第四章 変わりゆく物語

第12話 逃げる悪役令嬢

 私は美華ことミカエラ殿下とフレッドに引きずられ、明らかに皇族の住居区画と思われる一室へ連れていかれた。


 部屋の中は細やかな細工が施され、惜しげもなく金や宝石で飾られた家具が並んでいる。これだけゴージャスでもいやらしさを感じない。上品でシンプルにまとめているからだろうか。


 ソファーもふかふかで生地を撫でると、その肌触りのよさがクセになる。私が座ると侍女がさっとお茶を用意してくれた。無駄のない動きに優雅な指先。すべてが完璧だ。


 ……いったい、いつからこの部屋を用意していたの?


 そう思ったけれど、深く考えるのが怖くなったのでやめた。

 そこへミカエラ殿下の侍女だという女性がやってきた。


「ミカエラ殿下、申し訳ございません。こちら至急の手紙が届いております」

「あー、仕方ないわね。ここはお姉ちゃんの部屋だから好きに使っていいからね。化粧品作りの研究もできるように、道具も素材も用意してあるから。すぐ戻ってくるね!」

「そうだ、ユーリ。ゆっくり休んでいてくれ。俺は父上と母上に報告してくる」

「…………」


 ミカエラ殿下は侍女に呼ばれて部屋から出ていった。フレッドも皇帝と皇后に報告しに行った。もしその報告が私のことだったら。


 皇帝から「うちの息子どうだい?」なんて言われたら断れるのか? 小国の公爵令嬢でしかない私が。


 逆に皇后から「まあ、私の息子に貴女のような女が? 冗談は大概にしてほしいですわ」とか嫌味を言われたら、言い返さずに微笑んでいられるだろうか?


 よし、ここから逃げよう。どっちにしても私にいいことはない。

 美華の安全も確認できたし、皇女なら生活に困ることもない。多少の不便はあるかもしれなけど、あの子なら大丈夫だ。それに皇女様の話は帝国にいれば嫌でも耳にするだろう。


「ねえ、一度荷物を取りに自宅に戻りたいのだけど」

「お荷物でしたらアルフレッド殿下が後程手配するとおっしゃってました。足りないものはすぐに用意いたしますので、不自由をおかけいたしますがお待ちいただけますでしょうか?」

「ちなみに皇城の外に出るのは……」

「申し訳ございません。城内でしかとユーリエス様のお世話をするようにと申しつかっております」

「わかったわ」


 なるほど、どうやら簡単には逃してくれないようだ。侍女にこんな命令をしているくらいだから、騎士に頼んでも私を外まで連れていってくれないだろう。


 そこで私はさも当然のように扉を開けて堂々と部屋から出た。だけど慌てた侍女がすぐに私の後を追ってくる。このままいけないかと思ったが、甘かったようだ。


「ユーリエス様、どうかなさいましたか?」

「いえ、アルフレッド殿下もミカエラ殿下もお忙しいようなので、この辺を散歩したいと思いまして」

「それでは私がご案内いたします」

「お願いするわ。そうねえ、どこか花が見れる場所がいいのだけど」

「かしこまりました」


 侍女は扉の横に立つ騎士に行き先を告げて、静かな廊下を歩き出した。姿勢もよく後ろ姿が美しいから、いい家のご令嬢なのだろう。そうであれば、突飛な行動にはついてこれないはず。それと、私が逃げ出しても処罰を受けないようにしていかないと。


 十分ほど広い通路を歩いて中庭までやってきた。途中で下女たちとすれ違ったけれど、みんな忙しそうにしていた。

 中庭はさほど大きくはないが色とりどりの花が咲き乱れ、生い茂る木が木陰を作り夏でも気持ちよく過ごせそうだ。吹き抜けになっていて日差しが心地いい。中庭の入り口には護衛の騎士がふたり立っていた。


「こちらはいかがでしょうか」

「ええ、とてもいいわ。あ、そうだわ。ここでアルフレッド殿下に手紙を書きたいから道具を用意してもらえるかしら?」

「かしこまりました」


 にっこりと微笑んで侍女の戻りを待つ。このタイミングではまだ逃げ出さない。ここで逃げ出したら侍女に迷惑がかかってしまう。近場で用達したのか、五分ほどで戻ってきた侍女はレターセットとペンを持っていた。


「内容を見られたら恥ずかしいから、少し離れていてくれる?」

「かしこまりました」


 ほっこりした笑みを浮かべて、侍女は距離を取る。私は家に帰ることと、周りを騙したのは私だから決して処罰するなと手紙を書き封を閉じた。

 申し訳ない気持ちをそっと込めて、笑顔を向ける侍女に手紙を届けるように頼んだ。


 侍女の足音が遠のき、また静けさが戻る。

 次はこの護衛騎士たちだ。どうやってここから抜け出そうか。私はあることを思いついたので、ゆっくりと出口に向かう。中庭から出ようとしたところで、やはり騎士に声をかけられた。


「ユーリエス様、どちらへ行かれますか?」

「お花を摘みに」

「え? 花は中庭に……」

「おい、それ以上は言うな」

「……あっ、失礼いたしました」


 優雅に微笑んだまま中庭から脱出した。気まずそうに視線を逸らす騎士たちに心の中で謝りながら、角を曲がって姿が見えなくなったところで下女たちが使う通用扉に滑り込んだ。

 そのまま足早に暗い通路を抜けて、驚きに目を見開く下女に声をかける。


「あの、ごめんなさい。私ユーリエス様の侍女としてきたのだけど、実家からユーリエス様の好物が届くから受け取ってくるように言われたの。食材の搬入口はどちらになるかしら?」

「ああ、そうだったんですね。ドレスのお嬢様がこのようなところにいたので驚きました。こちらです」


 人のよさそうな下女は親切にも目的のところまで案内してくるという。こういった通路は入り組んでいて、まるで迷路のようだ。迷いのない足取りであっという間に、食材の搬入口まで案内してくれた。


「ありがとう。まだ来ていないみたいだから、ここで待っているわ」


 笑顔で手を振る下女にも心の中で謝罪する。搬入口は食材だけでなくさまざまな物が出入りしていた。真新しい下女の制服を見つけたので、こっそりと物陰で着替える。忙しなく動いているせいか、私が着替えたことに誰も気づいていない。


 ふふふ、私を閉じ込めようとしても無駄なのよ。今世では絶対にダラダラして過ごすんだから!


 浮かれた心で城の外へ一歩踏み出そうとして、私の足は宙を切った。

 逞しい腕に抱きかかえられ、視界には青空が飛び込んでくる。太陽に光を背にした男性が、私を見下ろしていた。


「惜しかったな」


 そこには、ニヤリと笑うフレッドの黒い笑顔があった。




「それで、なぜ逃げ出すんだ?」


 今度は専属の女性護衛騎士までつけられて、私はフレッドの詰問を受けていた。フレッドはソファーの対面に座り、長い足を組んで両手を乗せている。ものすごく絵になっているのがちょっと悔しい。


「私はフレッドのプロポーズに応えていないし、閉じ込められるのも嫌だわ」

「ではどうすれば俺の気持ちに応えてくれる?」


 フレッドは切なそうに眉をひそめて、訴えかける。一瞬、ぐっと胸に来たけれど、私だって譲れないものがあるのだ。


「そんなの知らないわ。少なくともこんな風に閉じ込めているうちは無理よ」

「……俺のことは嫌ってもいいが、ユーリを守ることは譲れない」

「守ってもらわなくても結構だわ」

「すまない、それは無理だ。クリストファーみたいな男にユーリが傷つけられるのを見たくない」


 そんな……まさかそんな理由で私を閉じ込めていたの?

 私が傷つかないために……そんな風に思っていてくれたんだ。


 ほろりと心の中にある氷が溶けていく。

 初めて言われたかもしれない。気持ちのこもっていない『好き』も『愛してる』も何度も聞いたけれど、私が傷つくのが嫌だなんて。そんな優しさにあふれた言葉を、私は知らない……いや、知らなかった。


「それなら、やはりユーリには俺のことを好きになってもらうしかないようだ」

「はい?」


 え、どうしてそういう発想になるのかしら?


「俺を好きになれば、プロポーズも受けてくれるだろう?」

「そ、そうね?」


 ああ、そういうことね。確かに好きならプロポーズを受け入れるけれど。


「わかった、それなら専属騎士に戻って、この手でユーリを守りながら口説き落とす」


 ……ねえ、結局もとに戻ってない?


 こうして私の皇城脱出は失敗に終わった。

 うっとりと私を見つめて微笑むフレッドは甘い空気を放ち、ソワソワと落ち着かない。


「ユーリエス様、ミカエラ殿下がお見えです」

「は、はい、通してください」


 そう言い終えるや否や、ミカエラ殿下が部屋に飛び込んできた。


「……聖女が現れたわ」


 聖女とは『勇者の末裔』の主人公イリスが、クリストファー殿下とともに打ち倒すはずの敵だ。邪教を崇め世界を闇に陥れる存在。その聖女が現れた。


 それはすでに物語が始まっていることを意味していた。



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