第3話 クリスマスイブ

「ただいまー!」


 自分でも引いてしまうほど弾んだ声で、玄関のドアを開けた。


「おかえり」


 僕とは大分温度差の異なる声が返ってくる。

 先輩はテレビの画面にかじりつき、ビビットなピンクの墨でフィールドを染めている。


「あーーーーっ。くっそ。マジ、最悪」


「また負けたんですか?」


「うるせぇ。どうだった? 面接」


 ソファにふて寝して、天井を見たまま先輩が言った。


「合格しました。早速、明日から入ります」


「おおーーー! そっか、よかったな」


 先輩は起き上がり、コントローラーを操作し、テレビのスピーカーから再び軽快なBGMを流す。


「リオ、いつからディベルトの選手なんですか?」


 先輩はコントローラーを操作しながら、淡々とした表情で答える。


「歩けるようになってから。いつからかは正確には覚えてない」


「なんで言ってくれなかったんですか?」


「びっくりさせようかなと思って」


 先輩はちらっとこちらに目を向け、すぐにテレビの画面に目を向けた。


「すごいですね。リオまだ3歳なのに、アンダー4でエースストライカーなんて。さすが先輩の息子ですね」


 先輩は答えない。スプラトゥーンに夢中だ。

 僕は先輩の隣に腰かけ、背後に回り込み背中をぎゅっと抱きしめた。


「バカ! やめろ。今はやめろ!」

 ゲームを邪魔された先輩は、真剣に僕を振りはらおうとする。

 僕はその力に負けないように、がっしりと先輩をホールドした。


「うわ! あ、あーーーー。もう! マジ最悪」


 先輩はコントローラーを放り投げ、恨めしそうにこちらを見たかと思ったら、突然僕をあお向けに押し倒した。

 そして、ぎゅっと抱きしめ、耳元に口を近づけた。


「ごめん。ママにはしてあげられないかもしんないけど、コーチならと思って」


 僕も先輩をぎゅっと抱き締める。


「めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます」


 力が強すぎたらしく、先輩は僕の腕をタップする。

「苦しい、苦しい」


 先輩を解放して、起き上がった。

「リオ、僕の事覚えてますかね?」


 それに答えるように先輩も起き上がる。


「覚えてるさ。子供の記憶力はすごいんだ。前のアパートでの出来事も事細かく覚えてると思うよ」


「お子様ランチとか、クレープとか?」


「壁パン芸人とかな」


 あははははー。


 まだ一ヶ月ぐらい前の事なのに、なんだか遠く懐かしい出来事のように感じた。


「子供ってよくそんな事覚えてるなぁって事いきなりしゃべりだしたりするんだよ。ここパパと行ったね、とか、あの公園でアリさんが行列作ってたとか」


 たどたどしい口ぶりで一生懸命しゃべるリオを思い描浮かべ、うるっと涙が溢れる。


「そうなんですか? かわいいなぁ。よかった……」


「ばか! お前また泣いてんのかよ。泣き虫だな、本当」


 先輩はそう言って、目尻から垂れた涙をてのひらで荒々しく拭ってくれた。


「俺もタイミングが合う時があれば、スクール顔出すよ」


「はい。リオもきっと喜びます!」


 先輩は起き上がり、僕にコントローラーを手渡した。


「勝負しようぜ」


「いいですよ。僕が勝ったらディズニーシ―連れて行ってください」


「やだ」


「じゃあ、愛してるって言ってください」


「やだよ」


 ◇


「カイト、タクマ、サナ、アリサ……」

 鮮やかな人工芝が広がるサッカー場で、西成さんが子供たちの名前をテンション高く読み上げる。

「はい」「はい」と子供たちの声が、澄み切った青空に消えて行く。


 僕は、子供たちの名前と顔をインプットしていく。

 ユニフォームには一応アルファベットで名前が入っているので、すぐに覚えなくても問題はなさそうだった。


「リオ」


「はい!」と、リオは大きな声で、立派に手を挙げた。その顔は誇らしげにほころんでいる。


 フィールド外の保護者席には、子供たちの様子を嬉しそうに見守るママ達。

 そんな中、リオのママは、一際目立っていた。派手めな服装や髪もそうだが、どこか落ち着かない様子で、携帯をいじっている。


 練習の様子を、動画や写メに収めているわけではない。

 時々、電話をしながら立ち上がりどこかへ姿を消す。


 何故、それがリオのママだとわかったかと言うと、親の手を離れてピッチに入って来る子供たちを見守りながら、密かにチェックしていたからだ。

 彼女はリオを愛しているんだろうか? そんな疑問が頭をもたげる。


「今日は、みんなに新しいコーチを紹介するよ。オーケー?」


「おっけー!」


「みんな、大きな声で挨拶しようね! オーケー?」


「おっけー!」


「リオのパパのお友達で、井出コーチです。拍手―!」


「イデー」「マッチョー」「キャハハハ」


 と思い思いに子供たちは盛り上がり、大騒ぎ。


「自己紹介お願いします」と西成さんは僕に目配せした。


 子供たちの奇声に負けないよう、大きく声を張る。


「こんにちはー! 井出夏輝といいます。リオのパパの紹介で今日からみんなと一緒に、サッカーを楽しみたいと思います。よろしくお願いします」


「井出コーチにもう一回拍手―」

 西成さんの明るい声で、子供たちはパチパチと頭の上で手を叩いた。


 リオはその場でぴょんぴょん飛びはねている。

 もう誰もちゃんと座っていない。

 でも西成さんは注意しない。

 僕も、注意しなくていいと言われている。


 子供は一時だってじっとしてられないのだ。正常な成長を受け止めて、否定せず、強制せず、サッカーを通して強い心と体を育む。

 それがディベルトFCのメソッドだ。


 ここで僕は、伸び伸びと育っていくリオの成長を、見守る事ができる。


 ◇


 空気が凛と澄んだ朝。空には薄い雲がかかっていて、天気予報では昼から降り出す雨が夜更けには雪に変わると告げた。


「今日はホワイトクリスマスですね」


 クリスマスは、みんなに平等にやってくる。男にも、女にも、オカマにも、ゲイにも……


「クリスマスプレゼント何がいい?」


 半熟の目玉焼きをお箸の先で突きながら、先輩がそんな事を訊ねて来たもんだから、僕は思わず口に含んだ味噌汁をぶちまけそうになった。


「はい? クリスマスプレゼント、ですか? 僕に?」


「他に誰がいる?」


 いつもみたいに、先輩はクール言った。


 嬉しい! 今にもブラジルのサッカー選手のように派手なサンバのリズムで踊り出したいぐらいには嬉しい。

 しかし、僕は週3回の薄給バイトで、月に6万程度の収入しかなく、生活費の殆どを先輩が負担している状況だ。

 僕なんかのプレゼントに出費なんて、もったいない。


「いいですよ。プレゼントなんて。子供じゃあるまいし」


「そっか。じゃあ、外食でもしようぜ。久々に新宿行く?」


 先輩と、新宿デート!


「いいんですか?」


「いいよ。そうしよう」


 今夜、午後6時に新宿駅東口で待ち合わせと約束をして、僕は先輩を駅まで送って行った。

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