第14話 大きくなる乖離

 なんとか褒め殺される寸前で晩餐会が終わり、フレッドは皇帝陛下に呼ばれてそのまま陛下と執務室へと向かった。

 話が終わったら戻ると言っていたのに、二時間後には今夜は部屋に戻れないと知らせが来た。


 フレッドに出会ってから初めてひとりで眠りについたけれど、漠然とした不安に襲われて熟睡はできなかった。その不安はフレッドがいないからなのか、戻れないほどの大問題が起きたからなのか、私には判断できなかった。




「ユーリ、昨夜はすまなかった」


 翌朝、朝食の前に戻ってきたフレッドが開口一番に謝罪してきた。


「皇帝陛下とのお話だったら仕方ないわ。どんなお話だったの?」


 いつもの調子でフレッドに問いかけるけれど、眉間に皺を寄せてすまなそうに言葉を続ける。


「ユーリ、すまない。今はまだ話せないんだ。時期が来たら必ず話すから、もう少し待ってくれないか?」

「そう、まあ、帝国にかかわることなら仕方ないわね。機密もあるでしょうし」

「……すまない」


 皇帝陛下と皇太子の会話だから、隣国の公爵令嬢でしかない自分に話せないこともあるだろう。しかも昨夜はここへ来れないほど遅い時間まで話していたようだし、なにか重大な内容だったのはわかる。


 でもどうしてか、胸にモヤモヤが溜まってスッキリしない。まるで浮気男が悩み相談だと言って若い女の子のもとへ行く時のような感覚だ。


 ちゃんと時期が来たら話すと言ってくれているから、浮気男とはまったく違うのに。しかも国家を揺るがすような内容なら話せなくて当然なのに。


 今まではなんでも話してくれていたのに。ああ、身分のことは秘密だったけれど。あの状況では仕方ないと納得できている。それとなにも変わらない。


 フレッドが戻ってきてからは護衛騎士として、また常に一緒に行動するようになった。以前と違うのは皇太子としてそばにいるということだ。場合によっては女性の護衛騎士もつくことになった。


 今日はミカも私の部屋に来ていて、今後について相談している。内容が内容だけに人払いして、今はこの部屋に三人だけだ。


「わたし、お茶会を開くわ。ご令嬢たちを集めて、なにか動きがないか探ってみるわね。そうねえ、急いでも二週間後になるかな。それまで準備で忙しいから、しばらくこちらには来られないわ」

「そう、わかったわ。私もできることがあればいいのだけど……」


 お茶会に参加すると言っても、帝国の貴族令嬢では挨拶するだけで情報を集めることなんてできない。むしろなぜ参加しているのかと、私の方が調査される側になってしまう。皇女であるミカの邪魔になるから、ここはおとなしくしているしかない。


「それならユーリは俺と一緒に街に行ってみないか?」

「え、街へ? 皇城から出てもいいの?」

「俺と一緒なら問題ない。俺の見えないところでなにかあっては後悔するから、外出を禁止しているだけだ」

「あ、そうだったんだ。てっきり……」


 うんと言うまで出してもらえないのかと思っていたわ。


「てっきり?」

「ううん、なんでもないの。それじゃあ、私とフレッドは街で聖女の情報がないか調査してくるわね」

「うん、お願いね! いいなあ〜、好きな人とデートかあ……わたしもしてみたいなあ……」

「え、ミカは好きな人がいるの?」

「うーん、好きというか、神というか、最推しなんだけどね……まるで相手にされてないんだよねー」


 力なく笑うミカに胸がズキズキと痛む。昔からミカはこうやって、つらい時ほど私に心配をかけまいと笑うのだ。


「そうなの……」


 今度じっくり話を聞いてみよう。ミカがこんなに悩んでいるなら、姉として力になりたい。今は立場もなにもかも違うけれど、ミカエラの中に美華は確かに存在するのだ。


「では早速だが街へ行くか?」

「え、でもフレッドは大丈夫なの? 皇太子としての仕事があるんじゃないの?」

「そうだな、今は婚約者を捕まえるのが最重要項目だ」

「あ、そうですか。失礼しました」


 やぶ蛇だった。


 ミカはお茶会の準備をすると言って自室へ戻り、私とフレッドは出かける準備を始める。フレッドが普段使わない扉から移動しようとして声をかけた。


「フレッド、準備するのでしょう? そこの扉は開かないわよ」

「ここは皇族じゃないと開けられないように結界魔法をかけているんだ」

「そうなの? でもフレッドの部屋には行けないでしょう?」

「いや、ここから皇太子夫婦の寝室に繋がっていて、俺の部屋に行ける」

「そうだったの……って、はああああ!?」


 それって、つまりこの部屋は。


「言ってなかったか? この部屋は皇太子妃が使う部屋だ」


 そう言い残してフレッドはそそくさと私室へ戻っていった。私はただ金魚みたいに口をパクパクさせるしかなかった。




 目立たないように、私は町娘、フレッドは商家の子息の格好をして、あの時脱出し損ねた搬入口から外へ出た。ふたりで街を歩いているけれど、フレッドとは目線も合わせず口も利いてない。


「ユーリ。そんなに怒らないでくれ。あの部屋が防犯上一番安全だったんだ」

「…………」


 だって皇太子妃の部屋で過ごしていたら、皇城で働く人たちはみんな私がフレッドの婚約者になると思うではないか。中には貴族の令嬢や令息もいるのだ。子から親へ、親は友人へ、友人から友人へと話は広がって、いつしか公然の婚約者として認知されてしまう。


 昨夜の皇帝陛下と皇后陛下の様子から、そこまでいったら絶対に逃げられない。着々と外堀を埋められて、私のダラの時間が遠ざかっていく。


「……わかった。それなら皇太子は返上する。今まで通りユーリの専属護衛でいるから俺と結婚してくれる?」

「なんでそうなるのよ!? 私はただ……」


 ただ、勝手に進めてほしくなかった。私の気持ちをちゃんと汲んでほしかった。

 フレッドの気持ちは嬉しいし、ずっと私のそばにいてくれた。いつも誠実に接してくれたから、返事を待ってほしかっただけだ。

 さすがに皇太子だとは思わなかったけれど、それでも本当に一緒にいたいと思えたら受け入れるつもりだった。


「ただ……?」

「……なんでもない。けど、皇太子を返上するなんて言わないで。きっと、フレッドのお父様とお母様が悲しむから」


 だって昨日の晩餐会でおふたりは、確かにフレッドとミカエラに慈愛の目を向けていた。フレッドが自ら選んできたからと、私にも温かく接してくれた。あの場では息子を心配する親でしかなかった。

 だから、あんなに温かい人たちを私のせいで悲しませたくない。


「……マズいな」

「なにが?」

「ユーリを好きになる気持ちが止められない。毎日、どんどん好きになる」

「へ?」


 隣を歩くフレッドが、目元を桃色に染めてうっとりと微笑む。いつの間にか指を絡めて手を繋がれ、指先にキスを落とされた。そのまま囁くように言葉を続ける。


「好きだ。もう絶対に放さない」


 指先に感じるフレッドの息吹と、最後に落とされた爆弾で思わず足がもつれてしまった。フレッドは手を繋いだままさっと支えてくれる。

 より近くなったフレッドとの距離に、私の心臓はバクバクと激しく鼓動して壊れそうだ。


「大丈夫か、ユーリ?」

「え、ええ。大丈夫……」


 顔も耳も首も全身が火照っているのがわかる。こんなに直球で真摯な告白なんてされたことない。いかに今まで蔑ろにされてきたのか、よーくわかった。でもそんな過去を思い出したおかげで、少しだけ落ち着きを取り戻す。


「はあ、おかげで自分を取り戻せたわ」

「うん? どこか痛めたか?」

「いいえ、大丈夫よ。それよりほら、情報を集めましょう」

「そうだな、それじゃあ、まずは——」


 いまだに早鐘を打つような心臓から無理やり意識を逸らして、私は帝都の街をフレッドと歩いた。


 しばらく歩いて、フレッドがふと足を止める。雑貨屋の前だったので、なにか欲しい物があるのかと思ったけれど、その割には険しい顔をしていた。


「フレッド、どうしたの? お店に入らないの?」

「ユーリ、振り向かないで聞いてくれ。ガラス越しにクリストファーが見える」

「……っ!!」


 確かに、雑貨屋のショーウィンドウにクリストファーが映り込んでいた。私たちから三メートルくらい後ろの街灯の横に立っている。私たちの自宅に来てからまだ帝都に残っていたようだ。ジッとこちらを見つめている。


 ここでも物語は原作とはまったく違う方向に進んでいってる。原作通りならクリストファー殿下が、私たちに執着するはずがないのだ。


 さすがにストーカーは前世を含めても経験がないわ……どう対処したらいいのかわからない……。


 クリストファー殿下の仄暗い視線に鳥肌が立ち、不安でフレッドと繋いでいる手をギュッと握る。


「俺がついてる。大丈夫だ」

「あ……そうね。フレッドがいれば安心よね」


 ほっとして力が抜けた。

 そうだ、私にはフレッドがいる。護衛として今までどんな敵からも守ってくれた。


「ただ、俺のユーリをつけ狙うのは許せないな」


 ほっとしたのも束の間。フレッドが獲物に狙いを定め、隠していた牙を剥いた。



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