第 7 幕 憎悪の行き先


真っ黒。私は真っ黒だ。どうやっても、純白になれないことくらい知っている。

だから、私は。


あなたに笑っていてほしい。けれど、本当は一緒に笑いあいたい。

ねぇ、どうして?

どうしてそれが許されないの?一緒にいたいよ…………


「____お姉さま!」


突然耳に届いた高い声に、マーシャはビクリと身体を震わせる。

ベネヌム本家の屋敷、赤い絨毯に、磨かれた木の手すりが光る階段の途中、ふわりと薄い色の髪が揺らめいた。

マーシャがほんの少し首を動かして彼女を見ると、マーシャと同じアンバーの瞳が嬉しそうに輝く。


「……っ、用があるなら早く言って頂戴」

「あっ、お、お姉さま……」


表情を固くして顔をそらした姉に、妹は狼狽える。

しばらくわたわたと行き場のない手を動かした後、意を決したようにマーシャへ駆け寄った。


「その……お時間ありましたら、一緒にお茶を……」

「悪いけど」


きっぱりとしたその声に、少女の口が閉ざされる。


「ここに長居するつもりはないの。”お友達”とすればいいわ」


そう言うと、マーシャは足早にその場を去ってしまう。

後に残された少女

___ミュラッカは、手にしたヌイグルミをギュッと抱きしめた




ベネヌム家当主、エリオス・ベネヌムの執務室。

父の言葉を聞いた娘は、ぽかんと口を開け思わずといった様子でこう漏らした。


「社交パーティーが……近い!?」


叫んだあと、ハッとしてマーシャは口を塞ぐ。


(つい驚いて叫んじゃった。おしとやかにおしとやかに……)


小さく咳払いをして平静を取り繕うと、マーシャは令嬢の顔になり父に尋ねた。


「それは……昨年と同じように、ギロティナの者も出席するのですか?」

「あぁ、その予定だ。開催は2週間後を予定している」

(2週間後…………色々と間に合うかしら。でもやらないと)


難しい顔で思案しているマーシャを見て、エリオスは口元に微笑を浮かべる。

ゆっくりとした動作で娘の前に立つと、頭に優しく手を置いた。


「今年も、良い会にしたい。よろしく頼むぞ、マンサナ」

「…………お父様」


笑みを浮かべるマーシャ。その後ろのドアが、キィと開く。


「ミュリー…………」


顔をのぞかせた妹は、ふわふわとしたドレスの裾をつまんでお辞儀をすると、笑顔で父のもとへ向かった。

エリオスもミュリーを抱き寄せると、その頭を撫で始める。


「聞いていたかもしれないが、2週間後パーティーを行う。ドレスは新しく発注するかい?それとも……」

「わたしは、前回頂いたものが気に入っております」

「そうか。では……」


父と娘。その二人の笑顔から、マーシャはそっと顔を逸らした。




「と、いうことで。これからベネヌムの私達は忙しくなるから」


ギロティナ員が集まる中、マーシャはそう言い放った。

キョトンとしているルクスの隣で、マウイが頭を抱える。


「もうそげん時期なんか?ダンスなんて覚えとらんばい……」

(ダンス……やったことないな)


ルクスが周りを見れば、他のベネヌムも複雑そうにしている者が多い。

ポプリはそっぽを向いているし、エラは何やら真剣に考え込んでいるようだった。

ロンドは、マーシャのそばに控えていてあまり表情が見えないが、纏う空気は暗いように感じる。

不意に、エラが口を開いた。


「とにかく、まずドレスと燕尾服を用意しよう。僕たちはともかく、マーシャはいいものにしないと上がうるさいだろう?そして同時進行でダンスだ」


マーシャはコクリとうなずくと、ロンドの名を呼ぶ。

今度はロンドが頷き、部屋へと向かっていった。

手慣れているのだろう、マーシャはブツブツと、予算はどれくらいか、来る人の名前と顔を確認しなきゃなどと呟いている。

すると突然、エラがルクスの前で 立ち止まった。

驚いて上を向くルクスに、エラはにっこりと微笑み、手を差し伸べる。


「君はダンスの経験がなさそうだね。僕が教えるよ。仕事が終わり次第、僕のところに来るといい」

「……………ありがとうございます」


ゆっくりと、思考を追いつかせるようにしてルクスが礼を言う。

そのまま各自が仕事へ向かっていくなか、ルクスははぁ、と息をついた。


「時間、なくなっちゃったな」


そんな彼を、遠くから見つめる少女が、何やらショックを受けていることにも気づかずに。



ラメティシイのバルコニー。

先日は澄んでいた空は、もういつもどおりの灰色を取り戻してしまっている。

そこで、何をするでもなく頬を膨らませていたフィーに、高くも低くもない声がかけられた。


「むくれてどうしたの?ブリオッシュみたいになってるよ〜」

「アーニー…………」


くるりと振り向いたフィーだが、またすぐに顔をそむけてしまう。

そんなフィーの隣にアーニーは向かうと、そっとクッキーを差し出した。


「クッキーあるよ?食べてる間だけでもいいから、話さない……?」


すると、フィーはクッキーをじっと見つめ……手にとって口へ含む。

そして咀嚼の後飲み込むと、ボソリと言った。


「……ルクス君に、ラメティシイへの誘い、断られた」




「……幸福?それは、ラメティシイじゃ駄目なの?」

「ごめんね。それに……俺はきっとベネヌムのほうが向いてるよ」




「私たちといて、嫌……なのかな」


しゅうぅとしぼむフィーを見て、アーニーは困ったように顎に手を当てる。


「う〜ん、まぁ確かにね。ここだとフレディがよく絡んでいくじゃない?あれはルクス君にとって、楽しいものとは言えないし……」


それを聞いて、フィーはぴょこんと顔を上げ、アーニーの目を見た。

急な変化に戸惑うアーニーに、ぐんと近づいて話し始める。


「そういえばね、フレディがまたアーニーの聖歌隊入隊を推薦したって……アーニー、どうして入らないの?」


その言葉に、アーニーが一瞬ビクつく。


「……アーニー?」

「あ、いや……ごめんね。でも無理なんだ、ミサへの参加だけは本当に」


目をそらした彼を見て、聞いてはいけないと感じたのか、フィーは小さく「ごめん」と言って口を噤んだ。

それからしばらくの間、フィーがクッキーを食べる音だけが響いていたが、やがてアーニーが一言、


「……怖いわけじゃないんだ。でも……やっぱり憎い……みたいでね」


憎い。

憎しみ。

その単語に居心地の悪さを感じて、フィーは瞬きをする。

アーニーがフィーに困り笑顔を向けたところで、第三者が現れた。


「お久しぶりですね。フェリシテさん、アーニーさん」


長い黒髪をなびかせて、そこに少女が立っている。

薄い蒼の瞳が嬉しそうに細められた。


「エイダ!」

「元気にしてた?……あ、ウィルへの差し入れ?」


二人がそう声をかけると、エイダは口元に手をあてて笑うと、控えめに頷く。

手に持っているバスケットにアーニーは気づき、微笑ましそうにそう尋ねた。


「はい!といっても、お洋服作ってもらうお代みたいなものですけど」


彼女が纏う美しいワンピースも、コサージュも、全てウィリアムが作ったものであった。

エイダは自分の姿を眺め、嬉しそうに回ってみせる。


「ウィルは凄いね。こんな綺麗なもの作っちゃうんだもの」

「そうしないと落ち着かないんだと思います。ウィルは美しくならないものが嫌いですので」


少し影を落として笑う彼女は、では、といってウィルの部屋へ向かって行ってしまう。

手をふって見送った二人は、お互いに顔を見合わせた。


「ウィルの友達とは思えないほどいい子だよね〜……」

「びっくり……」


彼女の長袖が、駆けながらふわりふわりと揺れていた。




「…………」


ドアを開け、エイダが部屋の中へと入る。

辺りに散らばる布や模型などを危なげなく避けながら、作業をしているウィルの前へと歩み寄った。

二人は言葉を発さない。

ウィルはそちらを見もしないにもかかわらず、エイダの持つバスケットを迷いのない手付きで取ると、中にあるラズベリーパイを口に運んだ。


「やっぱりあの店のパイは美味いな。エイダももう顔覚えられただろうし……サービスされるの目指そうか」


ウィリアムの言葉に、エイダは何も返さない。

ただ穏やかな笑みで虚構を見つめている。

パイを飲み込んでから、ウィリアムは初めてエイダの方を見た。

そしてその黒髪に、そっと新作の髪飾りをつけていく。

彼女の蒼い瞳によく映える、黄色のガーベラがあしらわれているものだ。

エイダも若干首を動かし、ほうけているような、憂いているような。

彼女の美しさを際立たせる、今のウィリアムと同じ表情を浮かべていた。


「…………いいね、この表情。エイダによく合う」


そっと、よく手入れされた艶やかな黒髪を撫でる。

ウィリアムとは対照的なそれが、美しく輝いた。

もっと細かい部分まで見ようとするように、ウィリアムの顔がエイダに近づく。


「ウィル君、今いい〜?」

「っ!!」


突然響いたノックの音と女性の声に、二人は同じ動作で反応すると、ゆっくりと離れた。

エイダは近くの椅子に腰掛け、ウィリアムは不機嫌そうに「どうぞ」と扉の向こうへと声をかける。

するとドアが開き、エラが笑顔で顔を見せた。


「やぁ♬聞きたいことがあって来ちゃった!」

「なんだよ、さっさと済ませろ」


ルークス達と居るときよりも若干高いトーンで話すエラに、ウィリアムはうんざりと首をもたげる。

エラは散らかった部屋を見て、うお、と小さく声を上げるが、ものを踏まないよう、注意して入ってきた。


「おい、入ってくることないだろ」

「まぁまぁ、聞きたいことなんだけどね?ルークス君の仕事……モルスを食べなきゃなんだけど、あのモルス、倒すときに君がなにか埋めこんだじゃない?アレってなんか害とか…」

「ねぇよ」


とがったウィリアムの声が、エラの話を遮った。

鋭い瞳をさらに攻撃的にして、エラを睨む。


「……気づいたのか」

「まぁ、少しだけね」


しばらく睨み合いが続く。

永久に続いていてもおかしくないそれは、少女の声で中断された。


「あ、あのっ!」


椅子の上、背筋をピンッと伸ばし、エイダが叫ぶ。

エラとウィリアムがそちらを向くと、少し顔を赤くして服の裾をつかんだ。


「私……席を外したほうがよろしいでしょうか?」

「……いや、大丈夫だ。あんたさぁ、こっちには客が居るんだぞ?いつまで邪魔するんだ」


エイダには申し訳無さそうに、ウィリアムには嫌そうに見つめられたエラは、小さくため息をつくと、くるりと踵を返してドアノブに手をかける。


「ごめんね長居しちゃって。それじゃ、仲良くね〜」


笑顔で手を振り、エラは出ていくかと思ったが。


「あ、そうだウィル君」


最後に振り向き、不敵な笑みで言い残した。


「私も、何かを綺麗にすることが好きなんだ。ちょっと似てるかもね、私達」


バタンと閉じたドアを、二人はじっと見つめていた。



部屋から出たエラは、コツコツと廊下を進み、その先に待っていたルクスに声をかける。


「待たせてごめんよ。確認がとれたから、モルスのもとへ向かおう」

「はい」


モルスの遺体安置所は地下にあるため、二人で長い階段を下っていく。

ろうそくの明かりが暗闇をかすかに照らす中、ルクスがエラの方を伺うようにして尋ねた。


「あの……ロンドさん、先程どちらへ向かったのですか?」

「どこか仕事でわからないところでもあったのかい?」

「いえ……そうではないんですけど……」


マーシャとしばらく相談をしていたロンドは、簡単な荷物のみを持って出かけていってしまった。

それが今、ルクスがエラとともに仕事へ向かっている理由なのだ。


「なんだか、気分が優れないように見えたので」


出ていくときの彼の表情は、とても喜んでいるようには見えなかった。

そのことが気がかりで、ルクスは不安そうにする。

そんなルクスに、エラは困ったように笑って答えた。


「僕から勝手に言うわけにはいかないし、ロンドも聞かれたくはないだろうからね……ただ、本人にとって嫌な仕事だということは確かだ。でも、そうだな。彼は君のことを気に入っているようだし、帰ってきたら労ってやってくれ。きっと喜ぶ」


その言葉にルクスは大きくうなずくと、ロンドのことを考えているのか、どこか嬉しそうな空気を纏って前を向く。


(こういうところを見ると、かわいい忠犬にしか見えないんだけどね……)


ルクスを見てエラは、心中ひそかにそう思ったのであった。




「……はぁ」


屋敷の前、心底嫌そうにロンドはため息をつく。

ベネヌム家ではないここは、彼にとってただただ吐き気のする場所であった。

目を閉じ、深呼吸をしてから足を踏み入れる。

思いドアを開けた先には、久々に目にする父と、”外”の人間たちがいた。

今にも嫌悪に歪みそうな表情筋を抑えつけ、父と同じように作り笑顔を浮かべる。


「皆様、ご機嫌麗しゅうお過ごしでしょうか」


恭しくお辞儀をしてみれば、外の奴らは見下したように笑う。

大嫌いなその顔を見たら粗相をしてしまいそうで、しばらくそのまま頭を下げていた。


「モンストルムが用意した割には快適だよ。よく頑張ったようだな」

「……勿体なきお言葉」


ふざけるな。

口をついて出そうになった毒を感謝の言葉に化かして、できるだけ自分を下げて接する。

それがモンストルムの”タダシイ”姿だそうだ。

人間の手が、ロンドの頭にそっと触れる。

ニヤニヤと笑いながら撫でるようにするその動作は、完全に下に見ている行動だった。


「あんなちっこかったのが、今はこんなにでかくなって……立場もよくわきまえるようになった」


ロンドの頭を撫でながら、人間はロンドの父親に言う。

気分良さそうに笑う父親を、ロンドは横目で睨みつけるが、気づかれた様子はない。


「今回のパーティでは、前回同様ウォルテクスで活動している者たちを集める予定にあり

ます。”ご覧頂く皆様”のもてなしには、我々も精一杯ご尽力させていただきます」

「ふむ……そうだな。前回、こちらの提案をのまなかったぶんも満足させて貰わんとなぁ」


品定めするかのような視線が、ロンドたちに向けられる。

父親は一筋の汗を流しながら、焦ったように頭を低くすると、緊張をはらんだ声で喋り始めた。


「も、申し訳ありません。こちらも、皆様方の慈悲によってここまで発展してきました。非常に感謝しております。この先も皆様に卑しい我々ができる奉仕は何もかも行うつもりです。しかし、”英雄ルーメン”の信仰は、モンストルムごときには難しいかと……っ」


英雄ルーメン。

ロンドにとっては聞き慣れた単語だ。

なんでも人間たちが信仰している太古の英雄らしく、世界に突如現れた”黒い怪物”を退治し、封印したという伝説が残っている。


(ただ、あきらかにこれは……)


黒い怪物がモンストルムを表すことくらい、誰でも分かる。

それをウォルテクス内で布教するとなると、狙いはモンストルムを人間に従属させることだろうかとロンドは考える。


(でも、流石に無理がある。独自の技術を生み出し、すでに発展し始めているモンストルムが、今更人間サマの元につくわけがない。暴動ものだな)


父親もソレくらいは分かっているのか、頭を下げながら断り続けている。

人間はしばらくロンドたちをじっと見つめていたが、やがて嘲るように鼻で笑うと、ロンドの方を向いて言った。


「まぁ、良いだろう。では……ロンド・ヤップ」

「……はい」


顔を上げて、ロンドが人間の目を見つめる。

冷たいその瞳に、人間は面白そうにニヤつくと勢いよくロンドの腕を引き寄せた。

ロンドの表情が、僅かにひきつる。


「礼儀作法もだいぶマシになっただろう。また、誠意を見せてくれるな?」

「…………」

「ロンド」


初めて、ロンドの名前を父が呼んだ。

反射的にそちらを向いたロンドに、何も映さない虚ろな瞳が向けられる。

そしてそれが、ゆっくりと笑みを作った。


「頼むぞ」

「……わかりました」

「あとで話すことがある。用意をしておくように」

「了解しました」


営業用の笑顔を貼り付け、父にもなにか用事を言いつけた人間と共に部屋へと向かう。


(あぁそうだ、忘れていた)


暗い部屋にも電気は付けず、魔法で火の弾を浮かばせて明かりとする人間を、ロンドは少しの温度も感じない瞳で見つめていた。


(これが、私の仕事だった)




「おかえりなさい、ロンド!」

「お嬢様……」


夜。仕事を終えてギロティナに戻ったロンドを、一番にマーシャが出迎えた。

驚いたように目を丸くするロンドに、マーシャは嬉しそうにあるものを見せる。


「これを見て!エラがくれたのよ!」

「これは……チョーカーですか?」


真ん中に宝石が吊り下げられたその短い装飾品を、ロンドはじっと見つめる。

得意そうにしたマーシャは、それを自分の首に当ててみせた。


「似合うかしら?」

「はい、とっても…………」


ロンドはそう言いつつも、少し眉をひそめて自身の首をなぞる。

その仕草にマーシャは首をかしげると、チョーカーをおろして微笑んだ。


「...…いつも、ベネヌム家に行ってくれてありがとう。私の代わりに……」

「いえ、私もベネヌム家に行くことは嫌ではありませんから。ただ、今日は別の用事もあったため、少ししか……」


うって変わってどこか嬉しそうな表情を浮かべるロンドに、今度はマーシャが複雑そうにする。


「ロンド。本当にいつも感謝してるわ……でも、無理はしないでね」

真っ直ぐにロンドの方を見てそう言うマーシャに、ロンドは一瞬、悲しんでいるような、哀れんでいるような、不思議な顔をした。

「……お嬢様。ミュラッカ様はお変わりありませんでしたよ」

「…………そう」


それだけ返して、マーシャは黙りこくった。

しばらく沈黙が続いた後、ロンドがマーシャにお辞儀をし、自身の部屋……今は客間へと足を進める。

階段と廊下を渡り、ドアに手をかけたところで一人、呟いた。


「どちらが、無理をしているのでしょうね」


(ミュラッカ様について報告するたび、あんなに愛おしそうにしているのに)


部屋に入ると、ロンドは衣服から小さく可愛らしいフェーブを取り出すと、ベッドの近くに大事そうに置く。

付けたランプの暖かい光に照らされたソレを、頬を緩ませてロンドは見つめていた。


「ミュラッカ様……」


夕方頃、ベネヌムの屋敷でミュラッカがこれをロンドに渡したのだ。


「お姉様には、直接お渡ししたいのです。貴方とわたしとお姉様……おそろいですね」


白い頬を染めてフェーブを手渡すミュラッカを思い出し、ロンドは目を閉じる。

そうすると、昔の思い出が蘇るようだった。

まだマーシャもミュリーも小さく、ロンドもベネヌム家に仕え始めたばかり。

姉妹はいつも仲がよく、ロンドも連れ込まれ、よく遊びに参加させられていた。

そんな日々。

アンバーの瞳とその笑顔を、鮮明に思い浮かべる。


「また……あのように笑って欲しいものですね」


そうして思い出に浸っていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。


「すみません、ロンドさん。戻っていますか?」


ドアを開けてみれば、ルクスがトレイにカップを載せて立っている。

カチコチと何やら緊張した様子の彼に、ロンドは不思議そうに声をかけた。


「ここは君の部屋でもあるのでそんなに気をはらなくてもいいんですよ……そのカップは」

「えっと……ロンドさん、今日忙しそうだったので。エラさんに教えてもらってレモンティーを淹れてみたのですが…………」


ロンドがティーコージーをずらしてみると、紅茶とレモンの爽やかな香りが周辺に漂う。

自分好みの香りに、ロンドはほっと口元を緩めた。


「上手に淹れられましたね。有り難くいただきます」


そのロンドの反応を見てルクスも安心したのか、そっとトレイを手渡すと、お辞儀をして立ち去っていく。

ミニテーブルにカップを置き、鼻先へと近づけた。


「ルクス君には、お茶を淹れる才能があるようですね」


そのままゆっくりと口に含むと、レモンティーの暖かさが、自分のなかの荒んだ、嫌悪や憎悪といった感情が薄させてくれていくように感じる。

今度ルクスが好きな紅茶も見つけてみようと、ロンドはそう思ったのであった。



てこてこと自分のもとへ帰ってきたルクスに、エラは声をかける。


「ロンドは喜んでくれたかい?」

「はい!たぶん……」

「もっと自信を持っていいよ。じゃあ、ダンスの練習を再開しようか」


少し不安げなルクスにエラが手を差し出すと、彼も数秒の間の後ソレをとった。


「すみません、覚えが遅くって……」

「問題ないよ。もう少し時間はあるからね」


エラの慣れた踊りと、ルクスの少し遅れた動きが重なる。

必死についていっているように見えたが、途中でルクスの視線が横にそれた。

一つの小さなドア。

そこから、大量の本を抱えてフレディが出てくる。

そして、その僅かに空いたドアの隙間から見えたものは。


「……!」


ぴたり、とエラとルクスの動きが合う。


「お、上手いじゃないか」

「あ……いえ、たまたまです」


エラはルクスの視線の先に顔を向けたが、もうドアはしまっていた。




ほのかな灯りのなか、パラパラと本をめくる音が響く。

辺りには、本棚に綺麗におさまった大量の本に埋め尽くされている。

それがどこかこちらを睨んでいるように感じて、ルクスは僅かに顔をしかめた。

気を取り直すように頭を振ると、薄く漏れ出るような声で手元の本を読み上げ始める。


「モルスの……再生……本体の、よー……?難しいなぁ……」


分かる部分を少しずつ読み解き、理解しようとするがどうも上手くいかずに息をついた。

ルクスはもう一つの本を開き、今度はそちらに集中する。

こちらは先程のものよりかは易しく書かれているようで、文字を指でなぞりながら順調に読み解いていくことができた。


「憑依をしている……間、は……ものによっては、身体つよ……する?」

「ルクス?」


突然聞こえた少女の声に、ルクスは驚いたように後ろを向く。

そこには、薄暗い中でものの良さそうなガウンを羽織ったマーシャがいた。


「どうしたの、こんな時間に……」

「マーシャちゃんこそ……」


二人はしばらくお互いの顔を見合わせていたが、やがてマーシャがルクスに問いかける。


「なにか調べ物をしていたの?そんなに本を広げて」


ルクスが答えるよりも早く、マーシャは開かれた本を手に取ると、凛とした声で内容を読み上げた。


「憑依をしている間の特性は、それぞれ違いはあるが、ものによっては身体を強靭にする。どれだけ強化されるかの度合いも決まっていないため、実際に使用するまでその力を測ることはほぼ不可能である……」


読み切った後、マーシャは黙っていたルクスの方を向くと不思議そうに尋ねる。


「ピーズアニマについて知りたかったのなら、私達が教えてあげるのに……」

「う……ごめんなさい。みんな忙しいと思って……」


ルクスは申し訳無さそうにしゅんと肩を落とすが、マーシャは普段の皆の様子を思い浮かべ、首をかしげていた。


「そうかしら?マウイはいっつも誰かにちょっかいを出してて暇そうだし、ポプリは寝てるし、フィーはよく暇そうに貴方のほうみているじゃない」

「えっ?」


ルクスの大きな緑の瞳がさらに大きく見開かれる。


「気づいてなかったの?」

「う、うん」


気まずい沈黙が流れる。

ランプの灯りがチカチカと不規則に変化し、未だ机に置いたままの本数冊に記された文字を浮かび上がらせた。


((気まずい…………))


二人して心中でそう呟くと、同時に近くの本に手をのばす。

マーシャの女性的な綺麗な手と、身長の割に大きく、やや荒れたルクスの手がぶつかった。

驚いてお互いの方を向くが、近すぎてこちらも激突してしまう。


「きゃっ!?」

「いっ……!!」


慌てて数歩後ろへと下がるルクスと、額を抑えるマーシャ。

ルクスはしばらくうずくまるマーシャの方を困ったように伺っていたが、とりあえずといった様子でランプを彼女の顔へ近づける。


「ごめんなさい、大丈夫?」

「……………」


しかしそんなルクスの声掛けに何も返さず、マーシャは彼の目をじっと見つめている。


「あの……?」

「貴方って……結構、鋭い眼をしてるのね」


灯りに照らされたルクスの瞳。それはいつもの丸くくるっとした瞳とはどこか違って見えた。 

夜中なので、もう本を読むのがキツイのかもしれない。

少し細めになった彼の瞳は、凛々しくも感じる。

そう言われたルクスは、ハッとしたように片手で目を覆い隠した。


「ルクス?」

「……俺、疲れ目になると人相悪くなるので……あまりみないでください」


小さな声でぼそぼそと喋るルクスに、マーシャは数秒の間の後、吹き出す。


「!?」

「ふふっ、ふふふっ!なんかかわいい……!」

「かわ……!?」


笑い続けるマーシャに、ルクスは戸惑いに手を不自然に動かしている。

どうも彼女には合わせにくい、とルクスはため息をつくと、一人また席についた。

やがてうっすら涙をにじませたマーシャが笑いやむ頃には、もう彼は真剣な表情で本のページをめくっていた。

マーシャがそこを覗き込めば、ルクスが居心地悪そうに視線をそらす。


「というか、疲れているなら無理して読むのやめなさいよ。明日にひびくわよ?」

「マーシャちゃんこそ……」


ズズッ、と木の擦れる音とともに、マーシャの黒髪がふわりと揺れる。

隣に座ってきたことが、ほど近くなった彼女の顔から分かった。


「私は……ちょっと夢見が悪かったから。気晴らしよ」


そう言うと、マーシャはそっとルクスの読んでいる部分を指でなぞり、音読し始める。


「モルスの再生能力は、死亡した本体の肉体が溶解されることでピーズアニマと同化し、分離した部分が接着されることで再生する。接着強度や速度には個体差があり、それが強く速いほど崩壊させることが困難となる」


そこまで読むと、ぽかんとしているルクスの顔を向き彼女は笑顔を見せた。


「読み書きが苦手なら私が教えてあげるし、慣れるまでは私が読んであげる。知りたいことがあるなら調べてあげるわ」


ね?とやや圧を含んだ声音でそう告げると、彼女は目をキラキラさせて手元の本を広げる。

ルクスはしばらくわたわたとしていたが、やがて観念したかのように、読めない箇所をマーシャに尋ねるようになった。


「ここ……憑依について書いてあるように思えるけど、読めなくて……」

「これね!え〜っと、憑依は身体の内部へ直接干渉してはいないといわれている。そのため、モルスのような再生能力は確認されていない。ただし使い方によっては傷口を一時的に塞ぎ、止血することが可能である」


そこでマーシャがちらりとルクスの表情を伺う。真剣に本を凝視する彼は、やはり普段とは違って見えた。


「……また、モルスと同じく解毒能力などがあるわけではないため、ピーズアニマの憑依を使用した事件の犯人確保には、麻酔銃が使われることが多い、だって」


銃という言葉に、ルクスはマーシャの使う拳銃を連想する。


「マーシャちゃんのあの銃は……?」

「私の銃は普通に処刑用ね。一度モルスになってしまったら、戻すことは不可能だから」


マーシャはそう言うと、少し寂しそうに目を伏せた。

普段は銃を収納している腰にそっと手を寄せると、ルクスに小さな声で話しかける。


「ねぇ、貴方は本当に戦闘に加わってはくれないの……?危険なことは否定しないけれど、前に恐れ知らずを倒せたじゃない。私は……貴方には力があったから……」


マーシャの脳裏に、ルクスを見つけたときの光景が浮かび上がる。

活動停止したモルスのそば、鋭い爪を遊ばせて、ぼんやりと月が雲に隠れる様子を見つめていた紅い瞳。

雨が降り出してゆっくりと倒れていく彼にマーシャが覚えたのは、高揚感だった。

うつむく彼女を、ルクスはしばらくじっと見つめていたが、やがて視線を外すと、手元の本をぱたんと閉じた。


「今日はありがとう。おかげで少しピーズアニマとかについて分かったよ。明日も忙しいだろうし、もう休もう?」

「えぇ……分かったわ」


気遣うように微笑むルクスにマーシャも席を立つと、二人で図書室から出ていく。

一緒に進む冷たい廊下に、ランプの熱は少しも伝わってなどいなかった。

ルクスの赤い髪。

横目でそれを捉えたマーシャは、忘れられそうにない今夜の夢を思い浮かべてしまう。


視界に映る橙を帯びた赤色が、ふとぐにゃりと歪む。


「…………っ」


力を込めた目元がぼやけ、それが収まった頃にはその赤が丸い形となっていた。

そしてそれに添えられた白い手…………


 『お姉様』


桃色の綺麗な唇が自分を呼ぶ。

ゆるく弧を描いたそれが、今はどこか恐ろしい。


『これ、受け取ってくれますわよね……?』


今や真紅へと色を変えたそれを、身体が勝手に受け取る。

つるりとしたそれは、どこか甘い香りがしていた。


 『召し上がってくださりますか?』


言われるがまま咀嚼すれば、慣れ親しんだ果実の味。

しかしそれを飲み込んだ瞬間、力が抜け、地面に打ち付けられてしまう。


「……ミュ、リー」


戸惑っている自分を見下ろし、嬉しそうに笑う妹。

その姿が黒に覆い尽くされていくのは、自分に黒が這い上がって来ているからなのだと、不思議と理解が出来た。

しかしそれよりも早く、一瞬にしてミュリーの身体が黒に飲み込まれ、自分も後を追うように………………


ガツンッ、と頭に響いた衝撃に我に返る。


「マーシャちゃん!?」


目を開けてみれば、そこには暗さで灰色に見える壁があった。


「大丈夫?」

「ご、ごめんなさい!ボーッとしてたらぶつかっちゃった」


段々と痛み始めた額を押さえて、マーシャは後ろへ下がる。

少し視線を下げると、ドアノブが見えた。

部屋の前まで来ていたことに初めて気づいた彼女は、恥ずかしそうに顔を赤くすると、一つ可愛らしい咳払いをしてルクスに向き直る。


「送ってくれてありがとう。ランプの灯りだけでよく迷わずに来れたわね」

「俺達の部屋に近いから……自然に行けるかなと」

「自然にって……」


呆れたようにそう返しながら、彼女はドアを開け、笑顔で中へ入っていった。


「…………また、便利なところ見つけちゃった」


小さくそう呟きながら。



マーシャを送り届け、ルクスも寝室のドアを開ける。

そこには、薄い灯りの中、寝台に座っているロンドがいた。


「…………?」


ロンドはどこかぼうっとしていたが、ルクスが入ってきたことに気づくと、ハッとしたように、まくった服の袖をもとに戻す。


「ルクス君、まだ起きていたんですね」


優しく微笑んでロンドはルクスに笑いかけるが、一方のルクスは何も言わずに佇んでいた。

その様子を訝しげに思い、立ち上がろうとした次の瞬間。

一瞬のうちに、ルクスの顔がロンドの至近距離にあった。


「!?」

「ロンドさん、怪我してますよね」


薄暗い中、驚きに目を見開いたロンドに、ルクスはさらに顔を近づける。

気がつけばルクスの瞳は赤く染まり、髪は黒く暗闇に溶けていた。


「血の匂いがしました。今隠したの……手当ちゃんとして下さいね」


そう言うと、ルクスはすっと離れていく。

ロンドはしばらく固まっていたが、やがて困惑したように口を開いた。


「…………聞かないんですか、この傷のこと」

「聞きませんよ、ロンドさんが嫌なら」


ロンドが、うつむかせていた顔をルクスに向ける。

その表情は、普段のロンドよりも数段幼いものに見えた。

そんな彼に、ルクスはふんわりとした笑みで告げる。


「ここは共同部屋なんですから、気をつけないと直ぐにバレちゃいます……でも、相談くらいならいつでも聞きますよ」

「…………ルクス君」


いつの間にか緑に戻っていたその瞳に、ロンドが口を開き、なにか続けようとしたその時。


「……ん〜?……まだ起きとったんか?」


もぞ、と毛布がこすれる音とともに、眠たげなマウイの声が聞こえた。


「……………」


気まずい沈黙が流れる。

ベッドからはいでてきたマウイは、キョロキョロと二人を交互に見ると、いたたまれなさそうに再び顔を埋めた。


「な、なんばい……早う寝れや」

「……昔は夜型だったそうですが、今は毎日早寝ですよね君は」


ロンドがため息をつきながらそう言うと、マウイの茶色の瞳が、じろりとロンドを睨めつける。


「うるさい……寝る子は育つったい……」


今度こそ顔を隠し、そっぽを向いてしまったマウイに二人は苦笑いを浮かべ、ゆるゆると寝支度を始めた。




ぱちり、と日中よりも飾り気のない瞳が開かれる。

彼女はゆっくりと状態を起こすと、隣のベッドで眠っているマーシャを見て、愛おしげにその黒髪に触れた。

そして、視線の先にあるドレッサーに近づくと、ランプをともし、自らの容貌をじっと見つめる。

頬をなぞれば、ずっと消えてくれないそばかすが今日もちゃんと存在していた。


「……みんなが起きる前に、ね」


そう小さな声でエラはつぶやくと、顔を洗うために洗面所へ向かう。

時は早朝。

他の者たちが眠っている間に、彼女はいつも身支度を済ませていた。

ドレッサーの前にもどり、メイク道具を手にすると、まず顔のそばかすを隠す。

まつげを上げて、ラインとマスカラで目元を華やかにした。


(綺麗なドレスも、もとが綺麗じゃなきゃ台無し)


髪の毛を整えれば、いつもの彼女に様変わり。

魔法のようなそれは、エラが昔恩師に教わったものを、自ら突き詰めたものであった。

マーシャが目を覚ます気配に、エラはそちらに顔を向けて、とても綺麗に微笑んだ。




○英雄ルーメン 元ネタ無し

ウォルテクス外でパラパラと信仰されている伝説の英雄。その内容もあってモンストルムからは嫌悪の対象とされている。おとぎ話と言うものもいるが、ウォルテクス内の有力家系の者たちはやけに慎重で…………?

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