第6話 失って気付くもの(クリストファー視点)

 僕が王太子クリストファーとして生を受けたのは、歴史あるバスティア王国だ。

 決して大きくはないが、過去には王族から勇者や聖女を輩出し世界に貢献した国でもある。


 また金色の波打つ髪に、若葉色の鮮やかな瞳が王家の色で、天使のように高潔で美しい見た目は民衆の心まで掴んだ。そのため王族の命令は絶対的で、臣下たちはどんな命令にも従った。


 たとえそれが未婚の令嬢を手籠にしようと、自分の妻を寝取られようと、異議を唱えることはなかった。現に私が好き勝手やっても誰もなにも言わない。

 そういった秩序の中でこの国は保たれている。


 この日は貴族の令嬢子息のデビュタントの夜会が開かれていた。十八歳を迎え今日から一人前の貴族として扱われる。つまりその立ち居振る舞いが家門に影響を与えるのだ。


 そこでひとり薔薇のように美しい令嬢がいたので、ベッドが用意されている休憩室へと連れ込んだ。ベッドへ押し倒し、いつものように命令してやった。


「いいか? これは私の命令だ。王族の命令に娘のお前が逆らえば、家門がどうなるか……わかるだろう?」

「……ですがクリストファー殿下。わたくしには婚約者がおりますので、これ以上はおやめください」

「もう一度言うぞ、お前はこのまま俺の相手をしろ」

「…………」


 今日の令嬢はしぶとい。デビュタントしたての令嬢など右も左もわからず、素直に頷くものなのだが。

 そこへノックの音が響く。無粋な邪魔に苛立ち、怒鳴るように声を上げた。


「なんだ!? 今は私の邪魔をするなと言ったであろう!! お前らは人払いもできんのか!?」

「……申し訳ございません。ジェクト・フランセルでございます」


 その声は紛れもなくユーリエスの父である、宰相の声だった。こんなところまで来て声をかけるくらいだ。なにか緊急の用件なのか?


「宰相か……いったいなんの用だ?」

「娘のユーリエスのことでお話がございます」

「ユーリエスだと?」


 今、このタイミングで一番聞きたくない名前だ。そもそも私が他の女で欲を吐き出しているのは、ユーリエスが貞操を守り続けているからだ。王家のしきたりで花嫁は乙女でなければならないからと、古臭いことばかり言うからではないか。


 結婚すれば他の女など相手にせずとも、あのユーリエスを抱けるのだ。それまでのただの遊びでしかない。それに今までだって、どんなに私が女遊びしていてもただ微笑み受け入れていた。

 他になにかあるのか……?


「お前はもう会場へ戻れ。気が逸れた」

「かしこまりました」


 女は乱れたドレスを直し、ホッとした様子でそそくさと休憩室から出ていく。その女にチラリと視線を向けて、フランセル公爵が入れ替わりで部屋へ入ってきた。私はベッドに腰掛けたまま、面倒な気持ちを隠さずに声をかける。


「それで、用件はなんだ?」

「……クリストファー殿下にはお心当たりがございませんか?」


 私が質問しているというのに、フランセル公爵は答えをはぐらかす。心なしかいつもの宰相とは雰囲気が違うようだ。なぜかグレーの瞳で睨みつけられ、鋭い視線がナイフのように突き刺さる。


「なんのことだ、はっきりと言え。こんなところまで来て、いい迷惑なのだ」

「左様でございますか。それでははっきりと申し上げます」


 フランセル公爵がここで言葉を一旦止めた。一呼吸おいて私が口を挟む間もなく、話しはじめた。


「まずは、このたび非常にめでたいことに、クリストファー殿下と愛娘ユーリエスの婚約が解消の運びとなりました。そのお知らせでございます。それと、こんなところまで来てとおっしゃいますが、私としましては一週間ほど前からクリストファー殿下にお会いしたいと申請しておりましたが、ご都合が合わないようでしたので国王陛下にご相談しことを進めたのでございます。それゆえどうしてもご報告だけでもと思い、クリストファー殿下を探していた次第です。それにしても……クリストファー殿下は少々遊びが過ぎるのではないですか? あの少女は確かバートン侯爵家の次女で、嫡子レイチェル嬢の婚約が破棄された関係で現在は後継となったはずです。それをもしクリストファー殿下が乙女を散らして婚約破棄となったら……バートン侯爵も黙ってはおりますまい」


 情報量が多くてついていけない。

 なんだって? 婚約を解消した? 誰と誰と言ったか。それに、さっきの女が昔私の相手をさせたレイチェルの妹だって? だからなんだと言うのだ。


「さっきの女のことなどどうでもよいだろう! ただの気まぐれなのだ。婚約破棄されたとしても、別の相手を探せばいいだけではないか」

「そうはおっしゃいますが、お相手はリンフォード帝国の王弟の三番目のご子息でございます。このことが相手に知られたら、両国の関係は一気に緊張状態になるでしょうな」


 むしろ私を助けたのだと言いたげな宰相の言葉に、なにも返せない。確かにそれは相手が悪かった。私が婚約者を寝取ったと知られたら、帝国に反意があると捉えられる可能性がある。

 さすがに帝国相手では戦力に差がありすぎて、我が国には分が悪い。


「くっ……ならば、婚約解消というのはなんだ? いったい誰と誰の話だ!」

「先ほども申し上げましたが、クリストファー殿下と私の愛娘ユーリエスの婚約を解消したと申し上げました」

「……私と、ユーリエスだって……? なにを馬鹿な……!」

「そうおっしゃられても、すでに婚約は解消しております」

「そんなもの、私は認めない! ユーリエスは私の婚約者だ!!」


 なぜ今までユーリエスに手を出してこなかったと思っているのだ。これから私の妻になるとわかっていたから、我慢していたのだぞ。あれほど美しい女など他にはいないではないか! あの女以外に私にふさわしい妻などいない!!


「……クリストファー殿下」


 フランセル公爵の低く鋭い声に、私はびくりと身体を震わせた。喉がカラカラに乾いて張りつき、声が出ない。嫌な汗が背中を伝っていく。

 まるで獰猛な獣が、本気で私を殺そうとしているような感覚に襲われた。


「今回は円満な婚約解消をユーリエスが望んだので、私もそのように処理しました。ですが……」


 臣下のくせに私を見下ろすように立ち、グレーの瞳にはすでになんの感情もこもっていない。ただその瞳の奥に仄暗い闇が広がっていた。


「クリストファー殿下がユーリエスを泣かせたことは、決して忘れていませんよ」


 そのまま踵を返して出ていくフランセル公爵を、息をするのも忘れて眺めていた。ゆっくりと閉ざされた扉の音でハッと我に返る。


「なっ……なんなのだ……! あの態度は……!」


 息苦しくて肩を大きく上下して、深い呼吸を繰り返した。冷や汗が額を伝って落ちてきて、気持ち悪い。

 それよりも。


「ユーリエスと婚約を解消したのか……本当に? 私の意思は関係なく……?」


 私は事実を確認するべく父上のもとに向かった。




 会場に戻ると、デビュタントの白いドレスを着た令嬢たちがクルクルとダンスホールで回っていた。先ほど休憩室へ連れ込んだ女も視界に入ったが、もう興味も湧かなかった。


 王族席にいるはずの父上へ向かって真っ直ぐに足を進めていく。王族席には父上の隣に私の席もあり、ゆったりと構える父の隣に腰を下ろした。


「父上。少し確認したいことがあります」

「うん? なんだ。このようなめでたい夜会に似合わん形相だな」

「私が……ユーリエスと婚約解消したというのは本当ですか?」


 私が尋ねると父上は面倒そうな表情になり、視線を逸らした。


「ああ、間違いない。なんでもお前に近づいた令嬢を排除したと自ら退いたのだ。まあ、賢明な判断であったな。見た目だけはよかったから惜しい気持ちもわかるが、それだけで王太子妃にすることはできん」

「なぜ……私に相談もなく……!」

「なにを言っておる。二度も呼び出したのに、応じなかったのはお前であろう。次の相手探しもあるから私が承諾したのだ」

「そんなもの、用件を書いてくださればすぐに伺いました」

「はあ、もうこの話は終わりだ。ほら、次の婚約者でも選んでまいれ」


 父上からの呼び出しは確かにあったが、ただ時間ができたら執務室へ来いというものだったから無視していたのだ。フランセル公爵からの手紙も、おそらくユーリエスのことを大切にしてほしいとか、そういう内容は前にもらっていたから、きっとそうだと思って読んでいなかった。


 そんな……本当に私とユーリエスが婚約解消してしまったのか……!


 ぽっかりと胸に穴が空いたような、当たり前にあった存在がなくなって支えを失ったような。

 そんな喪失感が私の心を埋めていた。


 賑やかなデビュタントのざわめきも、夜会を盛り上げるダンスの演奏も、花のように舞う令嬢たちも、すべて遠くの出来事のようだった。



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