第5話 それぞれの聖夜

 初めて知る、24時間託児所の実態。

 僕は、託児所と呼ばれる施設が入っている建物の下で、先輩とリオを待っている。

 新宿とは打って変わって静かな路地裏。

 時々通る人は何かに追われているかのように、やたらと先を急いでいる。

 僕が抱いていた保育園というイメージは小ぢんまりとした園舎があって、園庭にはカラフルな遊具があり、衛生的で健康的な雰囲気の施設だ。

 リオが預けられていた託児所は、ひび割れたコンクリートに囲まれた、薄暗く、所々に蜘蛛の巣が張っているアパートの一室だった。


 もちろん、部屋の中はきれいなのかもしれない。


 小さめのクリスマスツリーをみんなで囲み、保育士さん達はサンタクロースの恰好で、ジングルベルを歌ってくれているのかもしれない。せめてそうであって欲しいと願った。

 それでも、豪奢なイルミネーションを通り過ぎ、街のサンタに心躍らせながら、ここへ連れて来られたリオの気持ちを思うと、僕は立っていられないほどの怒りがこみ上げた。


 チサトさんとあの男に、リオはどんな顔で、どんな気持ちでバイバイと手を振ったのだろう。

 リオが邪魔ならどうして僕たちに預けてくれなかったんだろう。


「お世話になりました」

「ばいばーい」

 嬉しそうなリオの声の後、リオを抱いた先輩がコンクリートの階段を降りて来た。


「リオ! おかえり」


「たらいまー」


 リオは嬉しそうに僕に抱き付き、抱っこ交代。

 うりゃっと持ち上げ、肩に跨らせると、きゃっきゃと足をバタつかせた。


「たかーい、たかーい」と興奮の声を上げる。


「飯行こう。腹減った。リオも晩めし殆ど食べてないらしい」


「食欲なかったんですかね。他にも預けられてる子供いたんですか?」


「何人かいた。多分夜の仕事の家庭だろう。あいつやっぱり今夜は迎えに来る気なかったみたいだ。お迎えは明日の8時になってた」


「偶然出くわしてよかったですね。リオ託児所でクリスマス過ごす所だったなんて」


「だな。ファミレスでも行くか」


「帰って僕作りますよ。パスタとフライドチキンとサラダぐらいならチャチャっとできます」


「そっか、じゃあ、帰るか」


「帰ろう、帰ろうー」


 僕はリオを肩車したまま、クルクルと回った。


「あ! 雪」


 静かに振り始めた雪に、最初に気付いたのは先輩だった。


「雪―! リオ、雪だよ雪」


「キャー、ちめたーい。きれーーー」


 僕の肩で狂喜乱舞するリオ。


 肩からリオを降ろし、抱っこしたまま、真っ暗な夜空を見上げた。

 風はなく、放射線状に降り注ぐ真っ白い雪粒は、リオの髪にひっかかり留まっている。

 降り注ぐ雪の中で、満開の笑顔を咲かせる天使のようなリオを、僕はぎゅーっと抱きしめた


「明日は積もるかな」


 先輩がそんな子供じみた事を言うもんだから、僕もついこう答える。


「積もったら雪だるま作りましょうね」


「やだよ」


 ◇


 背の高い寸胴鍋に最強の火でお湯を沸かす。

 お湯が沸きあがるまでにサラダを盛りつけ、チキンに味を付ける。

 スーツからスウェットに着替えた僕は、パスタの材料を揃えながらビールを飲む。

 どんなに寒い日でも、料理を作りながら飲むビールは美味い!


「なんか手伝う?」


 先輩がキッチンを覗き込む。


「いや、いいですよ。リオと遊んであげてください」


「わかった」


 つまみ用に作り置きしておいた、ピリ辛ゴボウを軽くレンジで温めていた僕の後ろで、プシュっとビールを開ける音がした。

 振り向くと、先輩が缶ビールを片手に持ち上げている。

 僕は慌てて飲みかけの缶ビールを持ち上げた。


「メリークリスマス」

 そう言って僕の缶に缶をぶつけた。


「すいません。僕フライングしました」


「バカ野郎! 今日悪かったな。せっかくデートだったのに」


 僕は驚いた。先輩にデートという認識があったとは。


「全然! こっちの方が数倍楽しいです。先輩とイタリアンデートしたかったけど、またの楽しみに取っときます」


「お前のスーツ姿、似合ってたよ」


「先輩ほどじゃないでしょー」


「まぁな」


 ゲラゲラと笑いながら飲んだビールの味は、一生忘れられないクリスマスの思い出になる気がした。


 ◇


 次の朝。

 カーテンの向こうを覗くと、いつもの禿げかかった芝生はなく、雪がうっすらと真っ白い絨毯を作っていた。

 それはまるでサンタさんからのプレゼントが届いた日の朝のような、幸せな光景だった。


 小さい雪だるまくらいは作れそうだ。

 二階で眠る先輩とリオを起こして来てあげよう。


 そう思っていた時だった。


 突然、侵入してきた赤い軽自動車に、僕たちの真新しかった絨毯は無残に踏みつけられてしまった。


 見覚えのある赤い軽自動車は、いつもサッカースクールでリオを送り迎えしている車で、チサトさんの車に間違いない。

 運転席には、あの男。

 助手席には、チサトさん。


 どちらにしても、先輩を起こさなくては。

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