パーティー編

第 8 幕 道化師と円舞曲


愛されたい。

それは皆少なからず持っている願いだ。

でも、僕のはすこし特殊みたいでね。

本当の自分を愛してほしいなんて、そんなおこがましいこと思っちゃいないわ。

ただ、あなたが愛する俺になりたいだけなんだ。

仮面をかぶれ。

醜い自分を隠すために。

新しい私になるために。

”愛され慕われる自分”を見つけるために。



大きな会場、輝く照明、美しい調度品。

丸一日かけてギロティナ員総出で準備した会場は、パーティーをする場として申し分ない仕上がりとなっていた。


「ルクス!このテーブルクロス少し黄ばんでるから、それと交換してもらっていいかしら」


バインダーを片手にわたわたと指示を出すマーシャに、ルクスは頷きを返して手元の白い布をシワがつかないよう慎重に持ち上げる。

いよいよ明日となったパーティーに、みんな緊張しているのがルクスにも見て取れた。


「まうい……」

「ん?どげんした?神妙な顔しよって……」

「さいきん……よくねむれない」

「えっ!?」

「きんちょうしてるから、かも。いちにち に 12じかん しか ねむれない」

「そん睡眠時間が正常やて思うぞ」


壁にかける照明を磨きながら、マウイとポプリはそんな会話をしているし


「とうとう明日……はぁ…………」

「珍しいですね、ロンドがあからさまに憂鬱さを見せるなんて」

「出したくもなりますよ……明日一体何日分の愛想笑いが必要にな」


ロンドは暗いオーラを出して珍しく愚痴をエンドレスに吐き出している。

エラは今は普通だが、ここ数日、仕事をしているルクス達にささっと近づいてきては、猛スピードで髪飾りやらドレスやらをあてて去っていくという奇行を繰り返していた。

ベネヌムの皆は慣れたように苦笑いしていたが、ラメティシイには今までやっていなかったようで、初めてそれをうけた人達は眉をひそめたり、慌ててひっぱたいたり、全力で拒否したりと反応が様々だった。


「ありがとう。ルクスはこういうの初めてだけど、大丈夫?」


ルクスからテーブルクロスを受け取ったマーシャは、そう気遣うように尋ねる。

夜に図書室で会って以降、二人は前よりも言葉を交わす回数が増えていた。


「正直不安かも……けど、皆さんがいるなら、少し頑張れる気がして」


照れたように笑う彼にマーシャも嬉しそうにすると、別の指示を出すため奥の方へパタパタと駆けていく。

残されたルクスが窓からのぞく空を見てみれば、ウォルテクスの夜を示す熨斗目花色の雲で覆われていた。


「さぁさぁマーシャ、ポプリ!おめかしの時間だよ〜!男性陣はよろしくおねがいしますねロンド」

「はい」


当日。

空がオレンジ色に染まりかけた頃、エラが女性陣の、ロンドが男性陣の着付けをすることになり、エラはうきうきと二人を連れて部屋へ入っていった。


「ルクス君のものはこれです、着方を見せますね。マウイは……」

「覚えとらん!」

「でしょうね」


ロンドの手本を見ながら、慣れない形状の服をルクスはまごつきながら着ていく。

マウイは忘れていても慣れてはいたようで、二人にサポートしてもらうことになった。


(ロンドさんはいつもこのタイプの服だけど、大変じゃないのかな……)

「こうですか?」

「そうですね、あとはここを......こう。ほら、出来ましたよ」


最後にロンドがタイをしめると、ルクスもしっかりとした燕尾服姿になる。

ロンドが黒のジャケットなのに対して、マウイとルクスのものはミッドナイトブルーで、マウイは窮屈そうにジャケットの襟を触っていた。


「うぅん……堅苦しか服は苦手や」

「貴方だって、一応高名な科学者の息子でしょう。少しは慣れておくべきでは?」


ロンドがそう咎めるように言うと、マウイは面白くなさそうに視線をそらす。


「いくら有名でも科学者や、こういった催しに行くことは少なかったし、家でも研究ん話くらいしかでて来んやったばい」


僕はそん道に進む気なかしな、と不満げに鼻を鳴らしてロンドに背を向け、ルクスとなにか

話そうとマウイがした時。


「……では、貴方の好きな構造式は?」

「ドデカホウ酸ニカリウム」


ロンドが投げかけた、ルクスにはちょっとよく分からない質問に、マウイはなにかよくわからない単語を返しながら勢いよく振り返った。


「ドデカホウ酸ニカリウムはあまり知られとらんのやが、めちゃくちゃきれか構造しとーったい!あげんきれか文字ん多面体、そうそうできるもんやなか!」


目をキラキラとさせてそういい切ったマウイに、ルクスは言っている意味がよくわからないといったように首をかしげ、ロンドは引っかかったなというようにニヤリとした笑みを浮かべている。

ロンドの表情ではめられたことに気がついたのか、マウイは慌てて口を塞ぐが、当然意味はない。


「科学能……ですね」

「す、すごーい……です?」

「あ゛あ゛あ゛あっ!!」


追い打ちのようにルクスにコテンと首をかしげられ、マウイが頭を抱えて悶絶する声が部屋に響き渡った。




マーシャの黒髪が、ゆっくりと丁寧に梳かされる。

ポプリとエラはすでに自分の支度を済ませており、エラがマーシャのおめかしに凝っている間、ポプリはうたた寝をしていた。


「ちゃんと綺麗にできてるの?エラ」

「バッチリだよ〜マーシャ♡可愛い可愛い♡」


お人形でも愛でるようにマーシャの髪をゆっていくエラ。

鏡に映る、美しく結上がっていくそれをマーシャは頬を染めながら眺める。

エラが可愛いと評したその姿は、幼さからくる愛らしさと落ち着いた色味のドレスが合わさり、誰もがにっこりと微笑みたくなるようなものになっていた。


「エラもすっごく綺麗よ。いつも以上に気合が入っているんじゃない?」


そう言うマーシャが見つめたのは、藍と深緑のグラデーションがかかったドレスに、普段のものより輝くピアスで着飾ったエラ。

称賛の声に、エラは得意げに胸を張った。


「人に見られるからには常に素敵でいたいんだ〜、私なりの心がけっ」

「でも」


マーシャがずっと鏡に向けていた頭を、本当のエラの方へ向ける。


「私、素のあなたを見たことがないわ」


予想外の返事に、エラは少し目を見開いて固まった。

マーシャの金の瞳に、しっかりとメイクをしたエラの顔が映り込む。


「少なくとも私はそう。でも、素のエラだって、きっと好きになれ……」

「無理だよ」


マーシャの記憶よりも数段低い声が、その言葉を遮った。

言葉を詰まらせたマーシャの頬に、ヘアスタイリングのためいつもの手袋を外していたエラの指__意外と丸くころころとした指が添えられる。

覗き込ませるように寄せられた頭が、どこか蠱惑的なエラの笑みを、至近距離で捉えさせられた。


「普通の”あたし”なんてつまらないもの、マーシャが好いても”私”が許さない」


戸惑いに揺れるマーシャの瞳に、エラは打って変わってばっちりなウィンクとともに、おちゃめな笑みを浮かべるとその手を離した。


「そーいうこと!だからマーシャは美しい私にとーんと任せて輝いちゃって!」


その変わりように、直ぐには理解が追いつかず立ち尽くしたままのマーシャが口をはくはくと動かしていると、突然眠っていたはずのポプリの声が発せられた。


「エラ、マーシャ、時間だよ」


それを聞いて、二人が壁にかかった時計を見上げる。


「「!!」」


時計の針は、パーティー開始の5分前を指していた。




特別なドレスに身を包んだマーシャにルクスが最初にいだいた感想は、『美しい』だった。

透き通るような白い肌に、程よく色づいた頬、艶めく黒髪が相まって、ずっと見ていられ

そうな美しさを体現している。


「ポプリもマーシャも似合うとーな、そこしゃぃ関してはさすがエラや」


マウイがさらっと称賛すれば、マーシャとエラは胸を張り、ポプリは珍しく照れたように口元を覆った。


「ルークス君も、なかなか似合っているね。色々な服を着せたくなってしまったよ」

「本当にね、でもルクスにならさっぱりめのドレスも似合うかも……?」


そう言って楽しげに笑うエラとマーシャに、ルクスはドレスも似合うという変わった評価が付けられたことが複雑で、ややジト目で二人を見つめる。

ルクスの視線に気がついた二人は取り直すように咳払いをすると、会場に向かって歩きだした。


「私達も行きましょうか」


ロンドに促され、ルクスたちもまた歩きだす。

黒い血に濡れた処刑人にもどこか似ている、綺羅びやかな空間へと。




(落ち着かない……)


パーティーが始まってからというもの、なれぬ空気が辛くなったルクスは人だかりを避け、会場のスミに避難していた。

特に何をしろとも言われていないギロティナ員は、地位が高いであろう人たちの歓談をこっそり聞いたり、顔見知りと話したりと前面に出ないように楽しみを見つけていたが、ルクスはこの場をどうやり過ごすかということで頭が一杯であった。


(こんなキラキラとした場所に、どうしても入っていける気がしない。大体、俺は……)

「ルクス君」


ルクスが一人考えに沈みかけたその時、やや高くふんわりとした声が彼の名を呼ぶ。

驚いて声がした方向を向くと、薄桃色のワンピースドレスを身にまとったフィーがこちらを

見上げていた。

それは可愛らしくはあるが、もともとのフィーの色素が薄いのもあり、もう少し濃い赤のほうが似合いそうだとルクスはぼんやりと思う。


「こんなところに一人で、どうしたの」


やや心配そうにそう尋ねてくる彼女に、ルクスの表情が自然と緩んだ。


「見てるだけでいいかなって。フィーちゃんこそ、皆と話さなくていいの?」

「いい」


すると彼女はルクスの隣に並ぶと、同じように人々を眺め始める。

しかし、見ているようで見ていないような不思議な素振りだった。

しばらくの沈黙の後、不意にルクスが口を開いた。


「ラメティシイのみなさんが、嫌いってわけじゃないんだ」


ハッとして、フィーが顔を上げる。


「ラメティシイに行けないって前、言っちゃったでしょ?気にしてたら悪いなと思って」


優しい笑顔でフィーにそう言うルクスの言葉に、フィーの緊張が溶けていく。

それはルクスの目からも明らかで、どこか眩しく感じてルクスは目を細めた。


「ごめんね、あんな言い方しちゃって」

「ううん、大丈夫。少し気にしたけど」

「だよね……」


いつもの無表情でそう返すフィーにルクスは苦笑いを浮かべると、再び視線を前に戻す。

彼女もそうすると、お互いなにも言わない時間が過ぎていった。

けれどその沈黙はどこか暖かく、ルクスたちを包んでいた。




(今のところは順調かな)


会場を歩いて周りながら不審なものがいないか見張っていたエラが、不意に立ち止まって息をついた。

このパーティーに参加している者たちといても違和感のないドレスを軽く整え、再度ぐるりと辺りを見渡す。


(……やっぱり、いない)


彼女は別に役目として見張っていたわけではない。

ただ人探しのついでにやっていただけのことだった。

ここにいるかも分からない探し人のかつての姿を思い浮かべる。

緑がかった艶やかな黒髪に、とても大きな瞳の少年。


「アロ…………」

「誰かお探しですの?」


思わずこぼした名前に、後ろからの声が反応する。

驚いて振り向くと、黒いベールで薄く顔を隠した女性が行儀よく立っていた。

全体的に黒を貴重とした、いわゆる喪服のようなドレスに違和感を覚えるが、ギロティナ員でなくここにいるとなるとなかなかに身分が高い方のはずなので、エラは恭しくお辞儀をする。


「いえ……せわしなく動き回ってしまい申し訳ありません。お気遣い感謝します」


お辞儀をしたままそう言い、最後にゆっくりと顔を上げると、優しげに微笑んだ口元と、先程はよく見えなかった青い左目が、こちらを捉えているのが見えた。


「私こそ、突然失礼しましたね。困っていそうな方に声をかけてしまうのは癖なのです。ありがた迷惑だとよく窘められてしまいますわ」


女性は口元に手を添えてクスクスと笑う。

どこか不気味な見た目に反して、明るくよく話す人だとエラは感じた。


「あら、私としたことが……自己紹介がまだでしたわね」


あらら、と笑うのを止めて姿勢を正すと、女性はニコリとして自己紹介を始める。


「私の名前は、サリーサ・メカニカ。メカニカ家の三女です」

「メカニカ…………っ!?」


サリーサの口からさらりと出た出自に、エラはつい大きな声を出してしまった。

慌てて口を抑えながら、メカニカ家についての知識を引っ張り出す。


(メカニカ家……ウォルテクス内の機械類の殆どの製造、販売の中心を担っている家系……血筋の者たちには秘密主義が多く、仄暗いイメージを持たれている、だったっけ……)


だが、目の前のこの女性からそんなに暗さは感じない。

むしろ優しく、礼儀正しく、人好きのする……


(ん?)


そこまで考えて、なにかが引っかかった。

もう一度、女性の顔を見つめる。

少しはにかんだ微笑みを浮かべているサリーサが、誰かに似ているように思えて、思考を巡らせてみるが上手くいかない。

そのとき。


「あら?」


やや弾んだ三拍子の音楽が流れ始め、招待客達が手を取って踊り始めた。


「もう踊りの時間ですわね。最後に、貴女のお名前をお尋ねしても?」


なにか予定があるようで、やや焦った様子のサリーサにそう言われては、「名乗るほどの者ではありませぬ」なんてことを返すわけにいかないため、エラも微笑んで名乗ってみせる。


「エラ・ベイリーと申します。サリーサ様とお会い出来、光栄の至りでございました」

「こちらも貴女とお話できて嬉しかったわ。それではまたいつか、エラさん」


別れ際、背を向けた状態でひらりとサリーサが手をふる。

その仕草は先程よりもかなり砕け、中性的で、一瞬別人のように錯覚してしまうものだった。


「……さて、あたしも誰かと踊るかな〜……」


ノッてくれそうな人がいないか探していると、最早見慣れた赤毛と、透き通るような銀髪の

二人が目に入る。


(見かけないと思ったら、二人共そんな隅っこに……)


エラは声をかけようと一歩踏み出すが、フィーがルクスの腕を引いたのを見てピタリと足を

止める。

踊りに誘っているようだが、ルクスは気が進まないらしく、オロオロと視線をさまよわせていた。

まただ、とエラは思う。

普段のルクスは主張が強いわけではないが、別に人見知りしたり挙動不審になったりする

訳ではなく、こんなに落ちつかな気にはしない。

けれどもフィーの前ではしょっちゅう今のような彼を見かけるのだ。


(相性が悪いのか、はたまた……おっ?)


エラが思考に沈んでいる間にルクスが根負けしたようで、気づけば二人手をとって踊り始めている。

常に微妙にずれていた彼のダンスを知っているため、少し心配になったが、フィーもあまり得意ではないらしく、一生懸命お互いに合わせようとしている様子は愛らしくさえあった。

しかし、ふとエラの頭に違和感が浮かぶ。

先程とは違うものだが、もっと前から知っていたような気がした。

それに身を任せてみれば、自分の視線は段々と下へ下がっていく。

二人の____いいや。

ルクスの足で止まった視線で、ようやくエラは理解した。


(ルークス君の動きは、彼女に似ているんだ)


エラの脳裏に、無愛想な金髪少女が浮かぶ。

それがなにを意味するのか、分かっているからこそ、新たな疑問が頭を埋め尽くす。


(ルークス君、なんでだい?その動きは……)



わざと下手に踊っている人のものだよ?





(……おちつく)


ぽすんっ、と上質な赤いソファに腰掛け、疲れた身体を休める。

やはり緊張というものはそうそう消えるものではない。

それが自分になにももたらさない場合は特に。

寝不足の頭でそんなことを考えながら、誰も辺りに居ないことをいいことに、ポプリはそのまま横になった。

エラに付けられたしだれた髪飾りが頬に触れてきて、少しくすぐったい。


(柔らかいものはやっぱりいいなぁ。静かなのは……今はありがたい)


薄っすらと聞こえてくる人々の話し声に包まれて、ポプリはとろとろと眠りに落ちていった




どれくらい時間がたったのだろうか。

再び目を開けたとき、聞こえる人々の声と音楽は混じり合っていた。


(あ……踊りの時間か……どうしよう)


思いの外熟睡してしまったからだろうか。

先程の眠気は綺麗サッパリ消え去り、妙に目が冴えて仕方がない。

こうなったら観念して向こうに行こうかと、ポプリが立ち上がったその時。


「こげんところがあったんばいな」

「!まうい……」


出入り口に掛けられた布をはらって、いつも見ている顔が目の前に現れた。

マウイは驚いたようなポプリを見てクスリと笑った後、まだ痕が残っているソファに視線を落とす。


「ソファで寝転がるなんて行儀悪かぞ?そげん眠たかったんか……?」


咎めるような口調だが、表情は穏やかだ。

面白がっているようなそれが生意気に思えて、いつものようにピーズアニマの茨を床に打ち付ける。


「うわっ!何はらかいとーっちゃん……」


絶対に当たらない位置にぶつけてはいるのだが、いつもマウイは反射的に後ろへ飛び退く。

その度にポプリは楽しくなりながらも、距離が離れることに少し不満を抱いていた。

仕方がないので、マウイに近づき手をとる。

そのままポプリがソファに引っ張っていけばマウイは戸惑いながらも大人しく着いてきてくれた。

そのまま二人、ソファに腰掛けるが、お互いに話すこともないため黙りこくる形になってしまった。


「…………」

「…………」

「…………ポプリ」


不意に、マウイが口を開く。

何だろうとそちらを向けば、すでにソファから立ち上がり、こちらに手を差し伸べる彼がいた。

マウイのやや四角っぽい瞳が、緩く細められる。


「踊り、コレでも結構練習したんや。僕と踊ってくれんね?」


可愛らしいその言葉にそのまま手をとりそうになった。

が、もう少しで指が触れるといったところで、ポプリはためらって動きを止める。


「ポプリ?」


なにも言わない彼女に心配したようにマウイが声をかけるが、ポプリは自分の中で彼の手を

とるかどうか、考え続けていた。


(踊りたい……でも)


ポプリの頭に、負の感情を煮詰めたような視線と、鮮烈な赤が浮かび上がる。


(そんなこと、まだわたしに出来るの……?)


「……ポプリがほんなこつ嫌なら、無理強いはせん。ばってん、僕はただ、ポプリが踊っとーところば見たかばい」


顔を上げると、少し困ったようなマウイと目が合う。



『あんたのせいでしょ!!』

『私はあの子達を笑顔にしたかった、なのに貴女が邪魔したから!』

『欲にまみれた、あんたの×××のせいで……!』



(わかってる、でも……マウイが笑ってくれるなら、わたしだって……)


薄暗がりのような瞳に、鮮やかな青がさした。

軽やかに立ち上がったポプリは、マウイを逆にリードするかのようにステップを踏み始める。

音楽に合わせて、リズミカルに、ときにゆったりと。

マウイは最初驚いていたが、ポプリが楽しそうに微笑んでいることに気がつくと、同じように微笑んで足を動かした。

会場と薄い布一枚で遮断された二人の世界は、観客が居ないがゆえの輝きを放っていたが、

もしこれを見ている者がいれば口を揃えて称賛しただろう。


「まうい」

「ん?」

「……たのしい?」

「ああ!」


笑顔でそう答えるマウイに、ポプリの心の靄も晴れていく。


(きょうくらい、まういのまえでくらい、ちゃんとおどりたい)


踊れないフリをするのは苦しいから。

たとえそれが、過ちを繰り返さないためのことであっても、やっぱり踊りは自分の一部だ。

音楽が終わるまで、後少し。




(…………で、結局あたしはぼっちというのが現在なのよね〜)


公務の一環として招待客に挨拶して回っているマーシャとロンドを邪魔する訳にもいかず、

エラは先程のルクスと同じように、ただそこに立っていた。

一応ルークスを見張ってはいるが、別にあれから怪しい点は見つからない。


(勘繰りすぎだったかもしれないなぁ。プレッシャーあるとあえて手抜いちゃうタイプもいるものね……)


そう見切りをつけてしまえば、もうやることがなくなってしまった。

人気のない場所に移動し、小さくピーズアニマを出す。

鳥型のそれは、エラの手の上で可愛らしく首を動かしていた。

ピーズアニマには多様な種類がある。

ざっくり憑依特化型、具現化特化型に分けられることが多いが、使いこなせば使いこなすほど自由度は増していくのだ。

自分の指に頭を擦り付けてくる、この小さな小鳥にエラは笑みをこぼすと、そっと撫でてやる。

嬉しそうにピュイッ、と鳴いたこのピーズアニマは、別にエラが操作しているわけではない。

勿論命令すれば決まった方向に歩かせるくらいは可能だが、今の所エラが鳥と認識できるような動きをランダムにするだけだ。

任務などには到底使えない。


「でも、可愛ければ全て良しなのよ〜♬」


この先、もしかしたら進化するかもしれない己の力を、エラは暇な時こうして愛でている。

_____そう。ピーズアニマは、進化していく。

まだどんな学者もその限界を知らない。

故に、見下される裏で、常に危険視されてきた。

そして、ピーズアニマを大分使いこなした彼女だけが知っている、この黒い鳥たちの名前を

エラはそっと唇にのせる。


「……本当に、酷い名前だね、キミは」


それが実質自分を指したものだということは棚に上げて、エラはからかうように笑った。

当然のように、鳥は興味なさげに羽を整えている。

そのとき、なっていた音楽が突然ぱたりとやんだ。

ダンスはもう終わりなのかとザワつく人々を黙らせるように、一人の男性がパンッと手を叩く。

何事かとエラもそちらを見ると、幾人かが行儀よく会場の中心に立っていた。

そのうちの一人、おそらく先程手を叩いた男性が、全体に響く声でこう言う。


「皆様、この度、踊りの合間の余興を任されているものです。我らの誇るべき文化……黒き奇跡による芸を、ぜひご覧ください!」


男がそう言い終わるとともに、右側に立っていた女が両手を天に掲げ、そこから漆黒の粒が

宙へ放たれた。


(ピーズアニマを使った、芸……?)


粒状のピーズアニマは空中でさらに変化していき、キラキラとした光の粒のようになって自分たちに降り注ぐ。

見事なものだ。

続けて自由に操れる黒い炎、ピーズアニマによる動物もどきの曲芸など、エラと同じように

ピーズアニマをよく理解して居なければ出来ない芸当が行われていく。


(確かに凄い、だけど)


観客の中には拍手をしているものも入れば、顔をしかめている者もいた。


(沢山の者が集まる会場での余興には、あまり適していないんじゃないの?)


ウォルテクス内には、迫害されて外から逃げ込んできたもの、ここで生まれ育ったものが入り混じっているように、魔法を嫌いピーズアニマを好むもの、科学を好み魔法を嫌いピーズアニマも嫌うものなど様々な考えがある。

これでは誰かが耐えきれずに暴れる可能性もなくはないのだ。

エラはそっと自身のピーズアニマをしまう。

警備員が動いていないのでちゃんと招かれ、頼まれて芸をしているのだろうが、選んだ者はあまりにもセンスがない。

いよいよファイナルなのだろう、合計6人の芸者たちが一斉にピーズアニマを出す。

嫌そうに顔を背けるもの、期待して身を乗り出すものが出る中。


人目につかない二階席。口元に笑みを浮かべ、レバーを引く者がいた。



「っ!?」


チカチカと点滅する形で、一瞬照明が切り替わる。

直ぐに元のものに戻ったが、突然視界を染めた橙色に、エラは思わず目を瞑った。

周りもそうだったようで、目を抑えている者や文句をこぼすのが聞こえる。

ぐにゃり、ぐにゃぐにゃり。 

薄く開けた、まだ見えづらい目に、黒いものが映り込む。


「……?」


一度瞬きをすれば、また世界は鮮明になっていく、二度三度とそれを繰り返した後、エラは

黒に向かって走り出していた。

テーブルに置いてあった、やや大振りなナイフで、モルスの攻撃を受け止める。

間一髪、滑り込み守った女性に後ろへ下がるよう伝えてから、エラは一度体制を整えた。

彼女の目の前にいるモルスは中型サイズで、これだけなら然程厳しくはなさそうだが、問題に気づいてしまった以上、危機感はましていく。

目の前には6つの黒。


「どうして、急に六人もモルスに!?」


しかも大型から小型まで様々。

一斉に襲いかかられればエラでも危険だろう。

ハイヒールを脱ぎ、目の前のモルスに投げつける。

効いてはいないが、これで動きやすくなった。

もったいないが、ドレスの裾も大きく破き、脚の可動域を広げる。

いつの間にか、エラに集中するモルスは二匹だけになっていた。

人々が逃げ惑っている。


(犠牲者0……は無理かもね。でも、残りは頼んだよ)


ギロティナの仲間の顔を思い浮かべ、ピーズアニマを出そうと……


「……え」


出せない。


エラが固まったその一瞬の隙に、モルスが腕を振り下ろしてくる。

ギリギリで回避するが、シュルリと触手のようになっていた腕は辺りの物をなぎ払い、飛んだガラスがエラの頬を掠めた。

傷口から、血がたらりと顎を伝う。


(ピーズアニマが使えない……この状況となにか関係があるの……!?)


そうなれば武器が必要になる。

ナイフを握り直し、エラはモルスを睨みつけた。


「想定外ではあったけれど……あたしの顔を傷つけたこと、たっぷり後悔させてあげるわ」


ベネヌムギロティナ員の仕事は処刑。

ピーズアニマを使ってが主であっても、体を鍛えていないわけではないのだ。

くるりとナイフを回してから、臨戦態勢に入る。

ベネヌムギロティナ一番の実力者の眼光が、二匹のモルスを捉えていた。



悲鳴が行き交う中、ルークスはフィーと共に奥へ奥へと逃げていた。

入り口付近はすでにモルスが暴れており、戦闘が出来ない二人がいても危険なだけだからだ。

幸い、ギロティナの者が多く招かれているパーティーだ、しばらくの間身を隠せればすぐ収束するだろう。

ひとまず、廊下に設置してあったソファに腰掛ける。


「フィーちゃん、怪我はしてない?」

「うん、平気」


フェリシテと無事を確かめあってから、ルークスはほっと息をついた。

フィーの方は慣れているのか、それほど動揺していないように見える。


(一緒に来ちゃったけど、マウイさんとかと一緒に居たほうが安全だったかな……)


落ち着いてから、ルクスはそう思ってしまう。

自分だけならともかく、彼女まで怪我をさせてしまったなら不味いだろう。

きっとラメティシイの方々に殺される。


「……やっぱり、もう少し逃げやすい場所に移動しよう?ここだと太刀打ち出来ないしね」


先に立ち上がったルクスが遠慮がちに手を差し出せば、フィーは少し考える素振りをしてからとって立ち上がった。

てくてくと、混乱した客が逃げたときに散乱したであろう小物や破片に気をつけながら歩く。


「ルクス君。ここでモルスに襲われたら、どうする?」

「えっ?」


突然投げかけられたフィーからの疑問に、ルクスは少し虚空を見つめた後、ゆっくりと答え始めた。

もう既に二人が座っていたソファからはだいぶ距離が離れている。


「そう、だね……武器になるようなものはないし、あっても無理だし……逃げてから、どこかに隠れる、かな」

「そうだね」


たどたどしい会話。

前はもう少し話せた気がするのにな、とフィーは内心首をかしげるが、状況も状況だし仕方がないかと再び前を向いた。

廊下は続く。

左右に所々ドアと標識があるが、殆どのものは今関係ないもので入る気は起きそうにない。チラチラとフィーはルクスの方を伺っている。

ルクスとしてはそれよりも集中してほしいのだが、当人の視線がなぜか真剣で言い出しにくかった。


(せめてなにか武器になるものがあれば、少しは安心なんだけど……ん?)


ふと、一つの標識がルクスの目にとまる。


「どうしたの?」


突然足を止めた彼に、フィーは顔を上げる。

ルクスはようやく彼女を一瞥すると、ふんわりと微笑んだ。


「ごめん、少し役立ちそうなものを探してくるね。フィーちゃんはあの部屋に居て」

「?うん」


フィーが”仮眠室”と書かれた部屋に入っていくのを見届けてから、ルクスは視線を戻す。

その部屋の標識には、”薬剤倉庫” と書いてあった。




「なぁーんなんだよもうっ!!仕立てた物がぐちゃぐちゃじゃんか……!」


キレたようなウィリアムの声とともに、モルス一体の動きが止まる。

以前よりもどこか乱雑に埋め込まれた破片に沿って、中型のそれは四方八方に引き裂かれた。

びちゃびちゃと黒い液体が降り注ぐが、既に荒らされているならいいのかウィリアムは気にしていない。

苛々した動作で顔についた黒を拭うと、足元に転がった、獣に似た足を蹴飛ばした。


「……エイダが来れないパーティで幸いだよ、綺麗な肌が汚れる」


そうつぶやき、より攻撃的になった瞳で顔をあげれば、一部始終を見ていたらしい青年が小さく悲鳴をあげる。それを見るとウィルは少し機嫌を直したのか、にこりと笑顔を浮かべた。

先程よりも穏やかな手付きで頬を拭うと、出口を指差す。


「えー皆様ー、只今ギロティナ隊員がモルスを討伐しておりまーす。安全が確保されるまでこちらの出口から避難していてくださーい」


やる気なさげな間延びした声でウィルがそう客たちに伝えれば、数秒の間の後、一斉に足音が響き渡った。

みっともないほどの慌てようにウィルが一つため息をついていると、周りとは少し違う気配が近づいてくる。

それに気づいて振り向けば、見知った顔が2つ駆け寄ってきた。


「ウィル〜っ!大丈夫?」

「アーニーちょっと待って…………ウィルくんやっほ〜」


長い髪を揺らしながら走るアーニーに、珍しく一瞬焦った様子をみせたフレディが隣にやってきた。

モルスの体液まみれのウィリアムにいつものテンションで飛びつこうとするアーニーを、フレディがぐいと引き寄せて止める。

さり気なく自分が前に出ると、いつもの柔い笑顔になってウィルに話しかけた。


「お疲れ様〜、すっごく派手にやったんだねぇ。意外だなぁ」

「ムカついてたんだよ、いいだろ別に」


パーティ会場は既にぐちゃぐちゃに汚れ壊されており、再開など不可能なほどになっている。

装飾などの幾つかを手伝いとして作っていたウィルにとっては、自分以外にそれらを台無しにされることは、我慢ならないことなのだろう。


「……で、どうするの?これ」

「うん、流石にまずい状況だよね……」


アーニーが言う通り、こんな事態になってしまっては、ベネヌム家も大変だ。

だが、


「別にベネヌムがどうなろうと関係ねぇよ。俺は処刑人としてモルスをバラすだけだ」


ラメティシイのウィリアムにとって、それが重要かと言われればそれはない。

ただ自分の任務にのめり込める彼は、下手をすればベネヌムギロティナの隊員よりも処刑に向いているのかもしれなかった。



人がいない広い空間に、巨体が激しく衝突する音が響き渡った。


「……っ、じれったい!」


足元に落ちた鋭い破片を掴んで投げるが、皮膚も厚いらしいこのモルスには傷ひとつついてくれない。

ベトベトの黒がこびりついたナイフは、元々戦闘用ではないこともあってもう殆ど切れ味が残っていなかった。

エラは他の武器を探して動き回っているが、もし近辺に一般人が居たのならとっくに満身創痍だろうというほど、このモルスは派手に暴れてしまっている。


(中型はともかく、大型だとさすがに厳しいか)


エラ自身は最初の切り傷以外きずを負ってはいないが、このまま戦闘が長引けば最悪の可能性も出てくる。

処刑は決して安全な仕事ではない。

彼女の目の前で命を落とした人だっているのだから。

そのときの光景を思い出せば、今でもエラの額に冷や汗が伝っていく。

もうすっかりベテランのエラでも、怖いものは怖い。


(ピーズアニマが使えればいけるのに……ピーズアニマさえ……)



  ”本当に使えないの?”



突然、『自分』の声が聞こえた。


「___っ!」


驚きにエラは目を見開くと、一気に走る速度を上げ、モルスから距離を取ってから座り込む。

目をつぶって集中すればその声はより鮮明に聞こえてきた。


『まだ試したのは具現化だけでしょう?憑依してみなよ』


確かに、できるかも知れない。

しかし駄目だ。


「”この声”が聞こえるってことは、深く憑依しちゃうってことでしょ、今それをするのは危険が大きすぎる」


不機嫌にそう返すエラに対して、その声は楽しげに笑う。

それはまるで、本当は彼女が憑依するかどうかで揺れていることを分かっているかのようだった。


『大丈夫だよ、キミに何かあったらあたしも大変だし。ちゃんとやるって』

「………………………終わったら、ちゃんと解放しなさいよ」


___ひときわ大きな高笑いの後。


真っ黒な女性の腕が、後ろからエラを抱きしめた。




追いついてきたモルスの目に、鋭いくちばしが突き刺さる。


『ア゛ッ、ア゛ア゛ァ!?』


いつものものより小型に見えるが、黒の鳥は一切の容赦もなくモルスの目を抉り続けた。

ぐぢぐぢと不快な音をさせながら執拗に攻撃を続けていると、ついにその音が止む。

しかしそれと同時に、床にべちりと目が___ピーズアニマに侵食されたもともとの眼球が

打ち付けられるように落下した。

完全に視力を奪われ、狂乱するモルスに、”彼女”はゆったりと近づいていく。


「化粧もこんなに崩れて……泥だらけの血まみれ。こんなんじゃあ……」


エラが勢いよく顔をあげると、長い薄紫の髪が揺れ、黒っぽく変色した瞳が顕になった。

この惨状に不釣り合いなほど優美な表情で、ピーズアニマによるものであろう黒のドレスを

身にまとったエラは、堂々と新たに一歩を踏み出す。

いつの間にかその足には黒のヒールがはまっていた。


「___誰も選んでなんかくれないじゃなーい!」


彼女の足跡は黒く残され、ぐねぐねとした文字が写し出される。

エラは横目でその文字を見ると、一瞬だけ憂いを帯びた表情に変わった。


(……あぁ、本当に)


_____姫


(酷い”名前”だな)


 ”灰まみれの虚飾姫” 

        所有者 エラ・ベイリー



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8幕 終


○灰まみれの虚飾姫  元ネタ 灰かぶり姫  グリム童話

魔法の力で着飾って、灰まみれの少女から誰もが認める美しい姫へと大変身するあの話。

灰かぶりはいつもの自分を見られたくないとは思わなかったのだろうか。

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