第11話 その笑顔を守りたい(フレッド視点)

 帝国に来て、俺とユーリ様の夢のような生活が始まると胸を膨らませていた。


 道中の旅も婚前旅行のようでそれはもう楽しかったが、いかんせんユーリの護衛が最優先だったため当然甘い空気はない。でもこれからは違う。ユーリはもう誰のものでもない。


 これでやっと愛しい彼女を堂々と口説けるのだ。この家の中ではフランセル公爵家にいた時よりも、ユーリを近くに感じることができるからこれは最大のチャンスだ。


 帝国に来て一週間が経ち日々の生活も落ち着きを見せ、俺はどうやってユーリの心を揺さぶるか考えていた。


 ところが、ユーリは突然『ダラのプロ』になると言いだした。しかも続けて俺に自由にしろというではないか。てっきりクビにされるのかと思い、それは断固拒否したくて覇気を放ってしまった。


「護衛の仕事はないということよ。家から出ないし。だから家も別にしていいし自由にしてと言ったの!」

「……なるほど、しかしそれでは俺が……」


 いざこれからという時にユーリとの接点がなくなってしまう。俺がここに残るためにはどうしたらいいんだ?


「わかりました。護衛の仕事がないなら、ユーリ様のお世話をします。ですから通いのメイドも不要です。とにかく、俺はユーリ様のおそばにいたいのです!」


 そう言い切って、家事全般をこなすことで家に置いてもらうことになり、尚且つ余計な邪魔者の侵入を防げた。こう見えて騎士として鍛えた際に家事能力も身につけていたので、円滑なスタートを切ることができた。


 そうして危機を脱した俺はユーリを落とすため、日々奔走している。

 しかし、どうにもユーリが無防備すぎて、自分の暴れ出しそうな欲望を日々耐える毎日だ。


 一ヶ月は部屋に引きこもっていたユーリは「これじゃダメだ」と言い出して、新商品の開発を始めた。だから俺は全力で仕事に取り組み、真剣な様子のユーリを見守っている。


 こうなると毎晩遅くまで研究して、食事を用意するわずかな待ち時間でもソファでうたた寝してしまうのだ。風邪を引いては大変だと思い、お姫様のように抱き上げて寝室まで連れていく。


 ベッドにユーリをそっと下ろし、すやすやと安心し切った様子で眠っている。無防備な寝顔を俺に晒すユーリ様に、囁くように懇願した。


「ユーリ様……どうか俺だけを見てください」


 そっと頬にかかった銀糸の髪を耳の後ろに流すと、指先がユーリ様の柔らかな頬を掠める。


 それは白磁のように滑らかでほんのり桃色に色づき、蠱惑こわく的な魅力を放っている。包み込むように優しく触れたら、もう抑えがきかない。触れるだけのキスをしようとして、ギリギリでこらえる。


 慌ててユーリに毛布をかけて、部屋を後にする。たまらずキスしそうになったのは両手では足りない。いつも寸前でなんとか止めて、騎士の面目を保っていた。




 そんな新製品の開発も終わり、今度こそ本気でダラを堪能するとユーリ様は部屋にこもった。

 だが、食事のたびに夜着に近い部屋着姿で俺の前に現れて、その気を許し切った様子に煩悩をこれでもかと刺激してくる。


 そこでフランセル騎士団でも教わった精神を鍛える鍛錬を実践することにした。座禅を組み、親指と中指で円を作り膝に乗せる。目を閉じて浮かんでくる煩悩をただ受け流し、無の境地に至る。


「ふぁ〜、よく寝たわ〜。……え、フレッド、なにしてるの?」


 ユーリ様の可憐な声が聞こえ、ぱちっと目を開いた。


「これは精神的鍛錬です」

「そう、ストイックなのねえ……」


 この頃から俺の日課に精神の鍛錬になる瞑想が追加された。


 しかし、これだけの期間ふたりきりでこの狭い家にいるというのに、なんの進展もない。俺の前でもあんなに砕けた部屋着のままで平気なのだから、そもそも男として見られていないのではと気が付いた。


 おかしい、フランセル公爵家にいた時は頬を染めて視線を逸らしていたから、ある程度意識されていると思っていたのだが……俺の勘違いだったのか?


 この頃には両親からいつ相手を連れてくるのかと、矢のような催促が届いていた。

 両親との約束の期限はすでに半年を切っている。まさかなにも進展がないとは言えず、こちらの準備が整っていないと濁していた。


 そんなある日、買い物に出た先でお忍びのミカエラに会った。たまに俺ひとりで出かけた際にこうして会って、ユーリの様子を確認しにくるのだ。

 個室のあるカフェに入って、二週間ぶりの会話を交わす。


「元気そうだな」

「ええ、お兄様は……まあ、変わらないわね。お姉ちゃんはどう?」

「今はダラの時間だ。今日は昼まで起きてこないと思う」

「ダラ……ぷくくくっ! さすがお姉ちゃんだわ! ああ見えて仕事はバリバリこなすのに、本当は面倒くさがりなのよねえ……ふふふ」


 初めてミカエラから話を聞いた時には、気でも触れたのかと思った。それでもミカエラが知らないような王家の秘密や、国家の敵となりうる邪教崇拝している団体の拠点を言い当てたりしたので信じるしかなかった。


 ユーリの話をする時だけは年相応の笑顔を見せる。俺にとってもミカエラにとっても、ユーリは特別な存在で間違いなかった。


「だけど、どうも俺は男として見られていないようだ」

「あー、そうね。お姉ちゃんはいろいろあったからなあ……ここは胃袋を掴んでいく作戦がいいわね」

「胃袋?」

「お兄様、騎士団でカレーの作り方は教わった?」

「ああ、リンフォード騎士団の名物料理だから、最初の野営訓練で教わったな」


 カレーという料理は、ミカエラが前世の知識というのを使って考案した料理だった。簡単でボリュームもあり、材料は割となんでも使えることから、騎士団の野営ではカレーが鉄板となった。それから名物料理として騎士団の食堂でも出るようになって、馴染み深いメニューとなったのだ。


「それをお姉ちゃんに作ってあげて」

「だが、あれは騎士団で食べるようなメニューだぞ? ユーリの口に合うかどうか……」

「お姉ちゃんはカレーが好物なの。絶対に喜ぶから!」

「わかった。それなら今夜にでも作ってみるか」

「あとはね——」


 こうしてミカエラのアドバイスを聞いて戻り、ユーリの待つ自宅へと戻ったのだ。


 それから洗濯に取り掛かったのだが。

 ユーリの部屋着からはらりと小さな布が落ちた。拾い上げると、それはこともあろうかユーリの下着だった。おそらく五分くらいは固まっていたと思う。


 こ、これは……ちょっと待て。今まではこんなことがなかったが、もしかしたらダラの時間に入ったから俺に洗えということなのか!? しかしこの繊細なデザインは……いやいやいやいやいや!! 見てはダメだ、ユーリに失礼すぎるだろう!! だが、しっかり汚れを落とすためには見なければ……!!


 ちんまりしたレースの塊を握りしめて、十分は葛藤した。そろそろ洗濯を始めないと、日中で乾かなくなってしまう。俺は覚悟を決めて、無我の境地で挑んだ。


 その夜、ミカエラのアドバイス通りカレーを作ったら、ユーリは大喜びしてくれた。

 さて、今日の本番はこれからだ。たっぷりと瞑想をして邪念は振り払った。あくまでもただの護衛として、用件を伝えるだけだ。


「あの……それと、こちらも一緒に出されていたので、一応洗っておきました……」

「ど、ど、どうしてこれが!?」


 ユーリは狼狽まくって、そそくさと部屋に戻ってしまった。

 しまった、そっと部屋着と一緒に渡すのが正解だったのか……!

 どうやら俺はやり方を間違えたようで、三日間もユーリと視線が合わなかった。




 それからは特に問題もなく、ゆったりとした時間を過ごしていた。

 あれは大雨が降った翌日のことだった。朝方まで降り続いた雨が草木を濡らしているが、青空が広がり洗濯をしようとした時だ。


 珍しくノックの音が聞こえてきた。ユーリが家にいる以上、警戒は怠らない。扉を開けずに声をかける。


「はい、どちら様ですか?」

「私だ! クリストファーだ! ユーリエスがここにいるだろう!? ユーリエスを出せ!!」


 なぜ、クリストファー殿下がここに……?


 本当はこのまま追い返したかったが、今の俺はユーリの護衛でしかない。追い返すのか応対するのか、決めるのはユーリだ。仕方なく俺はユーリに声をかけた。


「ユーリ様、目的は不明ですが元婚約者のクリストファー殿下がお見えになってます」

「え!? どうして今頃……?」


 ユーリは驚いていたが、結局応対することに決めた。それなら俺はクリストファーがユーリに危害を加えないように、見張るしかない。ユーリの隣に立ち、クリストファーを正面から睨みつける。


 だがクリストファーの話す内容は、俺の神経を逆撫でした。今さらユーリを婚約者にしたいなどと、よく言えるものだ。散々ユーリを蔑ろにしておいて、自分が廃太子されるのが嫌で迫っているだけではないか。


 感情をなくしたユーリの表情を見て、胸が切り刻まれるようだった。


 ダメだ。このままではユーリを守りきれない。

 護衛でしかない俺は、ユーリがこんな男に振り回されるのを見ていることしかできない。



 俺はユーリの笑顔を守りたい。



 ユーリを傷つけるすべてのものから、守りたい。

 願わくは——この俺の手で。



 クリストファーを家から追い出し、外で控えている皇族の影に声をかけた。


「リンク、いるか」

「はい。ここに」


 俺についている影が、音もなく姿を現した。黒装束に身を包み、まるで闇の化身のようだがこれが彼らの正装だ。特殊な訓練を受けているので、影の中を自由自在に移動できる能力を持っている。


「ユーリを城へ連れていく。馬車を頼む」

「御意」


 短く答えてリンクは影と同化して姿を消した。

 俺はもう気持ちを隠さない。ユーリに求婚して、彼女を俺のものにする。


 それから皇城に連れていき、すべてを話そう。ミカエラにも会わせたい。たとえ俺の気持ちに応えてくれなくても、皇太子として采配できるならユーリを守ることができる。


 もしそれで俺が嫌われたとしても、ユーリが笑顔でいられるならそれでいい。

 ——そう、思った。



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