最終話

 夜は深まり、僕の第二の故郷である新宿二丁目は、今夜も楽し気にネオンが躍っている。

 いつもの顔触れは、性指向の自由を謳歌して、初見さんはおどおどと物珍しそうに看板を眺める。

 スマホで撮影している人もいる。

 そんな人たちの間を通り抜けて、僕はおよそ八ヶ月ぶりに、ゲイバーミラノの扉をあけた。

 また、ここで働きたいと言った僕を、しんごママは、二つ返事で受け入れてくれた。


「おはようございまーす」

「おはよ~。おかえり」

 カウンタ―の向こうで、ばっちりお化粧をしたしんごママが僕を見てほほ笑んだ。


 奥のボックス席には、女装したおっさんたち。ミノルさんやケンジさん、結城さんまでいる。

 カウンタ―に一人座っているのは、女性客だ。


 僕がいない間に、ミラノの『ゲイオンリー』というしきたりは、なし崩し的に輪郭をなくし、ミックスバーぽくなっていた。


 同性愛者の著名人はカミングアウトして、トランスジェンダーやゲイは、その個性を活かして、インフルエンサーとして活躍していたり。

 マイノリティという個性を武器に、それぞれのステージで自分らしさを発信していた。


 僕は女性客に「いらっしゃいませ」と声をかけながら、黒いベストを羽織った。


「こんばんは、ナツさん」

 こちらに振りむいた女性に、僕は思わず一歩後ずさった。


「あ、ここでは響さんだった。ごめんなさい」

 彼女は控えめに口元を、両の手先で覆った。


「ナ、ナミちゃん。どうして……?」

「会いたくなっちゃって」


「そう。ありがとう」


 僕なんかに会いに来るより、ボーイズバーにでも行った方がよっぽど建設的で、生産性があると思うが……。


「物好きな女だわ。わざわざ所帯持ちのホモに会いに来るなんて」

 しんごママはいつものように毒づく。

 ナミちゃんは、口を抑えて大笑い。

 女性客が苦手な僕の代わりに、しんごママがナミちゃんの相手をしてくれている。


「私、最近、BLにはまってて……」

 まるで内緒話でもするかのように、ナミちゃんはこちらに身を乗り出した。


「BLって、イケメンのホモしか出てこないおとぎの国のお話ね。この店で現実をとくと見るといいわ」

 しんごママはそう言って、奥のボックス席に視線を移した。そこには毒々しい花が咲いたように、女装したおっさん達がきゃっきゃうふふと盛り上がっていた。


「ママ~。焼酎が切れちゃったわー。ボトル出してちょうだい」

 結城さんがこちらに手を挙げた。


「はいは~い。よろこんで~」

 ママは、ボトルを持って、ボックス席に行った。


 ナミちゃんは、お酒で紅潮した顔で、再び僕の方に身を乗り出す。


「ウケとか攻めとかあるじゃないですか。響さんは? どっちなんですか?」

 ナミちゃんが大胆な質問をしてくる。突っ込む方か、突っ込まれる方かという事を知りたいらしい。

 僕は逡巡する。できるだけ戸惑いは顔に出さずに――。

 

「ナミちゃんは……舐めてもらう方が好き? それとも舐めてあげる方が好き?」


「え?」

 彼女は紅潮していた顔を真っ赤にして、口元に手を当て「ごめんなさい」と言った。


 その時だ。

 カランコロンとドアベルが鳴った。


「いらっしゃい、ませ」

 僕はさらに驚いた。

 見事なグレーに染め上げた髪を、さらっと揺らしながら入って来た美少年。


「ミチル!」

「ナツ君、久しぶり!」


 その隣には、大学生ぽい男の子。見た目普通の地味な青年だ。


「え? もしかして、彼氏?」

 否定すると思ったが、ミチルは首肯した。


「へぇー」

「彼、ノンケなんだ。大学でずっと僕の事気になってたんだって」

「そっか。それは、なんていうか……」

 複雑。

「おめでとう。どうぞ」

 僕がカウンタ―に手を差し出したと同時に、ミチルは勝手知ったる我が家のように、ナミちゃんの隣に座った。


「ウィスキージンジャー割りで二つ」

 また、酒の好みが変わってる。男が変わったら、酒の好みも変わるタイプだったんだ。そんな驚きを隠しながら、僕はウィスキーのジンジャー割りを作る。


 カランコロンと、またドアベルが鳴った。

 今日は大忙しだ。

「いらっしゃいませ」

 とドアの方に顔を向けた僕は、更に驚かされた。


「いらっしゃ……」


 カウンタ―に戻っていたしんごママも固まった。そして、弾かれるように奥へと引っ込んでしまった。

 数回しか会った事はなかったが、こいつの顔を忘れるわけがない。


「藤本……。あんた……何しに来たんだよ」

 僕はギリっと奥歯を噛んだ。


 あの喫茶店で会って以来、藤本からの連絡は来ず、金銭の要求も一度もなかった。あの件は自然消滅したと思っていた。

 不穏な空気を察したのか、カウンタ―に座っている三人の視線が、僕と藤本に集まっている。


 そんな事はお構いなしで、藤本はゆっくりと一歩一歩店内に侵入してくる。

 その顔は、小ばかにしたような表情に見えた。


 藤本は、カウンタ―の一番奥に座ると「ビール」と言った。

 なんだか、機械のオイルみたいな匂いがする。よく見たら藤本の服装は作業着。所々、油染みが目立っている。

 カウンタ―の上で組んだ両手は、黒ずんでいて、荒れているように見えた。


 僕は冷蔵庫から瓶ビールを取り、栓を抜いてグラスと共に藤本の前に置いた。

 グラスにビールを注ぎながら

「仕事、就いたんですね」

 そう、声をかけてみた。


「ああ。自動車の修理工場。女とも全部別れた。今はチサトだけだ。風俗も行ってない。真面目に働いてるよ」

「えらいですね」

 僕はちらっと藤本の顔を見て、そう答えた。


「ガキができたからな」

「え? じゃあ、入籍するんですか?」

「ああ」


「お、おめでとう、ございます」

 なんだか複雑だ。リオに弟か妹ができるのだ。それはなんだか複雑だが、喜ばしい事に違いはない。


「で、今日はどうしてここに?」

「お前らが言ったんだろうが。一度でも二丁目に足運んだ事あるのかって。理解しようとした事あるのかって。親父のその……」


 凄い! と思った。

 大どんでん返しだ!

 藤本は、あの日先輩の言葉で変わったのだ。いや、少なくとも変わろうと努力をしているのだ。


「すいません。てっきり嫌がらせに来たのかと思ってしまって」

 僕はそう言って、ビールを注ぎ終えたグラスを、藤本の前に滑らせた。

 藤本は、ビール瓶を持ち上げて、僕に差し出す。

 僕に奢ってくれるらしい。

 けど、その盃は、僕じゃない。


「ちょっと待っててください」


 僕はしんごママが消えて行ったバックヤードに入った。

 買い置きの酒瓶の前で、ママは具合が悪そうに青ざめた顔をしていた。

 けど、病気じゃない事を僕は知っている。


「しんごママ。どうしたんですか? 僕一人じゃ回りません。カウンタ―の一番奥のお客さん、お願いします」


 そう言って、ナミちゃんのオーダーを聞きに行った。

 渋々出て来たしんごママは、ふっと大きく息を吐いて背筋を伸ばした。

 無理やり口角を上げて、いつもの表情を作ると、藤本の席へ真っすぐと歩いて行く。

 僕はその凛とした後ろ姿に、なんとも言えない感動を覚えた。かっこよかった。

 

 藤本はママの姿を真っすぐに見据えている。睨みつけているようにも見える。

 その表情は、叱れた後の反抗期みたいに素直じゃない。けど僕にはわかる気がした。その奥に隠された、彼の本当の気持ちが。


 彼の前に辿り着いたと同時に、藤本は瓶ビールを持ち上げてママに差し出した。

 驚いた顔のしんごママ。

 二人はしばし見つめ合って、何やら二言、三言の会話をしていたが、その声は僕には聞こえなかった。


 ただ、カチンとグラスがぶつかり合う音だけが、鮮明に聞こえた。

 長年のわだかまりに、終止符を打った音だ。と思った。


 僕は、そっと心の中で、拍手を送った。


 完

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新宿二丁目ラブストーリー 神楽耶 夏輝 @mashironatsume

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