第11話 決断

 ――Friday


 次の日、ミチルとの待ち合わせ場所である、新宿公園に向かったのは夕刻5時少し前。

 金曜日は2時半までで学校が終わるから、無理な約束ではない。

 メッセージに返信はなかったから、来るかどうかわからなかったが、一応6時ぐらいまでは待ってみるつもりだった。


 空を覆う街路樹が並ぶ歩道を通り抜け、黄色い点字ブロックを超えると、入口の石段に腰かけ、スマホをいじるミチルを見つけた。

 ミチルは僕に気付かない。

 そっと近づき、「おかえり」と声をかけると、弾かれたように顔を上げた。

 僕の顔を一瞥して、平気な顔を作ると、素っ気なく、再びスマホに視線を落とす。

 こちらを見ずに「ただいま」と、言った声のトーンは低くて、それはテンションとイコールだと、僕は悟った。


「昨日は、本当にごめん。忘れちゃってて」と、顔の前で手を合わせる。


 他にもっと謝る事あるだろう! 女の子とエッチしようとした事とか……。でも言わない。結果的にしなかった(できなかった)のだ。推定無罪。と自分に言い渡したわけではない。『浮気しても言わないでね』と付き合う時ミチルに言われたから、わざわざ傷つけなくてもいい。


「うん」


 不満を押し殺した顔で、ミチルが僕を上目遣いで見上げる。


「お腹空いてない?」と訊ねると「空いてる」と、棘のある返事をした。


「じゃあ、先ず指輪買ってからご飯行こうか。六本木じゃなくてごめんね。僕、8時から店だから。今日は近場の居酒屋でもいい? 日曜日にでもOZ行こうよ」

「うん」

 ミチルは、ようやく笑顔を見せて立ち上がった。


 先ずは、仲通りをぶらぶらしながら、よさげな店を見つける。

 ミチルは、小さな雑貨店に吸い込まれるように入って行った。パワーストーンをメインに扱っている店らしかった。僕も後に続いて店内に入る。


 中はアクセサリーや服、インテリア雑貨などが雑然と並んでいる。一点物で値段はそれなりにするが、シルバーのファッションリングとかなら僕にも買ってあげられそうな値段だった。


 もちろんミチルの要望している指輪はこういうのじゃない。

 シルバーよりプラチナかな。先輩がしていたようなヤツだったんだと思う。


「これ、いいんじゃない? かっこいい。ちょっとゴツイかな……ちょっとミチルには似合わないな。あ、これは? トパーズ、きれいじゃない?」


 僕はミチルの表情に気付かないふりをしながら商品を見ては、無難そうな指輪を店員よろしくミチルにおすすめする。


「これ買って」

「え?」

 ミチルが持って来たのは、指輪じゃなくネックレスだった。

 細いチェーンの先に長方形のシルバーの土台。その中央に、薄青い透明の石が付いている。

 繊細なデザインだが一応メンズ物らしかった。ミチルに似合いそうだと思った。

 値段も1万円弱。恋人への誕生日プレゼントにしては安すぎる気もするが、この時の僕は妥当だと感じていた。


「指輪じゃなくていいの?」

 そう訊ねると、ミチルは潔くうなづいた。

「僕に気つかってない? そういうのはさぁ」

 なしというルールだったよね、と言おうとした僕の言葉を、ミチルは遮った。

「いいの! これが欲しいの」


 ミチルにはこういう所がある。家庭の事情は詳しく知らないが、あまり親の事を良く言わない。親から愛された事がないのだ、と彼は言うが、僕に言わせれば、贅沢な悩みに思える。地元を離れた大学にだって、親の甲斐性で通わせてもらっているわけだし。


 しかし、それ故、こうして自分を押し殺そうと振舞っているのは、自明だった。

 僕はそんなミチルが時々無性に愛おしくなって、何でもわがままを聞いてあげたくなる。


 そして、そんな自分がイヤになったりもする。結局は振り回されていて、僕はなかなか自分の気持ちに正直になれない。


「なんでこれがいいの?」


「アクアマリン。きれいだから」


「そっか、わかった」


 ◇


 クレジットカードで会計を済ませ、ミラノからほど近い居酒屋で食事をする事にした。


 この日は金曜日。店内は混んでいて、僕たちはカウンターの端っこに隣同志で座った。

 ミチルはネックレスを取り出し、僕に差し出す。


「着けて」


「うん」


 顔の前から首に手を回し小さな金具を繋げていると、ミチルが素早く頬にキスをした。


「これがしたかったの」と恥ずかしそうに俯きながら笑った。


 僕はたまらず、ミチルの頭を片手でぎゅっと抱え込み、首元に押し当てた。愛おしかった。


「今日、お店行ってもいい?」

 ミチルが訊いた。


「いいけど、今日は忙しいと思うよ。ミチルは、バイト大丈夫なの? 今日はホストクラブも稼ぎ時じゃないの?」


「昨日出たから、今日はいい」


「そう」


 ◇


 同伴出勤のように、ミチルと一緒に出勤すると「あら、いらっしゃい」とママが愛想よくミチルをカウンターに座らせた。


「よかったわ。仲良くしてて。喧嘩してたらどうしようかと思った」


「これ、買ってもらいました。誕プレ」


 ミチルはネックレスをママに見せびらかし、満足そうに笑っていた。


「あら、アクアマリン?」


「はい」


「怒り、嫉妬、葛藤、悪い感情を浄化してくれるのよね」


「はい」


 知らなかった。アクアマリンという石に、そんな力があったとは……。


 怒り、嫉妬、葛藤。そんな感情と戦っている? ミチルが苦しんでいた?

 そんな事実を僕は、何となくわかっていたが、初めて重く感じた。

 僕は後ろめたさいっぱいでミチルの顔を見た。

 そんな僕の顔をミチルは、少し真面目な表情で見つめ返した。


 この時、僕は心に決めた。


 ミチルと別れよう。


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