第13話 物語は始まっていた?

「え? イリスじゃなくて、聖女?」

「うん、間違いなく聖女へレーナよ」


 どういうことだろう? イリスとクリストファーの出会ってから、物語は始まるのではないのか?


「聖女とは……ミカエラが前に話していた物語の女だな?」

「そうなの。本来だったらバスティア王国に現れるはずなのに、リンフォード帝国に出現するなんて……物語が大きく変わっているわ」

「聖女がリンフィード帝国に現れるのは、そんなに大変なことなの?」


 物語についてはざっくりとしか覚えていない。聖女が敵だとはわかっているけれど、どう危険なのかもわからない。


「聖女は邪神を崇めていた今はなきハウゼン王国の末裔なの。闇の力を操って邪神の復活をさせる存在だけど、邪教を崇める教団を叩き潰したから、出てこないと思っていたのに……」

「ああ、テネブリス教団だな。俺が壊滅させたから間違いない」

「そうすれば聖女を倒すためにクリストファーとイリスが協力することもないから、万が一お姉ちゃんが婚約者のままでも安全だと思ったのよ」

「ミカエラ殿下……そんなに前から前世を思い出していたのね」


 心配ないという風に微笑んで、ミカエラ殿下は話を続ける。


「それにイリスの動きもなかったから、物語は始まっていいないと思っていたの」

「ああ、俺もバスティア王国でそれとなく情報は集めていたが、クリストファーと出会ったという事実はなかったな」


 なんとイリスの動きも把握していたようだ。我が妹、いや、さすが皇女というべきだろうか。それにフレッドが私以上に勇者の末裔を知っていて、肩身が狭い。


「それなら俺は父上に話を聞いてこよう。なにか詳しいことがわかるかもしれない」

「お兄様、お願いします」

「ユーリ、少し待っていてくれ」


 フレッドはそう言って私の手を取り、指先にキスを落として甘い笑みを浮かべて颯爽と部屋から出ていった。


「なに今の! めちゃくちゃ皇子様だったんだけど!?」

「うん、本場の皇子様だから」


 思わず絶叫した私に、ミカエラ殿下が冷静なツッコミを返す。それもそうだと気付いて、少し落ち着きを取り戻した。私の中ではフレッドは騎士のままだから、これから先ついていけるのか少々不安だ。


「失礼しました、ミカエラ殿下にお聞きしたいことがあります」

「お姉ちゃん……落ち着かないから、昔みたいに美華って呼んで、普通に話してよ」


 ミカエラ殿下が悲しそうに眉尻を下げる。私は妹のこの表情に弱い。ただでさえ我慢させているという負目と、滅多にわがままを言わない妹のお願いというダブルパンチで、拒否などできるわけがない。


「わかったわ。それならミカと呼ばせてもらうわね。でも公の場では無理よ。ミカは皇女様で私は隣国の公爵令嬢でしかないのだから」

「うん、わかった! それでいいよ、嬉しいなあ……またお姉ちゃんとこうやって話ができて」

「うん、そうだね……」


 私が逃げ出そうとしたことなど露知らず、ニコニコと満面の笑みを浮かべるミカに胸がギリギリと痛んだ。今ならフレッドに捕まってよかったとすら思う。


 陰からこっそり見守ろうと思っていたけど、それだけではダメなのかもしれない。他の手段で皇太子妃なんぞにならない方法を探してみようか。


「それでね、お姉ちゃんは『勇者の末裔』についてどれくらい覚えてる?」

「そうねえ、五百年前に邪神を倒した英雄が忽然と姿を消したことから始まって、イリス様がある日の夜会でクリストファー殿下と出会って恋に落ちるけれど、婚約者がいるからと耐えていたのよね。それで私が刺客を送ったことで断罪することができて、その後もなんやかんやあって、ようやく結ばれる。ってくらいね」

「うん、大筋では合ってるね。その後の『なんやかんや』がざっくりすぎるけど」

「あはは……ごめんね、ちゃんと覚えてなくて」


 大丈夫だよと言って、ミカは物語を改めて教えてくれた。


 続きはこうだ。ようやく結ばれると思ったふたりだが、聖女へレーナが現れる。聖女はクリストファーを望み国王も納得しているが、実は邪神の復活を狙う邪教の信徒だった。


 そのことに気がついたイリスは陰謀を食い止めようと必死になり、隣国の皇太子アルフレッドに出会う。アルフレッドも邪神の復活を阻止したくて手を組むのだ。


 それがクリストファーから見たら心が離れたように感じて、聖女の罠にはまりそうになる。それでもイリスを愛していると聖女を跳ね除け、イリスを信じた。


 その頃、イリスはアルフレッドから熱烈に求婚され、困惑するものの愛しているのはクリストファーだと告げる。

 最後は邪神を打ち滅ぼして、聖女の悪事も暴露し、こうしてイリスとクリストファーは結ばれた。


「なるほど……フレッドはイリス様をお慕いするのね……」

「物語はそうだったけど、わたしが動いてかなり変わってるんだよね」

「そうか、教団を壊滅させたと言っていたわね?」

「そうなの、だから聖女が信徒になることもないし、お兄様がイリスと組むこともないの」


 でも、もしフレッドがイリスと出会ったら、その時はやっぱり求婚するのだろうか。私を見つめるような熱い視線を、イリス様に向けるのだろうか。

 ……いや、そうなったらむしろ私にとって好都合では? それを寂しいと思ってしまうなんて、どうかしてるわ。


「それなら本当にただ聖女として、国のために尽力してくれているだけかもしれないわね」

「うーん。へレーナは聖なる力も確かに使えるから、そうならいいんだけど。でもバスティア王国の生まれのはずなのに、リンフォード帝国に現れたのが引っかかるんだよね」

「まあ、教団が壊滅しているなら、へレーナにもなにかあったのかも」

「そうか……そうも考えられるよね」


 そうしてあらゆる可能性をミカと話していたら、フレッドが戻ってきた。その顔は少し嬉しに綻んでいた。


「ユーリ、ミカエラ。今夜は父上と母上と五人で晩餐だ」

「え! どうして突然そうなるの!?」

「やった! お父様とお母様にご報告したのね!?」

「ああ、ユーリを城に招いたと報告したついでに、聖女の話を聞いてきた」


 いや、それはどちらかというと、私の話がついでだよね?


「ふふふ、お姉ちゃん、わたしがばっちり援護するから、任せてね!」

「ユーリ、心配いらない。俺の大切な人だと見せつけるから」


 美形のふたりがあでやかに微笑んで、眼に染みる。そっと視線を外して頷くしかできなかった。




 晩餐の準備のために侍女を呼んでもらった。脱走した時についてきてくれた侍女は青い顔で現れ、私の顔を見た瞬間、心配したと泣かれてしまった。もう二度としないと本気で約束したので、次はなるべく他の人を巻き込まないようにしなければ。少なくともこの侍女がいない時にしよう。


 それから準備が整って、フレッドが私を迎えにやってきた。


「ユーリ、準備は……」


 部屋にやってきたフレッドが足を止めて、口を半開きにしたまま固まっている。なにかおかしなところがあったかと見直したけど、問題なさそうだ。


「フレッド、どうしたの?」

「あっ……いや。その、とても綺麗で……見惚れてた」


 頬と耳を真っ赤に染めたフレッドは、やや視線を外しながらポソポソと話た。

 そういえば、フレッドのために着飾ったのはこれが初めてだ。光を反射してキラキラと輝くサファイアブルーのドレスにシルバーのアクセサリーと付けて、全身フレッドの色に染まっている。


 フレッドも漆黒のジャガード織りのジャケットで、ポケットチーフは薄紫色だ。普段は下ろしている前髪も後ろにざっくりと流して、眩しいほど整った顔立ちがあらわになっている。はにかむフレッドを見ていたら、私までドキドキと心臓がうるさくなった。


「フレッド、そろそろ行かないと遅れるわ」

「あ、ああ。そうだな。では行こうか」


 そっと腕に手を添えたら、いつもよりフレッドの体温が高い気がした。

 その後晩餐では、宣言通りミカとフレッドが援護射撃を撃ちまくってくれた。


「まあまあ、ユーリさんはとても聡明なのね」

「そうです、母上。その上商売の才能もあるようで、ユーリの化粧品は飛ぶように売れています。これなら皇太子妃として帝国の運営を安心して任せられるでしょう」

「ほう、商売上手なのか。それなら審美眼もあり交渉も上手いのだろう。結婚後は外交をメインに頼めそうだな」

「いえ、さすがにそこまでは……」


 なぜかすでに結婚前提で話が進み、さらに外交まで担当させられそうになっている。勝手に妄想を膨らませるのはやめてもらいたい。


「謙虚な姿勢も皇太子妃にピッタリですわ。ユーリ様はわたくしにも親切で、もう姉のように感じてますの。もうお姉様とお呼びしてもよろしいかしら?」

「ミカエラ、それはいいな。そうすれば他の貴族にユーリが俺の伴侶になるのだとアピールできる」

「はははっ、少しばかり気が早いのではないか、アルフレッド」

「そうですね、まだ婚約もしておりませんし」


 そうそう、気が早いと思います! 全力で同意いたします!!


「そんなことはありませんわ。あのアルフレッドがこんなにも結婚に乗り気だなんて、かつてないことですのよ」

「ああ、ユーリ以外とは絶対に結婚しない」

「うふふ、わたくしもユーリ様以外はお姉様と認めませんわ」

「ははははは……」


 ダメだ……! まったくもって私の意見など通用しない!! 皇帝陛下も皇后陛下も、フレッドの結婚にめちゃくちゃ乗り気になってる——!!


「ユーリ、ずっと大切にするから」


 そしてフレッドにトドメを刺され、私は真っ白に燃え尽きた。



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