第10話 一緒に幸せになりたかった

「お姉ちゃん……」


 なんと麗しの美少女が瞳に涙を溜めながら、私を姉と呼んだ。いくらなんでも気が早すぎる。そもそもフレッドのプロポーズだって受け入れてない。


「いえ、私はミカエラ殿下の姉ではございません。挨拶が遅れましたが、ユーリエス・フランセルと申します」

「ユリお姉ちゃん、ずっと会いたかった!!」


 そう言って真珠のような涙を流して、ミカエラ殿下が抱きついてきた。その時、また懐かしい香りが私の鼻腔をくすぐる。


「わたしだよ! ミカ、美華なんだよ、百合ゆりお姉ちゃん!!」

「……え? み……か? 本当に美華なの……?」


 そんな、まさか、そんな奇跡があるわけない。

 ずっと幸せになってほしいと願っていた。あの子だけ残して死んでしまったことをずっと後悔していた。

 その美華が、ここにいる? 私と同じように転生した?

 ——そうだ、この香りは美華がずっと愛用していた香水の香りだ。


「ごめんなさい! お姉ちゃんがこんなことになったのは、わたしのせいなの!!」

「待って、どうしてそうなるの? 本当に美華なら私だって会えて嬉しいのよ?」


 そう言うと堰を切ったように美華は泣き出した。

 とても話せる状況じゃなくて、昔みたいに背中を優しく撫でると「やっぱりお姉ちゃんは変わらない」と美華は泣き笑いした。


「美華、ずっと気になっていたの。ふたり家族だったから、美華だけ残してきて幸せになっているか、ずっと心配していたのよ」

「あ……あのね、わたし実は——」




     * * *




 お姉ちゃんが亡くなったと知らせを受けたのは、会社にいる時だった。

 警察から訃報を聞いても、それが現実だなんて思えなかった。


 あの時の記憶は断片的にしか覚えていない。遺体安置所のひんやりした空気の中で横たわるお姉ちゃんを見て、顔にかかった白い布も外してみたけど寝てるだけじゃんって思った。でも触れてみたら、そこにはわたしを包み込んでくれたお姉ちゃの温もりはなくて。


「お姉ちゃん、ねえ。お姉ちゃん……お姉ちゃん! お姉ちゃん……っ」


 どんなに声をかけても返事が返ってくることがなかった。

 お葬式も私が喪主だったけど、なにかした記憶なんてない。大家さんとお姉ちゃんが担当だったというお店の店主さんたち、後は会社の人たちが弔問してくれたのは覚えている。


 火葬場でひとり、お姉ちゃんが灰になるのを待っていた。

 両親が死んだのはわたしが十二歳の時だ。お姉ちゃんは新卒で働いていたけど生活はギリギリで、でもわたしのためにご飯も用意してくたし参観日にも来てくれた。


 月に一度だけファミレスで外食するのが贅沢で、お姉ちゃんがいたから寂しさも感じなかった。わたしは保険金で大学に通うことができて、ちゃんと就職もできたからこれからお姉ちゃんにたくさん恩返ししたかったのに。


 わたしの心も一緒に燃えて灰になったような気がした。


 それから一週間は会社に休みをもらっていたけど、なにもする気が起きなくてぼーっと過ごしていた。友達からは連絡が来ていたけれど返す気にもなれなくて放置したままだ。


「チョココロネ……食べたいなあ……」


 お姉ちゃんとよく一緒に食べた。一番安いやつを買って、半分こした。

 お姉ちゃんはいつもわたしにチョクリームの多い方を分けてくれて、お姉ちゃんの存在を感じたくて無性に食べたくなった。


 よろよろと起き上がって部屋着の上にパーカーを羽織ってコンビニへ向かった。コンビニの前の信号が青になったから渡っていたら車のライトが迫ってきて、次の瞬間には道路に転がっていた。


 痛みもなにも感じなくて、意識がどんどん闇に呑まれていく。

 最後に強く願ったのは。


 お姉ちゃんと一緒に幸せになりたかった。ふたりとも綺麗な服を着て、たくさんおしゃれして、大好きな人に囲まれてふたりで幸せになりたかった。いつか、ここから愛せる人と——


 それが白木美華の最後の記憶だ。




 それからわたしが記憶を取り戻したのは、毒を盛られてなんとか一命を取り留め目覚めた時だ。一気に美華の記憶が蘇って、しばらくは部屋から出られなかった。わたしはモブキャラの帝国皇女だから、物語にあまり影響力がない。大好きな物語に転生した喜びもあったけど、ある可能性に気が付いた。


 でも、わたしが転生したならお姉ちゃんも、もしかしたら……!


 わたしの願いを神様が聞き入れてくれたなら、きっとお姉ちゃんもこの世界にいるはずだと根拠もなく探し始めた。だけどいくら探してもお姉ちゃんらしき人は見つからない。


 あきらめかけた、その時、とあるご令嬢が最近人気だという化粧品を献上してきた。

 この世界の化粧品は質が悪くてあまりよくない。今回もそうだろうと思ったけれど、小瓶がかわいらしくて手の甲に垂らしてみた。


 ふわりと香る自然の花の匂い。肌に染み込んでいくような使い心地。うっすらとピンクに色づいた液体。


 これは、お姉ちゃんが作っていた化粧品だ!

 節約のためとか言って、いつも手作りしていた。わたしも分けてもらって愛用していたから間違いない。これはお姉ちゃんが作った物だ!!


 それから製作者を突き止めるのはあっという間だった。皇女の権限を最大限に行使して、調べ上げた。なんとお姉ちゃんは物語の舞台である、バスティア王国の悪役令嬢ユーリエスとして転生していた。このままではお姉ちゃんはバッドエンドを迎えてしまう。


 そこでわたしは兄様にすべて打ち明けて、お姉ちゃんを救い出すことにした。ただ、お姉ちゃんの記憶が戻っているかはわからない。慎重に進めなければならないし、下手に動いて物語が変わりすぎても対処できなくなる。大きく動くのは、破滅回避してからだ。


 そこでお兄様にはお姉ちゃんより最高の相手はいないと勧めて興味を持たせ、まずはフランセル公爵家に送り出した。婚約者だけでも決めろとお父様はお兄様にうるさく言っていたから、結婚相手にふさわしい令嬢がいたと言えば反対はされない。むしろ大喜びで留学だのなんだのと理由をつけて送り出すはずだ。


 こうしてわたしはお姉ちゃんと幸せになるために、暗躍した。




     * * *




「それなら皇城に呼びつけて紹介したり、皇帝陛下から命令させればよかったじゃない」

「それじゃダメなの! ただの政略結婚になっちゃうかもしれないし、お姉ちゃんがちゃんと愛されないと幸せじゃないでしょ!」


 そうなのか、美華はそこまで私のことを考えてくれていたのか。ジーンと心が熱くなって、すっかり枯れたと思っていた涙が目頭に込み上げる。


「それでね、お姉ちゃんを結婚相手に決めたらここへ連れてきてって頼んでおいたの! 絶対にふたりはベストカップルだと思ったのよ!!」

「ははは……そういうこと」

「ああ、今まで騙していたようですまない。俺はこのリンフォード帝国の皇太子アルフレッドだ。改めて俺の妻になってほしい」


 アルフレッド。なるほど、確かにアル様でフレッドだ。そもそも美華からはアル様としか聞いてないから、まったく気が付かなかった。


「え、それならお断りします」

「えええ! なんで断るの!? お姉ちゃんには絶対アル様がお似合いだから!!」

「俺はユーリを妻にすると決めたんだ。なにがダメなのか言ってくれ!」

「いやー……だって、ねえ?」


 なんということだろう。この兄妹は私を皇太子妃にしたいらしい。ていうか、フレッドは私を愛称で呼び捨てにしてるし、中身は妹の皇女殿下に背後から撃たれまくっている。

 逃げ切れる自信はないけれど、ダラは譲れないのだ。皇太子妃なんてとんでもない。


「お兄様、絶対にお姉ちゃんは逃しませんわよ」

「当然だ。まずは住処をここに移そうか? ユーリ」

「いえ、それは大丈夫です。もう家に帰りますので。失礼します」

「待て。ユーリ、俺から逃げられると思うなよ?」


 ガシッとフレッドに腕を掴まれ、動けない。

 もう片方の腕も美華に腕を組まれて振り解けない。


「待って待って、本当に帰りたい……!」


 私の言葉はフレッドと美華には届かなかった。



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