第11話 残酷な誤解

 次の日の午後3時。僕はリオを保育園にお迎えに行く。

 まだ2日目だが、リオは保育園があまり好きじゃないみたいで、昨日のお迎えの時は僕の顔を見て泣きそうになりながら飛びついて来た。


 お迎えが待ち遠しかったんだ。


 リオの担当の先生は、ちょっと年配で、保育園でのリオのやんちゃっぷりを楽しそうに話してくれた。

 お友達と喧嘩もしちゃったようだ。今日はいい子にしてたかな?


 そんな事を思いながら、保育園の駐車場に車を止めた。

 リオは3歳児クラスのサクラ組。ピンクのサクラが目印の部屋だ。


 二階建ての園舎は広々としていて明るい。

 賑やかな声が漏れる入り口を過ぎると、右に曲ってすぐの部屋がリオが過ごしている部屋だ。


 僕の顔を見た年配の先生は顔を引きつらせて、キョロキョロ周りを見回した後、こちらにやって来た。


「お世話になります。リオ、お迎えに来ました」


 僕はにこやかに挨拶をした。

 昨日とは打って変わって様子がおかしい。

 そして僕は悟った。来たか。

 冷静にそう思ったが、先生の口から飛び出した言葉に、愕然とさせられた。


「リオ君、今日はママにお迎えお願いしました」


「え? どうしてですか?」


 先生は辺りを気にしながら、小さな声でこう言った。


「園長と相談して、それがいいと判断しました」


 僕は青ざめた。

 頭の中は真っ白で、思考が追い付かない。

 あいつが……藤本がいる家に、リオを連れて帰るなんて……

 僕は、ガクガクと膝が震え、居ても立ってもいられなくなった。


「どうしてそんな勝手に……」


 先生はあからさまに表情を変え、いぶかし気にこう言った。


「あのぉ、本当かどうかは、私共では判断でき兼ねまして……一応、リオ君の身の安全を一番確保できるのはお母さまかと……」


 何を言っているのかさっぱりわからない。


「身の安全? どういう意味ですか?」


「リオ君のパパと一緒にいる方は、同性愛者で小児性愛者かもしれないと、園に連絡くださった方がいらっしゃって」


 小児性愛者?


 僕はその言葉の意味を理解するのに十数秒かかったと思う。

 理解した瞬間「へぇーーーーーー!!!」

 と言いながら吸い込んだ息をしばらく吐き出す事も忘れ、僕は固まった。


 僕が小児性愛者?


 ある程度の偏見と闘う覚悟はあったが、あまりの想定外の展開に気を失いかけていた。


「あの……僕……同性愛者ですけど、小児性愛者じゃないです」

 情けない涙声を絞り出すのが精いっぱいだった。


 子供たちは、こちらにはお構いなしにお絵描きやおままごとに夢中になっている。

 他の先生はチラチラとこちらに目線を向ける。

 気が付いたら、僕はその場に背を向け、逃げ出していた。


 違う!違う!!違う!!! 

 どうしてそんな事になっちゃうんだ。僕はリオを愛しているけど、性的対象に見た事なんて一度もない。

 何をどうしたらそんな事になってしまったんだ。

 どこをどう運転して帰ったか、わからないまま家に付き、僕はソファに突っ伏した。


 悔しい、悲しい、苦しい。

 なのに、涙は全く出て来なくて、抜け殻のようにただ俯せで唸った。


「うーーーー、うーーーー」


 唸っていたら、ようやく涙が溢れてきて、涙に任せて声を張り上げる。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!」


 ポケットに中で着信音が鳴り響く。


 鳴りやんでもまた鳴る。


 ソファに突っ伏したまま、ポケットからスマホを取り出し、スクリーンを見て僕はそれを放り投げた。

 今日は、サッカースクールの練習日で、僕は出勤しなくてはいけない日だったが、出勤時間はとっくに過ぎていた。


 リオも練習日で、一緒に行く予定だった。


 でも、僕はリオに会う事が怖くなっている。

 保育園でそういう情報が流されているんだ。きっとスクールでも……

 泣かない。負けないって、そう決めたのに、そんな決意はボロボロに崩れ去り、僕は携帯の通話ボタンをタッチする勇気さえ、振り絞る事ができなかった。


 先輩に申し訳ない。

 あんなに頑張って、リオを取り戻したのに……僕のせいで。

 僕は、仕事も、食事の準備も、先輩のお迎えさえも忘れて泣き続けていた。


 頭が痺れ、呼吸は途切れ途切れ、目の前は真っ暗だった。



「……ナツ……ナツ?」


 聞き慣れた愛しい声が頭上から降って来た。


「先輩、すいません。僕……」


 精いっぱい声を振り絞った後


 プツっという音と共に、僕のスイッチはオフになった。



 先輩すいません。僕頑張るって決めたのに、リオのママになるって決めたのに、親としての背中、リオに見せるって決めたのに、全然ダメです。本当にごめんなさい。

 真っ暗闇の中で、僕はただ一人ひざまずき、何度も何度もそう叫び続けていた。



「ナツ、ナツ!」


 熱い頬とは裏腹に、ひんやりとした感触が目と額を覆っていた。頭の中のスイッチが入ったのか、まぶたが徐々に明るくなり、現実へと引き戻される。


 僕は、どこで何をしていたんだったっけ?

 そんな事を思いながらも体は正常で、弾かれるように飛び起きた。

 腿にひやっと、濡れたタオルが落ちた。

 周りを見渡すと、そこは僕と先輩が暮らしている家で、ソファの上だった。

 先輩はスーツのまま、心配そうに僕の隣にしゃがんでいる。


「先輩! すいません、僕!」


「リオは?」


「それが……あっ、ああの」


 説明しようとするけど、言葉が上手く出て来ない。


「あの、藤本の、えっとあの、チサトさんが……保育園で…先生が……あの、僕、小児性愛者…… 」


 そして、うわあぁぁぁぁっとなってしまう。

 先輩は、僕の肩を擦りながら「わかった、何も言わなくていい」と言い、スマホを操作した。

 何やら話をしながら、僕の視界からフェイドアウトした。

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