ」
「え?!」
今度はぼくとカシムが声を上げた。それぞれ飲み物を握りしめ、異口同音に叫ぶ。
「そうなの?!」
「うるさい……」
うんざりとつぶやき、イーサンが続ける。
「大学の知り合いはみんな知ってますよ……アランはロボット好きを拗らせた、オタクだったから……」
「へええ」
「……デフォルトがジャックナイフなのに、まわりがアニメの話をしてるときは少し、壁がゆるむんですよね……」
「いいな。ぼくも彼の好きなことを、もっと聞いてみたかったなあ」
その時、カフェオレ片手におとなしく話を聞いていたカシムが、戸惑いがちに口を挟んだ。
「ええと、それって誰の話をしています?」
ぼくとイーサンは思わずまじまじとカシムを見つめてしまった。
「おいおい、別にぼく達は時空を切り取ったりはしてないぞ」
「……頭は大丈夫か法学部生……」
その言い草に、やや鼻じろんだ様子でカシムは続けた。
「高校での彼は、大人しいけれど人当たりは良かったんですよ。穏やかで、誰に対しても親切で」
イーサンの顔が、不可解そうな表情に翳った。
「……誰の、話をしている……?」
「先程の言葉をそっくり返すよ、情報学部生」
にこりと笑うカシムから、イーサンが苦々しげに目を逸らす。
「ちなみにさ、カシム。それ、君に対して限定の話じゃないよね?」
「そんなわけないでしょう」
呆れ混じりの声。アランの自分への恋心に、青年は気づいていなかったようだ。それがアランにとって都合がいいことだったのか切ないことだったのかわからないまま、ぼくは目を伏せて手元の紅茶に微笑む。
「……いや、確かにいつも穏やかでご機嫌なアランは、ぼくもちょっと想像しづらいかな」
少しだけもどかしく思いながら、ぼくは紅茶をまたひとくち口にした。それにしても、高校卒業・大学入学前後のアランの違いは興味深かった。勇気を振り絞ってカフェ・レキサンドラに足を踏み入れたアラン。何かと複雑な感情をため込んでは、ぼくに連絡をしてきたアラン。
ふと思いついた言葉を、ぼくはぽろりと口にする。
「……もしかして、遅れてきた反抗期?」
ぼくの思いつきに青年二人は、はっとぼくを振り返る。
「確かにあれは、本当にどうしようもないものです。父親のただのつまらない話が、耐え難い拷問になる」
「……自分でも制御できない破壊衝動の表れが、あのそっけない態度なら、むしろ自制心を誇っていい……」
真顔で頷く青年達に、ぼくは慌てた。
「適当に言っただけだよ。アランの名誉のために言っておくけど」
ぼくの言葉にカシムが笑い、イーサンがもの言いたげにぼくを見る。
この二人、実は気が合うんじゃないかな。
最後の一口を飲み干しながら、ぼくはそんなことを思った。
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