雨のように、線を引く

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

雨のように、線を引く

 雨が降っている。

 それを教室から、ぼうっとながめている。

 ここにいるのは僕と、自分の席で本を読んでいる牧野さんの、二人だけ。


「止みそうにないね」


 牧野さんが、本から顔を上げて言う。


「もうしばらく、粘ってみるよ」


 僕は外をながめながら、なんの気もないというふうに言う。


 傘がないから帰れない。

 そう言い訳をして、このままここに留まり続ける。

 カバンに折りたたみ傘を入れていたかどうか、確認はしていない。今のところ、する気もない。


 雨音は静か。

 人の声も気配もなく、牧野さんが本のページをめくる音が、いやに大きく響くようだった。


「この本、もうすぐ読み終わるけど」


 また牧野さんは顔を上げて、僕を見て、口を開いた。


「そうしたら、やることがなくなるから。えっと、もしお願いできるなら、数学とか、分からないから、教えてくれない?」


 牧野さんの目は、少し泳いでいたような気がする。

 けれどじっと見ていたわけじゃないから、本当のところは、分からない。


「僕でよければ」


 僕がそう返して、牧野さんは少し考えるようなそぶりを見せて、それからしおりを本にはさんで、閉じた。


「一気に読み切っちゃうのは、もったいない気がするし」


 そう言って、牧野さんは本をしまった。


 机を動かして、くっつけて、二人並ぶ。


「この問題は、補助線をここに……」


 牧野さんの机上に手を伸ばして、問題集に、鉛筆を入れる。

 勉強を教えているから、そういう理由で、牧野さんの問題集に、僕の痕跡が残ってゆく。

 雨粒のように、僕の線が引かれてゆく。


「じゃあ、この問題は、ここ?」


 牧野さんの手が、割り込むように、鉛筆を伸ばす。

 僕たちの手が、交差するように動いて、一瞬、触れる。

 ただ勉強をしていて、たまたま触れてしまっただけ。

 それ以上の理由はない。

 そう、言い訳をする。


 雨はまだ、降り止まない。

 それを理由に僕たちは、問題集に補助線を引き続ける。

 雨のように。

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雨のように、線を引く 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker

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