第 6 幕 灯火と鎮魂歌



鳥の声、暖かい日差し。

ウォルテクス内では珍しいこの陽気は、いわゆる『いい天気』というものだった。

そんな中、一定で鳴り響く発砲音の方を伺えば、真剣な表情で的を狙うマーシャがそこにいる。


(少しずつですが……上達していっていますね)


特に表情を変えることもなくロンドはそう思うと、拳銃のリロードに合わせて彼女に声をかけた。

華奢な腕で汗を拭いながらマーシャがこちらを向く。


「どうしたの?…………危険なことはしてないわ」

「えぇ、その点はお嬢様を信用してみますよ。今のところは」

「今のところ!?」


どういう意味、とこちらをぽかぽかと軽く殴りながらマーシャが反論した。

あどけない行動に、ロンドは少し頬を緩める。


「朝食の用意ができたようですよ。向かいましょう」


マーシャに布を差し出し、手を差し伸べた。




ラメティシイのギロティナは人数が多いからか、食事の際はかなり賑やかだ。

ロンドがマーシャをつれて向かうと、丁度マウイがルクスの手を引いてやって来るところだった。


「おはよう御座います」

「ロンド……おはようしゃん、今日もがっつり執事ばい!」


マウイはそう言ってにっと笑う。

ルクスもロンドを見つけると目に見えて表情を明るくした。

不機嫌そうなオーラを感じてロンドが横を見ると、マーシャが頬を膨らませている。


「なんでロンドばかり……」

「お嬢様、私に恨めしそうな視線を向けられても困ります…………」


そう返すとマーシャはロンドのそばを離れ、ルクスに近づいていった。

どんどん後ろへと下がっていくルクスに距離を詰めていくマーシャ。

そしてなにを思ったのか、突然ルクスの髪の先端を弾いた。


「!?」

「マーシャ!」


飛び上がったルクスを背中に隠して、マウイがマーシャを咎める。

伸ばしたままの腕をそっと下に降ろされ、さらに彼女は不機嫌になっていた。


「ルクスが嫌がっとったやろ……急に距離ば詰めすぎや」

「そうですよお嬢様……仲良くなりたいのは分かりますが、落ち着いて」

「むぅ………」


ひたすら注意されるのが嫌だったのか、マーシャはここから逃げるように抜け出す。

カツカツと靴音を響かせ、目をこすりつつ歩いていたポプリの方へと向かっていった。


「ルクス君、お嬢様がすみません」

「あっ、いえ!慣れてない俺がいけないので」


ロンドに話しかけてもらえた喜びをにじませながら、はにかんだようにそう言うルクスを見て、マウイとロンドに電撃が走る。


(あいらしかっ……なんでそげんロンドに懐いたんかわからんばってん……

 守りたかっ…………めっちゃ守りたか……っ!)

(お嬢様、申し訳ありません……!けれど、ルクス君……私を慕ってくれて

 ありがとうっ………!)


ぷるぷると震えて悶絶する二人に、ルクスは一瞬だけ眉を寄せると、気を使うようにすぐ困り笑顔に切り替えた。

一方、少し離れたところでは、ポプリを揺らし続けるマーシャにアーニーが便乗し、ポプリをワシャワシャと撫でている。


「ぽ〜ぷ〜り〜!ちゃんと起きてよ〜っ!」

「ポプリちゃんの髪ふわふわだね〜」

「分かるの!?」


アーニーがそう言った瞬間、マーシャはポプリを揺らすのを止めて瞳を輝かせた。


「そう、ポプリの髪の毛ってとっても柔らかいのよ!綺麗なブロンドだし、羨ましい!」

「マーシャちゃんの黒髪も、とっても艶やかで美しいよ?」

「本当!?アーニーの髪も、長くてとっても綺麗よね……」


まるで女子同士のような会話(アーニーは男)に黙って挟まれていたポプリだが、なにか思いついたかのように顔を上げると、真っ直ぐマウイの元へ歩き出す。


「ん?ポプリ、どうしたと?」

「…………」


次の瞬間、ポプリはマウイにがばっと抱きついた。


「!!??」

「あっ」

「ふむ……」


固まるマウイと、気まずそうにして二人から距離をとるロンドとルクス。

そして表情も変えずに、ポプリは上目遣いで言う。


「なでて」

「えっ……は!?」

「わたしのかみさわってみて」

「きゅっ、急になに言うて……なんでぼく?」

「いいから」


狼狽えるマウイを気にもせず、マウイに撫でることを要求し続けるポプリ。


「あの……ポプリさんとマウイさんって……?」

「我がギロティナの名物カップルですよ」

「あ……やっぱり」

「嘘ですよ。今はまだ」

「あ〜…………今はまだ」


マウイは視線で助けを求めるが、そんな会話をしながら立ち去ってしまった二人には届かない。


「まうい。はやく」

「〜〜〜っ!!」


ついに、根負けしたマウイがポプリの頭に手を置く。猫のようにふんわりとした感触。


(ふわふわする……)

「どう?」


ワクワクとした空気を隠すこともせず、ポプリはマウイに感想を聞く。


「ん……まあ、ふわふわしとってよかとやなかか?」

「そっか」


しばしの沈黙。


「……も、もうええか?」

「いいよ。ありがとう」


あっさりとマウイから離れたポプリと、未だに混乱しているマウイを見て、いつの間にか来ていたエラがため息をついた。


「どっちも丸くなったねぇ。まさかこうなるとは思わなかったけど……」


そう感慨にふけっていると、すぐ横を銀髪がひょこひょこと通っていく。


「ね、ね、フィーちゃん。お菓子あるけど食べる?」

「食べる」


くるっと振り向いたフィーはキラキラした目でエラを見上げると、今すぐくださいと言うように両手を出した。


(なるほどねぇ……ラメティシイの人たちが、やたらとこの子に食べ物を上げてたけど…… 理由分かった気がする)


にっこりと、フィーの手のひらに砂糖菓子の包みを乗せる。

わずかながら顔を綻ばせるフィー。彼女は表情よりも空気で語るタイプのようだ。


「フィーちゃん、ラメティシイのなかでカップルとか……いる?」


完全な興味でエラが尋ねると、フィーは少し考え込んでからゆっくりと答える。


「うーん……テオとアリアは仲、良さそうだよ?」


それを聞いてエラが二人を探すと、二人は隣同士の席に座って楽しげに話していた。


「確かに仲良さそうだけど……そういう方向には発展しなそうねぇ」

「?」


ラメティシイに色恋の話は期待するだけ無駄かな、と諦めたエラは、いまだに固まったままのマウイに声をかけてテーブルへ向かった。




モルス出現の鐘が鳴り響いたのは、夜も近づき空が赤く染まった頃であった。

メイソンがテキパキと指示をだす。


「規模は中。ベネヌムの方からも数人戦闘員を出してください。ウィリアム、出て貰いますよ」

「……分かった」


やや不服そうながら、ウィリアムは準備を始める。

ベネヌム側から指名されたポプリ・エラは真剣な表情でうなずくと走っていった。

ベネヌムは最速で処刑を執行することに意義があるのだ。


「テオと私は、崩れた家などの瓦礫を整備しに、少し遅れて向かいます。あと……フィー」

「うん」

「貴女も、モルスの処刑が完了次第知らせますので、それまでここで待機していてください」


それを聞くとフィーもパタパタと移動を始め、自分の部屋へと消えていった。

それから数秒後、早くもエラ、ポプリが用意を終えて出てくる。

感心したようにメイソンがうなずくと、ロンドが一つ提案を持ちかけた。


「家屋の整備ならば、マウイを向かわせましょうか?彼は力が強いので役に立つでしょう」

「ありがとうございます。しかし今回は然程規模が大きいわけではないので、休ませてあげてください……良いリーダーがついているようですね」


そうメイソンは断るが、口元に笑みを浮かべてロンドを称賛する。

まさか褒められるとは思っていなかったのか、ロンドは一瞬だけ目をみはり、ペコリと頭を下げた。

そして、くるりとマーシャの方を向く。


「お嬢様」

「なに……別に行かないわ。力不足だってことはこの間理解したし…………」


急に厳しくなったロンドの顔に、マーシャは少したじろいで右足を後ろへずらした。

後退の姿勢になる彼女に、ロンドは気が進まないといった様子でこう言う。


「ベネヌム家からのお呼び出しです……至急戻るように、と」

「!!」


とたんマーシャの顔が強張り、拳が固く握りしめられた。

びりっとした緊張を感じたルクスは辺りを見回すが、マウイは目をそらしている。

余り良い空気では無いことが、嫌でも理解することが出来た。


「……何故」

「お父上が休暇をとられたらしく…すぐ仕事になってしまうため、急ぎ娘達に会いたいと」

「嫌よ、なんでお父様が私に会う必要があるの?」


マーシャの瞳が鋭さを増していく。

普段からは考えられないほど冷たい、拒絶の光を浮かばせている彼女に、近くにいたアリアは怯えをにじませていた。緊迫した空気の中、慎重にロンドは口を開く。


「しかし……お嬢様もたまにはミュラッカ様に」

「ミュリーのことなんか口にしないで!!」


ロンドの言葉を遮ってマーシャが叫ぶ。

ルクスはびくっと身をすくませたが、ロンドとマウイは慣れているらしく動じていない。

大きな声を出したことで乱れた呼吸を整えてからマーシャは顔を上げる。

寄せられた眉につり上がった目、きつく結ばれた口。

彼女の心中が穏やかでないことは一目瞭然だった。


「……分かってるわよ、行かなくちゃね。でも、ミュリーと話したくなんてない。お父様

よりも、ずっとね」


良家の令嬢としてのプライドか、それ以降声を荒げることはなく、いつもより数段トーンを落としてそう言い放つ。

つかつかと部屋に向かう彼女に、声をかける勇気などこの場の誰にもなかった。



「……あの、ミュラッカ様って?」


マーシャが完全に見えなくなってから、ルクスがマウイに尋ねる。

マウイは少し言いにくそうにしてから小さな声で言った。


「マーシャん双子ん妹様。さっきんで十分分かるやろうばってん、あんまり仲良うなからしいな。病弱で、あまり人前に出らんらしい」

「仲が悪いといっても、ミュラッカ様はお嬢様を慕っておりますよ」


ロンドが補足する。そう、ミュラッカ様、と繰り返すロンドは、少し寂しげに目を伏せた。


「もっとお会いしてくれれば良いのですが……」


ボソリと呟くように言うロンドには、普段の苦労が滲んでいた。

しかしそこはプロ級で、次の瞬間には気を引き締め、仕事に向かう表情に戻る。


「では、私達は待機ですね。もしもの事態も考慮して、マウイはいつでも出られるように

 してください」

「りょーかい」


そうしてマウイも散っていく。あとは処刑完了を待つだけとなり、他の人々も自由に

移動していった。


(俺はどうしようかな……)


考えを巡らせながら立ち尽くすルクス。その腕を、くいと引くものがいる。


「!」


ちらとそちらを見やると、自分よりも少し小さい銀髪が、橙の瞳をこちらに向けていた。

ルクスは数回瞬きすると、勝手ながら気に入っているその瞳に視線を向け、にっこりと微笑む。


「フィーちゃん、どうかした?」

「私、まだしばらく暇なんだ。お話したい」

「……誰と?」

「キミと」


今度は強く、フィーがルクスの腕を引く。

予想外の動きにルクスはつんのめるが、転ぶ一歩手前で踏みとどまった。

フィーが再度彼を見る。温かく、好奇心のようなものを宿した灯火色と、深緑の瞳がお互いの色を写している。

しばらくしてルクスも口を開いた。


「俺も暇だから、是非お話したいな」


その瞳だけに視線を注ぎながら。





くすんだ赤の空に、黒の羽が舞う。

エラの生み出した黒い巨鳥の上、エラはモルスの元へ向かいながら、直ぐとなりで空を眺めているポプリに声をかけた。


「ポプリ〜……なんか昨日、マウイがさ…………」

「…………」

「…………………………」

「……早く続き」

「はいな〜」


無気力キャラを利用して焦らしてくるエラに、ポプリはそれだけ言って続きを促す。


「な〜んかね……ルークス君と……出かけたってきいたよ……?」

「…………ふーん」


たいして興味もなさそうに返すポプリに、エラはつまらなそうに息をつくと、ポプリに近づき彼女の頬をふにふにと突き始めた。


「……やめてよね」


あからさまに眉をひそめ、エラの手をふり払った彼女をみて、エラの顔に喜色が浮かぶ。

さっきまでのつまらなそうな様子が嘘のように、立ち上がるとくるくる回り始めた。


「そっか〜、今のキミは無気力なんかじゃないものね〜♬」

「踊るの止めてくれる?そういうあてつけみたいなの……不快」


普段と違いはっきりと話すポプリに、エラは益々笑みを深くする。


「…………」


言い争うのに疲れたのか、ポプリはそれ以上何も返さずにただそっと自分の足をさすった。

無言の時間が続く。


(あーあ、黙っちゃった。やっぱり、キミに嫌われちゃってるみたいだね〜……)


エラも踊るのをやめ、下に広がる町並みを注視する。

しばらくそうしていると、ポプリがすっくと立ち上がった。


「おっ」

「……おしごと、おわらせよう」


いつもどおりの雰囲気をまとった彼女を見て、エラはニヤッと笑みを浮かべた。





「マウイ……って、あの?」

「うん」


同じ赤い空の下、こちらはバルコニーから外を眺めながら、二人雑談を続けていた。

昨日何していたかについての話題となって、ルクスの口から出たのが彼の名前だったのだ。


「町に連れ出してもらえて……。知らないものばかりだったから楽しかったよ。たぶん」

「たぶん?」


語尾を濁したルクスに、フィーが不思議そうに尋ねる。ルクスは苦笑いを浮かべると、昨日のことについて話しだした。


「最初は、順調に町を回ってたんだけど……マウイさんが途中から色んな人に声を……」

「……私もかけられた。うさぎみたいなお嬢さんやなって……なんでうさぎ?」


それを聞いてルクスはフィーをじっと見つめるが、納得したようにうなずくと、気が済んだのかまた話し始める。


「その人たちとお茶したり、お話したり、お手伝いしたりしてたら、いつの間にか夜に

 なってたんだ…………。楽しかったけど、こうなるとは思ってなかった」


そこまで聞いたフィーは微妙な表情で虚空を見つめ、わけがわからないといった様子。

しかしそれを見て、ルクスが補足をすると、それを聞いていくうちにフィーの表情も柔らかくなっていった。


「俺も最初はマウイさんの行動よくわからなかったけど……昨日のでわかった。

 マウイさんが声をかける人って、みんな困ってるんだ。猫が行方不明だったり、お財布を落としちゃってたり……家族が亡くなって立ち直れて無かったり。でも、それをマウイさんは頑張って解決していってるんだ。なんとなくだけど……マウイさんって、困ってる人に声かけてるのかもって」


明るいマウイだが、相手の話を聞いているときの表情はいつだって真剣だった。

昨日それをずっとそばで見ていたルクスは、なんだか自分まで心が軽くなっていくような。

不思議な感覚があったとフィーに話す。


「見返りは……?」

「受け取ってなかった。どうしてもって言ってた女の子がいたんだけど……マウイさんは、だったら、って女の子が売ってたお花を一輪もらって終わりにしたんだ。枯れかけのお花だけをもらって」


それを聞いてフィーは目を丸くする。マウイの献身が上手く理解できないようだった。

ルクスは穏やかな笑顔のまま、外を眺めていたが、ふと真顔になって呟く。


「どうやったら……俺も少しは…………」


それを聞き取ったフィーが、バッとルクスの手を取った。


「フィーちゃん?」

「キミは、いい人だよ。自信持って?」


オレンジの瞳。

再びそれがルクスを見つめる。黒に変わりつつある空の中では、それがとても明るいものに見えた。

しかし、ルクスはそこからふいと目を背けると、バルコニーを後にして歩きだしてしまう。


(…………?いつもは、変なくらいに見つめてくるのに………)


フィーが彼を追いかけようとした瞬間、アーニーが彼女に声をかける。


「フィーちゃん、モルスの処刑、終わったって。現場向かうよ」

「……うん」


最後、ルクスの腕を彼女が掴んだ。





ぐちゃっ、と不快な音を立てて漆黒が崩れ去る。

ポプリは自身の蔦についたそれを払い落とすと、態度悪く石畳の上に寝転がるウィリアムへ視線を向けた。


「いや〜……なかなか強かったね………?ウィリアムくん」


服の汚れを落としたエラがポプリの隣へ歩いてくる。

少なからず瓦解した大きな石に腰掛けると、風雅に足を組んで見下ろす姿勢にしてきた。


「ピーズアニマの”特殊性”を凄い使いこなしてる……すっご〜い……よね」

「……うん」


じっと彼を見つめながら、ポプリとエラは先程までのウィリアムを思い浮かべていた。



エラの鳥から降りた先、ぶらぶらと頭のようなものをぶら下げた、まるまるとしたモルスが周りの壁にぶつかりながら、暴れていた。


「ポプリ!」


エラの呼びかけに合わせて、ポプリの蔦がモルスに絡みつき動きを止める。ぐるぐる巻となったモルスに向かって、エラの鳥が直進し、嘴で鋭く突き刺した。


「やった?」

「いや、駄目だね。まだ浅いや」


突き刺された部分はじわじわと回復し、とうとう鳥を押し出してしまった。しかし、ポプリの蔦はまだ壊れずにモルスを封じていく。


「一撃で仕留めるよ……!」


エラの身体に黒が這い登っていく。

ポプリが蔦の拘束を一層強め、強い一撃を準備したその瞬間。


「固まれ」


凛とした声と共に、モルスが黒い氷で覆われた。


「!?」

「ベネヌムは本当にゴリ押しなんだね。もっと頭使いなよ……こうやって、さ」


カツカツと、黄昏時の闇からウィリアムが姿を現す。

冷たい瞳でポプリ達を一瞥すると、武器一つ持たないままモルスへと近づいた。


「…………あぶないんじゃないの?」

「こんな、ろくな攻撃手段も持たないモルス……連携なんてしても時間の無駄だろ」


そう、さらに一歩ウィリアムが踏み出した瞬間、モルスを覆っていた氷が蔦と共にはじけ

飛び、その巨体が彼に襲いかかる。

エラは僅かに表情を引きつらせ、ポプリは駆け寄ろうとした。しかし


「……止まれよ」


ウィリアムの顔まであと数センチというところで、モルスの腕が静止する。

モルスの攻撃によって生まれた風が、彼の髪を揺らした。


「へえ……これはまたえげつない力だね」


なにか理解した様子のエラがそう笑う。

自由に動かない身体に混乱したモルスは、壊れたおもちゃのように何度も腕を動かそうとするが、ギシギシときしむばかりでウィリアムには届かない。

モルスの身体には、何故か再生することもなくウィリアムの氷の破片が突き刺さっていた。


「丸い身体に不安定な首ぶら下げて……もう、それとって楽になったら?」

『ズィッ!?ギャッギャッ、グギャァ!!!』


その言葉を聞いた途端、モルスは狂ったように抵抗しだした。

しかしそれも、ウィリアムを傷つけられてはいない。

誰かに無理やりそうされているかのように、腕を自らの首へ伸ばし

……頭をしっかりと掴んだ。


「なにしてるの……?あのモルス」


ポプリが数歩後ろへ後ずさる。その異様な光景に、流石に恐怖を覚えたようだった。


『ギャッ、イヤアッ、ギャアアアアアアアアアアアア!!!』


ぶちぶちと不快な音を立てて、本人の手でモルスの首が拗られていく。それからしばらく続いた絶叫は、その首が地に落ちるとともに途切れた。

突然現れた静寂が、辺りを包み込んでいく。モルスの壮絶な最期に、誰も何も、言葉を発することは無かった。

やがて、ウィリアムがゆっくりとモルスの死体に近づき、穏やかな声で静寂を破る。


「君の魂が……忌むべき黒き骸から、解き放たれんことを……祈る」


目をつむり、合掌して祈る彼の姿は、ポプリの目からは不気味にうつった。



「なにみてんだよ」


不機嫌そうな声が、回想にふけっていたポプリを引き戻した。

苦笑いしているエラと、イライラした様子のウィリアム。

どうやら凝視してしまっていたらしい。


「……ごめんね、ぼーっとしてた」

「……ったく、失礼だとか思わないのかよ」


首をコテンとさせて謝るポプリに、ウィリアムはため息をつくと、また元の体制に戻る。


(とっつきにくい…………むかしはマウイもこうだったっけ)


もっと行儀は良かったけど、とポプリはかすかに頬を染めた。

ぞろぞろと、ラメティシイに似たローブを身にまとった者たちがモルスの処理に向かっている。

あの者たちはギロティナに直接配属し、寝泊まりしているわけではない。

あくまで後始末を任務として、何処までも淡々と遺体を処理するのだと、ポプリは昔エラに教えられていた。

そこに、てこてこと何処か聞き覚えのある足音が近づいてくる。


「お、来たね……ん?」

「エラさんすみません……成り行きでこんなことに」


そこに居たのは、蒼いローブを着たフィーとルクスだった。

驚いたように見つめてくるエラに、居心地悪そうにしているルクスをフィーが満足気に見つめている。


「フェリシテちゃん、どうしてルークス君を?」


エラが尋ねると、フィーはじっとエラを見つめて言った。


「やってるとこ、見てほしかったから。目立たないように着てもらうのは、悪くないアイデアだと思ったんだけど……駄目だったかな?」


予想外のフィーの行動に、エラは頭を悩ます。別に禁止されてはいないが、ラメティシイの者がベネヌムにそこまで好意的な接近をすることが今まで無かったのか、答えに迷い続けているようだった。


「じゃあ、ルクスくん連れて行くね」

「えっっっっっ」


フィーはルクスの手を取ると、何処かへと走っていく。彼女の見た目よりも強い力にルクスは慌ててついていった。


「……ほほえましい」


そんな二人を見て、ポプリがそう漏らす。

エラがちらりとポプリに視線を向けた。


「ルクス、あわあわしてるけどたのしそう。フィーもルクスと仲良くなりたいみたい」

「…………本当に?」

「え」


ぼそっとエラが溢したその言葉に、ポプリは反応する。

驚いた顔で見つめてくるポプリに、エラは我に返ったように笑顔を見せた。


「え?あぁ、ちょっと別のこと考えてた。なんて?」


ポプリは少し怪訝そうにしたが、それを追求することはなく、また同じことを話始める。


(本当に、そうだろうか)


にこやかな笑顔でポプリの話を聞きながらエラは内心考える。


(フィーちゃんもルークス君も、何が目的なのか分からない。なんで彼女はルークス君にあんなに執心している?ルークス君は、何故)


そっと、視線をルクス達が向かった方向へと向けた。


(何故彼女と居るとき、そんなに居心地悪そうにしているの……?」


どんなときでもにこやかだった彼が、彼女の前では少し保ていないように見えて、エラは眉をひそめる。

彼への疑念は、まだしばらく消えることはなさそうだった。




「ここだよ」


そう言ってフィーがルクスを連れてきたのは、何人かに囲まれながら、椅子に腰掛け泣き続ける女性のもとだった。


「私の仕事は、知り合いがモルスになったりして悲しんでいる人の心のケアなんだ。難しいお仕事だけど、私は適任だって皆言ってくれる」


少し離れて見てて、とフィーはルクスに伝えると、そっと女性の前に座る。

もう辺りは暗くなっており、女性の顔は上手く見えない。

しかし次の瞬間、その場を柔らかい光が包み込んだ。

それをみたルクスの目が、ゆっくりと見開かれる。


「……辛かったですね」


その光は、フィーのピーズアニマから放たれていた。

白っぽく清純なその光は、闇のようなピーズアニマから放たれていると信じがたくなるほどのものだ。

光が、女性の泣き顔を優しく照らす。


「気持ちが落ち着くまで、ゆっくりお話しませんか?」

「……なにも、話したく、ない」

「では、少しそばにいさせてください。風邪をひかないよう暖かくしましょう」


フィーが近くの蒼服から毛布を受け取り、女性にかけた。

柔らかいそれに、女性はぼうっと触れる。

しばらくそうした後、つうと一筋の涙がこぼれ落ちた。


「…………とっても、楽しい子だったの」


泣き続けて枯れた声が、想いを綴り始める。


「いつも、仲良くしてくれてっ……、時々わがままで、いいか、げんで」


ぽたり、ぽたりと、また涙が溢れ続ける。

けれどそれは、一人座って泣きじゃくっていたときとは別のものとも感じた。


「……まだ、一緒に……っ、やりたいこととか、言いたいっ、ことも……!」

「悲しいですね。やりきれないですね……ここでは沢山泣いてあげて下さい。それが一番の供養になります……」


優しくそう言いながら、フィーは女性の背中をさする。

傷ついた心にしっかりと届くよう、ゆっくりと、丁寧に言葉を繋いでいった。

やがて女性の涙が止まる。女性は暖かいお茶を受け取って口に含むと、顔を上げた。

目は泣きはらしているが、表情はおだやかなものに変わっている。


「落ち着きましたか……?」

「すみません、私……」


謝ろうとする女性を、フィーは片手で制する。


「悲しむことも、泣くことも、悪いことではないですよ。少しずつ、自分のペースで乗り越えていけばいいんです。溜め込まないよう、定期的に吐き出すようにして下さい。必要であれば、またお話を聞きます」


女性は薄く微笑むと、コクリと頷いた。

笑顔が浮かんだことを祝福するかのように灯が宙を舞う。

珍しく晴れた夜空には、多くはないがたしかに輝く星が顔を見せていた。


「これからもどうか、ご友人のことを想い、泣いてあげて下さいませんか?」

「……はい。彼女のことは忘れません」

「しかし、ずっと辛いままでは、涙も失ってしまいます。彼女のことを忘れて、ひたすらに楽しむ時間も作って下さい……貴女の笑顔を好きな方は、沢山いますので。私もですよ」


そう言いながらお手本のようにへにゃ、と笑ったフィーを見て、女性も同じ笑顔を浮かべる。

そしてお辞儀をして返っていく女性を見送り、フィーはルクスを待たせていた方を振り返った、が。


「あれっ?」


そこにはただ、フィーの光が届かない闇が広がっているだけだった。




「このご遺体は、後に君に少し処理を手伝ってもらうことになるだろう。大丈夫かい?」

「……はい。それが俺にできることならば」


布のかかったモルスの遺体の前。

エラがルクスに悪食の仕事を説明していた。

ルクスは少し不安そうにしながらも、しっかりと了承する。

エラはモルスをじっと見つめると、静かに手を合わせた。


「モルス化は、僕たちモンストルムとは常に隣にある脅威だ。いつそうなるか誰にも分からない……だから僕たちはしっかり向き合わなきゃいけないんだ」


ルクスも、ちらりと遺体に視線を移す。


「………………」

「ここにいたんだね」


柔らかい声に二人が振り向くと、フィーが少し頬を膨らませてこちらを見ていた。

ルクスはあっと声を上げると、気まずそうに視線をそらす。


「あそこにいてって言ったのに……いつからいなかったの?」

「女の人が落ち着いた辺りから…………エラさんに呼ばれて。声もかけづらかったから」


ごめんね、とルクスが眉を下げて謝ると、フィーも気が済んだのかむくれるのを止めた。

そしてルクスの腕を掴むと、エラに顔だけを向けて一方的に言い放つ。


「砂糖菓子のお姉さん、ルクス君借りていくね」

「えっ、ちょっと……」


あっという間に走り去るフィーとルクスに、エラは慌てて手をのばすが、時すでに遅し。


(なんでまた…………ん?私名前覚えられてない?)


ガビンとひとりでにショックを受けたエラは、しょんぼりと肩を落とすのであった。




石畳の上、二人分の足音が響く。

誰もいないそこで、フィーが立ち止まる。


「あの、フィーちゃん?一体……」

「始まるよ」


フィーが囁くようにそう言った次の瞬間。

温かみのある歌声がルクスの耳に届いてきた。


「……!」


優しく、寂しく、安らかな曲。

魂が包まれるような感覚に、ルクスは思わず息を呑む。

フィーも聴き入り、そっと銀のまつげを伏せた。

遺体のまえ、アリアを含めた蒼服たちが手を組み歌っている。

祈りを込めて、ただ亡くなった者の安息を思って。

不意に、フィーが口を開いた。


「…………ラメティシイは、狩ることよりも癒すことを仕事にしてるんだ。ウィルみたいに戦える人もいるけど、大体は違う」


再び、フィーの瞳がルクスを捉える。

真っ直ぐにルクスを見つめて、フィーは言った。


「ルクス君、ラメティシイにおいでよ。君は誰かを想える人だから」



しばらくの沈黙の後。




「……ごめんね。俺は行けない」


ルクスのやや冷たい声が、フィーの誘いを断る。

フィーは目を丸くすると、悲しそうにルクスに問いかけた。


「どうして……?ベネヌムでなにかやりたいことがあるの?」


その問いにすぐには答えず、ルクスはフィーに背を向けて数歩離れる。

他には誰もここにはいない。

誰も、フィーから見えないルクスの表情を知ることなど出来ないのだ。

だからこそ慎重に。ルクスの真意を知りたくてフィーは耳を澄ます。


「うん。ラメティシイよりも、ベネヌムのほうが良いと思うんだ」


振り向いたルクスは、どこか強すぎる意志がこもった瞳で、口元に笑みを浮かべていた。


「俺は幸福になるために、ここに来たから」


物語の最後のページ。

真っ黒なインクが滲んでいった。



○丸々と太ったモルス 原作 ネズの木の話 グリム童話

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