第5話 俺の心は奪われた(フレッド視点)

 俺はフランセル公爵家の護衛騎士として雇われることに成功した。さらに、とある事情があって、公爵の愛娘であるユーリエスの専属護衛として仕えることになった。


 正直なところ出会った時は特になんていうこともなかった。

 漆黒の艶のある髪に、アメジストのような薄紫の瞳。鼻筋は真っ直ぐに伸びて、ぽってりとした唇は桜色に染まり、まあ、容姿は整っていると思う。


 俺は幼い頃から勉強も剣術も魔法も、他の誰よりも努力して身につけてきたから、こんなご令嬢のひとりやふたり護衛するのは簡単な仕事だ……と思っていた。


「フレッド・フォードと申します。本日よりユーリエス様の専属護衛として配属されました。よろしくお願いいたします」

「そう、よろしくね。早速だけど、今日の午後は出かけるから、護衛をお願いするわ」

「承知いたしました」


 専属護衛として、当然のようにユーリエスの後に続く。常に周囲に気を配り、怪しいものや危険はいないか探し、無事に帰宅できるよう努めを果たせばいい。そう思っていたのだが。

 馬車で向かった先は王都から出て南に三十分ほど下ったところにある森だった。


「ユーリエス様、このような森にいったいどんなご用なのですか?」

「薬草の採取よ。あ、この森は魔物も出るから、しっかり護衛してね」

「護衛はしますが、薬草など王都でも売っているではありませんか」


 すると、漆黒の艶髪が揺れてユーリエスが振り向いた。


「私には、なにがなんでも、やらなければならないことがあるの。そのためにはツルツル草が絶対に必要なの」

「ツルツル草」

「そうよ、家の図書室で調べたけど、きっとこの薬草が私の求めていた答えだわ」


 そう言ってまた前を向いて歩き出した。ツルツル草なんてかすり傷を直すくらいしか治癒効果がなく、食べても苦いだけの売り物にもならない薬草だ。

 それをわざわざ拾いに来るなんて、なんというか箱入り娘の道楽かなにかなのだろうか?


「あった! あったわ!!」


 ユーリエスは服が汚れるのも、顔に泥がつくのも気にせず、薬草を手に入れた。その時の満面の笑みが俺の心に焼きついた。それからユーリエスの人となりを注意深く観察しはじめた。


 最初に気が付いたのは、とても聡明な方だということだ。

 ユーリエスは事業を立ち上げたいらしく、その核となる商品の開発をしていた。普通の貴族令嬢なら人を雇い注文だけつけて終わらせるのに、自身で研究や開発をしているのには驚いた。


 さらにメイドや家令にも慈愛を持って接している。使用人が失敗しても怒鳴りつけることはなく、理由を聞いて改善案を出していた。


 そうすることで使用人の働く環境はどんどんよくなるし、人材育成にも繋がる。怒鳴られないからのびのびと仕事もできて、よりユーリエスの役に立とうと使用人たちは努力した。


 こういうやり方もあるのかと、俺が学んだくらいだ。貴族は目下に決して謝罪をしないのがほとんどだが、ユーリエスは自分に非があると思ったら素直に謝罪する。


 そのことに心を動かされた使用人は少なくない。そうやって、俺も含めて忠誠心の高い使用人に囲まれているのだが、本人はそれに気が付いていないようだった。

 そんなところも、ユーリエスらしくていいと思った。


「フレッド、明日は街へ出かけるわ。そうねえ、王城に行った帰りに寄りましょう」

「ですが明日は、クリストファー殿下とのお茶会のご予定ではないですか?」

「大丈夫よ、あの方いつも来ないから。十分ほど待って悲しそうな顔して歩けば、誰も私に声をかけられないわ」


 そんなことをなんでもないように言いのけた。婚約者に冷たくされたら怒って詰め寄るか、悲しみで泣くのが貴族令嬢だと思っていたけど、ユーリエスは違った。


「承知いたしました。行きたい店は決まっていますか? お探しのものがあれば、俺もお調べいたします」

「大丈夫よ、情報はあるの。あまり行ったことがない場所だけど、フレッドがいるから心配ないわ」


 そんな風にさらっと俺を頼りにしているみたいなことを言う。そこまで言われたらユーリエスの……いや、ユーリの髪の毛一本にも傷をつけられないではないか。


「護衛はお任せください……その、ユーリ様とお呼びしても?」

「……ええ、もちろんよ!」


 俺はこの瞬間、花が咲くように笑ったユーリに心を奪われた。


 いや、とっくに心を奪われていたけど、ユーリが好きだと自覚したのはこの時だ。


 この頃は実家からそろそろ戻ってこいと連絡が来ていたが、こんな状態で離れられるわけがない。やっと妻にしたい人に出会ったと両親に事情を話して一年間の猶予をもらった。


 ずっと結婚しろとうるさかったから、文句はないだろう。では、この状態でどうやってユーリを自由にして俺に惚れさせようか? 残り一年だ。時間を無駄にしていられない。


 妹にも結婚の決心がついたら連れてこいと言われていたが、今の状況では無理だろう。ユーリはまだクリストファー殿下の婚約者だ。まずはこのクズ男をなんとかしなければ。俺は思考を巡らせた。




 ——それから四カ月後。


「フレッド! ヨシュアさんを紹介してくれてありがとう! 化粧品工場も場所が確保できたし、帝国で暮らすための家も確保できたわ! これで夢に一歩近づけたわ!!」

「ユーリ様、おめでとうございます。お役に立ててなによりです」


 俺は帝国出身だと話したことを利用して、ユーリの独立を手助けした。なんのためにユーリがこんなに努力しているのかなんて、考えるまでもない。あのクズ王太子から逃げるためだ。

 それなら、俺が後押しして早めれば、俺にも早くチャンスがやってくる。


 ユーリと出会ってから十カ月。両親からもらった猶予はあと八カ月。のんびりなんてしてられない。最近では、目が合うたびに頬を染めて視線を逸らすユーリを、これでもかと抱きしめたいがなんとかこらえている。


 早く俺だけ見てくれないだろうか。

 そうしたら溶けるほど愛して、絶対に手放さないのに。


 そうして、ついに準備を終えたユーリは、フランセル公爵の執務室へと向かった。

 屋敷の中では護衛は必要ないというが、俺が離れていたくないから護衛の立場を使ってそばにいるのだ。それを申し訳なさそうにしているユーリがまたかわいい。


 普段はクールな美人が眉尻を下げて困ったように微笑んで、なんでこんなに愛らしいのかと密かに悶えている。本当にあのクズ王太子は見る目がないし、もったいない。


 それなのにユーリの部屋に戻ると、突然こんなことを言われた。


「ねえ、フレッド。貴方、恋人はいるかしら?」

「は!? 恋人なんていません!!」


 思わず大声を出してしまった。ユーリはただでさえ事業の立ち上げで忙しくしていて、俺のことなんでまったく眼中にないのだ。万が一にも変な誤解をされたら、ますます俺を見てくれなくなる。


「じゃあ、問題ないわね。私、この国を出て行くことにしたの。もし護衛としてついてくるように、お父様から打診を受け——」

「行きます。俺はユーリ様の専属護衛です。俺が行かなくて誰が行くというのですか。今すぐフランセル公爵に交渉してきます……!」


 やっとだ、やっとこの時が来た。このチャンスを絶対にものにすると決意し、俺はフランセル公爵の執務室の扉を開いた。


「フレッドか、来ると思っていたよ」

「それなら話は早いです。俺はユーリ様の専属護衛として帝国へ行きます。許可をください」


 フランセル公爵はバスティア王国の宰相を務めるほど、有能な人物だ。とある事情もすべて話した上で公爵家の護衛として雇ってもらえたのだから、俺の言いたいこともわかっているに違いない。


「本当に任せていいのか?」

「当然です。もうとっくに覚悟を決めています。むしろこの時を待っていました」

「今はただの父親として聞いている。私の娘を何者からも守り抜けるか? 決して泣かせないと約束できるか?」

「——どんなことからも、どんな相手からも守り抜き、決して悲しませるようなことはしません」


 鋭いグレーの瞳に浮かんだ猜疑の念が、ゆっくりと霧散していく。フランセル公爵が視線を逸らしたことによって、絡みついていた視線も途切れた。


「もし、娘を泣かせたら、私は絶対にお前を許さんぞ」

「はい、肝に銘じます」

「ではユーリエスを頼む。どうか幸せにしてやってくれ」

「お任せください」


 こうして俺はフランセル公爵の許可も得て、ユーリの専属護衛として帝国へ旅立った。

 ユーリの部屋へ戻り一緒に行くことになったと報告した。その時のユーリのポカンとした顔がこれまた愛らしくて、密かに悶えることになった。



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