第 10 幕  蜜と棘


ただただ、承認欲求のままに。

そうやって生きて……輝いてきた。

もっと、もっととその蜜を欲して。

踊れ、輝け、笑え。

褒めて、見て、愛して。

その連鎖にはまってしまえば、そうそう抜け出せるわけがない。

でも、そのとき自分は幸せだったの?今は?

幸福なんて、目に見えるものじゃないと、つくづく思う。

花の香りが心を溶かす。

もう戻れないその輝きに

そっと、指を這わせた。



初めてそれを見たのは、まだわたしが五歳くらいの頃だった。

一度、又は産まれた時からウォルテクスに住んでいたモンストルムが外に出ることは珍しい。

そんななか、外との貿易を仕事にしていた両親をもつわたしは、極稀に外へと出る機会があったのだ。

そしてその日、ウォルテクス近くでやっていた、魔法を使った綺羅びやかな舞台を見た。

運が良かったのか、それとも悪かったのか。

今となってはわからないが、その時のわたしにとっては、世界がガラリと変わるほどの衝撃で、奇跡だった。


「すごい……!キラキラして、それに……!」


私の視線が、舞台の中央で脚光を浴びて微笑んでいる、一人のダンサーに注がれる。

皆が皆彼女に注目していた。

どう見ても非凡なその存在感。

特別な人だということが、幼いわたしにも分かってしまうほどのそれに、強い憧れを抱いてしまうことは無理もなかったのかもしれない。


「ポプリー?どこにいるの?」

「お母さん!」


探しに来た母に駆け寄ってすぐ、わたしは母に問いかけた。


「あの女の人凄い!わたしもああなりたい!」


それを聞いた母は一瞬驚いたように目を見開くが、直ぐに穏やかな笑顔を浮かべて、わたしにある提案をしてくれたのだ。


「そうね……ポプリも何か打ち込むものが欲しいでしょうし、帰ったら踊りを教えてくれる場所を探しましょうか。沢山頑張れば、あのお姉さんみたいになれるかもよ?」

「本当に!?」

「ポプリが頑張るならね」


きっと母はこれを期に何か会得させられたらいい程度のつもりだったのだろう。

けれど、母のこの勧めがなければ、わたしの人生はもっと平凡で、退屈で、幸せなものに

なっていたはずなのだ。



それから6、7年が経った頃。


「____そして、この舞台で主役を飾った踊り子、”フローレス”に盛大な拍手を!!」


視界いっぱいに埋め尽くされた観客が、舞台中央の小さな娘に注目し、称賛を浴びせる。

ずっと求めていたその光景、高揚感。

口元に笑みが浮かび、顔が火照っていくのを感じた。

美しい所作でお辞儀をし、再び顔を上げる。

今宵主役を演じ、踊りきった踊り子。

フローレスはわたしだった。



挨拶を終えたわたしが舞台裏に降り、先に降りていた仲間のダンサーの元へ行くと、又もや拍手で迎えられる。


「流石だよフローレスちゃん!最高の踊りと表現だった!」


わたしがダンサーとして所属しているバレエ団の団長が、そう言ってわたしに花を手渡してきた。

わたしのペンネーム、フローレスに相応しい春を思わせる花々だ。

こみ上げる嬉しさを隠す必要なんてない、口角が上がり、既に火照った顔が花の笑みを浮かべる。

花の笑み、というのはわたしの笑顔を観た観客たちが呼び始めたもので、わたしも笑顔には自信があった。

仲間たちも息を呑んでいる。

……こうだ、こうでなければ。

わたしがずっと求め続けたもの、それは称賛と特別感を一心に受けることだった。

毎日毎日誰よりも練習をして、やっとここまでたどり着けたのだ。



それからまたしばらくたち、わたしの部屋には表彰状やメッセージカードが多く飾られるようになっていた。

一日の練習を終え、ベッドに寝転がりながらそれらを眺める。


「ふふ……っ」


それだけで、耳がおかしくなりそうな程の拍手の音や羨望の視線が蘇り、ゾクゾクとした

快感が身体中を駆け巡った。

あれはそうそう味わえるものではないのだ。譲る気など毛頭ない。

ダンサーである以上、踊りの腕前が合ってこその人気だ。

けれど、当然多少見目が良くなければもてはやされるのは難しい。

花の油を髪の先に塗り、鏡で自分の姿を確認

する。

わたしの顔立ちに然程華はないが、奇麗にさえしていれば、飾りでどうとでもなる。

努力を重ねて、誰よりも実力を伸ばして、明日も輝きたい。

まだどこかに残る不安をかき消すように、そう強く念じて目を閉じた。



(___なのに、わたしは今何をしているの?)


自分の手にあるシミ付きの布を、信じられないほどテキパキと元の位置へ戻していく。

薄暗いこの部屋は、もちろん舞台ではない。そして、わたしの部屋でもなかった。

急いで部屋から廊下に出てあたりを見回すが、誰もわたしが出てきたところは見ていないようだった。

小走りで自分の部屋まで戻り、備え付けの椅子に座り込む。


(やっちゃった……)


頭のなかでぐるぐると言い訳が紡がれる。

だって、団長が次の主役はあの子だなんて言ったから。

あの子が、いつもいつも遊んでばかりで練習に出てもいないのに、ここに入ってすぐわたしを追い越しそうだから。


(ずるい、ずるいよ)


人生ひとつ捧げていないのに、他の色んなことも諦めないで笑って生きてきたのに。

少しも手を汚さずに、コレ以外ないわたしを引きずり落とす気なのか。

そんなの認めない。

翌日、あの子__わたしが汚した衣装を担当していた彼女は、大事な衣装を台無しにしたとして周りから責められていた。

団長の怒鳴り声を聞きながら、横でわたしは一人踊る。

主役を務めるには、技能だけでなく周りからの信頼も必要だ。

これで彼女は、きっと。

そんなわたしの目論見は不幸にも成功し、あの子は降板となる。



……まるで、渦の中で踊っているようだった。

一度手を汚してしまったら、もう簡単にはもとには戻れない。

よく聞く話ではあったが、いざ自分がその立場になるとよく理解できた。

努力は今まで通りに続けていた。

その他大勢のダンサーよりもずっと実力は維持していたし、ちゃんと輝いていた。

けれど、不安が消えない。

どんどん自分のもとに手が伸びてきて、引きずり落としにきているような、そんな感覚がわたしから離れてくれなかった。

今となって思えば、わたしは然程才能があるわけではなかったのだ。努力すれば才能にだって勝てる、けれど、才能あるもののたゆまぬ努力になんて足元にも及ばない。

それをどこかで理解していたわたしは、気がつけば上に上がってきそうな者、自分を霞ませそうな者を蹴落とすようになっていた。

勿論、汚い手で。

貰える表彰や賛辞も増えた。

浴びせられる歓声も大きなものとなっていった。

不穏な影と、引き換えに。



「……疲れたなぁ」


わたしが寮に帰る頃、もうすっかり闇色になった空を見上げて、そう呟く。

ここまでやらないと主役に立ち続けられないため仕方がないが、流石に精神的にも肉体的

にもとても疲れてしまった。

今日はもうゆっくり休もう。

明日の舞台に響くといけない。

そう思い、自室へと続く廊下を重い足取りで進む。


「……?」


何か視線を感じたような気がするが、後ろを瞬時に振り返ってみても誰もいない。

ただどことなく気味が悪い空気が広がっているだけだった。


(何……?わたしがしてることに誰か感づいた……?)


足音を殺し、気配の方向へと足を進める。

曲がり角にそっと手を添え、向こう側を覗き

込んだ。


「本当に、気の所為……?」


いくらあたりを見渡しても、人が居た痕跡も見当たらない。

わたしが帰ってくる少し前まで清掃が行われていたから、何もおかしいことはなかった。

ただ、本当に誰も居なかったのはそれはそれで不気味だ。

今や習慣化した汚い隠し事と、周りへの警戒心が張り詰めた糸となって、そこら中に罠となり仕込まれている。

……そんなことを連想してしまうほど、この場には一欠片の安心感もなかった。



だからこそ、だからこそ。

わたしはもっと注意しているべきだった。



(痛い、あつい、うごけない)


舞台の上、その場に倒れたわたしの耳に入るのは、歓声ではなく悲鳴。

足から伝う激痛に上手く目が開けられない。

やっとのことで少し開けた視界に、見覚えのある少女が映る。

ピーズアニマを纏わせ暴れる彼女は、複数の大人に羽交い締めにされていた。


(……あ)


思い出した。

昔、わたしが引き摺り落とした子の一人だった。

たしか、信じられないほどのスピードで実力を伸ばしていった子のはず。

パッチリとした大きな瞳と明るい笑顔の、万人に愛されるような容姿をもっていたような気がするが、今わたしの目の前にいる彼女にその面影は残っていない。

落ち窪んだ目にボサボサの髪、尋常ないその表情には、数多の負の感情が浮かんでいるように見えた。

突然のことと出血や痛みで思考がショートしているのか、わたしの頭には

人ってこんなに変われるんだなぁ

というような緊張感のない感想ばかりが浮かんでは消える。

足から血が流れ続けていることが分かる。

このままでは失血死してしまうかもしれない。

大変なことになったと思いながらも、段々と

意識が遠のいていった。

そうして、もう少しで完全に視界が暗くなるというところで。


「あんたのせいでしょ!!」


キンとした声が、わたしの耳をつんざいた。

わたしを切り裂いたピーズアニマと同じくらい攻撃的なそれに、ハッと顔を上げる。

息を切らした彼女が、わたしを殺意に塗れた目で見つめていた。

「私はあの子達を笑顔にしたかった、なのに貴女が邪魔したから!欲にまみれた、あんたのダンスのせいで……!」

そこまで言ったところで大人たちが彼女をねじ伏せ、何かを彼女の首に注射する。

おそらく麻酔なのだろう、叫んでいた彼女の声には次第に力がなくなり、ぐったりと脱力

した。

(あの子達を、笑顔に……?)

彼女の言葉が何故か引っかかって、その場で固まってしまう。

周りはわたしに近づいて止血をしたり、励ましの言葉を必死に送っているが、今は少しも関心が向かなかった。

彼女には、笑顔にしたい相手がいた。

それが失敗することでここまで追い詰められてしまうほどに真剣に……。


(わたしは、誰かのために踊ったことがあっただろうか)


どれだけ沢山の人に認めてもらえても、尊敬されても、愛されても。

今や何も満ちていない。

もし、わたしが誰かの笑顔で自分が幸せになれるような人だったなら。

こんな結末も、こんな空虚も……こんな、罪も。

……あぁ。

わたしは。


(加害者にしかなれなかった)




病院で目を覚ましてからも、大変なことが沢山あった。

ただ、まず複雑だったのは、わたしが命を落とさずにすんだのは彼女の声のおかげだったこと。

お医者さんが言うには、あの場で気を失っていたら、そして、あの場で筋肉が緊張していなかったら出血量が多すぎて助からなかったそうだ。

あの子はわたしに死んでほしかったはずなのに。

そっと、大きな傷ができた脚に手で触れる。間違いなく、以前よりも感覚が鈍っていた。


「……やっぱり、そう、だよね」


おそらく医者はわたしの傷が癒えて、精神面も安定してから伝えるつもりだったのだろう。

けれど、流石に理解していた。

あんな、切断ギリギリのところまでやられてしまった脚が、完全に元通りになどならないことを。

足の指を動かそうとしても上手くいかない。麻酔を撃った後のような、のっぺりとした感覚が薄っすらと残っているだけだ。

これが続くのなら、踊りはおろか、もう普通に生活することすら難しいだろう。

そう、まるで他人事のように思う。

そして、わたしを襲った彼女の処分について。

本来であれば重罪で、かなりの刑を受けることになる彼女だが、一応被害者ととらえられているわたしの意思によって罰は軽くする

ことができた。

自分が今までやってきたことを全部白状するべきだったのだろうが、わたしはそこまでの勇気を持ち合わせていなかったらしい。

全部がぼんやりと霞んで見えた。

もう何もかもどうでも良くなって、いる。

どうでもいいはずなのに、毎日毎日眠る前に自分に言い聞かせていた。


(こんな事件が起こってしまったら、たとえ脚が無事だったとしてももう舞台には上がれない。元々それを目的にしていたんだから、諦めるしかない……大丈夫、今まで色んなことを諦めてきたじゃない)


そう何度も心のなかで唱えれば、なんとか眠りにつける。

いつの間にかそれは日課となっていた。

……けれど、ある日。


「大丈夫、大丈夫、わたしなら諦められる。ダンスだって……」


その時、急に声が震えた。

ダンスを諦める。

止める。

わたしの生活から永遠に消えてしまう。

今まで一度も口にしていなかったそれが、じんわりと広がっていった。

ぎゅっと、胸が締め付けられる。

苦しい、苦しい、苦しい、なんで。

今まで流れることなかった涙が、ボロボロとこぼれ落ちていった。


(どうして諦められないんだろう。わたしにとってダンスは道具、ただの)


本当に?

涙を浮かべたまま、動かぬ脚を睨みつける。掴む手に、段々と力が込もっていった。


「……なんで!!」


大声とともに、小さな拳が脚に叩きつけられる。

一瞬誰の声なのか分からなかったが、自分が息を切らしていることに気がついた。

自分でも制御できないまま、何度も何度も脚を殴りつける。


「もう踊れないのはわたしのせいなのに、なんで、なんで受け入れられないのよ!!」


物音に気がついて駆けつけた両親がわたしをなだめ始めた。

今までずっと落ち着いていた娘の急なヒステリーに戸惑っているようだ。

抱きとめられて、涙を拭き取られる。

しかしその後もすぐには治まらず、結局わたしが平静を取り戻せたのは翌朝になってからだった。



涙でかぶれた目と頬もそのままに、疲れ切って眠っている両親の横で窓の奥を見つめる。

雲に覆われたウォルテクスでは、まばゆい朝日などそうそう見れるものではない。

わたしがこんなに泣いて狂った翌朝でさえ、それは変わらなかった。

トーンが上がるように明るくなっていく空を眺めながら、ポツリと呟く。


「わたしは、ちゃんとダンスが好きだったんだ」


今更気づいたって遅い、ちっぽけな事実。

ちっぽけな凡人をちっぽけな絶望に突き落とすだけの、ちっぽけな……

つう、と、涙の跡をなぞるように一筋の雫が流れ落ちた。




「ポプリ、動かして移動ができる椅子が開発されたらしいわ。それを使って、少しお散歩

でもいかない……?」

「……ううん、別にいいよ。騒がれたら嫌だし、お金かかるでしょ」


昔よりもだいぶ老けた母が優しくそう提案してくれるが、わたしはベッドの上で本に目を

落としたまま拒否する。

あれから少し年数がたったが、未だわたしの事件を知っているものは多い。

お金は、昔わたしが稼いだもののおかげでまだかなり余裕があった。


「……そう。何か欲しいものがあったら何でも言ってね」


落胆したようにため息をついて、母が部屋から出ていく。

リハビリをしても殆ど機能を取り戻せなかった私の脚は、もはやベッドのなかに埋もれるだけとなっていた。

もう自分が歩くことなどないだろう、そう思っていた。

…………この日までは。


「!!??」


突然、わたしの脚がクイッと曲がった。

久々の動作に僅かな痛みが走る。

慌てて毛布を取り払ってみると、わたしの脚に荊棘の蔦のようなものが絡みついていた。漆黒で、よく目を凝らすと沢山の粒子が……


「……まさか」


袖をまくってみると、今までずっとあった薔薇のような死名痣がどこにも見当たらない。

それに、気分もいつもとどこか違う。

気持ちが妙に落ち着いて、声を出すことがおっくうだった。

手鏡を引き寄せて自分の容姿を確認すると、若干目の色が変わっているように見える。


「これが、わたしのピーズアニマ……?」


脚にまとわりついたピーズアニマを意識して動かしてみる。

右足上げて、左足上げて、両足上げて、右足おろして……


(できた!)


そのまま体勢を変え、床に脚を触れさせる。ピーズアニマが筋力も強化しているようで、

なんとかその場に立つことができた。

そうして、一歩踏み出して見ようとしたが。


「あっ」


ぐらりと視界が傾き、そのまま床に衝突した。

あれから一気に過保護となった母の足音が聞こえる。

流石に床に突っ伏したままではショックを受けてしまいそうなため、じんと痺れるおでこを抑えて顔を上げた。


「ポプリ!何があったの!?……きゃあっ!!」

「だいじょうぶ……」


母は最初可哀想なほど動転していたが、わたしがピーズアニマなどのことを説明すると、大分落ち着きを取り戻してくれた。

母に手を取られて、一歩ずつ歩く練習をしていく。

なかなかに精神力を使う作業だった。

誰だって、普段どうやって足を動かしているのか意識なんてしない。

そういう意味では、これは掴まり立ちのようなものだ。

もうわたしはきっと踊れない。

もしかしたら少しは踊れるようになるかもしれないが、前のようにはきっと無理だろう。

それでも、歩けるようにはなりたい。

そうやって練習を続けたが、やはり体力を使うらしく、直ぐに倦怠感や眠気が襲ってくる。

気が付けばわたしの生活は、歩き、眠り、歩いて、眠る。

1日の半分以上もの間眠っているようになった。

そんな自分を、自ら眠り姫に例えて見たこともある。

当然、周りには言っていないが。

毎日少しずつ、ピーズアニマを精密に操れるようになっていく。

次第に、ピーズアニマを使って高い位置にある物を取ったりなども可能になっていた。

おそらく、こんなにピーズアニマを特訓するのは本の一握りだろう。

その証拠に、わたしはわたし以上に細かくこれを操れる人を見たことがない。

そして、もうわたしのことを皆忘れ去った頃。

わたしは自分の脚で、わたしのピーズアニマで、一つの立派な建物の前に立っていた。

扉の横に注いているベルを引っ張れば、その音に気がついた住人が扉を開ける。


「……悪いけど、個人の依頼は募集してないの。私達も仕事があるから、もういい?」


顔を出したのは、18歳程に見える少女だった。

まだ僅かにあどけなさが見え隠れする表情に対してやや違和感がある、大人びた装飾品を多くつけている。

機嫌が悪いのか、言葉には刺々しさを感じた。

閉められそうになった扉をピーズアニマで止めると、少女は驚いたように目を見開く。

言うなら今しかない。

上手く回らない舌で、できるだけはっきりと言葉を紡いだ。


「わたしはポプリ・ローズ。ここに はいりたくて やってきたの」



「……ほら、こっちよ」


少女に案内されながら、大きなこの館___ベネヌムギロティナの中を進む。

中には意外と人がいて、自分のほうをチラチラと伺ってくる。

見た目は小さな少女なのだから仕方がない。あのころからあまり変わっていないのだ。

目の前で薄紫の髪がふわふわと揺れる。


(……やわらかそう)


殆ど無意識に、その背中にくっついた。


「!?」

(あったかい……)


よく手入れがされているのか、少女の髪の質感は最高だった。

毛量が多いのもあって、こうしていると段々眠く……

少女の焦ったような声が聞こえてくるが、この眠気には抗えない。

いよいよわたしが眠ってしまうところで、ペチンと頬を叩かれた。

ちょっぴり覚醒した意識で少女を見上げる。


「こ〜ら〜〜〜」


あ、怒ってる。

とポプリはぼんやりと思った。

しかしそれで意識がしゃんとしたわけではなく、結局引きずられるようにして契約をする部屋へと連れて行かれる。

バタンとドアを閉めてから彼女が言った。


「貴女のそれは単純に寝不足?それとも病気?どっちにしろ、そんなのでここに入っても死ぬだけよ。止めておきなさい」


きっぱりとそう言う彼女に、無言でピーズアニマの蔦を飛ばす。

これで少しは能力を分かって貰えるかと思ったが、それは少女に片手で受け止められた。


「……!」


「しょうがないから、自己紹介してあげるわ。私はエラ・ベイリー。今のベネヌム

ギロティナで一番の古株」


えっ、と思わず声が漏れた。

わたしがエラと歩いてきた途中にはもっと年上のモンストルムが多くいたはずなのに、目の前のこの少女が、一番の……?

ポプリが疑っていることを察したのか、エラは少し視線をそらして、気まずそうに補足する。


「私の前に入ってた人がもう全員死んだってだけよ。最近はモルスも強くなってきている

から、入れ替わりが激しいの」


それから暫くの沈黙の後、エラは再び口を開いた。

今度は、まっすぐポプリの方を見て。


「……つまりそういうこと。貴女、本当に入る?」


そのときのエラが不安そうに見えたのは、きっと気のせいではなかったのだろう。


「わたしは いきたい わけ じゃない。でも、このまま おわる くらい なら なにか したい

……から」


彼女に負けないほどしっかりと目を見つめて宣言する。

自分の覚悟を。

死んでも文句は言わないということを。

それを聞いてエラは悩んでいるようだったが、やがてわたしの前にペンと契約書を差し出してきた。


「そこまでの覚悟があるなら、もう私が言うことはないわね。この感じだと……戦闘員で

いいのよね?」


わたしは頷いてペンを手に取り、契約書に名前を記入する。

フローレスではない、本名のポプリ・ローズを。

最後のチェックを入れようとしたところで、もう一度エラに声をかけられた。


「なに?」

「貴女に保護者がいるのなら、その人にはこのことを話したの?私が権利を使って認めさせることもできなくはないけれど……」

「せっとくしたからだいじょうぶ」


母は勿論、父もわたしのベネヌムギロティナ入りに猛反対したが、なんとか説得することができた。

悲しげな顔を思い出すと罪悪感がないわけではないが、後悔はない。

ぐっと力を込めて、チェックを記入する。

今まで、ずっと藻掻いてきた。

取るに足らない自分の価値を認めたくなくて、輝いたときも足が動かなくなってからも、毎夜毎夜自分に言い聞かせるように唱え続けた、承認欲求と盲目的な憧れ。

特別扱いをされてみたい、少しでも上に立ってみたい。

身を滅ぼしたその欲求に、わたしはもう手を伸ばさない。

契約書を手渡し、顔を上げる。


「それじゃあ、今日から貴女……ポプリ・ローズは正式なベネヌムギロティナ戦闘員よ。

これからよろしく」

「うん、よろしく」


差し出された手を握って、改めて挨拶を交わした。このときはまだ、エラがこんなに喧しい者だとはまったく気づいて居なかったから、仲良くしようとも思っていた。

部屋を出て、広い館の中を見渡す。


(なんだってしよう。どんなにつらくても、やりきってみせる)


そう、覚悟を決めて一歩、踏み出した。



ガチン、っと硬いものがぶつかる音と共に、小さく声が漏れる。

モルスの攻撃は、近くにあった壊れた椅子で防げたが、衝撃が大きい。

怪我をしているマウイにはきつかったのだろう、傷を抑える手に力が込められたのが見ていて分かった。


「……っ、なんとかしぇなまずかね」


マウイは椅子を更に分解し、脚を武器のようにして握り直す。

でも、無茶だ。


「そんなことしないで、早く逃げ」

「ポプリ!」


もう一度マウイに逃げるよう言うのをかき消すように、彼がわたしの名前を呼ぶ。


「流石に僕だけじゃ無理そうばい。ポプリん力がおる」


マウイはそう言うと、モルスに注意を向けたまま下がり、わたしに耳打ちをした。

その内容に少し驚くが、この状況なら仕方がない。


「わかった、だいじょうぶ」


ここから彼の表情は伺えないが、きっと申し訳無さそうな、辛そうな顔をしているだろう。

だからこそ失敗は許されない。

マウイを傷つけないために、確実に成功させる。


「ほんなこつ、よかか?」


自分で立てた作戦にもかかわらず不安気なマウイに、わたしは力強く頷いてみせた。


「__マウイ、行って」


作戦開始。

マウイがわたしの前を通って右側へ走り出す。

とはいっても、この通路ではモルスを巻くことなどできない、が。

モルスの目が動くマウイを捉えた瞬間、わたしがその顔に木片を投げつける。


『!!??』


殺傷力は低いが突然のそれに、モルスは思わずといった様子で頭を振った。

目を開けたときにはもうマウイは近くにいない。

じろりと注意がわたしに集中する。

振りかぶられた爪をギリギリでしゃがみ回避してから、とにかく近くのものを投げつけた。

武器ではないが、周りには尖った破片なども多い。

弾かれ躱され、表皮を覆うピーズアニマに阻まれても、刺さるところにはしっかりと突き刺さっていく。

けれど、モルスがすぐ近くまで近づいてきたところで、もう投げるものが周囲にないことに気がついた。

危険だがモルスに背を向け、自分の後ろにまだないか探し始める。

敵に背中を見せるなど愚の骨頂。

モルスの目がニヤリと細められ、わたしに手を伸ばした。

そのとき。


「はっ!」


腕を大きく振りかぶりながら振り向き、”赤い液体”をモルスの瞳めがけて飛ばす。


『ナ゛ッ、ギャアァッ!!』


見事に命中したわたしの血は、確実にモルスの視界を赤に染めたらしい。

パニックのまま

後退し、目を抑えている。

わたしが注意を引き付けてマウイが移動し、わたしが物を投げつけながら、モルスがなんの感覚に頼っているのかを確認して、後ろを向く。

モルスの死角になったところで、残しておいた破片で腕を切って血を出して目潰しに使う。

正直、モルスが視覚に頼っていて助かった。鼻や耳だったら、もっと命がけで潰しに行かなければいけなかっただろう。

モルスが暴れまわっている。

動けないわたしがここに居ては危険だ。

でも、大丈夫。


(信じてるよ……マウイ!)


床を踏みしめてマウイが跳ぶ。

その手に握った装飾付きの槍が、わたしのつけた”目印”に深く突き刺さった。


「これで……終わりだ!」


わたしの真横にモルスが倒れてくる。

マウイは自分の体重を使ってより深く突き刺すと、モルスの動きが止まったことを確認してから引き抜いた。

黒い血が、優しいマウイの顔を濡らす。

完全に停止したモルスを前に、いつものように黙祷する。

マウイとわたし、罪人二人で死を悼んだ。


「「君の魂が忌むべき黒き骸から、解き放たれんことを……祈る」」


十数秒それを続ける。


「!」


すると突然、燻っていたものが湧き上がるような、そんな感覚が体に広がった。

感覚的に理解する。


「まうい、ピーズアニマがつかえる。はやく きず を ふさいで」

「わ、わかった!」


マウイの傷跡を黒が覆っていく。

これでコレ以上の出血は防げただろう。


「……にしたっちゃ、流石にきついな」


そう呟いて座り込んだマウイと反対に立ち上がったわたしは、いつものゆるっとした足取りで彼の隣へと移動する。


「まうい」

「ん?」

「すごいね」


わたしがそう言うと、彼は照れくさそうに頬を掻く。

わたしが自分自身に傷をつけなければならないこの作戦に、彼は罪悪感を感じていたようだが、わたしはそれ以上にマウイの負担が心配だった。

怪我をした状態で激しく動き、僅かな時間で武器を探し出してモルスに攻撃をする。

それをやってみせたマウイは本当に凄い。

美しい装飾つきなところから、あの槍は展示品かなにかだったのだろう。

ピーズアニマがあったとしても、わたしの力でマウイを運ぶことは難しい。

ここで大人しくエラたちを待つ他ないだろう。

マウイの隣にそっと座ると、わたしはピーズアニマをドーム状に展開して、荊棘に囲まれた空間を作った。


「これで、モルス が きても すこし は じかん を かせげる」


ホッとした様子のマウイに柔らかく微笑みかける。

この力は、本当によくマウイを守ってくれていると思った。

しばらくそうしていると、ポツリとマウイが呟く。


「……危なか目に合わせてごめん。そんで……ありがとう」

「わたしも。ありがとう、あきらめない で くれて」


わたしの言葉に、マウイは驚いたようにこちらを向く。


お互いに顔を見合わせて、二人で嬉しそうに笑った。

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