第7話 ダラの時間がやってきた

 ついに、ついにダラの時間がやってきた。


 かつてこれほどまでにダラの時間に期待を抱いたことがあっただろうか?

 答えは否。


 前世ではいつも夕方には翌日の仕事のことが頭をよぎり、ほんの数時間しかダラの時間を堪能できなかった。帝国に来てからの一カ月間も目的のないダラだったから、これほどまでに心ときめかなかった。


 新商品の開発を終えた瞬間、もう私の心はふわふわと軽く、なーんにもしない時間のことで頭がいっぱいだった。


 私はドレスを脱ぎ去り、ゆったりとしたシフォンドレスを身にまとう。

 飲み物とつまみ食い用の焼き菓子を用意する。甘いものを食べたらしょっぱいものも欲しくなるので、塩の効いたミックスナッツも準備しておいた。

 食事についてはフレッドに面倒をかけるのが申し訳ないので、ダイニングテーブルでいただくことにしてある。


 ただし、この貴族令嬢でいうところの部屋着であるシフォンドレスのまま、食事をいただく。この家にはフレッドしかいないし、前世では真夏は特にタンクトップとショーツ一枚だった私から見ればちゃんとしている方だ。


 それからベッドの上に大きめのクッションをふたつと、小さめのクッションを何個か置けば完璧だ。


 フレッドにはすでにダラの時間に入ると宣言してあるので、よほどでなければ寝室までやってこない。

 グイーッと伸びをして、思いっ切りふかふかのベッドにダイブした。


「はあああ〜、やっとゆっくりできるわ〜!」


 寝転びながら街で買ってきた人気のマドレーヌを口の中に放り込んだ。

 ふわりと広がるバターの香りとコクのある甘さ、しっとりとしているのにふわふわの生地が口の中でほどけていく。疲れ切った心を癒す極上スイーツに顔が緩む。


 紅茶をひと口飲んででスッキリしてから、サイドボードに置いてあった読みかけの本を手に取った。しおりを挟んだページを開き、あっという間に物語の世界に没頭していく。


 同じ姿勢では首や肩が痛くなるので、こまめに体勢を変えて本を読み続けた。大きなクッションに頭を乗せて、もうひとつの大きなクッションは膝の裏に入れて、小さなクッションは両脇に置いて肘を乗せる。これが一番お気に入りの体勢だ。

 少し手を伸ばせばサイドボードの上にあるスイーツもミックスナッツもつまめる。これが一番大事なので、食事のたびに食べた分を補充している。


 今読んでいるのは、この世界の恋愛物語だ。

 笑わない悪女が浮気した王太子から婚約破棄されて、爽快にやり返し隣国の皇太子から溺愛されるお話だ。悔しがる王太子にスッキリして皇太子のヤバいくらいの愛情に大満足だった。


 この世界でもこういうお話が読めるということは、日本人だろうが誰であろうが、感じるところは同じなのだ。正義には勝ってほしいし、悪者は報いを受けてほしい。そして主人公にはとことん愛されてほしいのだ。


「ふふ、こういうのは美華が好きなのよね。よく読まされたっけ」


 今でも美華のことを思い出す。ひとり残してしまった妹は、私が死んでもちゃんと立ち直っているだろうか?

 私と違ってぱっちりとした瞳に愛嬌のある笑顔で、いつも周りを明るくする向日葵のような子だった。


 どうか幸せになっていて——そう願わずにはいられない。




 それから何時間くらい経ったのだろうか、気が付けば部屋は薄暗くなっていた。道理で本が読みづらいと思った。


「お腹すいたわね……なにか食べる物はあるかしら」


 私はしおりを本に挟んで、キッチンのある一階へと下りた。

 階段を降りる途中からいい匂いが漂ってくる。香ばしくてスパイシーで食欲をそそる懐かしい匂いに、自然と足が早まった。


「フレッド! 今なにか作ってる!?」

「あ、ユーリ様。ええ、騎士たちに一番人気だったカレーを作ってます」

「カレー!!」

「ユーリ様の口に合うかわかりませんが、味は保証しますよ。女性騎士にも人気で——」

「大丈夫! 食べるから! 大盛りでお願いします!!」


 カレーだ。カレーライスだ! カレーライス!!

 まさかこの世界にはあるとは思っていなかった。少なくともバスティア王国では見たことがない。もしかして帝国のオリジナル料理なのか、それとも一般市民には馴染みの味なのか。


 久しぶりすぎて大興奮してしまったけれど、貧乏姉妹の食卓には週に一度は並んでいた料理だ。一人暮らしでも外食したり、買ったりして食べるくらいは好きだった。


 フレッドが用意してくれている間、そわそわしながらもおとなしく椅子に座って待っている。十分ほどで、大きな皿にこんもりと盛られたカレーライスが運ばれてきた。


 ひと口頬張ってみると、刺激的な香辛料の香りが口の中いっぱいに広がって、塊のお肉が驚くほど柔らかくほろほろと崩れていく。ピリッとした辛さと煮込まれた素材の旨みが私の心を揺さぶった。


「本当にカレーだ……! ありえない……!」

「実は妹もこの料理が好きだったのでユーリ様もお好きかと思ったのですが……お口に合いませんでしたか?」

「違うの! あまりの懐か……おいしさに感激していたの! この料理は私も好きだから、これからも定期的に作ってくれる?」

「はい、もちろんです。このような料理でよければ、いくらでも。他に希望はございませんか? うまくできないかもしれませんが、挑戦してみます」


 それならと、あまり手間がかからず失敗の少ない料理をお願いすることにした。

 オムライスとかハンバーグとか、気が付いたら美華によく作ってあげた料理ばかりだったけど。レシピも教えたので今度作ってくれることになった。


 大盛りカレーをペロリと平らげて満足した私は、まだまだダラの時間を過ごすため部屋に戻ろうとした。


「ユーリ様、少々お待ちください。お渡ししたいものがあります」

「渡したいもの? なに?」

「こちらです」


 そう言ってフレッドが持ってきたのは、洗濯を終えた部屋着だった。


「あら、ありがとう」

「ダラの時間はお部屋には近づくなとおっしゃいましたので、夕食の際にお渡ししてもよろしいですか?」

「もちろんよ。これくらいならすぐに片付くし」


 洗濯物といっても、部屋着くらいしかないのでさほど多くはない。用は済んだはずなのにフレッドは頬を染めて恥ずかしそうに口篭っている。


「あの……それと、こちらも一緒に出されていたので、一応洗っておきました……」


 震えるてで視線を逸らしつつ渡されたのは、こともあろうか私の総レースのパンツだった。一瞬固まったけれど、即座に奪い取り部屋着の間に突っ込む。


「ど、ど、どうしてこれが!?」

「部屋着と一緒に洗濯に出されていたのです。今までこのようなことはありませんでしたが、ユーリ様はダラの時間だから洗濯されるのもお嫌なのではと……あの、俺が洗ったのが気持ち悪ければ、もう一度洗い直してください」

「いえ……だ、大丈夫。ありがとう、部屋に戻るわ」


 それだけ言って、私は部屋へダッシュした。

 なんという失態だ。いつもならお風呂に入ってそのまま洗うのに、昨日は浮かれすぎてそのまま出してしまったのだ。


 しかもよりによって総レースのパンツ。普通のフリルたっぷりのパンツより恥ずかしく感じるのはなんでだろう。


 それよりもこんなパンツをフレッドはどんな顔で洗ったのだろうか? フレッドに大変申し訳ないことをしたと、己の迂闊さを悔やんだ。でも、照れた様子のフレッドが新鮮でかわいかったのは内緒だ。


 それからは平穏な時間が続き、新商品の売れ行きは好調でますます生活は安定している。好きな時に起きて好きな時に寝て、好きなことだけして過ごしていた。


 しっかりと休んだおかげで、心も体もリラックスできた。そろそろ働くかと思っていた矢先のことだ。珍しくフレッドが私の部屋へやってきた。


「ユーリ様、目的は不明ですが元婚約者のクリストファー殿下がお見えになってます」


 どういうわけか、クリストファー殿下がやってきた。



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