未来へ誘う声

藍崎乃那華

「」


 私は生きることに希望を持てなかった。家での虐待、学校でのいじめ、全てが耐えられなかった。弱い、と言われたらそうかもしれない。けれど、弱くてもいいから。この現実から逃げたかった。


 いろいろなことを考えている内に、屋上に辿り着いた。ここの屋上は、ビルの六階部分に相当する高さであると誰かから聞いたことがある。ここから飛び降りれば……。


「ここから飛び降りれば、なんて想像してる?もし君が自殺するのなら、その前に私のやりたいことに付き合って欲しいな。自殺するのは、その後からでも出来るでしょ?」


 後ろから声がして慌てて振り返った。 

 そこには、さっきまでいなかったはずの女の子が立っていた。

「なんで、」

 咄嗟に口から驚きの声が漏れた。

「なんでって、君がまだ生きる希望を捨てきれていないからだよ。」

「そんなこと、なんであんたにわかるんだ!家にも学校にも居場所がない。誰かに助けを求めても、皆見て見ぬふりしかしない。そんな現実は、もう嫌なんだよ……。」

 私はそう言いながら泣き崩れてしまった。

「それなら、私のしたいことに付き合ってくれた後また屋上に戻ってくればいいよ。それからでも決して遅くはないよね?先に、私のしたいことに付き合ってよ!」

 彼女は無邪気にそう言うと、躊躇することなく私の方に来て手を掴んだ。そして、どこかへ向かって走り出した。

「学校に行くつもり……?」

「ご名答!今スマホ、持ってるよね?」

「持ってるけど……。」

 彼女が何をしたいのか私には全くわからなかった。けれど私はなぜか、彼女のすることに抵抗をしなかった。しなかった、というよりは出来なかった、と言う方が正しいかもしれない。


「校長先生とこの子の担任、呼んでもらえますか?」

 彼女は学校に着くなり職員室に向かってそう叫んだ。

「こ、校長先生?それより、あなたは誰だ一体!」

 職員室の窓から慌てた様子の先生が叫び返す。言うまでもないけれど、先生はかなり動揺していた。

「今、この学校でこの子がいじめられてるんですよ。その事実を確認したいと思いまして。」

 彼女は職員室にいた先生にそう続ける。

 私は今とんでもない事をしている、ということだけは自覚していた。けれど私には彼女を止めることが出来なかった。

「中に入って。話はそこで聞こう。」

 しばらくすると私の担任の先生が来てそう言った。意外にも、担任の先生に動揺しているよう様子はない。

「それで、いじめと言うのは?」

「これを見てください。」

 彼女は私のスマホを操作し、ある動画を見せた。その動画は、以前私が複数の同級生から暴行を受けているときに、その中の一人がその様子を撮影していたたらしく、それを送りつけられたものだ。いつか役に立つかもしれないと思って保存しておいたものの、こんな形で誰かに見せることになるとは思っていなかった。

「……。」

 担任の先生は無言のまま動画を眺めていた。

 けれど動画が止まると同時に、無言だった担任は口を開いた。

「これは、ただの同級生とのお遊びでは無いですか?いじめ、と言うからもっと酷いものなのかと思ったら、ただのお遊びじゃないですか。もし本当に嫌ならば、彼女たちに言えばいいだけの話でしょう。」

 担任が淡々と告げた言葉を聞き、私は呆然とした。これがお遊び?私の脳はその言葉の意味を理解することを拒絶した。

「先生、その言葉は酷すぎませんか?」

「こ、校長?!」

 気がつくとドアの横に、校長先生が立っていた。そのことに担任も気づいていなかったらしく、咄嗟に発した声は先程とは別人のようだった。

「途中からここで動画を見ていましたが、彼女がされた行為は間違いなくいじめだったと判断します。加害者には然るべき対応を考えなければなりません。

 彼女はよく勇気を出して我々にいじめの事実を教えてくれました。それを否定するような発言など、教師以前に人として、許される行為ではないはずです。先生、あなたにも厳しい処分が下されると思っておいてください。」

 校長先生のはっきりとした言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。

 私の味方なんて、誰もいない。周りの大人は誰も助けてくれない。そう思っていたのに……。

「先生、この子が虐待されていると訴えた時にも似たような発言をされていますよね?」

 予想もしていなかった展開に私が驚いている横で、彼女はいきなりそう担任に言った。

 なぜそのことを彼女が知っているのか。とても疑問だったけれど、確かに彼女の言ったことは事実だ。私は以前、ある先生に虐待を相談したことがある。けれど先程の担任と似たような反応しかしてもらえなかった。それ以来、誰に助けを求めても無駄だと思い、誰にも相談することはなかった。

「そうなのですか?」

 校長先生の表情が段々と怒りに染まっていった。

「だって、虐待なんて躾の一種では無いですか!私たちが子供の時では当たり前だったことも、今では虐待だ虐待だって……。私たちのときは、当たり前だったのに……。」

 先程の担任からは想像できないほど狂った様子で、自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。その様子を見て、担任も私と同じような幼少期を経験し誰にも助けてもらえなかったのだろう、と悟った。

「先生、確かに私たちのときは当たり前だったかもしれません。けれど、私たちと彼女は違います。それなのに、私たちの経験を押し付け、彼女の助けての声を無視するのは間違っています。私たちがすべきことは、経験を押し付けることではなく、彼女だけの助けを求める声に耳を傾け、より良い方向に導くことではないのですか?

 本当は、先生自身が一番それを理解しているはずですよ。」

 校長先生がそう言い終えた時、私の目は涙で溢れていた。

 

『誰にも理解されない』


 ずっとそう思ってた。

 ずっとそうやって言い聞かせて耐えてきた。

 いつの間にか『 助けて』って言葉は、誰にも言えなくなっていた。

 けれど、理解してくれる人はこんな近くにいたんだ……。

「それじゃ、一旦帰るよ。あの屋上に。」

 彼女はそう小声でつぶやくと、私の手を掴み、さっきの屋上に向かって走っていった。

「ちょっと待ちなさい!」

 後ろから制止する声が聞こえた。けれど、私たちは屋上に向かって走り続けた。


「ねぇ、これからどうする?」

 屋上についてすぐ、彼女は私にそう尋ねた。

「どう、って……。」

「まだ、ここから飛び降りたい?」

 私はその質問に、すぐに答えることが出来なかった。さっきまでの私なら、迷わず飛び降りたいと答えたはずなのに。

「私がやりたかったことは、あなたを助けてくれる人は身近にいるよ、ってことを伝えることなの。まだあなたは生きる希望を完全に捨てていなかった。ただ現実逃避のためだけに、ここから飛び降りようとしてた。けれど、生きることが出来るのに自分からその可能性を捨てないで欲しかったんだ。」

「でも、」

「わかってるよ。飛び降りた方がマシだと思うほど辛い現実だったこと。でも、ここから飛び降りる勇気があるなら、意外と何だってできるよ。今日みたいに、ね?」

 彼女の言葉で、目が覚めた気がした。

 私は、ただ逃げようとしていた。この、辛い現実から。

 けれど、逃げたらそこで終わりなんだ。

 生きていれば、今の現実を変えられる可能性だってあるのに。

「これから、私はどうすれば……。」

 自分の中で正解が見つけられず、彼女にそう尋ねた。

「それは、一番自分がわかっているんじゃない?」

 彼女は私を見透かすように静かに笑いながらそう答え、夜の闇の中に消えていった。


 気づいたら目の前には見慣れた家の天井が広がっていた。ドアの外からは、聞き慣れた母の怒号が聞こえる。

「家か……。」

 さっきまでのは、夢だったのだろうか?それとも……。その答えは私にはわからなかった。


 けれど、もう大丈夫。私は逃げない。

 窓の外は太陽の光でよく見えなかったけれど、どこかで彼女は笑っている気がした。

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未来へ誘う声 藍崎乃那華 @Nonaka_1212

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