第12話 別れ
ミチルと別れよう。
今の僕にミチルを幸せにすることはできないばかりか、どんどん傷つけてしまう事になる。
少なくとも、先輩が傍にいる以上、僕はずっと上の空でミチルとの時間を過ごすのだ。先輩を思いながら、ミチルとセックスをする。逆なら僕は絶対にイヤだ。
誠実に向き合えない関係を、これ以上続けるわけにはいかない。
この日、正確には次の日という事になる。
27時。ミチルが最後のお客になった時、「上がっていいわよ」とママが告げる。
僕はミチルに言った。
「飲み行こうよ。話したい事がある」
ミチルは、怪訝そうな顔で頷いた。
そして、例のショットバーへ、ミチルを連れて行った。
「タバコ吸う?」
「うん」
僕はミチルが咥えたタバコに火を点けてやった後、自分のタバコに火を点けた。
「ジンライム」
カウンターの向こうのマスターに告げる。
「テキーラロック」
やけくそ気味にそう叫んだミチルの顔を、僕は思わず二度見した。
「バカじゃないの? この時間にテキーラロック?」
「そういう話でしょ。今からする話」と煙草の煙を吐いた。
ミチルにはお見通しだったようだ。僕の心の内なんて。
マスターが酒をテーブルに置く。
乾杯、と僕が差し出したグラスに、ミチルは軽くグラスを当てる。
テキーラを一気に体内に落とし込むと、眉間にしわを立てて、くし切りのレモンをかじった。
僕はジンライムを一口飲み込み、重々しく切り出す。
「ごめん。別れてほしい」
「うん。わかってる。ノンケの先輩が好きなんでしょ」
「ごめん」
「ナツ君のそういうとこ好き。バカクッソ真面目なとこ」そう言って顔を背けた。
「ミチル……」
「うそ」
「え?」
「本当は嫌い。そういう所、大嫌い」
ミチルのその言葉に、僕は今までにないぐらい、心臓が締め付けられた
「お人好しで、いつも相手の事ばっか考えすぎて、自分らしくしているつもりが、全然見当違い。傷に塩塗ってさー、バカみたいに無理ばっかりして……。
でも、優しさだけはいつも本当だった。ナツ君は、この世で僕が唯一信じてもいいかなって思えた大人だったよ。よかったなぁ、指輪なんて買ってもらわなくて。諦めきれなくなるところだった」
ミチルは、三口ほどしか吸っていないタバコを灰皿に押し当て、火を消した。
「相手がノンケでもいいと思うよ。自分の気持ちに正直に。好きな人にちゃんと好きっていいなよ。わかるよ、見てて。ナツ君の気持ち。僕じゃないって」
ミチルの頬に、涙が一筋こぼれた。
それを慌てて拭きながら、ミチルはカウンターの向こうに叫ぶ。
「テキーラロック」
そして、体を折り曲げ、抗えない感情に屈したように嗚咽し始めた。
子供が親に捨てられる時のように、お前なんてもういらないと言われた時のように、ミチルは泣きじゃくった。
抵抗するわけでも、駄々を捏ねるわけでもなく、ただただ悲しみと対峙していた。
僕は後悔していた。なんでこんな話しちゃったんだろう。
どうせ、叶わない恋なのに。僕の勝手な感情でミチルをこんなにも悲しませてしまった。
僕にとっても、ミチルは僕を一番理解して、受け入れてくれた唯一の人だったかもしれない。
ミチルはこれから先、幸せになってくれるだろうか?
誰かミチルを幸せにしてくれる人が、現れるだろうか?
そんな疑問ばかりが脳裏を通り過ぎて行った。
今思うと、僕はとても自分勝手で残酷だった。
バーに入ってから、およそ一時間後。会計を済ませ、外に出た。
ミチルはテキーラロックを5杯飲んだにも関わらず、しっかりした足取りでバーの階段を下りた。
「じゃあ」
「じゃあね」
僕たちは向かい合わせでさよならを言った。
「ナツ君。もっと我ままになりなよ。そうしないと相手の気持ちなんて見えないよ。自分ばっかり好きになって、与えてばっかりなんて馬鹿みたいだよ」
そう言って、ミチルは僕の首元に絡み着きこう言った。
「今までありがとう。人生で一番幸せな1年間だった」
僕はミチルを、抱きしめなかった。
ただ、何度も心の中では謝っていた。
人生で一番幸せだったと言ったこの一年間を更新する時が、ミチルに訪れる事を心から願った。
ミチルは、僕のシャツに涙を移した後、不器用に笑顔を作ってこう言った。
「じゃあね。今度は本当の、バイバイ」
そして背を向けて駆け出した。時々、不意に現れる通行人に、ぶつかりそうになりながらも、しっかりとした足取りで、ネオンの向こうへと消えて行った。
僕には解る。
背中の向こう側で、ミチルは泣いている。
その日、初めてミチルからの着信は0だった。
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