第 13 幕 欲望の色

赤は欲望の色だと、誰かが言った。

理由は強引なこじつけだった気がするが、やけに頭に染み付いて離れない。

ヒトの群れの中、ほんの少し視点を変えてみれば、ほら。

あたり一面赤色だろう?



シャキン、シャキン、と金属の音が響く。 丁寧にゆっくりとした動作で、繊細な装飾つきの鋏を操ると、黄みがかった赤が束となって机上へと落ちていった。


「よし……」


仕上げにハネた髪を撫でつけ、ルクスは部屋を後にした。



「おはようございます」

「おはようございます、ルクスくん……おや?」


すでに習慣化した挨拶だが、今日はルクスをみたロンドが首を傾げている。

いつもとは何処か違うように見えて、ロンドは覗き込むようにしてルクスに近づいた。


「えっと……髪を切りました、ついさっき」


違和感があるのも当然。

最近伸びて肩に付きそうになっていた髪が、右サイドを除いてすっきりと短くなっている。

右サイドだけは手を付けていないようで、一房だけ長いその部分が以前とは違う雰囲気を醸し出していた。

なるほど、とロンドが納得している間に、マンサナやマウイ、エラもダイニングルームへと起きてやってくる。

ロンドが視線を向けていたことで、他のメンバーもすぐルクスの変化に気がついたらしい。

ほぉ、と感心したような、やや奇抜な髪型に驚くような視線が彼に集まった。


「ルクス、それ自分で切ったの?ていうか、いつもあの髪型を自分で……??」

「え?はい」


自分で整えるにはやや難がありそうなウルフカットなのだが、ルクスは当たり前のようにそう答える。

元々の髪質や頭の形もあるのだろうか。


「ベネヌム館にも戻れて、ルクス君もイメチェンしていい感じだね」


エラが笑ってそう言うと、皆にも笑顔が浮かぶ。

そこには安堵がにじみ出ていた。



黒いドレスを着た人影が、薄暗く長い廊下を進む。

床に敷かれた絨毯と、彼女に習慣づいた歩きかたによって、足音が立つことはない。

そのはずだが、そこに鈍く妙に勢いがある足音が新たに加わると、彼女の表情が一瞬厭そうなものへと変わる。

足音の主に声をかけられるよりも早く、淑やかな微笑みを取り繕うと

”彼”の名をあえて丁寧に呼んでから振り向いた。


「なにか御用でしょうか、スネフィー・ハーン様」


やけに一歩一歩大股で歩く男が、名前を呼ばれ一度ピタリとその歩みを止める。

すると芝居がかった動作で呆れたように肩をすくめながら、スピードを上げて彼女に近づいていった。


「よく分かりましたね、サリーサお嬢様。ですが、人違いであったなら一体どう……」

「そのうざったいオーバーアクションをお持ちになる貴方様を間違えなどしませんわ」


自分の言葉を遮って、しかもあからさまに嫌悪感を向けた返しをしてきたサリーサに、スネフィーは片眉をピクりと痙攣させ、負けんばかりと彼女のように薄っぺらい笑顔を浮かべたが、堪えきれずに不自然に緊張した表情になってしまっている。


「なにもないのでしたら、私はここで……っ!」


スネフィーは、背を向けて歩き出そうとしたサリーサの腕を掴むと、突然壁へと押さえつけた。


「……何のマネなわけ?」


決して乱暴に体を掴まれているわけではないが、重心をかけてドレスの裾を踏まれており、簡単に押しのけられる体制ではない。

慇懃無礼な敬語を止め、素の口調となったサリーサにスネフィーは余裕な笑みを浮かべると、じっと目を見つめて喋りだした。


「最近、此処にしては珍しく広まってきている新興宗教があってね……何を目的に作られたのかは知らないが、あぁいうのはヒートアップさせればさせるほど判断力を衰えさせてくれる……この私の言いたいことが理解るか?」

「いいや、ボクはキミみたいに姑息な発想はできないからね。馬鹿だから」


自分を卑下するようにそう付け加えながらも彼を嘲るようにサリーサがそう言うと、それが分かっているのかそうでないのか、スネフィーは彼女を馬鹿にするように鼻で笑うと、声の調子を上げて歌うように続けた。


「私には基盤となる金はもちろん……ハーン家の跡継ぎとしての地位も人望もある!君は

メカニカ家ではあるが、三女のポジション……私が手を貸してやる、乗るなら今のうちだ」


得意げに、そして粘着質に言葉を並べるスネフィーを見て、サリーサはなるほど、と納得

する。


(この男は、まだボクを下にしたがってるのか)


やたらと自分を大きく見せたがるのも普段からのことではあるが、特にサリーサの前では

それが顕著に表れているように思えてならない。


(ほんっと、馬鹿だな……)

「いいや、ボクはお断りするよ。キミの力不足に終わるに違いないからね」


吐き捨てるようにそう言うと、サリーサは自由の効く右手でスネフィーを突き飛ばして微笑んだ。

サリーサの予想外の抵抗に不意をつかれたのか、彼はよろめいて数歩後ろに下がる。


「……っ、なんだいつれないな!嫉妬か?」


顔をあげた頃にはもう反対側へ歩きだしていた彼女に、スネフィーはやや声を荒らげてそう言うと、神経質そうに息をついた。


「はいはい嫉妬で〜す、本物の馬鹿なので天才様には嫉妬しちゃうんですよ〜」


対照的にひらひらと背を向けたまま手をふるサリーサは余裕に満ちており、まるで今ここで背後から襲撃を受けたとしても自分だけは生き残れる自信がある、とでも言いたげだった。

取り付く島もないとようやく分かったようで、サリーサの後ろでスネフィーの足音が遠ざかっていく。


「…………邪魔だなぁ」


ようやく消えた彼を頭に浮かべ、フェレスの顔をした令嬢が無感情に呟いていた。




琥珀色の水面に波紋が広がる。

硬い音を僅かに立てて置かれたカップから、遠慮がちに指が離された。


「おや……お口にあいませんでしたか?」


テーブルから手を引っ込めてしまったルクスを見て、ロンドは驚きを顔に出す。


「いえ、とっても美味しいんですけど、その」


ちらちらと視線を手元の紅茶に向けながらルクスは暫く口ごもっていたが、やがて上目遣いにロンドを見上げて言った。


「あんまり美味しいので、飲み終わるのが勿体ない、というか」


照れたような笑顔を浮かべるルクスを見て、ロンドの表情も緩んでいく。


「気に入ってくれたのなら、私も安心です。でも、良いのですか?折角のお休みを私と過ごしてしまって……」


一気に周りの物音が二人の耳に入ってくる。街の広場前に建てられたティールームは、多くの人が集まりながらも喧しさはなく、心地よい話し声などが響いていた。

ルクスも再度カップを手に取ると、一口ゆっくりと楽しみながら紅茶を飲み、落ち着いて口を開く。


「俺は、まだここの楽しみ方もよくわからないし、ロンドさんとお休みが重なったって

分かったから、一緒にいたくて。この紅茶、甘くて美味しいですね。えっと……」

「アップルティーですよ。帰ってもできるよう、林檎に合う茶葉を買っていきましょうか」


にっこりと微笑んでロンドがそう言うと、ルクスは子供のように表情を明るくする。


(ルクスくんといると、不思議と落ち着く。可愛らしいというのもあるのだろうけど……)


ロンドの脳内に、あの夜のルクスの姿が浮かぶ。

ぐっと距離を詰めてきて、かと思いきや

無理に深くは聞こうとせず、優しく寄り添ってきた、彼。


(怖くて、閉ざして、でも本当は踏み込んでほしかったような、そんな場所にそっと歩み寄れる。そんな天性のなにかがあるのかもしれない)


笑いあい、お互いにもう一口とカップを口元へ持っていった、その時。


「「赤は欲望の色!」」


突然、店前の広間から数人の声が聞こえてきた。

店にいる他の客も、驚いて体を乗り出したり、顔をしかめたりと反応している。


「あれ、は……?」

「最近発達しだした新興宗教ですよ。今の所は何をするでもなく、こんな演説ばかりですが……よくやっているんです」


渋い顔をして説明するロンドにつられるようにして、ルクスも宗教のほうを凝視した。


「……流石にこれをやるのは迷惑なものですね」


ボソリといつもより低い声色でルクスがつぶやくと、宗教団体がまた大きく声を上げる。


「「赤は欲望の色!悪へとなりうる私達の原罪!」」


ますます大きくなるその声に、ルクスの表情が段々と曇っていく。


「ルクスく……っ!」


見かねたロンドが声をかけようとするが、珍しく嫌悪を露骨に顔に出しているルクスに、

つい怯んでしまった。

普段とのギャップを感じさせる表情を見てロンドが固まっていると、それに気がついたルクスが慌てて自分の頬を叩き、しゅんと眉を下げる。


「大丈夫ですか?」

「……好きな色をあんなふうに言われて、少し嫌でした」


今度は何故か落ち込んでしまったルクスに、ロンドはやっと声をかけることができた。


「ルクスくんは、赤が好きなのですか?」


すると、ルクスは少し頬を赤らめて自分の髪……伸ばしていた右サイドを手で触る。

その柔らかい表情から、先程の剣呑さはもう見られない。


「はい……母さんの色ですから」


すると、宗教団体の声からどよめきのようなものが聞こえてきた。

一瞬、自分たちの会話を聞かれたのかと思いロンドとルクスがビクつくが、どうやらそうではないらしい。

店内から見える範囲には限りがあるが、ガラス窓からは確かに宗教団体に近づいていく、

一人の男が見えた。

身ぎれいにはしているが、然程豪奢な服装はしていない。

だが、頭髪や服の生地からも富裕層であることは明らかであった。

男は一歩一歩大股で宗教団体に近づくと、急に恭しく紳士的な礼で頭を下げる。

彼らも男が誰なのか知らないらしく、訝しげに様子を伺っていた。


「お初にお目にかかります、私の名はスネフィー・ハーン。貴方がたの思想……」


そこで一旦言葉を切ると、スネフィーは先程の彼らにも負けぬ声量で語りだす。


「赤は欲望、黒は罪の色。ピーズアニマも科学も魔法も不要な行き過ぎたものであり、欲望が罪に変わることで人は死の運命を背負う。そして清貧こそが我らを罪からすくい上げる唯一の道だということ……それに感化されました」


大袈裟に抑揚をつけて話し切ると、スネフィーはニコリと整った笑みを浮かべた。


「是非、私に協力させていただきたい」


彼が手を差し伸べると、団体のリーダー格らしき者に周囲が囁きかける。

相談をしているようだ。

変わった流れにルクスがロンドの方を伺うと、ロンドは何やら顎に手を当て考え込んでいた。


「スネフィー・ハーン……ハーン?聞いた名ですね……三から二流の家でしょうか」


ロンドの呟きに首を傾げながら、ルクスは僅かに残っていた紅茶を飲み干した。


「そろそろ出ますか?」

「あ……はい、そうですね」


二人で席を立ち、店の中で売っている茶葉を持って会計へと向かう。

その間にも、スネフィーが宗教団体に話しかけているのが、二人には聞こえてきた。


「なるほど……では、貴方も我々の賛同者ということでよろしいのですね?具体的にはどのような協力を……」

「集金です」


ぴく、とルクスが僅かにそちらに視線を向ける。


「集金、ですか」

「外ほどではないとしても、ウォルテクス内には多くのモンストルムがいます。一人が罪に染まれば、ソレは影響し合う……これはスピード勝負なのです」


宗教団体はもうすっかり聞く気になっているようだ。

それに答えるかのように、男も饒舌に話し続ける。


「信心深き者が一人清き身になろうと、周りが罪深ければ意味がない。そこで、私達が主導となりこの金に物を言わせた世界を変えるのです。集めた金銭はこの活動を広めるため、私達の手で正しいものとして昇華させていきましょう……そう、救済です」


そこまで言ってスネフィーが団体に手を差し出す。

すると、ほんの少しの時間をおいて、リーダーが握手でそれに答えた。


(……え……こんな、見え見えなのに?)


あまりにも軽率なその団体の決断に、ルクスは店から出たところで唖然としてしまった。

一体、何を考えているのだろう。


(わからない……わからないのは、恐いなぁ)


なんだかこれ以上長居はしていたくなくて、ルクスはロンドを少し急かすようにして其の場を立ち去った。



『赤は欲望の色』



「…………あの、これって」

「寝ていますね、絶対」


ベネヌム館に戻った二人を迎えたのは、柱にもたれかかって座り込んでいるポプリであった。

しっかりと目を閉じ、規則正しい寝息を立てている。十中八九、寝落ち。

誰かを待っていたという可能性もなくはないのだが、そうであるならば、わざわざ玄関前でなくともよいだろう。


「仕方がありません、運んでいきましょう」


そう言うと、ロンドは右腕を上げ、軽やかに指を鳴らした。

すると、そこから黒い煙が集まるかのように、大きな物体が形作られていく。


「あ……!これって」


僅か一秒ほどで現れたそれは、ここに来てルクスが最初に見たピーズアニマであった。


「はい、私のピーズアニマです。靴の形なんて少し珍しいですよね」


ピーズアニマをその場で浮かせたまま、ロンドはポプリを抱き上げると、大きな靴に優しく乗せる。

使用者の頭ほどの高さで浮遊する彼のピーズアニマは空洞部分が大きく、人が一人二人入っても問題なさそうだった。


「の、乗ってる……」


ピーズアニマに揺られているポプリに、起きる気配はない。

自分からするとかなりの高さでふわふわと浮かんでいるそれに、ルクスの目がじっと惹きつけられる。


「すごい、浮かん……」

「乗ってみますか?」

「ふぇっ!?」


急に声をかけられたことに驚いたのか、はたまた願ってもない提案に興奮したのか、間の抜けた声を上げて、ルクスは飛び上がった。


「ルクスくんくらいであれば十分浮かせられますし、私本人は重量を感じないので。一度

乗ってみませんか?」


ルクスは一度否定するように首を左右に振りかけるも、やはり興味があるのか、照れた様子でロンドを見上げる。


「いいんですか……?」

「はい、もちろん」


ロンドは笑顔でうなずくと、ルクスが乗れる高さにまでピーズアニマを静かに下ろす。

巨大な靴は、近くで見ると無数の黒い粒子が固まっているように見えた。

冷たくも熱くもない黒に手をかけて中に入り込むと、カツン、と硬めの靴音が響く。

ルクスが体制を整えたのを確認すると、ロンドはピーズアニマを前進させながらゆるく

浮かした。


「わぁ……!」


普段はそうそう体験することのない高さの目線と、宙に浮かぶ浮遊感。

ルクスはあどけなく表情をほころばせると、そのままあたりを見渡している。

はしゃぎをそれ以上口にはしなかったが、明らかにルクスの周りの空気は……


(たのしい)


と文字でも浮かんでいるかのようだった。

ロンドはにっこりと微笑み、そのまま門を開けて中へと進む。


「あれ?赤……黒?」


ふと、ルクスが手元のピーズアニマに目を落とすと、先程は黒、最初に見たときは赤にも

見えた靴が漆黒となっていた。

よく見ると、光が当たると黒に。

影になった箇所では赤になっているようだ。


「不思議なものでしょう。ピーズアニマといえば漆黒の魔法とも称されますが、案外色とりどりなのかもしれませんよね」


すごいですね、とルクスが返したところで、館の中にいたマーシャが二人に気づいて駆け寄ってきた。

彼女はちょこんとピーズアニマに乗っかっているルクスを見ると、面白そうに目を細める。


「おかえりなさい。ふふ、ルクスったら子供っぽいところあるのね。私も乗せて!」

「んぅっ……ま、マーシャちゃんも結局乗るんじゃん……」


ルクスを笑いながら自分も乗り込んできたマンサナに、ルクスは子供扱いされたことへの

不満を口に出した。

ちなみに目的地はポプリがいつも寝ているソファなので、もう少し二人は楽しめるだろう。

心地よい上下移動を繰り返しながら、赤黒い靴は進んでゆく。

するとそこに、今度は薄紫のボリュームのある髪が廊下の角を曲がるところが見えた。

すかさずマーシャが声をかける。


「エラ!」


それが届いたのか、エラはくるりと方向転換すると、笑みを浮かべてこちらにやってきた。

普段通りに見えなくもないが、ルクスへと向けた目にはやはりニヤニヤとした笑みがにじみ出ている。


「なるほど、ルクス君……馴染んできたね」

「エラさんまで笑わないでくださいよ……」


ルクスが恨めしげにそう言うと、エラとマーシャだけでなく、ロンドまで小さな笑い声を上げた。


「マウイがいたら一緒にはしゃぎそうなものだけど、今日はパトロール係だものね〜」

「じゃあエラが乗る?」

「なんでそうなるの〜?」


女性陣がワイワイとしだしたので、すきを突いてルクスは靴から降りる。

流石にもうこれ以上笑われるのは嫌だったのだ。


「私は遠慮しておくわね。これでも、ちょっと急いで準備しないといけないのよ」

「準備、ですか?」


ロンドも聞いていなかったらしく、驚きを顔に出してエラに尋ねる。


「そう、準備。詳細はもう少ししたら伝えますので、楽しみにしていてくださいね」


どこか含みのある表情でそう言うと、エラは手を振ってその場から立ち去ってしまった。




数日後。

本日のパトロール係となったポプリは、時折眠そうに左右に不安定に揺れながら、人通りの多い道を歩いていた。

周囲の通行人には迷惑そうにする人もいるが、定期的にパトロールや処刑に携わっているところを目撃している者も多いのか、中には軽く頭を下げていく人までいる。

そんな彼女の後ろ。

ひょこひょこと物陰に隠れながら、一人の少年がポプリをつけていた。


(なんで俺……なんで〜!?)


他の誰でもないルクスである。

ことの発端は今朝。


「ルークス、今日はポプリを尾……こっそり見守ってきて欲しいの。仕事のことは私が

なんとかしてあげるから、よろしくね!」


と、マンサナに圧を込めて言われたのであった。

断りようはいくらでもあったはずなのだが、何故かこうして従ってしまっている。


(なんで俺、マーシャちゃんの言うこと聞いちゃってるんだろう。これじゃ不審者……)


しかし、ここまで何だかんだ順調に尾けれてしまっている以上、完全に引き際を見失って

いた。


(って、あれ?ここってこの間宗教団体がいた場所じゃ)


見慣れた景色に辺りを見回してみると、視界の端に宗教団体の正装らしき白いローブが映り込んだ。

同じ格好をしたスネフィーも一緒だ。

先日に続き何やら相談をしているようだが、この前よりも距離が近い上に、団体のほうがスネフィーを慕うような目で見ている。

一体この短期間で何をしたというのだろう。


「えぇ、これでより多くの者たちを正しき道へ導くことができるでしょう。これも、あなた方が私に真の道を教えてくださったおかげなのです。さぁ、ご一緒に。赤は欲望の色!悪へとなりうる私達の原罪!」

「「「赤は欲望の色!悪へとなりうる私達の原罪!」」」


もうすでに、スネフィーが中心だ。

ただ、少し団体の異様さが増したようにも見える。


「……へん」


ポプリもこの光景に嫌気が指したのか、ゆっくりと背を向けて再びあるき出す。

ルクスが慌てて隠れると、後ろから長い黒髪の少女とすれ違った。

ハッキリと誰だかは分からなかったが、どこかで見覚えのある顔。

ルクスは首をかしげるが、今はそれどころではない。バレないように、もう一度後ろに……


ドガン。


大きな衝撃音と、悲鳴。


「「モルス!!」」


最早このウォルテクスではお決まりとなっている災害の合図に、ポプリとルクスは同時に

音の方向に振り向いた。

ルクスの背中側で発生したモルスの処刑に向かうポプリは、当然のようにルクスと鉢合わ

せる。

緊急事態の中、微妙な気まずさと沈黙が二人を掴んだ。


「……なんで?」

「いや、その」


戸惑うルクスの返答を待つことなく、彼女はモルスの方へ走っていく。

ルクスも一定の距離を取りながらも一応そちらへと向かっていった。


「はやく ひなん して!ちかく に はつえんだん が ある ひと は すぐに はっしゃ!!」


声を張り上げながらポプリが走る。

それを聞いた街の人が発煙弾を発射したため、離れた場所に居る者もこれを見て避難できるだろう。そんな中、一人の白ローブ____宗教団体のうちの一人が、黒い影に殴られて倒れ込む。

必死に起き上がろうと体をねじると、自分の背丈よりも一回り大きいモルスがこちらを覗き混んでいるのが見えてしまった。

鼠とも鳥類ともつかない肉の塊が、絞り出すような奇声を発しながら迫る。


『グギュ……ギィ……ギジャッ』

「ひっ、ひいぃぃぃぃっ!」


ジタバタとその場で藻掻くも、冷静さを欠いた今の状態では全く進めていなかった。

モルスが今度は鋭い爪がついた左腕を振りかぶる。


「っ!ポプリさん、あの人!」


ルクスがそう叫んだのに応じて、ポプリは素早くピーズアニマの蔦を伸ばすと、モルスの腕と胴体を縛り付けた。

しかし、モルスの力が強く、巻きつけるたび順繰り千切られていく。

このままでは埒が明かない。

ポプリはそれを見て歯噛みすると、突然ルクスの方を向いた。


「てつだって!」

「えぇっ!?」


驚くルクスの横を、先ほど殴られた白ローブが這っていく。

必死に縋るように伸ばされた手が、一人の男の足首をしっかりと掴んだ。

あっ、と声を上げたのも束の間。

走る姿勢となっていた男の重心は簡単に崩れ、引っ張られるようにして地面へと体を打ち付けた。


「お前っ……!何をしてっ、離せ!!」


突然自由が効かなくなった足に、スネフィーは平静を失ったまま白ローブを引き剥がそうとする。

だが、互いにパニックになっているのか、相手も簡単には手を離さなかった。


「くっ……このっ!」


とうとう業を煮やしたスネフィーから、黒い獣の足が姿を見せる。

長く膨らんだ尻尾で白ローブをはたき落とすと、掴まれておかしくした足を引きずりながら一人逃げ始めた。

それを見ていた宗教団体のメンバーが、一瞬逃げることも忘れてスネフィーを凝視する。

ピーズアニマを使った。

言っていたことと違う。

同士を見捨てた。保身に負けた。

そんな声と視線が周囲から彼へ向けられる。


「いつも結局こうなるなんて……っ!」


どんどん大きくなる騒ぎに、ルクスも覚悟を決めてピーズアニマを憑依させた。

赤い髪が根元から黒く染まり、腕は服の袖を裂いて化物のものに变化する。

それを確認すると、ポプリは一層太い蔦をモルスへと伸ばし、ぐるぐる巻に拘束した。

ルクスが一つ息を吐き、足元に転がる大きな瓦礫を蹴り飛ばすと、大きく風を切る音と共に黒の粒が宙を舞う。

グジュバキッ、と嫌な音がポプリの耳に入るよりも僅かに早く、モルスの首があらぬ方向へと曲がった。


「あ、ラッキー」


蹴り上げた足を戻しながら、ルクスは笑顔を浮かべるが、モルスの頭部にほど近い場所に

いたポプリは僅かに顔を引き攣らせながら、風圧で乱れた髪を抑える。


「こわいしあぶない、できるだけそれしないで」

「うっ……はい」


低いトーンでポプリに注意され、ルクスのピーズアニマの獣耳がぺたりと伏せた。

首がもげたモルスの体が、だらりと脱力する。

活動停止を確認したポプリがモルスの骸を

下ろすと、周囲の人々はほっと胸を撫で下ろしていた。


「これだけ さわぎ に なれば、すぐに しょりはん が くる。そっち は けがにん を きゅうじょして、おちつかせて」


ルクスにそれだけ言うと、ポプリは何処かへと走り去ってしまう。

そう言われてしまえば、自分が向かうしかない。

憂鬱そうに息をついて、ルクスは未だに騒ぎ立てている宗教団体…

と、スネフィーの方へ視線を向けた。


「賛同してたんじゃなかったのか!」

「そんな、そんな……」

「許しがたい……」

「あっ、あいつの!あいつがピーズアニマで私を突き飛ばしたんだ!殺される!!」


自分を取り巻くように浴びせられる罵声や失望に、スネフィーは巨大な狐のようなピーズ

アニマに自分を守らせて何やら喚き散らしている。


「う、五月蝿い!正当防衛だろう!!そっちこそ、日和見な活動しかしないでただただ思想の垂れ流し!何も変える気がないから利……」


その時だった。

ひゅっ、と鋭い空気の音と共に、ピーズアニマの合間を縫って光が降り注いだ。



人を切り裂く、鋼の光が。



「がっ……!?」


ほんの一瞬。上から投擲されたナイフが、回転しながらスネフィーの首へと突き刺さる。


数秒静止した後、彼の体はゆっくりと崩れ落ちた。

明らかな異常事態だが、ヘイトを集めていた人物の突然の死に誰も反応できていない。

ただ呆然と、その場に立ち尽くしている。

彼の眼球が、黒に蝕まれて……

誰もが思考を止めた中、一番に我に返ったのはポプリだった。


「……っ!そのおとこからはなれて!!ピーズアニマがきえてない!!」


彼女が警告を発してから、束の間。

じわじわと黒に侵食されていたスネフィーの血を一舐めすると、巨大な狐はその体を丸呑みして、不気味な咆哮を上げた。

ピーズアニマが、死んだモンストルムと一体となる。


「モルス、に」

「ルクス!」


初めて対面したモルスへの変貌に、その場で固まったままであったルクスへとモルスが襲いかかる。

その質量にルクスはバランスを崩し、押し倒されてしまった。


「まずい……」


ポプリは急いで蔦を伸ばし、モルスを引き剥がそうとするが、狐の尻尾に振り払われて

それがかなわない。

モルスの体躯が大きいせいで、押し倒されているルクスがどうなっているのかすら確認できなかった。

しかし、次の瞬間凛とした声がポプリの耳に入る。


「ポプリ、下がって!」


それを聞いてとっさに後ろに下がると、ポプリの前を大きな鳥が猛スピードで通過したのが見えた。

尖ったくちばしで頭部を直撃されたモルスが、重心を斜め横に崩しながら倒れる。

とどめとしてモルスの脳天を突き刺すと、役目を終えたピーズアニマは塵のように消えていった。


「ふ〜……良かった良かった、間に合ったね〜……?」

「まにあってない」


処刑には不適当であろうヒール靴を響かせて、ポプリにとってはやや不快な人物が到着

する。

ボリュームのある髪をなびかせ、エラはポプリの横まで歩みを進めてきた。


「モルスは一体だと報告をうけていたけど……報告ミス?それとも……」

「ひとりが、ころされてもるすになった」


なるほどね、とエラはうなずきかけるが、ポプリが割って入るように付け加える。


「だれかに、ころされた」


それを聞いて、エラの目が僅かに見開かれた。

警戒するように辺りを見渡すと、眉間を押さえてため息を吐く。


「今度詳しく話を聞くよ……それで、怪我人は?」

「みたのは、なぐられた ひと が ひとり。あとは」


ポプリはうつむきがちに、黙って思い出していたが、しばらくして突然顔を上げた。


「あ」

「あ?」

「ルクス」


ポプリが、冷や汗をたらしながらモルスのほうへ顔を向ける。


「モルスのしたで、つぶれてるかも……」


エラもモルスのほうを向く。

二人して目を閉じて、スゥッ……と息を吸い……

そして全力で駆け出した。


「なんでそれを早く言わないの!!」

「うっかりわすれてた」

「忘れないであげて!?」


モルスに飛びついた二人は、まずその骸を持ち上げにかかるが、ドロリと粘っこく変質した巨体はそう易々と上げられるものではない。

仕方がない、掘り起こそうとエラがモルスの肉を掴んだところで、彼女らの手元の黒がモゾモゾと動き出した。


「ルクス君かい!?」


エラが呼びかけると、探るような動きだったそれが、今度は思いっきり突き上げるような

ものへと変わる。

それを見たポプリは、エラをそっと引き寄せ、そこから距離を取らせた。

ぶちっ、と肉が無理やり千切られる音とともに、真っ黒な腕が姿を現す。

あまりにも力ずくなそれに二人が目をみはっていると、小さなうめき声と共に、少年の体がどんどんモルスと分離していった。


「……ぷはぁっ!」


ルクスは憑依状態で勢いよく顔を出すと、思いっきり息を吸い込む。

真っ赤な瞳が、突き破られたモルスの黒い血のなかで爛々と光っていた。


(うわっ怖……)


返り血まみれの彼の姿に、以前自分も似たような格好になったことを棚に上げて、エラは

うっすら引いている。

ポプリはルクスの無事が確認できて、もうどうでもいいのか既に眠そうだった。


「し、死ぬかと、思ったぁ……あ、エラさん」

「ルクス君、怪我は?」

「かろうじて。でも、体がベタベタしてて、ちょっと」


彼が不快感を示すのも無理はない。

なにせ、黒く染まっていたとしてもこれは血だ。

加えて粘性のあるこれを体中浴びてしまったら、すぐに体をすすぎたくなる。


「戻ったらすぐに奇麗にしなきゃだね。ほら、いつまでもそこに居ない」


エラが手を差し伸べると、ルクスは少し躊躇った後、その手を取り立ち上がった。




「あれってあのワンちゃんじゃん、大変そうだねぇ」


モルスのものらしき脚を袋に詰めながら、フェレスが呟く。

今回の騒動は、建物の上から見ていてもなかなかにカオスだった。


(でもやらかしたなぁ、あんなにギロティナ員……しかも、エラが居ちゃ、ナイフを回収

できない)


フェレスは投擲したマイナイフと、慎重に行動するよう言っていたアロの姿を、交互に頭に思い浮かべながら、うんうんと唸る。


「も〜いいやっ!ナイフはできたらあっちに回収してもらお」


考えるのに疲れたのか、彼女はその場に寝転がってそう叫ぶと、両腕をを使ってアクロバットに跳躍した。

両足を揃えて静かに着地し、現場に背を向けて歩き出す。


「……」


しかし、不意に後ろ髪を引かれるような気がして、フェレスは一瞬足を止めた。

もう殆ど原型をとどめていない、スネフィーのモルスの姿がまだ、脳裏に焼き付いている。

それを薄めるため、そのまま幼い頃の記憶を必死に引き出そうとした。



「だから!僕はサリーサのためなら何でもできるんだよ!みとめろ!」

「え〜?嘘だぁ、それにそれ、私がみとめてもいみないよぉ」

「う〜〜!だったらみてろ!ぜったいぜったい、すごいって言わせてやる!」

「……ふぅん……いいよ、まっててあげる!」

「ちょうしにのるなー!」



幼子二人、堅苦しい大人たちの目を盗んで、意地を張り合っていた、そんな記憶。

でも、それは所詮過去の話だ。


「ばいばい、ネフィ。キミのこと、嫌いだったよ」


彼女は薄暗い街に消えていく。

今度こそ足を止めず、その人のために”何でもできている”主の元へと。

人々が見つめる石畳の上には、ちぎれたモルスの頭部と、深い噛み跡のついた首が無機質に転がっていた。



夕刻。

モルスの血を洗い流し、布で頭を拭いているルクスを注視しているマンサナに、ロンドが神妙な顔つきで声をかけた。


「おやめください、お嬢様」


いつものように嗜めるような声色ではなく、抑え気味にも自分の意見を述べようとしているそれに、マンサナは無言でロンドを睨めつける。


「パトロール中の者に同行させるなど……ルクスくんは戦闘員にはならないと言って

います。こんな危険なことを強制させるなど、身勝手です」

「……そうかもね」

「お嬢様!」


マーシャはふいと顔を背け、再びルクスに注目し始めた。

そんな彼女の様子に、ロンドはほんの少し声を荒げる。

必死な彼の声を聞いて、何故かマーシャの表情が和らいだ。


「そうね、身勝手ね。でも、だったらなんで貴方は何もしないの?」


ロンドが息を止める。

普段よりも優しい調子で、彼女は続けた。


「何だかんだ立場のある貴方だったら、ルクスを別の、もっと安全な職場に紹介できるはずよ。そのほうが彼のためになるんでしょう?」


珍しくその場で歯噛みする彼の横に移動すると、マーシャは困ったように微笑む。

普段は子供と保護者のような二人だが、今はマーシャのほうがはたから落ち着いて見えた。


「大丈夫。きっと、身勝手なのは私達だけじゃないわ」


一言そう言うと、マーシャの笑顔がいつものあどけないものへと変わる。

からかい気味にあたりを歩きまわると、ロンドの手を引いて下のフロアへと降り始めた。


「ロンドって、私にはよく小言を言うのに、自分の欠点見つけるの下手っぴよねっ」

「はぁ……」


身分としての主従だけではなく、マンサナ本人に従わずにはいられない。

そんな時がこのまま彼女が成長していけば来るのかもしれない、とロンドは度々思う。

そんな中、マウイと話していたルクスが小さいくしゃみをした。

それに、何故かエラが過敏に反応する。


「ルクス君大丈夫かい?体を冷やしてしまったか……まいったね。今、君に風邪をひかれると困るのだけど」

「え?」

「今って、どういう意味?」


エラの発言にルクスが首を傾げ、マーシャが疑問を口にしたことで、他の者たちも不思議

そうにエラへ視線を移した。

彼女もそれに気がついたのか、メンバーに向き直ると、よく通る声で何人かの名前を呼ぶ。


「マーシャ」

「ロンド」

「マウイ」

「そして、ルクス君」


呼ばれた者たちが目を丸くする中、一人呼ばれなかったポプリはジトッとエラを見つめるが、エラはお構いなしに続けた。


「前に僕が切り上げてきた仕事について、再開の準備が整ってね。なかなかに大変な仕事

だから、君たちにもついてきてもらう。その間の処刑はポプリと、あとウィル君にお願い

できるように手続きしておいた」


あまりにも大人数での仕事に、マウイ達は驚きつつ顔を見合わせている。

緊張感が漂う中、ルクスがそっと手を挙げた。


「あの……それって処刑のお仕事?ですよね。何故俺まで…………っ!」


ゆっくりと向けられたエラの瞳が、初めて会った日と重なる。冷たい、探るような瞳。


「……ハイディ・ロペス」


その名前に、ルクスの目が見開かれる。


「君のお母様を眠らせるために、協力してもらうよ」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー13幕 終


○今回のモルス 元ネタ ハツカネズミと小鳥と腸詰めの話 グリム童話


○狐のモルス(スネフィー) 元ネタ 狐と猫 グリム童話

猫と狐が出てくる、鼻高々にしていた狐が、見下してた猫の前でむざむざと殺されてしまう話。

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