2章 アラン・マクスウェル

2-1

 ぼくに朝食を振る舞った後で、ブライアンもまた仕事を向かうために部屋を出た。

 自分だけの空間を取り戻したぼくはさっそくコーヒーを淹れ直し、慣れ親しんだルーティンに取り掛かる。すぐにぼくは自分の世界を取り戻していった。完璧に調和が取れた部屋と、インテリアコーディネータの仕事。この二つの大切な要素で、ぼくの人生は過不足なく成り立っている。

 そうさ、これこそがぼくの世界だ。

 届いた皮のサンプルの手触りと質感を確かめながら、ぼくは上機嫌に頷いた。

 ぼくが悦に入っていると、突然一階のレセプションから呼び出しがかかった。ご機嫌なままそれに応じたぼくは、次の瞬間投げつけられた爆弾に飛び上がった。

「やあ、ルーク。君に来客だよ」

「来客だって?」好青年と評判のコンシェルジュ、ワイアットの言葉にぼくの頭は真っ白になった。「今日は予約はないはずなんだけど!」

 答えながら手帳や端末を片っ端から散らかしていくぼくに、ワイアットが続ける。

「この大学生たちはどうやら、予約なしに君に会いに来たみたいだ。若いなあ。四人ともお肌がつるつるだ」

「四人? ていうか大学生?!」

 あまりに予想外な訪問者に、ぼくはしばし絶句した。スムージーを片手に芝生で学術書を読む属の人間が、しがないフリーランサーに一体何の用だろう。

 時間に余裕があるとは言えないけれど、今日は予定らしい予定は特にない。時間を作ろうと思えば作れるけれど。

「来訪の目的は何って?」

「聞いても答えようとしないんだよね」

「じゃあ断ってもらっていいかな」

 ぼくの答えに、ワイアットが爽やかに「了解」と答え、受話器の向こうに消えた。すぐに戻ってきて、彼にしてはやや曇りのある声で続ける。

「ルーク、彼らから伝言だ。『自分たちはアラン・マクスウェルの友人です』と、君に伝えて欲しいと」

 彼の言葉に、ガツンと一発喰らったような衝撃を受けた。驚きや疑問が一緒くたになってぼくに襲いかかり、さらに頭をかき乱していく。

 なんとかショックを受け流し、ぼくは深呼吸した。

「わかった。上がってもらってよ」

 ぼくの言葉に少し心配げに「了承」と答え、青年が通話を切った。それを確認して、ぼくはすぐに落ち着きなく来客の準備を始める。

 その三分後には彼らの到着を告げるベルがなった。ぼくは念のため、奥の書斎の鍵をかけ、その鍵を空の保存容器に放り込む。深呼吸をしながら玄関へと向かい、恐る恐る扉を開けた。

 果たしてそこには四人の若者たちが立っていた。揃いも揃って顔をこわばらせていて、ぼくの顔もつられて引きつりそうになる。

「やあ、いらっしゃい。ぼくがルークだよ。ぼくの事務所へようこそ」

「どうも」

「こんにちは」

「なんかあれです、その、突然すみません」

 口々に呟き、その次の瞬間には沈黙が訪れてしまった。ぼくはうんうん、と意味もなく相槌を打つと、努めてにこやかに口を開いた。

「とりあえず、中へどうぞ」

 ぼくの言葉に、まず背が高くてしなやかなお嬢さんが扉をくぐり、ヒョロヒョロとマッチョな二人の赤髪がその後に続いた。最後にぼくと似た髪の真面目そう青年がついてくる。

 彼らをソファーに誘導し、イッタラのティーカップを配置した。

「改めまして、ぼくはルーカス。念のために聞くけど依頼じゃないよね?」

 四人は慌てて首を横に振った。ぼくが顧客からとんでもない額を搾り取っているように見えるのだろうか。そんな邪推をしていると、ソファの一番奥に腰掛けていた青年がためらいがちに声を上げた。彼に視線を向け、ぼくは少しだけ目を見張る。

 褐色の肌に緩やかなウェーブを描くダークブラウンの髪。バサバサの睫毛に縁取られた、透明度の高い青色の目。意志の強そうな眉——ハンサムではあると思うが、際立って美形というほどでもないのだが。

 青年が、真っ直ぐな眼差しでぼくを見つめながら口を開いた。

「はじめまして、カシムです」

「ウェルカム、カシム」

 大人の余裕を振りまきながらぼくは答えた。彼にはどこか人目を惹きつける何かがあった。学生時代のブライアンから陰りを除いたら、こんな感じに仕上がる気がする。

「まずはお茶でもどうぞ。カカオフレーバーなんだ」

 カシムの反対側に座っていたお嬢さんが顔を輝かせた。可憐な笑顔だ。滑らかなダークブラウンの肌が、笑顔に合わせてツヤっと光る。ベリーショートの髪に、全身黒のコーディネートだから近寄り難い印象だけど、この笑顔がリバーシのように彼女の全てを愛らしさに変えてしまった。

 彼女は頬を緩めたままカップに口をつけ、ぼくの視線に気づいて慌ててそのカップを置いた。

「クロエです。……すみません、先に飲んじゃった」

「気に入ってもらえて嬉しいよ、クロエ。それで、君たちの名前は?」

 真ん中に座る二人の青年に声をかけると、彼らはそれぞれ「ヴィクトールです」「イーサンです」と名乗った。二人とも赤髪だったけれど、体格や顔つきは真逆だ。小柄で細身で個性的な顔立ちのヴィクトールと、わかりやすく筋肉質で朴訥とした顔のイーサン。

「ぼく達はアランと同じクイーンズランド大学の学生です。カシムはアランの高校時代の同級生でもあります」

 クイーンズランド大学だって?

 イーサンが説明にぼくの頭はぐらりと回った。

 学問に苦手意識を持つぼくですらよく知っている、ブリズベンが誇る超名門大学じゃないか!

「ええとそれで、ぼくにどんな用事なのかな?」

 一気に緊張を取り戻したぼくの言葉に、ヴィクトールが鮮やかな緑色の目をこちらに向ける。

「ポッターさんは、アランの恋人だったんですか?」

「は?」

 唖然とするぼくにかぶさるように、残りの三人が絶望の声を上げた。

「なんでだよ!」

「うそだろ……」

 頭を抱える友人らに、ヴィクトールが気を悪くしたように口を尖らせる。

「なぜ責める? 君達が聞きたいことは、結局これだろ」

「ばか、あんたホントばか」

「……まさかぼくのことか?」

「その通りよ、くそが!!」クロエが、目尻を吊り上げて青年に噛みつく。「まずは天気の話を振ろうって、さっき話し合ったでしょ。何聞いてたのよ!」

 純真な彼らに教えてあげたい。大人にとって天気の話は気まずさの象徴であって、アイスブレーキングには向かない。

「まず確認させて欲しいんだけど」四人の賑やかなやりとりを遮り、ぼくは言葉を滑り込ませた。「君たちはアランから、彼の恋愛について何か聞いていたの」

 四人がちらりと視線を交わし合った。そして小さく首を横に振る。

「高校では、そんな話をする機会もありませんでしたので」

「まあ、話はしたことなかったですけど」

「話題に対する反応なんかで、色々察してはいたかな」

「気付いて遠回しにからかう、クソヤロウもいたわよね」

 冷たいクロエの視線に、ヴィクトールが悪びれなく肩を竦める。

「だって反応が面白かったんだ」

「それ、何度でも言うけどね、ほんっとうに最低なんだからね!」

 ヴィクトールがつまらなそうにそっぽ向く。なんだか個性的な子達だ。アランがどういう経緯で彼らと一緒に過ごすようになったのか不思議に思う。

「じゃあぼくも質問に答えるね。ぼくとアランは恋人ではなかったよ」

 学生達が慌ててこちらに顔を向けた。

「アランは友人で、ぼくはよく相談に乗っていたんだ」

「相談って……」

「もちろん話せない」

 ぼくの笑顔で本気が伝わったのだろう。何か言いたげにもぞもぞしていた四人が、しゅんと口を閉じてしまう。あまりにも彼らが素直に落ち込むものだから、ぼくは少し罪悪感に駆られた。褒められた方法ではないけれど、見ず知らずの人間を訪ねるのにも勇気がいったことだろう。

「……アランが語っていた君たちの話なら、伝えても怒られないかな」

 途端に学生達が顔を上げた。

「たぶん、君たちのことだと思うんだけど……まず、性的指向についての話題をふざけて振っていたのは君みたいだね、ヴィクトール」

 ぼくの言葉に、青年はぎくりと顔をこわばらせた。なんでもないように振る舞っていたから意外だった。もう二度と解消できない罪悪感を、彼もまた抱えているのかもしれない。

 彼の心が和らぐよう、できるだけ優しく、ぼくは続ける。

「君がアランを仲間に引き入れたんだね。アランは、何だかんだ君の側を心地よく感じていたみたいだ。君は彼の恩人だと思う」

「……別に。ぼくはぼくがやりたいように、振る舞っていただけですから」

 言葉とは裏腹に、ヴィクトールが悲しげにそう呟く。

「それから、その彼の友達にしっかり者がいて」ぼくが続けると、今度はクロエの背筋がピンと伸びた。「いつも楽しそうに宇宙の話をしてくれるから、最近は空を見上げるのが好きだ、って」

 クロエが目を見開く。そのまま震える両手でその口元を覆った。

「あと、手数料が嫌いな知り合いって君?」

 ぼくの言葉にイーサンが体を引き、ヴィクトールとクロエが揃って彼を見た。

「君さ、アランに銀行の手数料についての持論を一時間以上語ったことがあったんだって?」

 途端にイーサンの大人びた顔が狼狽に崩れ、その隣でヴィクトールが「なんて酷い拷問だ」とげんなりした様子でつぶやく。

「後からじわじわ面白くなっちゃったみたいでさ。その後も時々、君のことを思い出しては声を上げて笑ってたよ」

「あいつ……」

 イーサンの表情が、今度はゆるりと緩んでひどく優しげなものになった。

「あと、これは本当にただのカン何だけど……。カシム、高校時代アランの怪我を心配して声をかけた同級生って、君?」

 ぼくの問いに、青年が愕然と口をひらく。

「……あの時のこと、覚えていたのか」

 ということは、アランの初恋の相手はこいつか。

「嬉しかったって言ってたよ」

 端的にそれだけ伝えると、カシムが沈痛な表情で目を閉じた。

 どんよりとした空気の中しばらく黙り込んでいたクロエが、顔を上げてぼくを見た。

「ポッターさん。あなたは、アランはどうしてこの世を去ったんだと思いますか」

「ええと、どういう意味?」

「自殺と他殺、どちらだと思うかって意味です」

 彼女の言葉に、ぼくは衝撃を受けた。刑事が『殺された』と言っていたから、他殺だと思い込んでいたのに。

 黙り込むぼくに、クロエが続ける。

「葬式参列した時、アランの死因がまだ自殺か他殺か分かっていないらしいって聞いて」

 まさか、と言いかけてぼくは口をつぐむ。見ている方が不安になるような、ガリガリに痩せた体。きれいだけど陰りを帯びた顔。噂をしていた人たちは知らないだろうが、彼は自分の性的指向への悩みも抱えていた。

 ぼくが口をつぐんだことに、四人は少なからずショックを受けたようだった。事務所に重苦しい沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのはクロエだった、

「今日は突然押しかけてすみませんでした、ポッターさん。わたし達、まずはちゃんと色々整理しないと」

「——ルークでいいよ。出会って一時間を過ぎたら、もう友達だろ」

 返事の代わりにそう言うと、クロエが小さく笑い返してくれた。その反対側で一人カシムだけが思い詰めた表情で、じっと自分の足元を見つめていた。

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