第 5 幕 メサイア・コンプレックス


 暗闇の中、ゆっくりと目を開ける。

ぽつんと一人立つ目の前の彼以外、何も無かった。

現実離れした世界に、ぼんやりと、これが夢だということを悟る。

ずっとこうしているのも居心地悪く、無表情にこちらを見つめる彼……………

自分に話しかけた。


「やぁ、久しぶり」

「…………」

「朝が来るまでん間や。それまで、昔話でもしぇんね?」

「…………」


彼は何も言わない。何処か不安そうな空気を纏ってただ座している。

他人には話しにくいものだが、自分相手なら問題ない。

しかしあぁ、これが自分か、と思わず苦笑いをして、話し始めた。


「それじゃあ、また始めるとするか。ぼくが救えんやった、まだ小しゃかったあん子ん話ば…」



独白。



 自分の両親は、科学者だった。

ウォルテクス内ではそこそこ優秀な人達で、家でもずっと仕事をしていたっけ。

そんなだから、いつもいつも言われていた。


「マウイ、科学って素晴らしかとよ?うち達ば魔法よりもずっと良か方向へ導いてくるーと……」

「あぁ、そうだ。この街が外に劣らず発達したのも、すべて科学のおかげだ。魔法なんて私達には必要ない」


なんだかそれは攻撃的で、常に魔法への敵意が見え隠れしていた。

ただ、やっぱりそういうものは言われれば言われるほど嫌になるもので…………


(どうでもいい…………)


幼いながらにくだらなく思え、のらりくらりとかわし続けていたものだ。

まぁ、自分の家族についてはこれくらいでいいだろう。

その点以外はいい両親だった。

そして、彼女。

彼女は生まれついたときから近所同士で、よく一緒に遊んだり、喋ったり、沢山の時間を過ごしてきた。

だけど……何度も名前を呼びあったはずなのに ” 彼女 ” の名前を、今はもう呼ぶことができない。

あぁ、もう会えないとかそういう意味だけじゃなく、なんでかその名前を思い浮かべると気分が悪くなるようになってしまったからだ。

でも、綺麗な名前だった。

……名残惜しいけれど、これ以上名前について掘り下げるのはやめよう。

頭が締め付けられるような不快感が昇ってきた。

本当に、自分は臆病者だなと自嘲気味に笑ってみる。

____話を戻そう。

あれは、彼女の死名痣が消えて、ピーズアニマを出せるようになった頃だった。


「××××っ……!ピーズアニマ、出せるごとなったんやろ?見せてくれ!」

「マウイ……!」


彼女が笑顔で振り向く。

亜麻色の髪をなびかせて、花も恥じらうような笑顔で。


「そうなの!消えたんだ、死名痣……!」


自分に笑いかけた。でも別にときめいたりはしない。

あくまで幼馴染だった。


「あのね、あのねっ!私のピーズアニマとっても可愛かったの!嬉しい……!」

「可愛いとかあるんと……?」


そう問うと、彼女は頬を膨らませてむくれる。


「ありありのありなのっ!も〜……マウイにはやっぱりまだ見せてあげないっ」

「は!?ここまでひきつけといて……!?」

「ふふっ……ピーズアニマも素敵だって心から思ってくれたら見せるよ」


マウイ、ピーズアニマのこと強そうとかしか思ってないもんね、と元気よくわらった。

彼女は人見知りで、自分以外とはあまりこんなふうに接さない。

その点で少し優越感を覚えてもいた気がする。

その時の自分は、基本黒一色のピーズアニマが可愛いとは一体何だと、呆れ気味にため息をついていた。


「う〜ん……まぁ、そのうち見るーやろ。ぼくん死名痣が消えたら、こっちだって交渉しきるしな!」

「交渉?」

「ああ!ぼくんピーズアニマが見たきゃ、そっちも見しぇろってな!」

「あ、マウイのはいいや」

「なんで!?」


そんな風に、二人でころころ笑う。

その時は、いつまでもこうしていられると疑いもしなくて、いつか彼女のピーズアニマも見れるだろう……なんて。

あんな形じゃなく。




 それから数日の間、自分は親に付き合って少し遠い市街地へと泊りがけで行っていた。

だから、彼女を取り巻き始めた状況に気がつかなかったんだと思う。

久々に家へ帰った自分は、いつものように彼女を見つけることが出来なかった。

普段ならば、近所のやや日当たりのいい公園で、花を見ているのに。

なんだか嫌な感じがして、無我夢中で探し続けた。

悪餓鬼たちの笑い声が、妙に大きく聞こえる。

かけたコップも、カラスの鳴き声も、しおれた花も。

いつもなら気にすることも無いようなことも、不吉な暗示に思えてならなかった。

そして、ようやく。

ようやく会えた彼女は。


「……マウイ…………?」


怯えた顔で、傷ついていた。


「なっ……!そん怪我、どげんしたっちゃん!?誰に……!」

「まっ、待って、大きな声出しちゃ駄目……!」


思わず大声を出せば、慌てた様子の彼女に口を塞がれる。

その手は小さく震えていた。


「違うの、その……わたし」


彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「自分のピーズアニマが気に入ったからって……っ、調子に、乗って…………」

「え……?」

「魔法みたいで素敵って、言っちゃったの……聞かれちゃって…………!」


愕然とした。

彼女がその発言をしたことについてではない。

_______そんなことで?


「そしたら、外の奴らに憧れたのかって……石投げられて…………」


今でも狙われているということは、先程からの様子で分かっていた。

家に身を潜めていないということは、そんなこと出来ないのだろう。


(やったらうちに……いや、つまらん。父さんたちがこんことば知ったら、追い出しゃるー……!)


ぐるぐると、ない頭で考える。

両親も、あーだこーだ説く前にいい脳みそをくれればよかったのだ。

そんな自分に彼女は笑いかける。

今度は引きつった、無理して作った笑顔で。

脳内で警報が鳴り響く。

このままじゃいけない、いけないのに……


「マウイ……私は大丈夫だよ?しばらくしたら、いつもの日常に戻れるよ……」


あぁ、臆病者の声は、判断は


「……………うん」


決して正解にたどり着けない。




 それから毎日、彼女の周りを監視していた。

誰も彼女に危害を加えないように、時折近づいて話しかける。


「まっ、マウイ危ないよ!きちゃ駄目」

「××××が一人でおるよりかは安全や」

「わ……私の安全じゃなくて…………」


あれから彼女は自分を巻き込むことを恐れて、自分から離れようとしていた。

最初にいつもの場所に居なかったときは驚いたが、毎回こうして彼女の場所にたどり着けるので無問題だろう。


「ぼくがキミと話したかっちゃん。それに、腕っぷしはそこそこあるほうだし?」

「……ふ」


あ、彼女が少し笑った。

正直、今自分ができることは彼女を少しでも元気づけることだと思っていたし、嬉しかった。


______ ぼくはキミんヒーローでいたかったんや _____


「……今は嫌だけど。ほとぼりが冷めたら今度こそマウイに見せるね、ピーズアニマ」

「ほんとか!?」

「うん!」


嬉しい、嬉しい、嬉しい。

こんな状況で、彼女はこんなに苦しんで。

でも、そんな中でも自分には笑顔を向けてくれることが嬉しかった。

非道いやつだよ。

今思えば、多少のリスクを犯してでも、ここで自分が実力行使に出るべきだったんだ。

たとえもう、彼女と笑い会えなくなったとしても。




 目の前が真っ暗になった。

頭が痛い。

おでこがじんじんする。

何かを投げつけられたのだろうか。


「………イ…………ウ……!」

「…………っ」


あぁ、彼女の声だ。

彼女が無事でよかった。

そう、顔を上げたとき。


「マウイッ!!」

「!!」


なんだ、アレは。


「…………え」


そこには、血を流して倒れている男と女……そして。


「ごめ……マウ……イ……」


巨大な花の形をしたピーズアニマの元で蹲る彼女だった。

理解がゆっくりと、されど着実に追いかけてくる。

逃げることなんて出来やしない。

彼女が殺した。

彼女が。

ピーズアニマの力を使って殺したんだ。


「なして……一体何が!!」

「助けてっ!助けてくれ!!」


それは、自分が彼女に向かって叫んだのとほぼ同時だった。

一人の男が自分を見つけてすがりついてくる。

必死の形相で逃げてきたそいつは、足を怪我したらしかった。


「こ、この女が俺、俺のっあいつと女を、や、やったんだ!あの化け物が!!!!」


化け物。

その一言で彼女の表情がさらに悲痛さを増していく。

駄目だ、それ以上は


「×××」


漆黒の華が、彼女を飲み込んだ。




「お、おい!!何やってんだよ!!助けてくれよ!!」


男はまだ自分の足元にすがりついて泣き叫んでいる。

うるさい、思い出したんだよ。

自分に石を投げたのはお前だ。

彼女に傷をつけたのも。

どうして助ける必要がある?


「な、なぁ!……っ、頼むよお願いだぁ!!」


蠢くそれはもう彼女の形をしていない。

もう生きていないことは、花びらから滴り落ちる紅い液体から容易に理解できた。

それがゆっくりとこちらを向く。

男の叫び声がより一層大きくなった。

あぁ、嫌いだ。

どちらか一方を卑下して貶めて蹂躙して、鼻高々に素晴らしさを語るコイツラが嫌いだ。

無機質な殺意を込めて、男のすがりつく右足を蹴り上げる。

ほんの少し、目が眩んで狙いがずれた気がした。



 結局、自分は人殺しにはならなかった。

男がモルスに攻撃される前に、ギロティナの人たちが討伐にきたのだ。

助けられた男は自分のことを口汚く非難したが、自分がそいつがやったことを事細かに伝えると、捜査の後男が有罪となった。

しばらく牢に入れられるらしい。

そんなことでは足りないほどのことをしでかしているのだが、彼女の犯行動機を

上の奴らが軽視したことと、男も友人2人を殺害されていることからこの結果となった。


「…………」


事件のあと、自分の死名痣は消えていた。

彼女の成れの果てに殺されることが、自分の死の呪いだったとでもいうのだろうか。

彼女を迫害したやつは、まだ沢山残っている。

その確信があった自分は今日もまた、ピーズアニマを出現させる。

武器の形をしたそれは、彼女の仇討ちをしろと言われているのとほぼ同義に思えた。

自分の顔に包帯を巻きつける。

誰になんと言われようとこの格好を止めるつもりは無かった。

彼奴等に襲われた直後の気持ちをありありと思い出せるからだ。

これで身支度は完了。

ゆらりと路地から一歩歩き出す。

今日もまた、彼奴等の元へ。

包帯で顔を隠した襲撃者がやって来た。

自分の姿を見た奴らが驚き、近くにあった鉄パイプで殴りかかってくる。

もう自分の姿は有名なので、別にこちらにとって意外でもなんでも無かった。

くるりと手首を返して相手に棍棒をぶつける。

自身で生成した武器は自分で持つととても軽いのに、相手にはしっかりと効くようだった。


「づっ……」


潰された蛙のような悲鳴をあげて、相手が倒れる。

殺しはしない。

ただ私怨も入ったお灸をすえるだけだ。

足元に転がる壊れたブラウン管を蹴り飛ばす。

一時は科学の進歩だなんだと皆騒いだが、結局まだまだ技術不足で使えなかったらしい。

小さく舌打ちをする。

別に科学が嫌いなわけじゃないし、魔法が嫌いなわけでもない。

ただ科学を見つめる人々の、あの魔法を超えることしか考えていない瞳がどうしようもなく憎い。

その中でも過激な奴らを狙い続けた結果、一部から自分は「ヒーロー」とよばれるようにもなっていた。

まぁ、そう言った人たちはもれなく過激派の餌食になったが。


「なぁ、意識あるか?」


踵を返して、近くでうずくまっている青年に声をかける。

ビクリと身体を震わせて顔を上げる青年の瞳には、困惑と怯えが浮かんでいた。


「警備隊には置き手紙しといたけん、そのうち保護しにきてくるーて思うぞ。そしたらコイツラにされたことば事細かに話しぇ。そうすりゃお前は助かる」


言葉の意味を飲み込めずしばらく青年は呆然としていたが、我に返ったようにはっと目を見開くと、頭を下げ始めた。


「あっ………ありがと、うございますっ…………!」


大丈夫そうなので殴り倒した奴らを縛り上げ、自分は退散する。

あとは警備隊に任せるしかないうえ、自分も捕まるわけにはいかないからだ。

慣れた動きで壁を伝っていく。

このときばかりは憑依しなくてはならない。

この瞬間の独特の不快感はそうそう慣れるものではない、といつもそう思う。

気持ちがしゅんとしぼんで、自分の部屋に閉じこもりたくなるのだ。

勿論、そうしているわけにはいかない。

頭をぶんぶんと振って、下がりそうになる眉をつり上げる。

高い屋根の上から、保護されていく青年を見守った。

青年がなにか必死に訴えると、縛られた奴らが連行されていく。

今回も上手くいった…………


「計画通り、か?」

「!?」


突然後ろから聞こえてきた声に振り向く。

そこには、面白そうにこちらを見つめる女性が立っていた。

無防備に見えるのに、どこか付け入ることを許さないような、不思議なプレッシャーを放っている。


「……誰や」

「いや〜、怪しいもんじゃねぇから安心しなって!あ、怪しいのはお前か、あはははっ!!」


見た目とどうも合わない口調のその女性は、ひとしきり笑うと、少し瞳を細めてこう言った。


「あの襲われた少年……荒くれ者にどうも付け狙われてたみたいだな?顔に住所に問題になった言動に……そんなことまで、彼奴等が自分で調べられるか?」

「…………」

「……なぁ」


女性がこちらを指差す。

十分な距離があるにも関わらず、眼前に突きつけられたようで冷や汗が出た。


「お前が情報を流したんだろう?計画通りに襲わせるためにな」


女性はなお笑顔を絶やさない。

その瞳には、敵意や告発しようといった意志ではない、なにかが見え隠れしていた。


「捕まった奴らの証言だ。皆一様に、青年がこのことを教えてくれたと言っている。……さあて、正解かな?」

「あぁ、そうや…………ぼくんマッチポンプばい。ばってん、それでどうする?警察に突き出すか?」


嘘をついても意味がないように感じて、白状する。


「おー、やっぱりか!当たるとやっぱ嬉しいな!」

「そもそも……誰だあんたは」


敵意を込めて睨めつけると、ようやく女性は笑い転げるのをやめ、数回の咳払いのすえにこちらを見た。


「私は、ベネヌム家運営ギロティナ隊員、エラ・ベイリーよ。貴方を勧誘に来たの」


「ギロティナ……勧誘…………?」


はっきり言ってわけが分からなかった。

自分はモルスを倒したことなんてないし、名家直属の組織がこんな荒くれ者を勧誘していいものなのか。

警戒を強めて後退する。

やり合うわけにはいかない。いい感じに姿を眩ませなければ……

そう、後ろへ飛び退こうとした瞬間。


「まだ話は途中だよ」

「!!」


突如現れた巨大な鳥二羽に行く手を塞がれる。

漆黒のそれが、エラのピーズアニマだということは直ぐに分かった。

無理に押し通っても無駄だと判断して、静止する。


「別に私達は君を捕まえようってわけじゃない。警察側も、君がいると暴力犯を高確率で捕まえられるから見逃してるしね……君を勧誘しようと思ったのは、単純に君の力がモルスの討伐に向いてるから。それにギロティナは結構、訳アリの人とか多いよ?」


だから安心せい!とエラは笑う。

彼女の言っていることにおかしな点はなさそうだった。

けれどやはり入るわけにはいかない。

丁重にお断りしようとしたところで、


「あぁ、そうだ。一つ質問いいかな?」


エラに質問を投げかけられた。


「なんや」

「あのさ……君はなんのためにここまでしてるの?」


一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。

しばらくしてから、ようやく理由を尋ねられていることを飲み込む。


「決まっとー……!!ぼくは……!」


あれ。

そこまで言って、途端に分からなくなった。

仇討ち、粛清、復讐…………

どれもあったはずなのに、いつの間にかどれでもなくなっている。

足元が揺らいだ気がした。


「…………??」

「なるほどね…………」


固まっている自分を見て、エラは何かを察したようだった。

自分の横を通り過ぎて、自身の鳥へと向かいながら、囁く。


「すすんだほうがいいよ。自分を見失いきる前にね」


いつでもウチにおいで。歓迎するよ……

そう残して、エラは行ってしまう。

自分だけが、残された。



 自分の部屋。

窓から差し込む月明かりが、薄暗い部屋の中をぼうっと照らしている。

ヒビの入った小さな鏡に目を向けてみれば、あの日よりも成長した自分の顔が映り込む。

もう、彼女とは何もかもが変わってしまった。

今の自分の手であれば、あの日の彼女の手など片手で包み込む事ができるだろう。


「…………おいていっとーとに、おいていかれとーごた」


これでは、どちらが正常なのか分かりもしない。

エラの言葉が脳裏に浮かぶ。

すすんだほうがいいよ。

何処が進んでいないというんだとあのときは思ったが、よく考えればそうだ。

あの日、死んだのは彼女だけじゃなく、自分もだったのかもしれない。

もう眠ろう。

ゆっくりと体を動かし、ベッドへ横たわる。

このまま溶けて消えるのもいいなと、ただそう思いながら。



 聞こえた叫び声を目指して走る。

先日蒔いた種が功を奏したようだ。

急がなくてはならない。

結果的に助けるとはいえ、あまり怪我をさせるわけにはいかないからだ。

いくつもの路地を抜け、ついにそこにたどり着いた。


「!!」


座り込んだ少女と少年が、驚いたようにこちらを見る。

もうすでにいくらか傷がある。

少し遅れてしまっただろうか。

訝しげにこちらを見ていた過激派の一人を、棍棒で殴り飛ばした。

それによって他の奴らは自分を敵と認識し、攻撃してくる。

あとはそれを黙らせるだけ……


「きゃああっ!!」


少女の悲鳴、そしてパイプを振り上げる男を見た瞬間、反射的にその間へ滑り込んだ。


「づっ……!!ぁ……」


響く振動。

殴られた背中から強い痛みが広がる。

とっさに庇ってしまったが、まずい状況になった。

想像以上に重い一撃に、思わず膝をつく。

続けてやってきた攻撃をなんとか受けるたびに、身体が悲鳴をあげた。

横目で少女の様子を伺えば、呆然と自分を見つめている。

このままでは守りきれない。

今逃げるように言うか?いや、駄目だ。

これだけの人数がまだ動ける今、分散して追われるかもしれない。

もっと数を減らさなければ。その一心で相手をなぎ倒し続ける。

再び襲う振動と痛み。

また一撃、受けてしまった。

視界がゆがむ。

でも、あと一人、あと一人減らすことができればそれでいい。

力を振り絞り、棍棒を振り抜く。

相手が倒れる。

今だ。

必死に息を吸い込んで、叫ぶ。


「逃げろ!!!!人目があるところまで走るんや!!!!」


自分の大声に我に返ったのか、少女は立ち上がった。

だが、混乱しているのか、足がすくんでしまったのか、その場で固まっている。

早くここから離れさせなければならないのに。

そのとき、一緒に居た少年が少女の手を引く。


「こっちだ!」


手を引かれて、引いて、二人は走ってゆく。

残りの奴らの相手で見送ることは出来なくなったが、ちゃんと一緒に逃げられているはずだ。

ある日の彼女と自分が重なる。

あぁ、凄い。


「ぼくには……出来んやったことや」


身体が傾く。

憑依する力なんてもう残っていない。

衝撃とともに、目の前が真っ暗になった。




「…………う」


目を開けると、くすんだ夜空があった。

痛む身体を動かすのがおっくうで、しばらく寝転んだ状態で考える。

たしかまだ一人残っていたはずだが、そいつだけでなく殴り倒した奴らもいない。

逃げられたようだ。


「あん子ら……無事に逃げられたかな」


かすれた声で呟く。

ここまで身体をはったのだから助かって欲しい……と思いかけて目を閉じる。

そうだった。こうなったのはそもそも自分の策のせいだった。

本当に自分は何がしたかったんだろうか。

わざわざ襲わせてそれを助けるなんて。

過激派を捕まえるだけなら、こんな回りくどいことをしなくてもよかった。

どうして自分は…………。


「…………ヒーロー………か」


正義のヒーロー。

あの日、彼女を助けられなかった自分は。

何一つ救えない自分は。

ずっとそれになりたかったのだろうか。

『誰も救えない』自分を。

救いようがない『自分』を。

見ていたくなくて。

顔を隠した包帯に手をかける。

すでに緩んでいたそれは、それだけのことでふわりと自分の素顔をあらわにした。

ガラクタに反射して見えた自分の顔は、憑依していないのにも

関わらず弱々しくて、中途半端に引っかかった包帯が不格好だった。

ゆっくりと身体を起こす。

背中がズキズキと痛むが、その痛みが自分をここに繋ぎ止めてくれているように感じる。

膝を胸に引き寄せて、そのまま空を見上げた。

星は見えない。

劣等感や憎しみがつくる灰の空は、そこにあるはずの光さえ隠してしまう。

けれどその時雲が動いて、月が顔を出した。

月明かりが、ガラクタに囲まれた自分に降り注ぐ。

自分には明るすぎるような気がして、目をつむった。


「自分を認識出来たかい?」


いつの間にかそこに立っていたエラに問われる。


「……多分、な。結局、ぼくはぼくでしかなかったけど」


エラは優しい笑みを浮かべて近くまで歩いてくると、自分の顔にかかる包帯を指でずらした。

自分の顔が、また少しずつ現れていく。


「君が助けた子どもたちは無事だよ。後処理は、俺たちがやらせてもらった」


そこまで言うと、エラはまた数歩自分から離れて、両手を広げて言った。


「行き先不安ならこっちにおいで。君には夜の闇より、時折顔をのぞかせる、

あの太陽が似合う」


太陽なんて……とも思ったが、少しずつ慣れていくことも必要かもしれない。

立ち上がって、エラの前へと移動する。

包帯が完全に解けて、足元へ落ちていった。


「太陽なんて慣れとらんけんな……色々教えてくれや?」


そう言って、少し笑って見せる。


「勿論だよ。包帯ヒーローさん?」

「マウイ。マウイ・ケリーや」


久々に口にする、自分の名前。なんとなく明るい響きだ。


「マウイ……か。これからよろしくなっ!」


にっと笑うエラに続いて歩き出す。

一度だけ振り返るとそこには、月明かりに照らされた包帯が残されていた。



 ここまで話して、ふうと息をつく。

目の前の自分は、変わらず黙って聞いていた。


「そげんこげんでギロティナに入ったはよかばってん、最初は上手う行かんやったなぁ。モルスば倒すとは簡単やったばってん、連携とかいっちょんで…………ロンドになかなか気ぃ許しぇんやったし、マーシャとは口論ばっか。ポプリは……妙にくっついてきてえずかったかな。」


その様子を思い出してくっくっと笑う。

ポプリは全然似ていないはずの彼女に何処か似ていて、もう一度失いそうで怖くなっていた。

そうして、避けて避けて避けまくった結果……

誰も自分を放って置かなくなり、気がついたら輪の中に。

エラに「太陽は皆を照らすものじゃないのか」というようなことを言われ続けていたら、いつの間にかこの調子だ。

今ではすっかり、彼女がいたときのような自分でいられている。

だからエラには感謝しているのだが…………いじってくるのはやめていただきたい。


「ぼくが一番新入りやったけん、世話焼いてもろうた期間も長かったな。ルクスが初めてん後輩ってところ。ここしゃぃおると、嫌でも素が出てきちまうし……ルクスもいつか気ば許してくるーとよか。」


そこまで話すと、初めて彼の表情が変わる。微笑む自分を見て、こちらも笑顔を返した。


『今度こそ……人助けできそうか?』

「あぁ、勿論や」


笑い合って、目を閉じて、開いた。



 目を覚ますと、まだ部屋の中は薄暗かった。

早朝と言えるような時間に自分が目覚めることは珍しい。

慣れない気温に身体を震わせると、再度毛布に潜り込んだ。

顔だけ出して、隣のベッドで眠るルクスを見てみる。

幼い顔立ちは、眠っているとより一層子供っぽく見えた。


「………………」


ルクスは、まだ自分たちに気を許していない。

それが今日まで過ごしてきて分かったことだ。

そりゃあ2週間程度でオープンに慣れる人など多くはないだろうけど、彼のガードは固い。

昔そうだった自分がそう思うのだ。そこまで考えて、ロンドがいないことに気がついた。

いくら彼でもこんな時間に活動するだろうか。

手洗いかなにかだろうとひとりでに納得して、二度寝にはいろうとしたとき。


「………で」


ドアの向こうから、ロンドの声が僅かに聞こえた。

誰かと会話しているようだ。

興味本意で耳を澄ます。


「やはり、貴女でも難しいですか、あのモルスは」

「はい。行方を眩ませることに異常に長けています……知能が高いのでしょう」


どうやら、会話の相手はエラのようだった。

そういえば彼女は仕事を途中で切り上げて来ていたと思い出す。


「……ルークス君にも協力してもらうべきでしょうか」

「いや、駄目ですね。彼の家族関係には不穏な噂が多い。本人がやすやす協力してくれるようには思えません」

「そうですね。まずは彼のケアを…………」

「ロンド」


エラの語気がやや強くなる。


「ルークスを信用してはいけませんよ。あの子は駄目です」

「駄目……?」

「はい。あの子は何もかも計算しているように思えます。心を許してしまえば利用される」


何故エラはそこまでルクスを警戒するのか、不穏な噂とは何なのか、何故モルスの話でルクスの家族関係につながるのか……わからないことだらけの話だった。


「エラさん……あの情報があるからといって、彼をそこまで疑うことはないでしょう。

……私はもう部屋に戻ります。貴女も」


ロンドのその言葉を最期に会話は終わり、ドアが開かれる。

急いで毛布に潜り直した。


(ルクス…………)


わからないことだらけだけれど、なにか辛いなら力になりたい。ならなくては。

そんな思いを胸に、再度目を閉じる。

まだ少し残る、メサイアコンプレックスを乗り越えて。



○××××のピーズアニマ、モルス 原作 なでしこ グリム童話

花の形をしたピーズアニマ。パット見可愛らしく、彼女によく似合うが、戦闘態勢になると真ん中が裂けて口が出現する。人喰い花。

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