第15話 本音
そして今日。
腐った魚みたいな顔と、辛辣な言葉をママから拝受し一連の流れを話した。
ママは、ストレートの客を何の準備もなく受け入れた事を素直に反省して、携帯での写真撮影、動画撮影は堅くお断りしますという注意書きを店内の至る所にこれでもかという程貼り、何度も僕に謝った。
「一応、削除はしてもらってると思いますし、僕ももう関わりのない人たちなので大丈夫です」
「関わりのない人? 好きな人なんじゃないの? ちゃんと話してきたら? どうせバレちゃったんなら、とことん話して納得した方がいいと思うわよ。どうせ別れるにしても」
「いえ、もういいんです。そもそも付き合ってたわけじゃないし、別れ話する必要もないです。話す事もないですし……。それにもう、部屋にいないと思います。住むとこ見つかったって言ってたし」
僕はボックス席のテーブルを拭いた。
店のドアが開き、ママの声が、がらんとした店内に響いた。
「いらっしゃーい。あら、いい男」
「いらっしゃ……」
入り口を振り返って、僕は瞬間冷凍されたように固まった。体も感情も思考も固まってしまって動けなくなった。
「よう」
その人は、僕の顔を見て軽く手を上げ、大きなスーツケースを引き摺りながら入って来た。
ママの顔にちらりと目をやり、スーツケースを椅子の隣に立て、カウンターに腰かけた。
「なんで?」
僕の問いかけにはシカトし、カウンターの上のイーゼルを持ち上げ、ドリンクメニューをしばし眺めた後、カウンターの向こう側に向かって「ビールくださーい」とオネェっぽく言った。
小指を立て、しなを作り、髪を耳にかける。
推測だが、ゲイオンリーの店だからそれっぽく振る舞おうとしているんだろう。
ママは僕に「ビール出して。私ちょっと買い出し行ってくるわ」と告げ、そそくさとドアの向こうに消えた。
これも推測だが、何かを察して気を使ってるらしい。
解凍が間に合わない僕は、ぎこちなくカウンターに入る。
「せ、先輩。どうして?」
「いや、喉渇いたから、ビール」
そうじゃなくて……と、言いたかったが、とりあえず流れに乗る。
冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、栓を開け先輩にグラスを渡した。
先輩は小指を立てながらグラス持ち上げている。
「別に、オカマっぽくしなくてもつまみ出したりしませんよ」
「そうなの?」と目を丸くした。
「はい、普通にしてください」
「お前、ひっどい顔してんなぁ。いい男が台無しだぞ」
やっぱり相当ひどい顔なのだろうと改めて認識する。
「なんでここわかったんですか?」
先輩の持ち上げたグラスにビールを注ぐ。
「ナミちゃんに聞いた」
「なんで来たんですか?」
「お前に会いに」
心臓がぎゅっと締め付けられた。
けど、そんな言葉を真に受けて浮かれるわけにはいかない。これ以上傷つきたくない。
「あ! 合鍵とかですか? それならポストにでも入れといてもらえたらよかったのに。わざわざ……」
「ちげぇよ。バカ」
先輩はグラスのビールを半分ほど飲み、僕に瓶を差し出した。
「お前も飲めよ。そういう店だろ?」
「いただきます」
持ち上げたグラスに琥珀色の液体が注がれた。
「ゲイは頑張れば治るものだと思っていた」
唐突に、先輩はそう言った。
「は?」
僕にはわかる。それが、ゲイである自分と向き合った男性の手記『ゲイは頑張れば治ると思っていた』という書籍のタイトルだと。
僕の書棚にあった本だ。
「読んだんですか?」
「うん、読んだ。お前の事ちゃんと知ろうと思って。初めて最後まで本を読んだよ」
先輩が? 苦手な本を読破した?
僕の事を知ろうとして……?
まだ、素直に受け取れない僕は、「それはどうも」なんて悪態をついて、顔を背けてしまう。
こぼれそうな涙をかくすように、カウンターに両手を付き足元を眺める。重力に従って、涙は頬を伝わず目から直接足元に落ちた。
「それと、お前勘違いしてるみたいだけど、俺が出て行かなきゃって思った理由はお前が同性愛者だからじゃない。あの動画で喧嘩していた男、恋人だったんだろう。あれ見て思ったんだ。お前、この人の事まだ好きなんだろうなって。俺が邪魔してるんじゃないかって」
先輩はタバコを咥えた。
「昨日、あれからずっと、お前の事考えてた。今までお前の気持ち全然考えてなくて悪かった」
「当然ですよ。そんな、たかが中高の後輩の気持ちなんてそんなに深く考えませんよ。先輩は悪くないんで謝らないでください。僕が勝手に好きになって、勝手に舞い上がって、勝手に傷ついて、苦しんでただけなんで」
「俺さ、何となく気付いてたよ。高校の時。ナツがそうなんじゃないかって。だってほら、覚えてるか? 俺が携帯でエロ動画見ようぜって誘ったのに、お前すっごい嫌がって拒否ったじゃん。巨乳にも素人にも興味示さなかったよな」
「そうでしたっけ?」
「は? 忘れた? 俺はその時に、もしかしてって思ったんだ。だから尚更そういうの周りに気付かれちゃいけないって。だから避けたんだ。俺のせいでナツがみんなに勘付かれて、辛い目に合うんじゃないかって思ったんだ。俺はもうすぐ卒業だったけど、お前はまだ1年で、高校生活あと2年残ってたから、少しでも噂が落ち着けばいいと思ってた。でも結果的にお前を傷つけてたんだな。悪かったな」
「……いえ」
「他にも色々読んだんだ。同性愛者は異性愛者との間に壁があると感じている。でもその壁を作っているのは自分自身だって。入って来ないでくれ、そっとしておいてくれって、壁の向こうに自分で声を潜めて隠れているくせに、心無い誰かの呟きに傷つきながら笑っているんだって。そうなのか?」
僕は、グズグズと止まらない涙を、もう誤魔化すこともせずうなづいた。
「そうですね」
先輩は、ガタっと椅子を揺らし、いきなり立ち上がった。少し怖い顔をしたかと思ったら、カウンター越しに僕の手首をぎゅっと握った。
その力は強くて簡単には動かすことができない程だ。
先輩は僕の顔を真正面からキっと睨み「壁なんてねぇよ」と柄悪く言い放った。
張り詰めた糸が緩んで、飲み込めない嗚咽がもれる。
「うっ うっ……先輩…」
「お前が苦しんでると俺も苦しいよ。お前の事好きだよ。恋愛感情じゃないかもしれないけど、お前は俺にとって特別な存在だった。それだけははっきり自覚している。俺の気持ちも思いも別に変わらない。お前がオカマでもホモでも」
「オカマじゃないです。ホモでゲイです」
「違うのか?」
「もう一回、ちゃんと勉強してください」
先輩はにっこり笑って、ポケットからしわしわのハンカチを出し、僕の顔を荒々しく拭った。
僕がいなかったから自分で洗濯したんだ。
「じゃあ、行くわ。ごちそうさん。いくら?」
先輩はそう言って、ポケットから僕の部屋のスペアキーを取り出して、カウンタ―に置いた。
僕は意を決して首を横に振った。
「いやです。どこにも行かないでください」
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