脳内図書館《ビッグデータ》を持つ少女は、安眠を手に入れたい。

プロローグ 運命の出会い

 その日は、何の変哲もない日になるはずだったんです。




「……さゆり先生……ベッドを使っても、宜しい、でしょうか……?」

「あら、氷室ひむろさん。もちろんよ」


 わたくしの言葉に、保健室の先生──床崎とこさきさゆり先生は特に何も聞かず、にこやかに頷いてくださりました。ですが、それもきっと当然の事。……何故ならわたくしは、保健室の常連なのですから。


 いつも通り。溜め息が出そうな程の退屈ですわ。いえ、重い瞼が、金槌で殴られている様な頭痛が、溜め息を吐かせてくれませんが。


 わたくしはゆっくりベッドに足を乗せ、静かに横たわろうとしました……しかし体はもう限界。「静かに」ということは不発に終わりました。ドサッ、と、それなりに大きな音が響きます。申し訳ありません、と言おうにも、もう口が動きませんでした。


 重い瞼、重い体。早く眠ってしまいたい──。

 ……でもわたくしは、眠ることが出来ない。

 どうして、と聞かれれば、こう答えるしかありません。



 ──出来ないものは出来ないのです。仕方ないでしょう。



 だからこそ、わたくしは。



「なんかすごい音したけど……大丈夫?」



 彼との出会いを、〝運命〟だと思いましたの。



 わたくしは目を開き、なんとか視線だけで声の主を探しました。しかし、「大丈夫か」という労りの言葉……それに答える程の余裕が、わたくしにあるはずもなく。


 なんとか顔だけは見ました。けど眠気に覆われた視界は、まともに声の主を映してはくださいません。見えたのはぼんやりとした顔でした。なんとか、黒髪だということくらいは分かりましたが。


音宮おとみやくん、その子は睡眠をとらないといけないから、放っておいてあげてね」

「あ、すみません。……君もごめんね、邪魔しちゃったみたいで」

「……」


 答えられません、けど、なんとか力を振り絞り、頷きました。返事をしないと、立ち去ってくれなそうでしたから。……彼はホッと息を吐いたみたいでした。息の流れる、その音が聞こえましたから。


 分かったのなら、早く放っておいてほしい。そんな思いで、わたくしは目を閉じました。眠れない時は、とても気が立ちます。誰も悪くないのに、八つ当たりをしてしまう時もあります。だから、早く。


 ……ですがわたくしを覗き込む彼は、その場から動く様子はありませんでした。


「……寝るんだよね。だったらこれは、邪魔しちゃった俺からのお詫び」

「……?」


 わたくしは首を傾げます。するとまた、息の流れる音が。どうやら彼は、息を吸ったようでした。そして。



「──♪」



 歌いました。



 突然何をし出したのでしょう、この人は。そう思ったのも束の間。


 わたくしを、激しい眠気が襲いました。


 いえ、眠気は元々所持していたのです。ですがそれ以上の、「眠ってはならない」というわたくしの中の──それが許してくれませんでした。


 しかしこの歌声は、わたくしにかけられた呪いを、いとも容易くほどいています。重い体が、どんどん軽くなっていく。そんな感覚がします。


 ずっと忘れていた、睡眠の快楽。彼の歌声は、わたくしにそれを思い出させてくださいました。

 落ちます。どこまでも深い、夢の中に。


 目を開けようとしました。しかし、叶いませんでした。……体も、頭も、意識を失います。……ああ、どうか。


 どうか、この歌声の主に、お礼を。そして、名前だけでも。



.。.:*・゚☽



 目が覚めた時、頭はとてもはっきりしていました。こんな感覚、久々です。いつも眠れず、わたくしは苛ついてばかりいましたから。


 そしてわたくしの傍には、誰もいませんでした。

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