第6話 約束

「付き合うならタイプのノンケと、タイプじゃないゲイ、どっち?」


 というラビリンスな話題が出たのは、オネェ系のゲイばかりがカウンター席を埋めていたせいだ。とはいえ、この手の話題は、ゲイの間ではバカみたいに盛り上がれる。口下手なバーテンにとっては魔法のアイテムのような物でもある。


「私はタイプのノンケがいいわ」

 背広姿で、潤いのある唇を舐め回しながら、そう答えたのはカウンターの一番端に座る、通称ミノルさん。


「アタシはタイプじゃなくてもゲイにするわ。傷つきたくないもの。響は? どっち?」

 身なりは女性で、ゴツゴツとした顔つき。どう見ても女装してるの通称ケンジさんは、小指を立てて、ねっとりとグラスに口を付けた。


 界隈ではウケのゲイが飽和状態。ウケもタチも同じ数だけ存在すればいいのだがそんな都合のいい状況はなかなか起きない。タチ不足という都合の悪い状況にはよく出くわす。オネェ様方はそういう状況を「人材不足」と嘆いている。

 見た目も中身もセックスも、完全に男の僕は、彼ら、いや彼女らというべきか。つまりその人達からしたら、れっきとした恋愛対象なのである。


「僕は、タイプのノンケかな。なんならタイプのゲイより、タイプのノンケがいいです」


 忙しく水割りを作りながら無表情で答えた。


「えーーー」「きゃーーー」「やだぁーー」「空気読みなさいよ! あんた」


 店内に響き渡る、おっさんたちの黄色い声。

 逆を言うべきだった。本来ならお客に合わせて、お客が気に入る答えを出すべきなのだが、つい本音が出てしまった。

 なぜならここは僕が僕らしくいていい場所なのだから。


 しかし、カウンターには珍しくミチルがいる。

 ミチルは、滅多に僕の職場に来る事はない。

 昨夜、電話に出なかった事を不信に思っているに違いない。なのに、この発言はまずい。

 そして、しんごママが口を挟む。


「バカね。あんた身を滅ぼすタイプね。あたしならタイプのノンケの夢を見ながら、タイプじゃないゲイに抱かれるわ」


「わかるわ、それ~」

 と口々に同意を叫ぶ声で、白けたムードはどうにか持ち直した。

 僕も以前ならその答えに賛成だった。

 何度もミチルを抱きながら先輩の事を考えていた。


「タイプのノンケなんて、遠くから愛でるものよ。付き合うもんじゃないわよ」


「ねぇー」

 ねぇー、と同意したのはついさっき「タイプのノンケがいいわ」と頬を赤くしたミノルさんだ。


「響はきっと、ウケに恵まれてないのよ。今度私が教えてあげるわ」とケンジさんに言ってもらったが、タイプじゃないのでやめておく。


 ミチルの目が尖る。

 カウンターの隅でポツンと一人、鏡月をロックで煽るミチルに、ケンジさんが同じ質問をした。

「あなたは? どっち?」


「僕は……、浮気しないならゲイでもノンケでもどっちでも」


 そういって上手に口角を上げた。目は、笑っていない。

 僕とミチルの関係を知っているしんごママが、ケンジさんの肩を叩いた。

「あんた、そういえば、この前の男どうだったのよ? リアルしてきたんでしょう。詳しく話しなさいよ」

話題を変えてくれたのだ。

 餌を撒かれた鯉のように、オネェ様方はそのネタに群がった。リアルとは、ネット上で交流を深めたお相手と実際に会って、体の相性を確かめる事だ。


 ◇


 こうして新宿2丁目の夜は更けて行った。

 カウンターがミチルだけになった頃、僕はおネェ様達に散々飲まされていて、けっこう酔っていた。


「もう上がっていいわよ」とママがグラスを片付けながら告げた。


「どうする? 帰る? 飲みに行く?」

 会計表を差し出しながら、ミチルにそう訊ねると

「明日、学校だから早めに帰るけど、ちょっと話したい。いい?」

 GUESSとロゴの入った黒い小さめの財布から、5千円札を取り出し、僕に差し出した。


「うん」


 ◇


 店を出て歌舞伎町方面へ。

 落ち着いた雰囲気の静かなショットバーがあって、僕たちはよくそこで、朝方まで飲んだりしている。

 僕はそこにミチルを誘った。

 狭く薄暗い店内は、60年代のロックが話声よりは少し大きな音量で流れていて、落ちついた話をするにはちょうどよかった。


 深夜2時過ぎ。


 カウンターには、男女のカップルが1組。ゲイっぽい男同志のカップルが1組。それぞれ仲睦まじくカクテルを飲んでいる。

 僕とミチルはボックス席に座った。

 すぐにおしぼりを届けに来たボーイに、注文を告げる。

 僕は「ジンライム」

 ミチルは「カシスオレンジ」と言った。


 ミチルが何を言いたいのか、僕は何となく勘付いていた。


「ナツ君。タイプのノンケって、一昨日の晩からナツ君ちに居候している先輩の事?」

 やっぱりその話題だ。

 僕は日常でずっと嘘偽りを纏まとって生活している。

 だから、ここ2丁目では、嘘を吐きたくない。ここは自分らしくいられる唯一の場所で、それはミチルの前でもそうなんだ。


「それ聞いてどうすんの? そうだって言ったら、別れるの?」

「ずるいね、その返しは。別れたくない」ミチルはそっぽを向いて口元にきゅっと力を込めた。


「先輩の事は好き。でも僕が向こう側に行けないように、先輩がこっち側に来る事もできないよ。そんなのミチルだってわかってるでしょ」

 ゲイとノンケの間には、見えないけど、とてつもなく硬く、高い壁がある。その壁の存在を知った時、僕の恋の結末には、絶望しかないと言う事を悟った。


 僕はポケットから煙草を取り出した。

「一本ちょうだい」

 ミチルが上に向けた手を、僕の前に差し出す。

 マルボロメンソールの箱ごと渡し、僕は咥えたタバコに火を点けた後、ライターをミチルに渡した。

 ミチルは日頃タバコを吸わない。少なくとも僕は、タバコを吸うミチルを見た事がなかった。


「タバコ吸うんだ。知らなかった」


「二十歳になったから」


 少しだけ頬をほころばせて、ミチルは目を伏せた。

 僕は慌てて腕時計で日付を確認した。9月10日。ミチルの誕生日だ。


「ごめん。忘れてた」

 って言うか、酒は二十歳待たなくてよかったのかよ! と思ったが見逃す。

 もしかしたら沖縄では、飲酒は18歳からというローカルルールがあるのかも知れないと思ったからだ。

 ミチルはほころばせた顔のまま僕をみやり、タバコを取り出す。


「ナツ君と一緒にいたかったんだ。日付が変わる瞬間。ごめんね。仕事場に来ちゃって」

 僕はパートナーとして最低だ。恋人の誕生日を忘れてしまうなんて。

 しかも、ミチルが閉店後、僕を呼びだしたのは、責めるためなんかじゃなかった。

 誕生日を一緒に過ごしたかっただけだった。


「ううん、僕の方こそごめん。誕生日おめでとう。明日って言うか今日だけど。プレゼント買いに行こうか。何がいい?」


 ミチルは僕の反応を伺うように、体を振り子のように左右に揺らし、色んな方角から視線を投げかける。


「何でもいいの?」


「いいけど、そんなに高いのは無理だよ。給料安いからさ」


「そんなに高くなくていいから、指輪が欲しい」

 透明の灰皿の上で、タバコの背をトントンと人差し指で叩き、灰を落とす。その手つきは少しぎこちなかった。


「……指輪? わかった」


 ここで、いろんなタイプの指輪を思い浮かべる。恋人に指輪をねだる時、もちろんファッションリングではない場合が多いだろう。でもこの時、僕はシルバーの、小指や人差し指に嵌めるタイプの物をイメージしていた。

 ミチルがイメージしているそれとは、違っている事ぐらい僕にもわかる。


 ミチルが欲しい物は指輪ではなくて、『約束』だったんだと思う。


「夜、ご飯でも行く? 六本木のイタリアン。OZだったっけ?。ワタリガニのパスタ、ミチル、めっちゃ美味しいって言ってたよね。あそこなら個室もあるし、二十歳のお祝いしよう」

 去年のクリスマスイブを一緒に過ごしたお店だ。少々コスパは悪いが、酔った勢いで気持ちも大きくなっていた。


 酒の強さは出身地に由来すると、僕は思う。沖縄出身のミチルはかなり酒に強い。

 僕も、酒強い都道府県民ランキングでは、上位に入るであろう土地の出身だが、呑まれる時は呑まれる。


「うん! ありがとう。ナツ君」


 夕方5時に新宿駅で待ち合わせ。そう約束をして3時過ぎに帰宅した。


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