第4話 リオの父親
成人式以来、一度も袖を通していないスリーピースのスーツを取り出した。
張り切っておしゃれしたかったわけではなく、スーツの先輩に会わせた方が帰りの電車で、周りの目を気にしなくていいと考えたからだ。
スーツはグレーだから、ネクタイは黒が締まって見えるけど、ワインレッドの方がおしゃれかも。
日頃はゲイバレを防ぐため、できるだけ明るい色の服は着ないようにしている。
クリスマスぐらいいいよね。そんな事を考えながら鼻歌混じりにネクタイを締め、黒のマフラーを首に巻き付け、ダブルのチェスターコートを羽織った。
コートの大容量ポケットに財布、携帯、タバコを突っ込み、成瀬駅へ向かった。
巨大ダンジョン新宿駅を抜け、歌舞伎町方面の矢印を辿って階段を上り、出口を抜ける。
東口の交番横の壁にもたれかかって、携帯をいじっている先輩を見つけた。
イルミネーションをバックに佇む先輩は、それはそれは絵になっていて、まるでドラマのワンシーン。
聖夜にどんな美女と待ち合わせだろうか? そんな事を思いながら、通り過ぎる人もいるだろう。
ごめんなさい。僕で……。
「先輩。待ちました?」
「いや、5分ぐらい」
「すいません」
「全然」
先輩は携帯を見ながら、素っ気なく歩き出す。
置いて行かれそうな僕は、小走りで先輩を追いかける。
「寒くないですか? マフラー使います?」
「お前は?」
「僕大丈夫です」
自分の首に巻き付けたマフラーを解き、先輩の首に巻いた。
時々、どこからともなく流れて来るラブソングに、自分たちを重ねる。
幸せそうに寄り添う男女のカップルに紛れ、僕は先輩から一歩距離を置き、後ろを着いて歩く。
「ご飯どこで食べます?」
「予約してある」
先輩はそう言って細い路地の方を指さした。
「いつの間に予約したんですか?」
「今日」
賑わう人を避けながら、ビルに入り、エレベーターに乗った。
到着した先は、カップルで溢れるイタリアンレストラン。
男女の幸せなカップルしか想定していないようなムードたっぷりの……。
「ちょっ、先輩。大丈夫ですか? 僕たち浮きません?」
「俺もちょっとそう思ったけど、奇跡的に予約取れたんだ。せっかくだから入ろうぜ。コースの注文もしてあるし」
先輩は少し緊張した顔で、僕の腕を引いた。
入口で荷物を預けて、案内されたテーブルに着くと、先輩はすぐに「生2つ」と二本の指を立てた。居酒屋スタイルだ。
「かしこまりました。アペリティーボをお持ちしますが、追加で生ビールをお持ちしてよろしいですか?」
「え? アップルヌーボ……? 何それ?」
僕は先輩の袖を引き、耳元に口を寄せる。
「アペリティーボって食前酒です」
「ああね。じゃあ、それも」
微塵も恥ずかしそうにしない。こういう所、本当に男前だなって思った。
「ここ高いでしょう」
座ってすぐに、ついそんな事が口をついて出てしまった。
「今、そんな事言わなくていいだろう。バカ!」
先輩はキョロキョロしながら声をひそめた。
そして、目線を定めて固まった。
目線は僕の右斜め後ろ。
ん?
僕はゆっくりその視線の方へ振り向いた
「あ!」
視線の先には先輩の元奥さん。つまりリオのママ。
そして、その隣には長身でガタイのいい、柄の悪そうな茶髪の男。
くすんだ赤のタートルにライダースジャケット。そしてブラックジーンズ。首や腕にはごついシルバーのアクセサリー。目に被りそうなウェーブのかかった髪を人差し指でよけながら、ポケットに片手を突っ込み、ニヤニヤ笑いながら店員の案内を待っている。
ヤンキードラマで言えば、主役にはなれない極悪不良役と言った所だ。
あいつがリオの新しい父親?
でもリオの姿はない。
先輩の顔色がみるみる変わって行く。今にも掴みかかりそうな勢いだ。僕は先輩の腕をテーブル越しに掴んだ。
「先輩」
僕の制止する声は、先輩の耳には入らない。
「チサトー」
地を這うような低い声が、静かに流れるジャズに被り、不協和音のように幸せなムードを打ち破る。
リオのママはチサトという名前らしい。二人は同時にこちらへ顔を向けた。
男は先輩をキっと睨みつける。
「ハルト」
リオのママは凍り付いたような表情で目を泳がせる。
「なんだお前」
極悪不良男は肩で風を切り、イキりながら先輩に近づく。
僕は立ち上がり、先輩と極悪不良男の間に立ちはだかった。
「こんばんは! あ、メリークリスマスかな」
僕はチサトさんににっこり笑いながら空気清浄を試みる。
リオのサッカースクールで、何度か話した事もあったし、僕と先輩がルームシェアしている事も彼女は知っている。
僕がゲイである事は知らない。
「あ、こんばんは」
チサトさんは震える声で答えた。
「もしかして、リオの新しいパパですか?」
「ええ、まぁ」
「はじめまして。リオのサッカーのコーチしてます。井出と申します」
極悪男に手を差し出したが、握手には応じず、僕を飛び越し先輩を睨みつけている。
先輩はそれに応じるように椅子に座ったままふんぞり返り、投げ出した足を交差させ、男を睨みつける。
「今日は、リオは?」
僕たちは、クリスマスにリオを預からせて欲しいと申し出ていた。
チサトさんはクリスマスは、新しいパパと過ごすからごめんなさいと、確かにそう言っていたそうだ。
親ってものは今頃、サンタの恰好をして、クリスマスツリーを囲み、子供とケンタッキーフライドチキンでも食べている時間じゃないのか。
僕が差し出した、友好的に開いていた手は、いつの間にか震える拳に変わっていた。
「リオは……、どうしても保育園でお友達と過ごしたいらしくて……」
チサトさんは目を泳がせながらも、口の端を上げた。
保育園というのは、24時間の託児所の事だ。
「電話しろよ。今から俺が迎えに行くって伝えろよ」
先輩はそう言い、立ち上がった。
「なんだこの野郎」
極悪男は先輩の肩口を掴んだ。
僕は用心棒よろしくその手を先輩から引き離す。
「やめましょう。お店に迷惑がかかりますから」
先輩は男を睨みつける。
「お前、リオの父親になる気あんのかよ」
「ああ? 何だとこの野郎」
ヤバい! 本当にこんな男がリオの父親になるなんて、今すぐこの男をこの世から抹消したい。
「ナツ、行くぞ」
「はい?」
有無などない。
行先はもちろん町田。
リオの待つ、託児所だ!
一口も食べなかった料理の会計を払い、荷物を受け取り、僕たちは新宿駅へ走った。
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